過去への挑戦

森本 晃次

第1話 犯罪討論

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。たまに少し淫虐な表現が出てくるかも知れませんが、イメージ上の表現として見ていただければ幸いです。(他の小説のネタバレになる話もありますが、作者、作品名はあかしませんので、どの作品か探してみるのもたのしいかも知れませんよ)


 本日は非番で、とりあえず、差し当たっての重要事件があるわけでもないので、門倉刑事はお馴染みの鎌倉探偵の事務所にお邪魔していた。鎌倉探偵は数年前まで小説家をしていたが、あまり売れることがない中で請け負った出版社依頼の未解決事件を解決したことから探偵業を始めるようになった。

 元々売れなかったということに加え、依頼長であるにも関わらず、依頼主の期待にそぐわぬ結果だったことから、頼みの出版社もふいにしてしまった。そういう意味で、仕方なしの転職だったが、それを、

「天職でしたね」

 と揶揄するのが、ちょうどその少し後くらいに知り合った門倉刑事だった。

 門倉刑事は、まだちょうど今三十歳になったくらいの若手刑事だが、熱血漢だけではなく、理論的な推理にもたけていて、鎌倉探偵とは結構ウマが合っている。難事件が発生した時など、鎌倉探偵の意見を伺ったりすることもあって、ちょうどいい関係になっていたのだ。

 そんな門倉刑事の非番の日の楽しみの一つに、鎌倉探偵を訪ね、鎌倉が事件で忙しくない限りは、夕方まで、あるいは場合によっては夕食を一緒に食べて帰ることもあるくらいだった。

 鎌倉探偵は、年齢にしてもうすぐ四十歳くらいの少し小柄で華奢だが、中学時代には空手をやっていたというだけに、今でも方ができたり、姿勢がよかったりする。探偵としてあまりアクションを見たことはないが、見た目よりも活躍するのではないかと門倉は感じていた。

 鎌倉探偵は結婚もしておらず、彼女のウワサを聞くわけでもない。かといって、別に朴念仁という感じでもなく、なぜそういう浮いた話がないのか、門倉は不思議だった。

 門倉はというと、付き合っている女性もいて、いずれ結婚を考えていた。大学時代までは結構モテたようで、一時に何人もの女性とお付き合いしていたこともあったくらいで、いわゆる「武勇伝」と呼ばれるものも少なくはなかった。

 就職して、自分が一番下っ端だという意識を強く持ったことから、そういう武勇伝を伴うような浮ついた気持ちを捨て去り、真面目に警察官を務めてきた。そのおかげもあってか、三十前で刑事課に配属され、今では若手有望株と称されるまでになっていた。

 そんな彼の彼女というのは、上司の娘さんで、口の悪い奴に言わせれば、

「うまく取り入りやがって」

 ということになるのだろうが、意外とそういうやっかみも聞こえてこない。

 どの年代の女性警察官からも支持を受けていて、彼を悪くいう人はいない。年上からは可愛いと言われ、年下や同僚から慕われることが多い。きっと彼の天真爛漫な性格と、真面目なところが好感を得ているのだろうが、それに対して男性がやっかみを起こさないのも不思議ではあった。

 ただ彼は仕事となると、貪欲なところもあれば、まわりへの気配りもしっかりしている。何か文句を言ってやろうと思っても、

「はい、やっておきました」

 と、こちらがしてほしいことをすでにやっている。

 そんな相手にやっかむとなると、まわりから白い目で見られるのは自分の方であることが分かっている人には、そんなことができるはずもない。

 さすが警察というところ、人間関係に関しては皆が心得ている。犯罪捜査の際に、どれほどの人間のエゴであったり、歪んだ部分を見たか。それによってもたらされた結果を目の当たりにしなければならない警察官は、下手なことで人にやっかみなど妬くことはないのかも知れない。

 しかし、警察官と言っても人間、どんな人がいるか分かったものではない。いきなり足元をすくわれないように、門倉も中止する必要があるだろう。

 ただ、門倉はクラスの中で一人はいたかも知れないというような、

「どんな人からでも好かれるオーラを持っている」

 と言える青年ではないだろうか。

 鎌倉探偵もそのあたりは分かっていて、門倉刑事に敬意を表しているのかも知れない。

 門倉は、小学生の頃の夢として、

「サッカー選手になりたい」

 と学校で作文に書いていた。

 ちょうどその年、日韓共催のワールドカップをやっていて、小学生低学年の門倉は、まわりの熱狂に最初は冷めた目で見ていたが、日本代表の活躍などの目覚ましさを見ていると、自分がいずれサッカーの日本代表になれなければいけないような使命感に襲われていた。

