第4話 ななみの家族

 一番若い二人は、実はこのスクールでは一番の最古参でもあった。このスクールは会員になってさえいれば、いつ参加しても構わないし、半永久的に会員でいられる、ただし年会費というものは必要で、それもそれほど高いものではないので、ほぼ、入会金以外にはあまりかかるものではなかった。

 そういう意味で、若い二人は二年間くらい通い詰めていて、その間に何人もと知り合い、自分たちでは、

「たくさんの人脈を持った」

 かのように思っていたようだ。

 ただの友達なのだろうが、それでも人と関わることができるのが嬉しいようで、素直な二人はそれぞれ教室で可愛がられていた。マスコットのような存在だったのかも知れない。

 二人は、もちろん、彼氏彼女として自分たちの間では自覚していて、

「教室ではお友達でいましょうね」

 などという掟を自分たちだけで決めていたようだ。

 そんなのまったく無駄だということを誰か教えてあげればいいものを……、と思いながらも微笑ましい二人を見ているだけでもほのぼのとしてくすぐったい気分になるのが見ていて楽しかった。

 元々二人は知り合いでこの教室に一緒に入会したわけではない。お互いにまったく知らなかった相手なのだが、実は彼女の方は最初から意識していた。なぜなら、たまに朝のラッシュの時、彼を見かけていたからだった。

――相手は私のことなど知らないんだろうな――

 と思いながらも、自分の好きなタイプだったこともあり、意識しないでもなかった。

 彼の方はまったく意識していなかったので、知らないと言われても仕方のないことだと思ったが、彼女としては、

「これは運命だ」

 と思ったとしても、無理もないことだった。

 さすがにすぐに、

「電車で時々お見掛けしています」

 などと言えるはずもなく、言葉を掛けられるチャンスを待っていた。

 ここで一緒になるだけでも奇跡に近いのだと思っているので、必ず機会は近いうちに訪れると思っていた。

 実際に訪れた機会を逃すことなく、それでも彼女にとってが一生に一度と思えるほどの度胸を出して、彼に話しかけた。

 やはり彼は彼女のことをまったく意識していなかったようだ。

「ごめんごめん、でも、仕事が忙しくてね、毎朝の通勤の時、まわりなんて正直まったく見えていないんだ」

 と言われ、自分の視線に彼が意識しなかったのは、自分が悪いわけではなく、しかも、彼に対して他の誰も意識されていないことが分かっただけでも嬉しかった。

「じゃあ、これを機会に、もっともっとお近づきになりたい」

 というと、彼はテレた様子で、おどけるように、

「おお、仲良くしようぜ」

 と言って、喜んでくれた。

 それから二人の夢のような毎日が始まった。

 彼女は名前を安藤ななみといい、まだ大学生だった。二人が知り合った時はまだ彼女は未成年で、十九歳だったようだ。

 このスクールも、紹介してくれたのは、親戚のおばさんで、世話焼きで有名らしいことから、そのうちに自分にも見合い写真などを持ってきて、見合いを迫るつもりではないかと思っていた。

 彼の方は、木村利一といい、近くの会社に勤めている商社マンだった。年齢は今、二十五歳ということだった。

 二人とも美男美女のカップルで、二人のことが好きな人でもない限り、二人はお似合いのカップルに見えることだろう。二人が付き合っているのではないかというウワサが立ち始めた時でも、誰一人疑う者はいなかった。それだけ二人の美貌は自然にまわりを朗らかにさせる力があるのかも知れない。

 二人は幼くも見えることで、悪気のないことであれば、少々の嫌味や皮肉であっても、誰も悪くは思わないだろう。そんな役得を持っている二人だったが、それがこの後の悲劇を生むことになるのだったが、それはこの後のお話である。

 二人は自分たちの中の暗黙の了解で、結婚は意識していた。すでに婚約しているかのような錯覚さえあり、家族も皆反対する者などいないと思い込んでもいた。

 ただ、まだななみの方が未成年で学生ということもあり、利一の方で、

「結婚はまだ先のことだね」

 と気持ちはあるものの、焦ることはないとななみに言いながら、自分にも言い聞かせてきた。

 でもななみとしてはせっかく、花嫁修業ということで料理教室にも通いだし、しかも、それで意中の人を射止めたのだから、本人としては焦っているつもりは何もない。それよりも相手の惰性が

