第2話【第一章】『ローディング』

 爆音でダンスミュージックが流れる店内。薄暗く、狭い廊下の左右はカーテンで仕切られ、近くを通ると、客と従業員の女性が入っているブースから卑猥な音や話し声がかすかに識別できる。


 その通りの奥、無骨な事務机が一つと、所々が破れた古いソファー、壊れたかけたテレビのある控室に〈俺〉は座っていた。


 壊れかけのテレビから放たれる青白い光が室内を薄く照らし、紛争で敵を何人殺し、味方の死傷を何人に抑えたとかいう類のニュースが、いつものごとく流れている。


〈俺〉は目にかかった艶やかな黒髪を左手で弾くと、手元のスマートフォンを操作した。


 様々な情報が混ぜこぜに集まる掲示板のスレッドにメッセージがリロードされる。


『名無しさん:この前、ガッコの鯖にハックしたよ』

『名無しさん:マジキチ。ただの厨房』


 次々にリロードされるメッセージに目を向けて、目当ての人物を探した。


『名無しさん:学校の鯖程度だったらハックとは言えないね』


――ニックネームの後に表示されるID一致。固定ハンドルネームでBMF556を名乗る人間。今日もまた、参加しているようだ。


『名無しさん:でたでた。厨房二号』

『名無しさん:キモオタWWW』


〈俺〉は素早く指を動かして文字を入力した。


『名無しさん:パスワードリマインダーに自分の学校の名前を入れているからか?』


 BMF556からメッセージの返信。


『名無しさん:そういうこと言わない。てか、445、遠慮ってもの知ってる?』

『名無しさん:知らない。知っていたら、例の件ごと教えて欲しい』


〈俺〉はメッセージを入力し、送信した。


 雑多なメッセージが次々にリロード。ややあって、BMF556のメッセージが入った。


『名無しさん:パスリマは、ネット担当者の情報とか入れてる。ガッコのじゃない。例の件は、私をもっと楽しませてくれたら、ね』


 教えてもらえるならと、入力内容を思案しているとき、ワイシャツを着たガリガリの男が飛び込んできて、作業を中断せざるを得なかった。


「兄さん、やべぇ奴らが暴れてるんすよッ! ウチの娘(こ)が絡まれてて! 早くッ!」


 粗末な椅子から立ち上がり、控室から出るとき、青白い蛍光灯の光に照らされた〈俺〉の顔が、窓ガラスに映る。


 艶のある黒髪の間から覗く、剃刀のように鋭い瞳、紫のシャツに安っぽい黒のスーツは、この界隈のチンピラそのもの。違うのはその内側にある肉体の線の太さだ。


 カーテンで仕切られたボックスシートの間の狭い通路を歩いて行く。


 爆音に紛れて、カーテンの内側からは男女の卑猥な音が聞こえてくる、


 風俗店『キャットクラブ』が、『ボス』に命じられた〈俺〉の仕事場だ。


 表玄関に出ると、派手な色のミニスカートを履いた女が、ガラの悪い連中に絡まれていた。女のワンピースの襟を掴んでいるのがクリーム色のスーツの男。 

 その周りにはTシャツの上にジャケットを着た男、トレーナーを着てフードを被った男などが、ニヤついてたむろしていた。


「お?」「なんだよ兄ちゃん」 


 その男達が手ぶらの〈俺〉を見てせせら笑う。


〈俺〉は女の襟を掴んでいる男の近くまで歩いく。


「なんでよてめぇ? やんのかぁ?」


〈俺〉は全くの無防備な態勢から、近くにあった『キャットクラブ』の電飾看板を電線事引きちぎると、男の頭部に叩きつけた。


「あばっ!」「きゃ!」


 男は、頭を叩き割られて血を噴出して崩れ落ち、女の襟首事掴んでいたペンダントを引きちぎった。


「……」「……」「……」


 せせら笑っていた男たちが一斉に静まり返り、八つの黒点から放たれる、冷たい視線が〈俺〉に突き刺さる。


「交戦資格なし。犯罪的敵対者四名……」


〈俺〉は目前の連中を分析して呟く。


「警告:交戦による死傷の可能性。離脱推奨」


〈俺〉はポケットからホールディングナイフを取り出し、ブレードを開いた。


 蝶の刻印がなされたそれを見て、男達の一人が呟く。


「……てめぇが……『バリソン』か」


 ナイフを見た男が小さく呟く。


「……」「……」


 男達の額に滲んだ脂汗が、青白い街路灯の光を一瞬だけ跳ね返す。


 紫のジャケットを羽織った男が、アスファルトを踏みしめてにじり寄る。


「死ねや!」


 頃合い良しと見たか、その男は、叫びながら、ポケットから伸縮警を振り出して展開、殴りかかる。まるでその合図が起爆装置だったかのように、男達は次々に得物を取り出し〈俺〉に飛び掛かった。


 男の警棒を左で捌きつつ〈俺〉は、はさみのように右腕を動かし、蝶の刻印のあるナイフを振るう。皮膚を切り裂く嫌な感覚が手に伝わった。


 腕の腱を切断された紫ジャケットの男は、握力を失して警棒をすっ飛ばした。


「クソ野郎っ!」


 左前方から脇に大ぶりなナイフを構えた白いジャケットの男が叫びを上げて突進する。


「おらぁぁぁ!」


 右前方からは、細長いナイフを袈裟懸けに振るうフードの男。


〈俺〉は左にスウェーし紫ジャケットの男の腕を斬る為に交差する形になった腕を開き、白いジャケットの男が振り下ろす腕の軌道を左手でガードし、小さく右手のナイフを持った拳を喉元に小さく叩き込む。ブチっという音がして気管が潰れ、突進の勢いを首で止められたがために、白いジャケットの男はよろけて尻餅をついた。