 そもそも使命感のようなものが芽生えると、その重圧に押し潰されそうになるか、それまで何も考えていなかった自分を顧みて、見つけられなかった目的を見つけることができるのかのどちらかであろう。

 さすがに子供に、遠い将来の重圧やプレッシャーなどを感じることはないであろうから、あるとすれば、将来の目標がハッキリしたことへの喜びであろう。

 だが、子供によっては、皆が思っていることを自分も一緒に思っていることを知ると、急に意識を変えてしまう子供もいるだろう。天邪鬼といってもいいかも知れないが、自分だけにしかできないことを模索しようとする。

 確かにサッカーの代表選手など、なりたいと思ってもなれる人は本当に一握りの人だ。だから皆が一緒に目指す高みの中で揉まれることをよしとしない人もいるに違いない。

 それなら、まったく誰も考えないようなものを目指して、パイオニアになるというのも一つの考え方だ。

 しかし、そんな考え方というのは、大人が見ていると、そういうのを天邪鬼というのだろうと勝手に邪推する。下手をすれば子供の限りない可能性の芽を摘んでしまうことになるということを分かっていない。

 特に近親者になればなるほど、

「子供には、人に勝つ負ける関係なく、人から好かれる人になってほしい」

 と望み、

「そのためには、平凡でもいいから、平均的になんでもこなせる子供がいいんだ」

 という思いで子供を育てようとする。

 子供によっては、そんな親に反発する子供もいる。最初に親に歯向かった理由の中で、こういう親の子供に対する考え方が、どうしても気に入らないという思いで、親に逆らっている人も少なくないという。もっとも、子供自身でどこまで自覚しているのか、よくは分からないが。

 小学生でも高学年に入ると、友達の中で次第に上下関係ができてきて、さらにその上下関係にも入りきらないような生徒も出てくる。そんな彼らに待っているものは、

「苛め」

 だった。

 まだ、小学生の頃だったので、苛めもひどくはなかったので、門倉はいじめられっ子を擁護していた。

 そのうえで、

「苛められるのはお前の方にも理由がある」

 と言って、苛めっ子だけではなく、苛められている子にも苦言を呈していたが、そのどちらに対してもフォローを忘れなかった。

 苛めっ子の方も、苛めていたことを言いつけたりもせず、悔い改めるように諭し、さらに苛められていた子にも、苛められないようにするための極意を教え(もちろん、独自のであるが)これが功を奏したのか、クラスで苛めはなくなった。

 それからというもの、門倉への視線が変わった。皆が一目置くようになり、その視線を門倉も分かってきていた。

 そのおかげで彼はクラスの人気者となったが、それでも威張ったりしなかったのは、彼のよかったところだろう。

 そこで威張ったりしてしまえば、せっかくの立場も何もかも失うことになり、自分が苛められることにもなっただろう。

 彼にも人としての感情があるので、少し天狗になりかかったこともあった。それを思いとどまったのは、ひょっとして彼の中に勧善懲悪の感覚がすでに芽生えていたからなのかも知れない。

 どこか自分を正義のヒーローのように感じていた門倉は、その頃から、

「大人になったら、警察官になりたい」

 と思うようになり、実際に公然と口にするようにもなっていた。

「あいつなら、きっとなるだろうな」

 と、当時の担任も、まわりのクラスメイトもそう思っていた。

 門倉の今の刑事としての気持ちは、この頃に植え付けられたものだったと言えるであろう。

 そんな門倉は、鎌倉探偵を頼りにしている。鎌倉探偵としては、気分が悪いわけはないのだが、どこかむず痒いところがある。何と言っても、探偵になる前はただの売れない小説家、一度賞を取ったからと言って、それからは鳴かず飛ばず、しかも出版社からのゴリ押しのような依頼を受けて、訳が分からぬままに他の探偵が調べたことの再捜査を行い、分かってみると依頼主のご希望に添えない報告になった。

