第8話 【第二章】ブートアップ

 氷室は、タイトなビジネススーツのスカートが、ずり上がるのも気にせず、リッチな革張りの椅子の上で足を組み替えた。


 朝の清々しい日差しが注ぐ、無機質なオフィス。それなりの職位についているので私室となっており、喧騒とは無縁だ。


 氷室は電話機の受話器を耳に当てたまま、一ミリほど、机の角と平行がズレいてた電話機を左手で直しながらため息をついた。


『ご予約の氷室課長ですね。少々お待ちください』


 氷室が手にした受話器から上品な女の声が聞こえる。


『……では、お話しを』

『おはよう。氷室君』


 ややあって、張りのある、低い声が聞こえた。高田CFO、経常利益、九千億の巨大軍事関連企業、わが社の最高財務責任者の男だ。


 細縁の眼鏡の奥の冷たい瞳、触れれば切れそうなほどに揃ったショートカットヘアの髪がさらりと揺れた。


「おはようございます。高田CFO。本日は来年度予算の件でお電話しました」

『はは。まだ七月だぞ。気が早いな』

「ええ。私の研究所の予算が少々、削減されると聞きましたので」


 本当は少々どころではない。絶望的なくらいの削減量だ。


『相変わらず耳がいいな。申し訳ないとは思う。だが、ね』

「高田CFO、数年前から、この国の状況は変化がありません。戦略兵器が使えない局地紛争で必要なのは兵士です。それも飛び切り優秀な兵士」

『氷室君。正直に言おう。君の研究はここ数年、成果が出ていない。私は君のような優秀な研究者には別の研究をしてもらいたいと思っているんだ』

「AI化兵は、飛び切り優秀な研究です。人間の感情、曖昧さ、弱さが一切ない。命令に忠実で、クラウドで戦うことも」

『介護ロイドの研究はどうだ? 君のAIの研究を生かして、人間ぽっい表現をさせることができるだろう? 需要も兵士なんかより、よっぽど多い』

「この国ではそうかもしれませんが、世界ではいかがですか? 感情に左右されない兵士の需要は膨大ですよ」

『……すまない。そろそろ時間だ。予算の話は考えておく。CEOにもよく言っておくよ』

「予約した時間、まだ二分ほど残っておりますが?」

『申し訳ない。残酷な言い方をすれば、君の研究は既に現実味がない。数年かけて実現できないなら、数年後も実現は不可能だ。今すぐに実現ができるなら考えるが、そうでないなら予算を付けることはできない。それが現実だ』

「……もうすぐ……実現致しますわ」

『そうか。ではまた』

「……」


 通話が終了し、予約に関する音声ガイダンスが流れ始める。


――この私が介護ロイドだと? くそめっ!


 まるで判っていない。


 氷室は受話器を叩きつけるように机に置き、室内に目を向けた。


 朝日が差し込む全面ガラス張りの窓、反対の壁沿いには三人の男たちがおそろいのスーツ姿を着て休めの姿勢で待機している。


 目の前には、人間の職員の男が秘書としてPCにせかせかと打ち込みをしている。


 戦前の、だらだらした世代特有の性格。仕事のやり方も生ぬるく、上昇志向もない。女に対するガッ付きもない。


 男というのは、どいつもこいつも、忌々しい。いや、前に二週間でダメになった女の秘書の事を考えれば、人間という存在が忌々しいのだ。


 氷室はいらだちを抑えて、PCを操作し、研究部からのメールに目を通すが、研究の進展を知らせるメールは一つもない。


 この研究が実現すれば、介護ロイドなど目ではないくらいに稼げる。世界中の軍がこぞって採用を求めるはずなのだ。それなのに、予算をカットするだと? クソっ忌々しい!