 一方で右のフードを被った男の斬撃は回避が困難だ。


〈俺〉は、蹴り技は極力使用しない。なぜなら、一本足で立つことは、その後の移動が困難となり、生きるか死ぬかの賭けになるからだ。


 だが、よけようがないのなら、やるしかない。〈俺〉左足に重心を移すと、右ひざを突き上げるように脚を畳んで持ち上げ、腰を捻りながら男のみぞおちに突き出した。


「ぐふっ!」


 突き蹴りが鳩尾にヒットした男の右手が、慣性で〈俺〉の胸元をよぎり、手にていたナイフの刃が〈俺〉の胸の皮膚を小さく切り裂いた。


「てめぇ!」


 警棒を取り落とした男の蹴り。体重を乗せた蹴りに〈俺〉はバランスを崩した。


 男は更に蹴りを入れようと振りかぶるが、〈俺〉はそのまま地面に転がり、反転して軸足の脛に走る足の腱を切断した。前に飛ぶことしかできなくなった脚ではバランスが取れず跳ねるように前方へ転がった。


 十三秒間の出来事。後ろで攻めあぐねていたピンク色のスエットの男は、手に持ったスタンガンを取り落とした。


「あ、あ、あ、あ」


〈俺〉は、地面に転がる白ジャケットの男のみぞおちを蹴り上げて気絶させると、怯えたピンクのスエット男に声をかけた。


「一分以内に致命一、負傷一。離脱を推奨」

「わぁぁぁぁぁ!」


 ピンクスエットの男は走り去っていった。


「けっ、げぇ……」


〈俺〉は、喉を潰されて顔を紫に染め、死にかけている男に近づくと、潰されている部分の下をナイフで切断した。ボボっという体液が泡立つような音が聞こえた。


「兄さん!」


 紫色の髪をした店員がおびえながらも店の中から声をかけた。


「兄さん、血が出てますよ。大丈夫ですか?」


――コンディションチェック。〈俺〉が管理するこの肉体の生命維持に支障はない。


 だが、一部、切り裂かれて血液が付着した服は交換しなければならない。


「問題ない」


 男の後ろから、蹴り倒されたガリガリのワイシャツの男がスマートフォンを差し出す。


「兄さん、ボスからです……」


 チラリと横目で辺りを伺うと、入口から先ほどの女が肘を抱えて〈俺〉を見ていた。


『よぉ。バリソン! 派手にやってくれたらしいな! 礼を言うぜ!』


 電話の主は『ボス』。業務体形でいうなら〈俺〉の上司であり、給料をもらう相手だ。


「派手ではない。通常のルーティンだ。喉を潰して窒息しかけた奴がいたので喉を切開して気道を確保した奴が一人。離脱が一名、その他は負傷で死なないだろう」

『おおー。そうか! そりゃご苦労さん。その喉切った奴はこっちで始末しとくよ』


 いやに陽気な男。上機嫌だ。〈俺〉は倒れている奴らの服を漁りながら答える。


「喉を切った男の始末の必要はない」

『いいって、いいって! 物のついでだよ。喉切ったなら、手術しないと治らないだろ。遅かれ早かれ死ぬって。ははは』


 運転免許証に書かれた名前。記憶領域にある敵対組織の名簿と照らし合わせていく。


「一人の運転免許証にある名前が検索に引っかかった。『アイアンクラブ』だ」

『ほぉ。奴らか……。ったく、てめぇは抜かりねぇな。そういうとこ好きだぜ。服の追加は若い奴らに届けさせる。今日は終いだな。帰っていいぜ』

「了解した」


 俺は電話を切ると、男にスマートフォンを返した。


 地面を這いつくばる男たち。


 喉を切開した男は死ぬ運命にあるらしい。この肉体が、と〈俺〉は思う。


――この肉体が死ななければそれでいい。だが、交戦資格のない人間が死ぬのは適切ではない。


 死とは、体内の血流が不足したり、神経系統が破壊されたりして、各臓器が停止し永久に再起動できなくなるシャットダウン現象のことだ。


――〈俺〉はこの肉体を管理している。死なないようにするためだ。だがこうして、人間の死に関与することは矛盾している。俺は一体、何をしているのだろうか……。


 ゴミだらけの街路に夜のネオンが煌めき、下水の匂いを漂わせて、じとじとと湿気をはらむ夜風が〈俺〉の髪を小さくなびかせた。


『ボス』に命じられたのか、喉を切られた男を引きずり始める店員たち。夜露で濡れたアスファルトに一つの煌めきが見えた。それは、先程、男が千切ったペンダントだった。


〈俺〉は、それを拾うと先ほどの女に差し出した。


「アンタのだろ。引き取りを要望」

「……いらない。あげるわ」

――あげる? どういうことだ?

「回答を要望。返す目的はなんだ?」

「お礼……あんた、負け犬って顔してるからさ」

「……」


〈俺〉はペンダントをポケットにねじ込むと店を後にした。

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