 結果的にはそれが事件解決に向かうことになったのでよかったのだが、そのことで小説家としての道は閉ざされることになったことで、不幸中の幸い、その時の探偵のようなことが評価されて、晴れて今の探偵としての地位を手に入れることができたのだ。

 決して望んだ道だったわけではないか、それでも何とかなったのはよかったと思っている。

 そんな俄か探偵に、勧善懲悪で育ってきた、まるで、

「刑事になるべくして刑事になった」

 と言ってもいいような、精錬実直な青年から慕われるというのは、恥ずかしいものだった。

 ただ、門倉刑事が鎌倉探偵を慕っている理由は、他にあった。

 門倉刑事は、かつての鎌倉探偵が小説家時代に出した本をすべて読んだ。未発表の作品も頼み込んで読ませてもらったのだが、それを読むと、鎌倉探偵の考え方、つまり深層心理に対して真摯に向き合っているという姿勢に感銘を受けたのだ。

 刑事というもの、事実を解明するために、足を使って捜査するなどという、

「昭和の刑事」

 のような人もいるが、現在では頭を使った科学捜査を取り入れているところも多い。

 門倉刑事はそのどちらも否定する気はないが、どちらが優れた考え方だなどということも考えていない。

 深層心理にしても、自分の経験や過去の研究によって得られたものとを融合させることで完成する分析だと思っている。

 それだけに刑事の捜査も同じように、足と頭と両方を使うものだと言ってもいいだろう。そんな考えを可能にする深層心理をモチーフにした鎌倉の作家時代の作品は、門倉にとって、

「刑事のバイブル」

 とも言えたのだった。

 実際に読んでみると、今までの自分の捜査を裏付けするような心理的なトリックを考えさせられたり、人間の紆余曲折を叙実に物語っているように思えてならなかった。

「僕の小説など、取るに足るものではないよ:

 と鎌倉氏は謙遜していたが、その理由としては、

「僕が書いたのは、別に犯罪捜査を意識したものではないんだ」

 当然のことである。

 今の探偵の地位にいるのも、ある意味偶然の産物と言ってもいい、ただ一歩間違えれば探偵の仕事どころか、作家としても行き詰ってしまって、前に進むことも後ろに下がることもできずに、その場に立ちすくんでしまうしかなかったからだ、

「でも、やっぱり運命なんですよ。最終的にはその人のいるべきところにちゃんと治まるように人間というのはなっているものなのかも知れませんね」

 と門倉は言ったが、

「そんなものかな? 犯罪に携わっていると、そんな単純なものではないような気がするんだけど、どうだろう?」

 と鎌倉が言った。

「ええ、確かにそうなんです。犯罪などという複雑怪奇な精神状態の中で、人がどのように行動し、いや、何も考えずの行動なのかも知れませんけど、解析不可能に陥ることも少なくない。それだけに逆に面白いとも言えるんですが、やはり悪は悪。つまり、勧善懲悪の気持ちから、許せなくて歯を食いしばったまま、身体が固まってしまうなどということも少なくはないですからね」

 と、門倉刑事も答えた。

「門倉君は本当に精錬実直だ。そんな君だからこそ、勧善懲悪などという言葉はふさわしいのかも知れない。僕はここ数年で初めて探偵などというものを演じているけど、君に知り合えたことは実によかったと思っているんだよ」

 と、鎌倉探偵は、探偵を、

「演じている」

 と表現した。

 それがどういうつもりなのかはよく分からなかったが、その気持ちの奥に、どうしても自分がまだ犯罪捜査というものを本格的に行っていないのではないかという気負いのようなものがあるのではないかと、門倉は感じていた。

「そんな勧善懲悪の君と、少し犯罪談義のようなものをやってみたいと思ってね」

 といきなり鎌倉探偵は言い出した。

「探偵談義というのは楽しいものですよね。それでどんなお話にします?」

 と言って人懐っこそうな笑顔を見せた門倉に対し、鎌倉氏はちょっと意地悪っぽく苦笑いをすると、

「うん、ちょっと淫惨な事件をテーマにしてみようと思うんだがね。一種のエログロというべきか、これは本当の事件である必要はない。探偵小説に書かれていたことでもいいんだ。逆にその方が面白いかも知れないな」