「まだ先のこと」

 という理由を彼女は読みかねていた。

 果たしてその気持ちの裏に潜んでいるものが、

「こんな女で満足なんかできるものか、まだまだこれから遊びまくって、それから結婚ということにならないと、たった一度の人生、後で後悔はしたくないからな」

 と言っているように思えてきたのだ。

 そんなテレビドラマの悪党のようなセリフを彼が吐くとは思えないが、言葉の裏を見ようとすると、そうなってしまう。彼女の中で言葉の裏というのは、悪党が垂れる能書きと同じだという思いでいっぱいだったからである。

 だが、彼にしてみれば、そんなことは別に関係ないことで、彼の気持ちは彼女のことばかり考えていた。

――この娘を幸せにするにはどうすればいいか?

 ということを基準に考えている。

――せっかく大学にも進学し、花嫁修業までさせてもらっているのだから、彼女にも親孝行というものをしてもらいたい、それにはいきなり結婚というのではなく、もっと世間を知る機会を与えてあげたい。結婚してしまうと、世界が違って見えるらしいと聞いたことがあるからな――

 と考えていた。

 お互いに相手のことを思いやるがゆえのすれ違いなのだろうが、彼女が今まで男性を知ることもなく、いわゆる

「夢見る少女」

 だったことが、すれ違いを生んだ。

 といっても、これくらいのすれ違いなど、何もないのと同じだった。

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」

 と言われるが、まさにそれに酷似しているではないか。

 ななみとすれば、彼に対しての思い入れが大きければ大きいほど、

「白馬に乗った王子様」

 がイメージされる。

 彼は王子様という柄ではない。実に普通の男性で、女の子に気を遣うことをいつも心がけていて、素直なところはななみと同じだった。ななみは、実直で優しい性格を自分の父親に見たのだが、彼女の父親というのは、本当に子煩悩で、

「目に入れても痛くない」

 というほどの可愛がりようだった。

 彼女は裕福な家庭に育ったこともあって、父親は昔の男爵のような人で、気品あふれるその表情から、優しさがこみあげてくるのだから、父親が理想の男性だったと言っても過言ではないだろう。

 利一は、そんな父親に似ていた。実直なところと、優しさに包まれたその表情とが、

「若い頃のお父様は彼のような感じだったのかしら?」

 と思うと同時に、

「彼が歳を取るとお父様のようになるのかしら?」

 という思いが去来したが、最初に浮かんできた姿は、後者の方だった。

 やはり彼を好きになって結婚したいと思っていても、まだななみの中では父親の存在が大きかった。それを悟ると、彼が言っていた、

「結婚はまだ先のことだ」

 と言っていたセリフも納得がいくような気がした。

 利一のことを思うと、なかなか寝付けない日々が続いているというのに、まだまだ父親を恋しいと思っている自分にななみは、恥ずかしさもあったが、どこか微笑ましさすら感じていた。

「父親を慕うのは、いくつになっても悪いことではない」

 とななみは感じていたが、確かにそうだろう。

 ななみが子供の頃に言った。

「私お父さんのお嫁さんになる」

 というベタなセリフは、今も覚えていて、顔が真っ赤になるくらいである。

 だが、そんな父親であったが、実はこの父親が財を成したのは、昔悪いことをしたことから端を発していた。娘はもちろん知らない。母親は分かっているが、父親に逆らうことのできない立場で、何も言えなかった。

 両親の結婚は、お見合い結婚だったという。母親が男爵華族であり、戦後の没落も何とか家を取り仕切っていた男性がいたことで、男爵という立場はなくなり没落はしていったが、何とか財産を守ることができた。

 そんな執事も亡くなり、当主である安藤庄之助が家を盛り上げ、彼の軍隊時代に培った人間関係で、政財界へのパイプが生まれ、金融事業を始めたことで、前後の一大財閥になることができた。

