第10話
朱莉がそう思ったとき、小さな声が聞こえて蹴りが止んだ。
地面に這いつくばった朱莉の視界に入ったのは、仁王立ちの男。細身のジャケットに紫のサテンのシャツ。いい具合のチンピラ感を醸す男。
「な、なんだよ、おめぇは!」
立川が強がって叫ぶ。バリソンは問答無用に平手打ちをかました。朱莉の平手と違って、威力絶大で立川はバランスを崩し、吹っ飛ばされて花壇に頭から突っ込んでいった。
「あ、あんた、警察呼ぶわよ!」
叫ぶ三井。あーバカね、あの子、と朱莉が思った瞬間、バリソンの平手打ちが炸裂した。
「フジドウアカリ。身体へのダメージはないか?」
バリソンから差し出された手を、朱莉はきつく握りしめた。
口元を抑えたままの取り巻き。片方が仕切りにスマホで写真を撮っているがそんなことはどうでもいい。
朱莉は立ち上がって口元に付いた血を拭い、うずくまって腹を抑える本村を見下ろす位置まで歩いて行った。いけ好かないクソ野郎め。今まで、よくもやってくれたな。
「本村っ! 次にあたしに声かけたら、口の中に砂利ぶっ込んでビンタしてやるから覚悟しときな! ペッ!」
朱莉は腹を抑えて座り込む本村に、血液が混じった唾を吐きかけた。
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掴み合いのケンカのせいでボタンは弾けとび、裾はスカートから飛び出し、髪はボサボサ、あちこち擦り傷だらけ。だが、朱莉は何も気にせず、ずんずんと歩いて行く。
その後ろにはバリソンの姿。
「本当にやるのか?」
「え? 何を?」
「口に石を詰め込んで……」
「ばっ、バカ! ほんとにやるわけないでしょ!」
「人間の言動は時に理解に苦しむ」
「てか、なんで来たのよ。なんで場所分かったのよ」
「ソーシャルエンジニアリングが得意と言ったはずだ。〈俺〉はどちらかというと、コンピュータースキルによるハッキングより、そっちの方が得意なんだ」
「!」
慌てて体をまさぐる朱莉。
「ヒントは鞄だ」
「それ、ヒントじゃない!」
鞄をまさぐると、小さな四角い箱が出てきた。
恐らくはGPSトランスポンダーか何かだ。
息を吸って振りかぶり投げ捨てようとしたが、朱莉はそれを止めた。
「……バリソンさんの言う通り、前に進めたのかな、私」
「死にかけたが、あの女のグループとの関係性は十分に変化しただろう」
立ち止まって、バリソンの瞳を見つめる朱莉。
夕日が街の凸凹した地平線に沈みかけている。
「ありがとう」
朱莉は四角い箱をバリソンに差し出した。
「……こういう時に、何を言えばいいか、メモリにない」
クスリと笑う朱莉。
「どういたしまして、だよ」
「……ドウイタシマシテ」
バリソンは初めての言葉を口にすると、四角い箱を受け取った。
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水平線に沈みかけた太陽が、空を燃えるようなオレンジ色に染める頃、氷室は眼鏡を上げて、眼球をもみほぐし、手元のPCに視線を戻した。
薄暗い研究室内のデスクには十人以上の研究者が張り付き、PCのログを片っ端から漁っていた。
スクリプトキディが使うような既知のマルウェアか、その改良版はソースコードのパターンなら、識別をプログラムで調べるから発見は容易だが、未知のものはパターンがないので検出ができず、手動で探すしかない。
あの狂人が既存のマルウェアを使うとは到底、思えないので総出で検査しているのだ。
膨大な時間が、あのクソテロリストと、クソ間抜けな秘書のせいで垂れ流されていく。
あのクソ野郎どもを、まとめて有刺鉄線でぐるぐる巻きにして、ガソリンをぶっかけて火を着けてやりたい。その絶叫を堪能したい。そんな異常な欲求にさいなまれる氷室のスマートウォッチが小さく震えた。
その小さな画面のメッセージボードを開き、小さな文字を読み取る氷室。
『SPY:探索中の人物の画像を確認。確度九十五パーセント』
氷室は、四十万するブランド物のトートバックを漁り、秘匿回線のプライベートタブレットを取り出し、ログインした。
素早く指先で操作すると、SPY7のメールにある添付ファイルを開く。
「くくく。やっと見つけた……素体七十一号」
ついでに、メールにある画像元のリンクを開く。
どこかの高校生たちが作っているSNSの様だ。セキュリティの設定が甘く、ボットにすらパスワードクラッキングされている。
メッセージ欄には『コイツら、マジやば』の表記。
ボサボサの金髪のツインテールの女と一緒に、紫色のサテン生地のワイシャツにジャケットを羽織った男の写真。長く伸びた髪が顔に垂れ下がっているが、間違いなくあの男だ。
