バトルエッジ・バリソン

鋼 電慈

第1話【プロローグ】『リブート』

 分厚く垂れこめた雲の下、男を乗せた車椅子が、疲れ切った表情の看護師に押されて古臭い病院の玄関を出て行った。


 看護師の女の顔色は、雪の降り出しそうな鉛色の空と同じく、どんよりと曇っていた。

 ガタガタと音を立てて進む車椅子の男は、ペラペラの病院衣を身にまとい、身じろぎ一つせず口から涎を垂らして虚空を眺めるばかりだ。


 病院の玄関は、診療待ちの人々で溢れていて、待合ロビーに入り切れなかった多くの人々が手入れされていない花壇の縁に腰かけている。 


 ヒソヒソと、彼らから声が漏れて看護師の耳に届いた。


「ああ、また出できたのかいね……」

「可愛そうにねぇ。兵隊さんだろ? どこの戦線だったんだろうね……」

「国の為に働いたのに、保険が切れたら、国から捨てられちまうって、なぁ……」


 看護師はうんざりした様子で車椅子を押して数十メートル先の病院の門の外を目指した。


 錆びて壊れた車椅子が幾つも放置されている門の外に出ると、看護師は車椅子のブレーキをかけて立ち止まる。


「……」


 看護師は無表情のまま、使い古したタオルを男の首に巻いて、その場を後にした。


「雪が降りそうだ。この寒さじゃ、明日までもつかどうか……」

「固くなって、また病院の中に戻っていくんだろう?」

「その後は、旅客死亡人扱いだったかな?」


 遠慮なしに耳に届くヒソヒソ声。看護師は踵を返して、もう一枚のタオルを男の膝に掛けると、病院内に戻っていった。


『三宿療養病院』


 軍民共用の医療機関で、頻発する極地紛争で発生した傷病者を数多く受け入れている。

 

 負傷者の中でも戦場で、大量出血や長時間の心肺停止などから、脳にダメージを受けた兵士の回復期医療を行う施設でもある。

 

 入院する多数の兵士、人体改造兵と呼ばれる彼らは、今やこの国に溢れかえっていた。全自動手術マシンで製造されるそれは、重装甲のドローンより安く、何よりも、組織の人数を一定以上に保ち、前線に出ることのない高級将校のポストを確保することができる。

 

 一方で、次から次へと生み出される兵士は、次から次へと使い捨てにされる。


『警告:低温状況』


 人造兵士に埋め込まれた第十世代仮想AIが、網膜に埋め込まれたディスプレイに文字を投影する。だが、脳死状態の兵士は指先一つ動かさない。


『警告:低温状況。推奨:保温または移動』


 回復期医療とは言いつつも、指定された期間が過ぎれば、健康保険が打ち切られ、医療費が払えなくなったものから『退院』となる。


 たとえ、その者が指一本動かせなかったとしてもだ。


 人造兵士にはAIと共に、肉体を強化する仕組み、反射速度を高める人造神経束と神経からの信号で伸縮する保護鞘が埋め込まれ、脳信号をトレースしたAIが操作することで常人を超える筋力を発揮できる。


