第11話

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 翌日。朱莉は、本村を殴った手首がベッドのフレームに当たって生じた、ビリっとする激痛で目を覚ました。


「いたた……。腫れてるし……」

 

昨日は大分派手にやらかした。色々と感情の整理がつかず、常備してあるカップ麺を食べた後、シャワーを浴び、早々に寝てしまった。


 いつものタンクトップの部屋着だけを身に着けていて、血と泥で汚れて破れた制服は脱ぎ散らかしたまま。鏡を見ると、顔にも何か所か擦り傷ができている。体のほうは言わずもがなだ。


 パンチの練習なんかしたこともないから、本村に腹パンしたおかげで捻ってしまい、関節が腫れている。


 休日で学校が休みで幸いだ。とりあえず、何か所かひどく擦り切れているところに絆創膏を貼り付ける。相変わらず手首は痛いまま。


――こういう時は湿布かなんかだよね……。


 朱莉は運動部の子が、足を捻って湿布を張っているのを思い出した。だが、根っからのインドア人である朱莉の家に湿布などがあるはずもない。


――買いに行くか。しかし怠いなぁ。あのクソ女、つくづく嫌な奴だ。


 朱莉は、その辺に落ちていた短パンを履き、財布を掴むと、ぼさぼさの髪のまま、眉も書かずに家のドアを開けた。


「あ~。だるぅ~~~」

「話す気になったか?」

「!」


 いつもの土気色の肌に艶やかな長髪、チンピラ風の服のバリソンが立っていた。


 朱莉は、まるで強盗に出くわしたかのように、いや、確かに人相風体だけ見れば強盗に合ったのとほとんど同じなのだが、全力でドアを閉めた。


――ま、眉毛すら書いてねぇ。しかも、こんな、だらだらに溶けたような服装って、てかノーブラだったのも忘れてたわ……。


「……」


 ドアスコープから恐る恐る除くと、先ほどと同じようにバリソンが立っている。


「ドアスコープから俺を見ているのは判る。回答を要望」

「……」


 一歩間違えれば、変質者やぞ、と思いつつも何を話そうか朱莉は考えあぐねてしまった。


――昨日、助けてくれたバリソン。夕日を背景に、なんだか、いい感じになってしまったんだっけか。てか、何を話せば……。


「あ、あの、その、えーと……」

「……アカリの右手首は破損している。固定が必要なら手伝う」

「え?」

「一人でテーピングはできないはずだ。アカリのような人間が、テーピングを持っているとも思えない」

「ちょっと!」


 まるで、インドア星人であることを見透かされたような気がして、朱莉はドアを開けてしまった。


「持ってませんけど、言い方ってものが……」


――あ、ノーブラ……。


 またも朱莉はドアを強烈に占めた。


「持っていないと予測したので、買ってきた」

「え?」


 本日二度目の『え』。だって、あんな朴念仁を絵にして、スリーディープリンターで溶射したような人が、買って来たって……。


「話も聞けない、破損の修理もしない、なら〈俺〉がここにいる必要はない。帰る」

「ちょ、ちょっと!」


 朱莉はほんの少しだけドアを開き、声を上げた。


「……」


 じろりとした視線。朱莉は取り繕うように急いで言葉を紡いだ。


「あ、その、ちょっと待っててもらえますか。散らかってるもので……」

「……わかった。待つ」


 ドアを閉めると、朱莉は踵を返してスプリントダッシュした。猛烈な勢いで床に散らばる物を全てベランダに押し出し、髪をとかしながら、いつものツインテールにまとめ、服を引っ張り出して並べ、組み合わせをチェック。


 考えつつも、痛む右腕を酷使しながらファンデーションに眉の描画、リップを塗って仕上げたら、ブラを回して着用。


 水色のロング丈のワンピースに頭を突っ込んだら完成だ。


 チラっと、下着がショーツとブラで違っているような気がして、一瞬迷ったがとりあえずはドアを開けることにした。


――まぁ、それは、今は関係ないかな……。


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 ローテーブルの前に正座して茶をすするバリソンは異常に見えた。そもそも鋭すぎる目つきと顔つきに、洒落た長髪がカツラみたいだし、サテンの紫のシャツにジャケットを着た男が杓子定規に正座している姿も合わない。


