第9話

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「はぁ」


 藤堂朱莉は大きなため息をついた。


――今日もまた、付いてきてる。


 ため息の原因は、あの男の鋭い視線にさらされ続けることだった。それも、毎朝、通学の為に玄関を出てから、途中ずっとついてくる。


 あの事件から三日経つ。翌日、玄関のドアを開けたらバリソンがいたことに、腰を抜かすほどびっくりした。幸い母はベトナムへ出稼ぎに出ているので騒ぎにはならなかったが。


「あのっ!」


 朱莉は、金髪のツインテールをなびかせて踵を返し、後ろの電柱に潜むバリソンに聞こえるよう、大きな声を出した。


「……」


 艶やかな黒上の長髪。野性味のある鋭い目つき、紫色のサテンのシャツがいい具合にチンピラ感を醸し出している。


「バレバレなんで、近くを歩いてもいいですよっ!」

「……」


 電柱の陰からすたすた出てくるバリソン。


「話す気になったか?」「まだです」


 即答する朱莉。


「てか、バリソンさんお仕事はいいんですか?」

「仕事は十九時から翌日の三時までだ」

「今、七時ですけど、寝てます?」

「一時間ほど脳をスリープさせた。それで十分だ」

「……」


 やっぱし、この人、変。朱莉はあきれて歩き出した。


 初夏の日差しでじりじりとアスファルトが熱せられていく。半袖の制服は破れてしまったので、長袖の制服を袖を折り返して着用している。


――あの時、ちょっとカッコいいかもって思ってたけど、やっぱり変わってるわね。


 朱莉はスマホのパスが有効であることを確認して、駅の改札をくぐった。


 学校について、窓際の席に着くと、窓の外を眺めた。


 周りでは、ヒソヒソと話す声。視線が冷たい。理由は二つあって、一つは本村が荒らし始めた校内SNSだ。嫌な気分になるから、見てもいないが、あることないこと書き立てて、すさまじいことになっているだろう。


 何故わかるか? 朱莉の靴箱や机の中にはごみが詰まっていて机の上は落書きだらけだ。


 スマホの着信はひっ切りなしにかかって着るから、どこかに落書きでもされたのだろう。


 二つ目の原因は、窓から見える学校の柵越しにこちらをじっと眺める人影。


――完全に不審者やん。


 ストーリーとしては、JKギャルがクラブで援助交際をやって、それがヤクザの手合いの関係者に知れて脅されてる体だ。


「あかりちゃん?」


 ゾクっとする声。教室内に目を転ずると、本村と取り巻きが立っていた。


「誰だろうね? こんないイタズラする人達って」

「大変だね~」


 チッ。お前らだろ。


「う、うん。ちょっと授業受けづらいかな!」


 相変わらず心と裏腹の言動をしてしまう朱莉。


「あかりちゃんが良かったら、放課後、時間作ってくれないかな? 私たちも、こんなイジメ、辞めさせたいの!」


 これ見よがしに大きな声で、クラスの人達に聞こえるように話す本村。


「え? あ、いや、その……」

「時間、作れるよね?」

「……う、うん……」

「じゃあ、いつもの場所、花壇の時計塔の脇に、一人で来てね。絶対だよ?」

「うん……」


 絶対に行きたくない。何されるか分かったもんじゃない。


「そうそう、これ、お母さんのアカウントだよね?」

「なんでっ、それ!」


 スマホの画面を見せる本村に、朱莉は思わず立ち上がってしまった。


「なんでって、私たちお友達でしょ? 楽しんでるところとか、離れてるママに送ってあげたら、喜ぶんだろうなって。この間のクラブとか。でしょ?」


 朱莉は歯を食いしばった。


「天国のお父さんには送れないけどね」

「!」


 思わず本村を睨みつける朱莉。


「やだ~。冗談じゃん! だからさ、一人で来てよね」


 無言で朱莉は席に座り、涙をこらえた。あんな奴らに涙なんて見せたくない。どうしてこうなるのだろうか。私が悪いのだろうか。


 あの時、あんなことをしなかったらよかったのか?


 朱莉はそう思うと、自分自身が心底、嫌になった。


 放課後。相変わらず後をついて来るバリソンに、朱莉は声をかけた。


「あの、用事あるんで、ついてこないで貰えますか?」

「〈俺〉がいると困る用事なら、隠れている。話が聞けるまで待つ」


――待つって、アンタが近くにいるってことなのね。でも……。


「困るんです。一人で行かないと」

「学校の『クラス』というグループに所属する女か?」

「え?」

「ソーシャルエンジニアリングもハッキングのスキルに含まれる」

「……!」


 ソーシャルエンジニアリングとは、人の手を介したハッキングの事で、いわゆる諜報活動ともいえる行為だ。


 慌てて体中をまさぐる朱莉。短く巻き上げたスカートの、ちょうどお尻側の裾の内側にメモリーカード程の金属片が張り付いているのを見つけた。


 よりにもよって、ここか。てか、一歩間違えれば痴漢だぞ。


 朱莉はこれ見よがしに、その金属片を投げ捨てた。


「君の本体はどちらだ? 掲示板のほうが仮想環境で、クラスで話していた君が物理環境か?」


 いつもだったらクスりと笑えるバリソンの言葉。だが。


「複雑なんですっ! あなたには解らないことなんですっ!」


 頬を膨らませて、歩き出す朱莉。


「同意する。自分を犠牲にしてまで、他人に依存する必要があるのか、理解できない」

「っ!」


 朱莉はハッとして立ち止まり、ツインテールをなびかせて振り返ると、バリソンを見つめた。


「あなたは……強いから……だから、そういう事が言えるんですよ……」

「……〈俺〉は決して強くない。〈俺〉自身が決めたことも守れない存在だ」

「うそ。強いですよ。掲示板でも、今ここでも、同じ自分でいられる。誰の視線も気にせず、正しいと思ったら直ぐ行動に移す。強いですよっ! うらやましいですよっ!」


 アカリは大声を張り上げてから、泣きそうな自分に気が付いた。


「うらやましいと言う言葉が、自分がそうなりたいと願う意味であるなら、そうすればいい。何も気にせず、何も恐れず、前に進めばいい。留まって結果にたどり着けないなら、どんな結果になろうとも、前に進め。人間にはそれができるはずだ」