「……片割れのガキ……確か」
氷室には捕捉尖った顎先に手を当てて思案する。確かこの金髪は、あの時のイジメ倒したガキだ。七十一号と何をしているのだろうかと思う。
――どういう風の吹き回しか。いや、これはこの女を消せという事かしら……。
「ケベック、直ぐに車を回しなさい」
氷室は作業を相変わらず脂汗を流す所員たちに任せて、研究所を飛び出した。
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数時間後、書き入れ時を前に、準備にいそしむ風俗街の奥、組織の事務所でふんぞり帰っていた黒崎のスマートフォンが鳴った。アンティークな家具に囲まれ、棚には一本数万から数十万するアルコールの瓶が何十と飾られている。
黒崎は、豪華な革張りの椅子に腰かけ、凝った彫刻がなされた木製の机にどっかりと脚を乗せ、くつろいでいた。
耳に通した四つのゴールドピアスが耳に当てたスマートフォンにぶつかり、カチャリと音を立てる。
「久しぶりだなぁ! 神ちゃん! 相棒は元気かい!」
黒崎は明るい声で答え、ショットグラスに入った薄茶色の液体をグイっと飲み干した。
「ああ、すまねぇ。昔、そんな奴がいたような気がするんだが、今はもういねぇよ。……ああ、そうだ。……わかった、もし見かけたら電話するよ。……なぁに、俺とお前の中じゃねぇかよ。じゃあな!」
黒崎はスマートフォンの通話を終了させると、目の前の女に視線を戻した。
「相変わらずね。その放漫な態度」
タイトなビジネススーツ、非常識と言われればその通りなミニスカート。胸の膨らみは姿勢が良いだけではない。触れれば切れそうな位に揃ったショートカットの女が呟いた。
「まぁ、いいじゃねぇか。おめえさん達、清廉潔白な企業さんが、無駄な時間を浪費することを避ける為に、俺達が利用されてやろうってんだからよ」
黒崎は、脚を下ろすと、机に寄りかかって身を乗り出した。
「また、おめぇさんと組むことができて、嬉しいよ、氷室課長」
「今度もまた、しっかり頼むわ。黒崎さん」
氷室は細縁の眼鏡をクイッと持ち上げた。
「簡単な仕事さぁ。コイツを見つけて、首をもってくりゃあいんだろ? 死んでてもイイってのが、楽で助かるわ!」
「絶対に、頭部は破壊しないこと。首を持って来いというのは、物理的に切断して、無傷でもってこいという意味よ? わかっていて?」
イラついたようにつぶやく女、氷室は蛇のような視線を黒崎に向けた。
「分かってるよ。アンタさんの事だ。コイツの脳の入ってるAIにご用事があるんだろ?」
黒崎が机の上から一枚の写真をつまみ上げる。
紫のシャツ、七三に垂れ下がった艶やかな髪の男と、金髪のツインテールの子供。
「前金で五百万、後金で五百万、暗号通貨で一千万」
氷室はUSBメモリを黒崎に投げつけた。
「パスワードは成功したら送る」
「へへ。毎度あり」
「そうそう、ついでに、そこに写ってる金髪のガキも始末しといていただけるかしら?」
「? 別に構わねぇが、知り合いか?」
「知り合いと呼べるほどでもないわ。ただね、私は清々したいの。白い壁に小さな、粒みたいな染みがあったとしたら、消しておきたい性なのよ」
氷室は片手を上げて、真後ろに立つスーツの男に合図を送った。秘書を締め上げた筋骨隆々な、ケベックと呼ばれた男だ。
彼は、重そうな樹脂製のハードケースをドスリと机の上に置いた。
「シリアルコードは削除してあるわ。使ってちょうだい」
ガチャリと蓋を開ける黒崎。その目が輝いた。
「おおう。いいねぇ、いいねぇ。ワクワクするぜ」
「そのくらいあれば、何とかなるでしょ?」
ハードケースの中には、艶のないオリーブグリーンのオートマチック拳銃が四丁、テールを黒崎に向けて突き刺さっていて、脇に、樹脂製の長方形のマガジンと小粒の金貨のような四十口径ACP弾がリムをそろえてぎっしりと並んでいた。
「もちろんだ。明日か明後日には届けるよ。ガキも消しておくよ」
「……」
冷ややかな視線を送る氷室は、少しだけ頬を紅潮させて何かを言いかけてもじもじした。
「へ、何だい? 生娘みたいによぉ?」
不審げに黒崎が声を掛ける。氷室は決意を固めたように、視線を逸らしながら呟いた。
「そのガキ、苦しめながら殺してもらえる? 出来たら動画を頂きたいわ」
「……あんたの特殊な性癖も、昔から変わらねぇなぁ。サービスしとくよ」
冷たく、頬を赤らめて卑猥に見える微笑みを浮かべた氷室が、黒崎に視線を戻した。
「ふふ。楽しみねぇ」
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