エピローグ

エピローグ - 孵化

「本日は、皆様の貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます。来月に迫った講演会へ向けて、実りのある打ち合わせにできればと思っております」


 一台につき大人四名が定員である革張りソファは、使用者の座高に合わせて低く設えられた長机を挟み、ペアであるもう一台と向かい合うように配置されている。下座に座った少女の口上に合わせ、今日だけで三回目となる最敬礼をした彼らが纏っているのは、日本きっての名門校、国立鸞翔高等学校の制服だ。詰襟で光る校章の鸞は、三つ色の眼差しで来客を見遣り、悠々と腰を下ろした彼らを品定めしている。


 年内最後の講演会に招かれたOBとOGは、二回りほど歳下の後輩たちを、極めて穏やかな心持ちで眺めている。しかし、在校生の側に立ってみれば、今日この日ほど緊張したことは、片手で指折り数えられるほどしか経験がなかった。伝説のアイドルとも謳われた某芸能事務所の社長に見出され、二十歳のデビュー時から今に至るまで、驚異的な人気を誇る実力派シンガー。警察キャリア組の出世ルートを最短距離で突き進み、まもなく警視監の座を獲得するハーフリムの美丈夫。そして、世界でもトップクラスである、義肢装具を主としたロボット技術を開発し続ける大企業の最高経営責任者を前にして、寮鳥会の会員に選抜されてから日が浅い一年生は、小刻みに震える指からボールペンを取り落とした。


「す、すみません!」


 慌てて腕を伸ばした少女の努力も虚しく、今年のグッドデザイン賞で格段に名が売れた一本の筆記用具は、来賓の膝下へと着地した。顔を青くする彼らとは正反対に、愛おしげな目付きで笑ってさえみせた卒業生たちは、両手の爪をワインレッドに染めた彼女が、初々しい持ち主へボールペンを返却するさまをゆったりと見守った。己の所持品を受け取りながら、今にも消え入りそうな声で感謝を述べる三つ編みの一年生に向けて、大人たちは努めて柔らかな声色を選ぶ。


「そんなに緊張しなくてもいいのよ。私たちだって、半分は同窓会気分なんだから」

「そうそう。帰巣本能ってやつ? この部屋にもヨネの落書きが残ってて、ちょっと感動しちゃったっス」

「お前、そんな悪戯をしてたのか……後で消しておけよ」

「バレるまではいいじゃん! お兄のケチ!」


 舌を出して実兄に反論した彼女は、第一に音質へこだわる業界で生計を立てていることもあり、常日頃から些細な波長の変化にも敏感になっている。小芝居で緩んだ場に漂う、少女たちの控えめな安堵の溜め息はもちろんのこと、寮鳥会室へと近寄ってくる室内履きがリノリウムの床と擦れる音まで、彼女の形のいい耳は素早く察知していた。


「失礼します。みんな揃ってるかな」

「あ、桜兎ちゃん先生だ。お疲れ様です」

「……あなた、生徒へそんな風に呼ばせてるの」

「待って、誤解だよ! こら、お客さんがいる時はダメだって言っただろ」

「へいへい。ごめんなさぁい」

「反省するフリくらいしてもらわないと、こっちが困るんだけど……」


 入室した教員への第一声に、あえて砕けた挨拶を投げかけた会長は、形だけの間延びした謝罪をしてみせた男子生徒と共に、自身よりも年若な女生徒を巻き込んで含み笑いをしている。


「うーん、愛されてるっスねぇ」

「ああいうのはな、遊ばれてるって言うんだ」

「ちょっと。聞こえてますよ」


 現在の寮鳥会室が保有するワードローブには、よく煮詰めたべっこう飴のような色彩をたたえる古株と、先のものよりも木板の色がやや明るい新顔との二種類がある。学校創立当初から引き継がれてきた、男性の体格に合わせて裁断されたトンビコートと、細身な女性にも合うように新調されたもう一着は、それぞれを収納した家具のガラス戸越しに、外の世界を覗いている。本校舎の東棟に位置する、外交用の応接室を兼ねた資料室には、令和十八年度の卒業式にて、飛鳥と桜兎が並んでトンビコートを羽織った、薄紅色の花弁が舞い散る中庭でのツーショットが飾られている。その周囲には、鸞翔高校の創設百五十年目に催されたダンスパーティーでの記念写真もいくつか整列しており、うち一枚には、初の二人体制を確立した会長たちがフィナーレに踊った、正礼装でのワルツの一幕が切り取られているのだった。


 また、交通事故をはじめとする不幸で身体を欠いた人々へ、無償で義肢を贈る活動を続けているOGの、ロイター通信による取材で撮られた写真も飾られている。オーダーメイドのスーツを纏う被写体の、気高く張られた胸元を彩るブローチには、赤いサテンリボンが揺れていた。


「少し、雑談でも挟んでから本題に入りましょうか。私たちへ個人的に聞きたいことがあれば、ものによっては答えられるわよ」

「それなら、大先生も回答者席に来なきゃダメっスよねぇ」

「今日はもてなす側なんだけど……まあ、いいか」

「ほら、詰めたから寄ってやれ。流石にそのスペースだと狭いだろう」


 警視長、歌手、CEO、学年主任が一列に並んでいる上座の光景に、十代の彼らは顔を見合わせる。今回の講演に呼び寄せた面子が、温厚な社会科教師の古馴染みであるとはあらかじめ聞いていた。それでも、想像の倍ほどは気安い双方の態度によって、瑞々しい好奇心と親近感の双葉へは、たっぷりと清らかな水が注がれていった。


「じゃあ、あたしから……」

「ええ。どうぞ」


 肩を窄め、胸元で小さく右手を挙げたのは、先ほどボールペンを取り落としたお下げの一年生だった。緊張で真っ赤になっていた耳はいくらか肌色へと戻っており、今はまろい頬にのみ名残を残している。発言権を得てもなお強張る少女の背を叩いたのは、隣に並んだ短髪の男子生徒だった。一年生の少女から見て、二年生の彼を挟んだ奥へと座っている三年生も、真面目で照れ屋な後輩に頷いてみせる。態度と物理の両方で背中を押された彼女は、深呼吸を三回行ってから、入学以来、長らく頭の中でとぐろを巻いていたある疑問を、頼りない自身の喉へ託す決心をした。


「先輩方は、その……鸞翔高校に隠されてるって噂の、戦時中から受け継がれてきた『秘密』について、何か、ご存知ですか?」

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鳥籠の学び舎 翠雪 @suisetu

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