 それができれば、と朱莉は思う。どんなに、楽だろうか。


「もう、ついて来ないでください! 絶対について来ないで! ついて来たら、あの話、絶対にしませんから!」


 朱莉は踵を返して走り出した。


「了解した。付いて行かない」


 遠くから、寂しそうなバリソンの声が聞こえた。


「あかりちゃ~ん、遅い~」


 本村と取り巻きが待っていた。夕方の市民会館は人通りが少ない。


 本村の後ろには、立川という男がコンクリートの花壇に腰かけて、スマホをいじりながら座っていた。ほかにも三井とかいう他校の女子生徒が座っている。


「あかりちゃん、パンツ脱いでよ」

「は?」


 本村の突飛な発言に、つい地が出てしまった。本村のとなりにいる三井が言葉を繋ぐ。


「は、じゃないでしょ。アンタのせいで、うちの男子が怪我してんの。前歯五本でインプラント入れるから、五十万必要なのよ!」

「そうそう、ほかにも、紹介したオレ等にも慰謝料十万ね」


 同じ水色の半袖シャツを着た立川が、洒落た前髪をいじりながら陽気に話しかける。


「な、なんで、そんな!」

「オナニーしてよ。動画で売るからさ。パンツも売り続ければお金造れるでしょ」

「そんなことっ!」


 本村がスマホをかざす。


「じゃ、パパに通報しないとね。クラブでの写真とか、色々あるんよ」

「っ!」

「ほらほら、早くしなよぉ」

「はい準備おっけ!」


――なんで、なんでそんなこと。こんな奴ら……。


 朱莉の脳裏によぎったのはバリソンの言葉だった。


『自分がそうなりたいと願う意味であるなら、そうすればいい』


――無理だよ。私なんかに……。


「早くしなよ」「もうさ、ブリッことかいいからさ」

「スマホの電池、減ってんですけどー」「それとも、何? 生理?」

「そっちでも売れるかもね~」


『何も気にせず、何も恐れず、前に進めばいい』


――恐れる? 確かに怖いかもしれないけど、今と同じじゃなかったら、それでいいんじゃないだろうか。私は何を気にしているんだろうか。 


「ほらほら、はやく!」「日が暮れちまうよ」

「利息とっちゃうよ~」


『留まって結果にたどり着けないなら、どんな結果になろうとも、前に進め』


――そうだよ。このままじゃ、同じ毎日の繰り返し。あんな奴、ただの、いけ好かない女じゃない! 前に、そう、前に進むんだ。


「ちゃんとお金返してくれたらさ、また仲間だから!」

「そうそう、私たち、お友達になれるよ!」「あかりちゃんの復活!」


『前に進め。人間にはそれができるはずだ』


――あんな奴、ただの、私とおんなじ華奢な女だ。クソ女め。ぶっ殺してやる。

 うつ向いたまま、つかつか歩み寄る朱莉。


「なに?」


 怪訝そうな本村は、眉をひそめて朱莉を見つめた。


「ぶっ!」


 バチッ! 朱莉の、渾身の力で打ち込んだ平手が本村の頬に炸裂した。


 ついで朱莉は、唖然とする本村の手から、素早くスマホをひったくるっと地面に叩きつけて踏みつけ始めた。


「こんなものっ! こんなものっ!」


 我に返った本村が朱莉につかみかかる。


「あんたっ! 何すんのよっ!」

「うるさいっ! クソ野郎ッ! 死ねっ!」


 朱莉は本村につかみかかった。


「こ、このっ、金魚のフンめっ!」


 本村もやり返して、朱莉の髪を千切らんばかりに引っ張る。朱莉は本村のブラウスを破りそうな勢いでつかむと、腹に拳を叩き込んだ。


「ぐっ」「死ねっ! クソ野郎ッ!」


 取り巻き連中は茫然としたままだ。


「クソ野郎ックソ野郎ックソ野郎ッ!」


 何度も、グーにした手が変な方向をむこうと、本村の腹に拳を打ち付け続ける。本村が腹を抱え始めてくの字になってきたので、代わりに反対の手で平手打ちを繰り返した。


「て、てめぇ!」


 ようやく我に返った立川が朱莉引っ掴むと、両肩を押して突き飛ばした。スカートが派手にめくれ上がるが、気にせず立ち上がり再び、朱莉は本村につかみかかろうとした。


「くそっ、何なんだよ、お前は!」


 立川が止めに入る。そこへ、三井が加わり、朱莉に前蹴りを入れた。


「ぐぅ!」


 バランスを崩して再び転がる朱莉。


「あ、あの女、殺してよ!」

 

 本村が髪を振り乱し、腹を抑えて絶叫する。

 

 転がった朱莉を足蹴りし始める三井。取り巻きは動かない。立川が、ばつが悪そうにたじろぐが、本村の絶叫に押されて足蹴にする三井に加勢し始めた。


 もとから線の細い朱莉になすすべはない。


――死ぬのかな。でも、まぁいっか。スッキリしたわ。

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