 と言った。

「そうですか、僕も探偵小説の類は学生の頃にかなり読みましたからね。これは楽しみですね」

 と腕が成るとばかりに、軽く右腕をゆっくりと振り回す門倉だった。

「私は、ミステリーというと、論理的なものやトリックの面白さしか見てこなかったから、あまり読んだ記憶がないんだ。精神的なところでの犯人の心の動きなど面白いとは思ったけどね」

 と、最初から勝負が決しているような言い方をした。

 いや、これは談義であって、別に勝負ではない。言い出した鎌倉氏の方がそれを忘れてしまうところだった。しかし、逆に門倉刑事の方は、あくまでも謙虚なので、たくさん知っていると言っても自慢する気などはサラサラない。これからの鎌倉探偵の探偵業に少しでも役立ててくれればいいという程度のものだった。そうなると最初に口を開くのは誰が見ても門倉氏であろう。

「じゃあ、まずは僕から行きましょうかね。僕は最近のミステリーというよりも、戦前戦後の探偵小説をよく読むんですよ。ちょうど今から四十年ちょっと前くらいですかね。その頃の小説家が脚光を浴びた時代があったんです。その頃自分の父が嵌って読んでいたらしいんですが、学生時代に流行って読んだ本というのは宝物になるようで、今でも父の書斎にたくさんあります。僕がちょうど父が その本を読んでいた年齢になった頃というのは、本屋のレイアウトは全然変わっていて、あの頃の文庫棚に所せましと並んでいたらしい小説群がまったくなくなっているんですよ。それを父は宝物にしていてくれたので僕も読むことができたし、宝物ですからね、そのつもりで読むと、相当感動したのを思い出しましたよ」

 とまくし立てるように話しながら、上を向いていたのは、その時の父親の書斎の本棚を覆い出していたからであろうか、

「僕もその頃の探偵小説は好きなんだ。今では推理小説というのが一般的になっているけど、当時は探偵小説というのが一般的だったようなんだ。探偵が出てきて事件を総会に解決していく。理論立てての解説などは、見ものだろうね」

 と鎌倉氏は言った。

「そうなんですよ。今の推理小説は、何かパターンのようなものがあって、科学捜査によるトリック解明だったり、トリックも昔と変わってしまった気がするんですよ」

「ちょうど戦前戦後に活躍した探偵小説作家が評論で書いているんだが、探偵小説におけるトリックというのは、ほとんどが、出尽くしてしまっていて、あとはいかにバリエーションや効果を用いて描くかということだそうですね。当時で出尽くされているというわけですから、今の時代は科学捜査に頼るようなやり方が主流になるのもしょうがないのかも知れないですね」

 と鎌倉氏が言った。

「また、他の小説では、三大トリックとして、『密室トリック』、『顔のない死体のトリック』、『一人二役トリック』なのだというのもありましたが、これもバリエーションなんでしょうね」

「それは私も聞いたことがある。密室と顔のないトリックはどちらもすぐに読者に分かってしまうが、一人二役トリックだけは、最後まで看破されてはいけないものだということだよね。だけど、それに挑戦するような話もあったりして、あれには、正直やられた感があったよ」

「はい、あの話は顔のない死体のトリックと、一人二役トリックの合わせ技でしかたらね。僕もビックリしました。そういう意味でも、トリックをバリエーションで何とでもできるという発想は面白いですよね。作者が読者への挑戦というような作品には、心惹かれます」

 と、門倉は言った。

「トリックばかりではなく、あの時代は時代背景も手伝ってか、おどろおどろしいものも多かったですね。しかも今では放送禁止用語になっていたりして、口に出すことも文字にすることもできない。それでも当時の文学性と時代背景を鑑みて、当時の表現を削ることなく発刊している作品もまだありますね」

「そうですね。戦争というものが時代を変えたというか、時代が戦争を起こしたんでしょうけどね」

「いや、結局戦争を起こしたのは人間さ。誰に責任があるとかいう問題は別にしてね。つまりそれだけ常識というものがすべて違っていたと言えるのではないだろうか。だから事件も陰惨なものが多かった」

「僕はそこに引き込まれるんです。読んでいるとまるで知らない時代のはずなのに、映像が流れているような錯覚に陥る。当時の作品を映像化したものも中にはありますが、どうしても映像化には限界がありますからね」