「……何か?」


 バリソンが、じろりと視線を向けて、つぶやく。


「あ、いえ、なんでもありませんよ!」


 両手を上げて取り繕う朱莉。右手首には、肌色のテーピングがしっかりと巻かれていた。


――かー。しかし、なんだ、生まれて初めて、お父さん以外の男性を家に上げてしまった。それも、昨日の夕方、いい感じの雰囲気になった人……。


 朱莉は、自分の耳が赤くなるのを感じた。一方のバリソンは何を思ったのか、片眉を上げて口を開いた。


「……微妙な雰囲気、という奴だな。〈俺〉は知っている」

「……」


 どことなく得意げなバリソン。


 いや、そういう雰囲気の時は、そんな言い方しませんけどね。


「対処方法、雑談」

「……」


 思わず吹き出しそうになる。た、対処方法って……。


「フジドウアカリの家には、ゴミが少ないな」

――まぁ、ベランダに全部ぶちまけましたけどね。

「え、う、うん。そだね……そういえば、バリソンさんの部屋には大きなゴミ箱がありましたね」


 朱莉は、沢山の同じ服が捨てられているカーゴボックスを思い出して、話を合わせた。


「そうだ。大きな箱でなければゴミが入らない。フジドウアカリはどこに服を捨てているのだ? それとも毎日捨てに行っているのか?」

「え?」


 本日三度目。


「汚れた服は、着用しない。一般常識と学んだ」

「ま、まぁ、着ませんけど、直ぐに捨てたりはしませんよ……」


 バリソンの眼が少しだけ見開かれた。何かマズいことを言ったのだろうか。


「では、着用できない汚れた服を持っている。何故だ?」

「あ、いや、汚れた服は洗うんですよ」


 バリソンの眼がクワっと見開かれる。えぇっ?


「あらう。手を洗う、身体を洗うと同じことか? 確かに洗えば汚れは消える。さすがはBMF556。素晴らしい着眼だ」

――そこで、そのコテハン出す? てか、アンタの人生どんなよ?

「まぁ、そうだね……、いや、ごめん……それ……普通だから……」

「……そうか」


 少しだけ寂しそうなバリソン。


「洗うのであれば、何か機械を使用するのか?」

「そだね、洗濯機ってやつ、うちにもあるよ!」


 笑顔を浮かべて取り繕う朱莉。洗濯機が据えてあるのは、風呂場の脇の脱衣所。朱莉は、脱ぎ散らかした服でジャングルと化しているがゆえに、締め切っているドアを指した。


「ほう。素晴らしい機械だな。見させてもらう」


 即断即決、即行動の男、バリソンが立ち上がる。


「ちょっと待って!」

「ここだな」


 止めるのが間に合わず、がらりと引き戸を開けるバリソン。


 洗濯機の上に置きっぱなしにした、数日分のブラとショーツを鷲掴みにして払いのけるバリソン。ブラとショーツは洗濯ネットに入れないと型崩れやほつれてしまうのだよ、と無意味な知識が、不意打ちで真っ白な朱莉の脳裏によぎる。


「あわわわわ」

「ふむ。ここに服を投入、水道水はこちらから自動で投入される仕組みだな……」


 鷲掴みにしたモノをそのままに、手を顎先にあて、洗濯機を分析するバリソン。


 彼は、脱ぎ散らかしたシャツや服、だらりと落ちた下着類を踏みつけて侵入している。


「素晴らしい仕組みだ。だが、水で人間の皮脂などの汚れは落ちない。その点はどのように解決するのだ」


 手にブラとショーツを持ったままのバリソンの、冷たい瞳が、朱莉の瞳を射抜く。


「あ、いや、それは洗剤というモノがありまして、界面活性剤などが入っていまして、皮脂汚れなどが落ちる仕組みでして、というか、いつまで私のパンツ持ってるんですか?」

「……洗剤か。確かに、界面活性剤であれば、皮脂汚れを浮かすことができる。そうか、自動で水を注ぎ、界面活性剤も落とす仕組みだな?」

「はい、そうです。その通りです。ついでに言えば、洗濯ものを入れた部分が高速で回転して、開けられた穴から、遠心力を利用して脱水も行えるんですよ。すごいでしょ。というか、いつまでパンツ持ってるんですか」

「なるほど。脱水も行えば、あとは乾燥だけ。乾燥だけなら、その辺に面積を最大にして広げれば済む。効率的な考えだ。どこで売っている?」

「家電量販店とか、その辺ですよ。てか、いつまでパンツ持ってるんですか? 持って帰るつもりですか」

「よし、その洗濯機を見に行こう。〈俺〉の住む場所に設置すれば、捨てる服が減って、『ボス』も助かるだろう」


 即断即決、即行動の男、バリソンが玄関に向けて歩き出す。鷲掴みにしたままのブラとショーツをもって……。


「て、おいっ! いつまで私のパンツ握ってんだよ!」


 バリソンは、朱莉の大声で我に返り、しげしげと手を見つめた。


「確かに、〈俺〉はフジドウアカリの下着を握り締めている」

「……知ってます」


 耳まで赤くなった朱莉が、ぼそりとつぶやく。


「……握りしめると不都合があるものか?」

「ええ、下着というのは履くもので握る物ではありませんしね」

「フジドウアカリが履くための下着を、〈俺〉は握りしめている。それは不都合がある」

「……はい」


 その後、バリソンは何事もなかったように下着を投げ捨てると、玄関のドアを開けた。


「フジドウアカリ。家電量販店に案内を頼む」

「……」


 惚れたの間違いだったかも、と朱莉は思いつつも、靴を履いてバリソンに続き外に出た。

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