 今の当主、つまりななみの父親である安藤庄次郎は、ななみを目に入れても痛くないとばかりに可愛がっている。

 庄次郎は養子だった。

 なぜ庄次郎を養子にしたのかは分からないが、彼は名前をなぜか変えた。きっと庄之助に気に入られるようにするためだったのだろう。

 庄次郎は、その頃、ぐれていた。どうしようもない札付きだと言われていて、いずれはチンピラからその筋の組に入るのではないかと、警察の少年課の方では気を付けていたのだが、いつの間にか安藤庄之助のところにいて、娘と懇意になったようだ。

 娘というのは、財閥家の令嬢というにふさわしい女性で、口数も少なく、潤しい限りを醸し出していた。

 そんな彼女が、

「私、この人と結婚したいんです」

 と言って、庄之助に直談判した。

 今まで娘が自分の気持ちをハッキリと口にすることは誰に対してもなかった。特に父親に対しては何があっても服従で、どれほど彼女に勇気がいったことだろう。それを想像するのは実に難しい。

「お、お前、本当にいいのか?」

 これにはさすがに一代で大財閥を築き上げた大旦那も、ビックリして肝がつぶれるかと思ったほどだった。

 連れてきた男は、凛々しい顔立ちの好青年であった。いや、娘が連れてきた男性ということで、どうしても贔屓目に見てしまった。しかも、この男は一世一代の芝居をそこで打って出たのだ。

「生来の悪党というのは、いざという時、つまり決めなければいけない時、しっかりと演技ができるものだ」

 という人がいたが、まさにその通りであろう。

 今まで着たこともないようなスーツにネクタイ。しかし着飾ってみると、実にさまになっている。彼女が惚れただけのことはある。

 だが、さすがに彼女もこの男の本性までは見抜けなかった。

 旦那は元々心臓が悪く、医者から気を付けなければいけない旨を言われていた。いずれは彼が旦那の後を継ぐことになるのだが、娘の結婚の話も、家を継ぐという話も一時期棚上げのようになった。中止ではないが、中断してしまった時期があった。

 それでも、旦那の余命がハッキリしてしまってからは、急いで結婚式を挙げて、社長の座を譲る手続きを行っていた。それは、あまりにも性急で、なぜこれまでしなかったのかということが却って奥さんになる彼女の気になるところだった。

 だが、彼と結婚し、子供が生まれ、会社の社長として君臨するようになると、彼の様子が少しずつ変わってきた。

 娘に対しては、子煩悩で優しい父親なのだが、奥さんや会社の人間に対して、横柄な態度を取るようになった。

 気に入らない社員がいれば、人事に口を出して、左遷させたり、逆に気に入った女性社員がいれば、秘書と称して、社長室付けにしてみたり、今でいえばセクハラ、パワハラなど、平気で行う人になってしまった。

 いや、それは言い方が間違っている、

「本性を表した」

 というべきであろうか、庄次郎は、元々ぐれていたのである。

 うまく娘に取り入って、安藤家の養子に収まった。これは彼が長い間目指してきた目標であった。

 それまでのワルを封印してでも、金持ちに収まった。彼にはぐれていた時代に、金というものが、どんな暴力よりも権力であっても、覆すことができることを知っていた。それを教えたのが義父である安藤庄之助というのは、実に皮肉なことだ。どうやって娘に取り入ったのか、これも彼の類まれなオトコとしての才能とでもいうべきか、だからこそ、彼が金にここまで執着しているのだとも言えるだろう。

 安藤庄次郎という男は、狂気の沙汰と呼んでもいいのかも知れないが、ななみにとってはかけがいのない父親だった。それだけは本当のことで、娘は父親を信用しきっていた。

 料理教室に通いたいと言い出したのは、実は娘の方からだった。

「そうかそうか、それはいいことだ。お父さんは応援するよ」

 と手放しに喜んだのは庄次郎であった。

 母親には一抹の不安があったようだが、庄次郎はお構いなしだ。庄次郎が喜んでいることを否定することは許されない。庄次郎が右と言えば、左のものも右になるのだ。

 料理教室は週二回だったが、それ以外の二日は利一とのデートを楽しんでいた。若い二人のことなので、一緒に食事に行ったり映画を見たりがほとんどで、まだ身体を重ねるところまではうっていなかった。