「特にエログロ系はそうでしょうね。でも、想像できるだけ、門倉君はすごいと思いますよ。普通はなかなかできるものではない。犯罪は今も結構冷酷なものも多いですが、昔とは質が違うような気がするのは僕だけだろうか」

「僕も同じことを感じます。だけど昔の小説は、今のようにそんなに人が密集しているのを感じないせいか、夜の場面など、そんなに人が歩いている場面を想像できないので、ちょっと路地に入ったりする描写があると、該当と言っても、裸電球にちょっとした傘がついているだけのところに蛾が飛んでくるようなそんな場面が想像できて、歩く人もいないように思うんです。暗闇に孤独というそれだけで人間の由布をアウルシチュエーションができあがるような気がするんですよ」

「暗い道は本当に恐怖だよね。そんなところを女性が一人で歩くのは想像できない。でも、実際にはあったんだろうね」

「以前、読んだ小説で、暗い路地を一人で深夜歩いている女性がことごとく襲われて殺されるという小説がありましたね。そしてすべてにおいて強姦されているというものです。陰惨といえば陰惨ですよね」

「変質者の犯行だったのだろうか?」

「いえ、巧妙に仕組まれた殺人でした。動機もちゃんと存在するんです。その人たちは殺される理由も存在していて、皆夜中にそんなところを歩かされるように仕向けられた。もちろん、目的は殺害であって、強姦が目的ではない。猟奇殺人と思わせるための細工だったんですね。そして、犯罪の間隔も、連続殺人なのか、それとも模倣犯の犯行なのか判断がつかないほど期間が空いていたんです。だから、どちらに絞るかも難しく、捜査は混乱していましたね」

「動機というのはどういうものだったんだい? 最初は猟奇の連続殺人かと思われて、そのうちに被害者の人間関係が分かってくると怨恨が疑われました。でも、実際には一つの犯罪を隠すために行われたものだったんです。ただ、それも皆殺される理由があったというところがこの犯罪の特徴でしたね」

「なるほど、動機が最後まで定まらなかったわけだ。そうなると捜査も混乱する。なかなか考えられた犯罪だったわけだ」

「ええ、でも僕もだいぶ前に読んだので、何か忘れているような気がしているんですけどね」

 と、言って門倉は苦笑いをした。

「それは時代背景としてはいつ頃のことなんだい?」

「そうですね。出版は戦後だったんですが、時代背景は戦前になっていました」

「何というタイトルだったのかな?」

「確か、『見えない時間』というタイトルだったと思います。タイトルだけを見ればどんな小説なのか想像もできませんけど、タイトルにもそれなりの意味があったような気がしますね」

「それは興味がありそうに思えてきたので、機会があったら読んでみよう。そういえば私も以前読んだ本で陰惨なものをいくつか思い出してきたよ」

「ほう、どういうものですか?」

「その作家というのも、戦前から戦後にかけて活躍した人なんだけど、代表作というと、やっぱり戦前になるかな? その人は今までに書いた自分の小説に限ってだけれど、気に入ったシチュエーションがあれば、何度も使っているんだ。さっき話に出た、トリックはもう出尽くしているので、あとはバリエーションの問題だと言った作家が言ったが、その作家の意見をそのまま踏襲しているような感じではないかな?」

「それは面白いですね。今だったら飽きられそうな気もしますが、その時代はそうでもなかったんでしょうね。いいものはいいという考えだったんでしょうか?」

「僕はそう思っている。その作家はやはり探偵小説作家で、恐怖ものも書けば、後年にはジュブナイル、つまり少年モノも書いている人なんだ。その作家の特徴としては、今でも有名な探偵が出てくる作品が多くてね。だから、その作家の名前を言えば、その探偵が出てくるというような感じなんだけど、面白いのはその作家の代表作はと聞かれて出てくるのは、その探偵が出てこない作品なんだ」

「ほう、それは面白いですね」

「その作家は、探偵を出すことで本格探偵小説を書くようになったんだけど、でも、その作家のイメージは、変態趣味の娯楽小説というイメージが多い。僕が深層心理を描くような作品を、さらに変態趣味で表現しているような作品だね。僕が小説を書いている時は、その作家の影響を結構受けた気がするんだ。さすがに僕の小説では変態趣味は出さないようにしていたけどね」