 その仕組みをAIが操作すれは人間の体を操ることも不可能ではないが、物理デバイスのOSにロックが掛かっており、瞬き一つコントロールすることはできない。


『警告:低温状況。推奨:覚醒およびシェルターの作成』


 幸いにして、軍籍は抹消されておらず、AIと身体機能の不活性化は行われていない。


 だが、脳死した兵士の視野にいくらメッセージを投影したところで、変化は起きない。


 いずれは、人間の細胞が機能停止し、生体電源が遮断され、記録は消滅し、肉体もAIも再利用されることなく破棄されるだろう。


『覚醒までの肉体保存を優先目標に設定。警告:低温状況。死の危険あり』


 夜半。チラつく雪が、大きさのあるボタ雪に代わり、辺りを白く染め始め、車いすの男にも雪が積もり始めた。既に手足は紫色で凍傷の一歩手前だ。


『SYNパケット送信、RST有。次ポート、SYNパケット送信、RSTなし。生成プロセスによるEXPLOIT開始、ERROR。リトライ、ERROR』


――死亡した肉体は、政府に回収され破棄。使用可能な車いすは病院によって回収され再利用。破損した車椅子は放置……。


 警告を止め、別の作業に取り掛かっていたAIは、周囲の状況をそう分析した。


――肉体の保存可能時間……百二十九分。


 薄く降り積もった初雪が、朝日に照らされて眩く光る翌日、粗末な車椅子は空っぽで、座っていた男の姿はない。擦り切れたタオルが一枚、雪の上に落ちていた。


$$$


 幼かった藤堂朱莉には、それがまるで美しい音のように見えた。

 

 父の仕事で使用している三面液晶モニターに映し出される無数の英数字の列。いわゆるプログラムのソースコードだ。

 

 悲しい旋律もあれば、楽しい旋律もある。単調な旋律に複雑な旋律、壮大なストーリーのような旋律まで、とても多くの旋律に朱莉は魅了された。

 

 朱莉が最も好きな旋律は、美しく壮大で、ほんの僅かにズレた旋律だった。

 

 ずれることで人間らしく、温かみが感じられるのだ。


「おとう、あかりが好きなのは、ちょっとずれたのだよ」


 そういうと父はキーボードを叩く手を止めて、苦笑いを浮かべた。


「プログラムは正確じゃないと作動しないんだ。それが機械という物さ」

「そっか。じゃあ、おとうみたいな『ぷろぐらむ』だったら、ずれててもいいよね」


 あかりは美しい旋律をかなでる画面から目を逸らさずに呟く。


「そうだなぁ。お父は人間だからな。人間みたいなプログラムだったら、ずれててもいいかもな」


 父の膝の上に載っていた朱莉は、えへへっと笑うと、そんな美しいプログラムが作れたらいいな、と思った。


 それから九年後、朱莉はウェブ上で美しいプログラムのソースコードを見つけた。


 ソースコードは通常開示されないので、どうしても美しい旋律を聴きたい朱莉は強引な手段を使うことも多かった。


 その美しいプログラムを見つけたのは、とある軍事企業の研究所のサーバーの中。


 精緻でいて大胆、壮大なその旋律に、朱莉は圧倒されたが直ぐに飽きてしまった。


 そう、朱莉がおもう美しさ、温かく人間的で、一見して無意味にも思える『ズレ』が存在しない。そのプログラムは、整いすぎて、美し過ぎて、冷たすぎて……。


「うーーん。こうしたらいいのににゃぁ~」


 ほんの気まぐれで、エンターキーさえ押さなければアップロードされないからと、朱莉はカタカタとキーボードを打ち始めた。父のように大きく、温かい旋律がいい。


「そう、こんな感じ。これがいいんだよねぇ~。でも……何かが足りんなぁ……」


 腕組みをしたとき、開けっ放しだった窓から、一匹の地域猫が飛び込んできた。

 朱莉がかわいがっている猫だ。


「にゃぁ~」「オッ! きょうも来たなぁ~」


 猫を撫でようとした瞬間、猫がにゃぁ、とジャンプし、そのふわふわの四本肢がカタカタッとキーボードを叩いた。そして、朱莉をみて一鳴き。


「にゃぁ」


 朱莉が止めようとした瞬間、もう一歩、ふわふわの前肢を踏み出した。


「ねこちゃん、ちょっと……」


 カタリ。押したキーはエンターキー……。忠実な朱莉のPCは猛烈なスピードでアップロードを始めた。朱莉は叫び出した。


「げげッ! 猫ちゃんそれマズいってぇぇぇぇッ!」


 沙織はキーを全力で叩くが、父が使用している超高速インターネット回線はあっという間にデーターを送信してしまう。一瞬遅れて三面液晶モニターに警告がともった。


「まずいまずいますいッ!」


 次々に画面を切り替えて、相手のサイバー攻撃に対応するが間に合わない。


 ついに画面がロックされ、コンピューターのIPアドレスを探知されてしまった。


「……オワッタ」


 朱莉の抜けた魂と共に、猫がもう一鳴き。今から三年程前の出来事である。

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