 氷室はPCを閉じると引き出しから大学ノートのように薄いタブレットを取り出した。


 秘匿回線を使用したプライベートなタブレットだ。


 生体認証でロックを解除すると、メールボックスを開く。


『SPY7:素体七十一号探索結果・なし』

『SPY8:素体七十一号探索結果・なし』

『SPY9:素体七十一号探索結果・嫌疑のあるスレッドを確認』

『SPY11:情報源と接触できず。三日後、再度トライ予定』


 SPY7から9までは、氷室が組んだボットだ。ネット上の画像、音声データ、掲示板への書き込みを検索し毎朝報告するようプログラムしている。


 SPY11は、人間の情報屋を雇って官公庁に情報を探らせているが芳しくない。


 SPY9からの情報は毎朝、出ているが掲示板は匿名で、追跡は難しい。精度が低い割に、量が多いので目を通すのが面倒でもある。


「……」


 仕方なくSPY9からの報告に目を通そうかと思った瞬間、秘書の男がこちらを見ていることに気が付いた。


 何か言いたげな瞳だが、もじもじして、こちらを見るばかり。なんなんだ貴様は。


「何か?」


 仕方なく、声をかけた氷室に、男がおずおずと答える。


「ひ、氷室課長にお電話が。外線です……」

「繋いでください」


 氷室は、さっさと伝えろ、と思いながら、デスクにある電話の受話器を手に取った。


『久しぶりだな、氷室課長。この番号を探すのに、苦労したよ……』

「? どなたですか?」


 氷室の整えた細い眉がつり上がる。


『素体番号三十一……』


 氷室は素早く、受話器の口をふさぐと、秘書の男に電話の逆探知を伝えた。


「そう。三十一号。久しぶりね。この前、ウチの会社に行ったステマは面白かったわ。五秒で潰したけどね」


 秘書が小さな声で五十秒ですと伝えてくる。電話の後ろからは小さな高周波音のうねりと、念仏のような唸り声が聞こえてくるが、どこだろうか。


『はは。五秒は言い過ぎだ。二十秒ぐらいだったと思うがな。こっちは元気さ。俺も、アイツもな……アアァァ』

「わが社でメンテナンスを受けてたらどうかしら。あちこち、痛んでるんじゃないの?」


 忌々しい素体三十一号。さっさと見つけて殺してやる。


『メンテ、ナンスは必要ない。もと、から、アンタた…………ぎぇぇッ! 氷室ぉぉぉ!』


 後半の叫び声に、氷室は思わず受話器を耳から遠ざけた。


『氷室氷室氷室氷室氷室、あああああっ! 殺すぅ殺すぅころ…………すまない。久しぶりの君の声に、彼が興奮したよう……あぎゃギャギャギャ!』


 心からうんざりする朝だ。ちらりと秘書をみると、残り三十五秒です、との小声。


「いい加減、この世から消えてくれないかしら?」

『残念ながら、この世から消えることはできないな。私を慕ってくれる者達がいるんでね』

――ゴミが集まりクズになる。クズ溜めがあるなら、テルミットを叩き込んで全て燃やしてやろうか。


 氷室は激情を抑えて言葉を紡いだ。


「メンテナンスも受けない、消えるつもりもない、では一体、何のご用件?」

『いや、アンタの声が聞きたくなったんだよ。久しぶ……あ、あ、あ、んたの研究をぶっ潰してぇんだよ! ぶっ潰し、ぶっ潰して げぇぇぇ……いや、アンタの事が憎いのは事実だがな』

「貴方が希望するなら、そのどちらかの人格を削除することも出来ますけど?」

『ははは。彼は大切なパートナーだ。少々乱暴だが……らんぼう、らんぼう乱暴だがなぁ! お前を犯して殺してやるぜぇ!ごろ……すまない。そろそろ時間だな』


 秘書に視線を向ける。残り十五秒と伝えてくる。忌々しい三十一号。だが、場所が判明したなら、軍で使っている自爆ドローンを一機借りてきて、ぶち込んでやる。周りに何人か無関係の者がいるのだろうが、どうでもいいことだ。汚点を消して、清々したい。


 だが、と思う。何故電話してきた?


「貴方とお別れするのは寂しいわ」

『〈俺〉も寂しいよ。君と別れ……あがが、あが、兄弟たちに会えなくなるのは、つれぇなぁなぁなぁ、あひゃひゃひゃひゃ』


 相変わらずの高周波音のうねり。氷室はハッとした。


「佐藤! 外線カット!」

「え? あと五秒で追跡終了ですが」


 秘書が間抜け面で見返してくる。


「いいから、カット! すぐに外線カットしろっ!」 

『よし……ビンゴぉッ!』


 デスク上のPCからアラートの警報がけたたましく鳴り響く。


 佐藤と呼んだ秘書のPCからも同じだ。


「緊急保安対応! 全回線物理クローズ! 急げ!」

「あ、あ、あ」


 クズめっ! 氷室は秘匿タブレットから保安部に自ら通報を入れる。


「アイロン、ノベンバ、直ぐに研究部へ。回線物理遮断。被害報告」


 微動だにせず並んでいた三人の内、二人が猛烈な勢いで走り出す。


 音声回線は、社内ネットワークとは分離しているが、逆単システムは社内ネットワークの一部を使っている。今どき通信速度が低すぎる電話回線でネットにアクセスする人間はいないが、奴はそれを狙っていたのだ。


 なにがしかの特殊なマルウェアを注入されたとみて間違いない。


 アラートが鳴ったのは既存の不正侵入検知だが、何を入れられたのか、全ログを点検しなければならない。膨大な時間が必要だ。


 ただでさえ計画が遅滞し、危うい状況だというのに、忌々しいテロリストめ。


 さらに忌々しいのは、そこで怯えた目をしている秘書の男だ。 クソ役立たずめ。


 氷室は、鮮血のような色の口紅を塗った唇をへの字に曲げて、蛇のような視線で秘書を見つめる。


「ケベック。その役立たずを立ち上がらせてください」


 微動だにしなかった男がゆっくりと秘書に近づく。


「ひっ! 課長、すみません! ご指示が理解できなくて、ごめんなさい!」

「……」

「……」


 氷室も、ケベックと呼ばれた男も一言も発しない。


 ケベックと呼ばれた男が無遠慮に、整った秘書の髪を掴んで持ち上げる。


「あたたたたっ!」


 秘書は涙を流して叫びながら席を立ちあがる。何やら喚いているが、気にもならない。


 クズが仕置きされるところを想像すると、ゾクゾクする。


「ケベック。その男の首を締めなさい」

「ひ、ひぁぁぁ」

「……」


 男は空いている片手を秘書の首に手を掛けた。


「あが、が、が……」


 秘書の涙を溜めた瞳が氷室を見つめている。ガタガタと足を震わせ、ケベックの腕を掴むがひょろひょろの腕ではなすすべはない。


「ククク。ケベック、あと何秒で死ぬのかしら?」

「……二十秒」

「あと二十秒ですって。さっさと謝ったらいかが?」


 首を締められていては声が出せない。知っていてそうしているのだが、男は必死に声を出そうともがく。だんだんと秘書の顔が赤黒くなる。


「馬鹿な奴は死ねばいい。ケベック、離しなさい。そいつはクビよ。外に捨ててきてください」

「がはっ! ががっ……」


 締め付けられた首に手を当てる秘書。


 氷室はケベックが秘書を引きずってドアから出る姿を見つめた。忌々しいことばかりだ。


 だが、アイツの頭部さえあれば、上手くいくはずだ。あの男の頭部。


 氷室は、机の上に置いた写真を入れた小さなフォトフレーム、病院衣をまとって冬の路上を歩く男が映った写真を掴むと、壁に投げつけた。

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