「それも時代なんでしょうね。どんな感じの話が多かったんですか?」

「例えば、どこかの奇怪な芸術家がいて、まわりから隔絶しているようなアトリエに籠っていつも作品制作に没頭している人がいて、その男が急に失踪すると、そのアトリエを警察が捜索するじゃないか。もちろん、アトリエは賃貸で借りているんだから、大家さんが失踪を訴え出るよね。そこでそのアトリエを調べると、中には何体もの女性の石膏像がある。調べてみると、何とその石膏像から、いくつかの女の死体が出てきたというものなんだ」

「それはすごい、今日期連続殺人じゃないですか」

「と思うだろう? しかしそうではなくて、殺人が行われたわけではないんだ」

「どういうことですか?」

「今の時代だとなかなか発想できないと思うだが、当時はまだ場所によっては土葬という風習が残っていた。つまり、あの死体は殺して石膏像の中に埋めたものではなく、実は土葬された墓の中を暴いて、そこから死体を盗み出し、石膏像の中に埋め込んだというものなんだ」

「うーん、気持ち悪いですね。なんの目的があったのだろう?」

「それは、犯人が猟奇的な殺人狂のような性格だと思わせる犯人の策略であったし、他のいわゆる本当の殺人の動機を分からなくするためでもあったんだろうね。その作家はそんなシチュエーションをいくつかの作品に書いている。そして微妙に動機も変えていたりして結構面白い。猟奇殺人に見えて、実は綿密に計算された殺人というところがすごいではないか」

「僕もそう思いますね」

「もう一つ、僕が気になった作品があるんだが、その作品では、やはり同じように連続大量殺人を思わせる石膏像に埋め込まれた死体もあったんだが、それ以上に怖いと思ったのは、一人の人間が密室で行方不明になるんだが、死体で発見され、警察が到着するまでにその死体が消えていたというものなんだ。それは表に出ていることだけなら、本当に怪奇だということになるんだろうけど、その裏で何が行われていたか、そしてその小説の本質とは関係ないように一見見えるその事実が実は事件の真相を捉えていたというものだね」

「面白そうですね」

「その話にはいくつかの殺人があるんだが、それぞれ動機の違う殺人が絡まることで、複雑怪奇な話になっている。そう、この話は複雑で、しかも怪奇なんですよ。だから面白いと思ったんですよね」

「読んでみたくなりました」

「そして、その作家が言っているのは、一見不可能に見えるトリックほど、実は分かってみると単純なものが多いということです。不可能に見えるトリックって、考えてみれば複雑なものはないだろう?」

「確かにそうですね。密室トリックなどでも、針と糸を使った機械的なものだったり、目撃者がいることでそこから出入りできないはずだという心理的なもの、複雑な感じはありませんよね」

「その通りなんだ。探偵小説のトリックはあくまでもエッセンスであって、根幹ではない。根幹部分というと、どうしても動機などになってくるんでしょうね。殺人事件があるのに動機がないというのは、本当に限られてくる。特に小説の世界となると、動機のない殺人は描けないよ。それを描こうとすると、おはや探偵小説ではなく、殺人事件はその話のプロローグであったり、それこそ主題におけるエッセンスのようなものでしかないと思うからね。そういう意味で警察の地道な捜査、例えば、関係者の人間関係だったり、家族構成だったりで我々の思考を働かせる環境を見つけてくれるのは、とても大切なことだと思っているだ」

「なかなか興味のあるお話だと思います」

 犯罪談義というよりも、やはり探偵小説談義になってしまった感じだったが、二人とも熱中してしまったのか、気が付けば空腹で腹は空いていた。

「門倉君、食事にでも行こうか?」

「ええ、ご一緒しましょう」

 そう言って、二人は馴染みの店に顔を出すことにした。

 門倉はいい非番だったと考え、鎌倉氏も久しぶりに人と話ができたことが嬉しかった。その日は、食事をして二人は別れた。

「僕が出馬しないような、そんな世の中になってくれればいいんだけどね」

 と鎌倉氏は苦笑いをしていたが、それこそ理想である。時代はそれを許さないといえばいいのか、皮肉なことに、またこの二人が一つの事件を巡って相まみえることになるのだった……。

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