「一度、お父さんに遭ってもらえるかな?」

 と、それまで家族に会ってほしいと言わなかったななみが言った。

 ななみとすれば、彼のことは好きで好きでたまらないのだが、身体を許すまでは心が動いていない。どこをターニングポイントにおけばいいのかを考えた時、家族の了解を得てしまえば、彼に身体を許す勇気が出てくるのではないかと思った。

 彼女はここまで処女を守り通してきた。中学高校時代と女子高だったので、処女を守ろうとすればできないことはなかった。だが彼女は美しい娘に育ち、他の高校からも彼女のウワサは聞こえてきた。当然、告白しに来る男子も少なくなっただろう。

 そのたびに彼女は断ってきた。どの男子も魅力に欠けた。言葉だけしか感じない人もいれば、確かにスポーツマンで他の女の子ならば彼をすぐに好きになるのではないかと思うのだが、話を聞いていると、どうも自慢話にしか聞こえてこない。

 ななみは自分が完全に信用できない相手の言葉は、基本的に最初から疑ってかかる性格で、それだけ相手の言葉も冷静に聞くことができた。だから、相手がいくら熱弁をふるおうともすぐに言葉の裏にある下心が見えてくる。そのため、そんな彼女を同性から見れば、冷酷に見えることがあり、同性からは決して快く思われる存在ではなかったようだ。

 それでいて、お嬢さんにありがちな、

「白馬に乗った王子様」

 の出現を待ちわびるという、

「夢見る少女」

 だったのだ。

 高校時代までは、ほとんどが同年代の男性しか彼女のまわりにはいなかったので気付かなかったが、しょせん、彼女のようなお嬢様であれば、同世代の男子では太刀打ちできるものではない。

 育った環境も家ではお嬢様教育のようなものもあり、ピアノであったり、お茶、お花のような一般的な習い事は習ってきた。それも習い事教室にいくわけではなく、個人レッスンの家庭教師のような先生についてであった。

 安藤家はそれほど由緒正しき家柄なのであったが、家族がギスギスしているのが少し気になっていた。

 一番気になっていたのが母親で、

――どうしてお母さんは、いつも何もおっしゃらないのかしら? ご自分の意見というものを持っておられないのかしら?

 と感じていた。

 ほとんど言葉に出して何かを喋るということはない。ななみが小さい頃はもう少しは喋っていたかと思うが、ななみが成長するにしたがって何も喋らなくなり、喜怒哀楽すら感じなくなった。

 いつも同じ表情で、

――一体何を考えているのかしら?

 と考えてみて、ななみはそのうちにハッとするのだった。

――私も結婚してから母親になって、お母さんくらいの年齢になると、あんな感じになってしまうのだろうか?

 と思ったからだ、

 ななみから見てあれほど優しく頼りになると思っている父親を旦那に持っているのだから、もっとのびのびとできるはずだと思うのに、喜怒哀楽すら失ってしまうのであれば、それは母親の性格によるものなのかも知れない。

 だとしても、ななみは安心ができない。いや、むしろ自分がそんな母親から生まれた娘であるということを怖がっている。遺伝というものがどれほどあるのか分からないが、少なくともあそこまでの極端な性格は、遺伝するのではないかとななみは思い込むようになっていた。

 ななみが利一に身体を許さない理由の一つにそこがあった。

 女が男に身体を許すということがどういうことなのか、いくらお嬢様のななみでも知らないわけではない。ななみが怖いのは身体を許す子によって、自分の中に沸き起こってくる変化であった。

 それは精神的なものも肉体的なものもその両方であり、今まで知らなかった大人の世界を覗くということになるのではないか。つまり、

「オンナになる」

 ということである。

 母親が何をきっかけにあんなに喜怒哀楽のない、まるで仮面のような表情になったのか、そもそも何かの目に見えるきっかけ自体があったのか、それがななみには分からなかった。

 それだけに、自分が大人になることで、あの時の母親の「きっかけ」というものに近づいていくのが怖いのだ。

 ななみはいつの間にか母親から遠ざかっていた。父親の影響を強く受けていると思っていたが、本人はそっちの方がいいのだと思っているのだ。

 母親を意識するあまり、大学に入学すると、高校時代までのお嬢様というイメージを変えることにした。

「どうしたのよ。あれが高校時代までのななみなの?」

 と、彼女がお嬢様であることを知っている高校時代の友達はビックリしている。

 そもそも高校も、中高一貫教育のお嬢様学校だったのだ。クラスメイトは皆さんお嬢様で、まわりの学校とは完全に一線を画していた。中には他の高校の、しかも不良連中と付き合っているような子もいたが、それは例外中の例外で、ほとんどが学校の規律を破ることもないような、本当のお嬢様だったのだ。

 そんなサラブレッドともいう中で生活していれば、それが当たり前だと思い、他の高校の生徒に対して心ならずも優劣を感じてしまっていたことだろう。ななみもその類に漏れず、同じように考えていた。

 家に帰れば、これも英才教育を施してくれた家庭教師の先生が、今では彼女の身の回りの世話や相談相手として奉公してくれる。実にありがたいことだった。父親も全幅の信頼を寄せていて、

「娘を頼む」

 と、言われていたのだ。

 そこには、母親は一切の介入はない。いつものように何も言わず、ただ黙っているだけだった。

 そんな母親を尊敬できるはずもなく、軽蔑冴えしていた。

 母親も当然娘の視線を分かっているのだが、どうすることもないと思っていたのかも知れない。ただ、気になるのは、ななみの家庭教師の先生は、この母親の相談相手でもあるようだ、母が先生に何をどんな風に話しているのか気になるところであった。

――ひょっとして私のことかしら?

 とも思ったが、あの喜怒哀楽を感じさせない母親が、自分以外のことを考えられるとは思わなかった。

――あるとすれば、今の自分の立場かしら? 立場と言っても、当主であるお父さんの妻としての立場になんら文句などあるはずないのにな――

 と、あくまでもななみは母親というものを、立場からしか見ていないようだ、

 ただ、それも仕方のないことで、当の母親が自分から殻を作ってしまっているのだから、相手の気持ちを思い図るなどできるはずもない。

 そんなことを思いながら、またしても、母親に頭が向いてしまってハッとするななみだった。これこそ、精神的な

「負のスパイラル」

 というのではないかと思うのだった。

 ななみは、母親を意識するあまり、大学に入ると、自分を表現するようになった。大学というところは、一番自分を出すことができる場所であり、それができる唯一の場所でもある。そこで自分を出すことで、本当の自分を見つけると思っている人もたくさんいる。ななみもそのつもりだった。

 だが、皆が皆自分を出していると、本当に様々な考え方を持った人がいる。ななみには想像もできないようなことを考えていたり、いまさらながら、

「人間には欲というものがあるんだ」

 と感じることもあった。

 人がたくさんになればなるほど、その人それぞれの思惑がぶつかり合って、静かな確執が、一対一の関係で出来上がり、どちらかに味方がついてくるうちに、それが複数体複数になり、そのままグループを形成するようであった。

 中学高校時代にもグループのようなものが存在していた。ななみはどちらにも賛同できないと思っていたので、最初から入ることはなかった。そのためグループがどうのように形成されるのか考えたこともなければ、感じたこともない。

 だから大学に入ってそれを感じると、グループの形成過程まで分かるようになってきた。きっとそれが自分を快活にし、人との関わりを増やしてくれるのだと思っていた。つまりまだ最初は受け身だったのだ。

 大学での人間関係は最初受け身であってもよかった。グループにも入ってくると、自分を表に出したいという衝動にも駆られ、それが人としての本能だということに気付いた。

 それだけに母親のように喜怒哀楽のない人を見るというのは、苦痛でもあったのだが、逆に言えば、見なければいいだけだった。

 高校時代まではそのことに気付かなかった。家族なのだから、関わることから逃れられないと思っていた。それは家庭教師の教育による考え方で、それが形式的で表向きの考えであることがよく分かった気がしたのだ。

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