第3話 カルチャースクール

 昔から曰くある街として言われてきた街ではあったが、一つは都市伝説になっているので、一番大きな事件はやはり、

「暴行泣き寝入り事件」

 であろうか。

 殺人事件にはなっていないが、少なくとも二人の若い男女が別々に自殺しているのも事実だった。しかも、男性の方は後追に自殺という苦み走った気分にさせられる、嫌な事件であった。

 それから数十年が経ち、その間には、変な事件は起こっていない。ただ、最近はマンションの建て替えラッシュという意味で、かつての事件を思い出す人もいるのも事実だった。

 当時の様子を知る人でmほぼ当事者と言っていいような人は、すでにこの街から離れて行った。

 女性の家族は娘の自殺を機に、この街を離れた。彼氏だった自殺した男性の家族も同様である。

 しかし、彼女と彼の共通の友達がいて、彼はまだこの街に居残っている。それから数年してからは普通に恋愛し、普通に結婚した。表面上はまるであの事件を引きづっているようにはまったく見えない生活をしていたが、なかなか忘れられるものではない。さらに、この街から去っていったそれぞれの家族とも連絡はずっと取りあっていたようだ。彼女の月命日には、必ず彼女の父親が花束を置いていく。彼女が自殺してからしばらくしてから、彼女の両親は離婚した。理由はいろいろあっただろう。

「あの時、どうして泣き寧入りしないといけないの?」

 という奥さんに、

「しょうがないだろう。逆らうことはできない」

 という夫、この言い争いは、火に油を注ぐだけでお互いに解決の糸口など見えてこない。

 完全に、交わることのない平行線を描いていたのだ。

 そうなると、もう離婚しかない。彼女の家庭は、あの事件を境に坂道を転がり落ちるように破滅への道を一気に駆け下りたのだった。これは絵に描いたような展開で、人が聞くと、

「まるでドラマのよう」

 と答えるだろう。

 それこそ、他人事でしかない。その思いも離婚を境に世間にまともにぶち当たった母親は、かなり悲惨な生活を続けていたようだ。何もする気にもならず、しばらくは放心状態、支えてくれる旦那がいるわけではない。彼とも連絡が途絶えてしまった。そのために彼と連絡が取れるのは父親だけになっていた。

 また、後追い自殺をしたと目された彼には姉がいて、友達はそのお姉さんと連絡を取っていた。

 彼の両親は、離婚までには至っていないが、家庭は冷え切ってしまい、姉もいたたまれなくなり、家を出たのだという。彼女も彼が死んでから、月命日にはお参りをしていた。それを知っているので、友達もなるべくこの街にやってきた家族にはできる限りのもてなしを考えていた。

 彼の奥さんも、そのことは分かっていて、一緒になってもてなすようになっていた。家にくれば止めてあげたり、食事をご馳走したりと、至れり尽くせりの状態だった。

 どちらの家族も喜んでくれていた。彼の奥さんも、事情を知って、大いに彼がやっていることに感銘を受け、それならばと、自分から料理を勉強したりして、できるだけのことをしようと思っていた。

 二人は共稼ぎなので、料理の勉強と言っても仕事が終わってから通う料理教室だったので、時間的にも体力的にも結構きつかったが、それでもやりがいがあることで、楽しんでいるのを見ると、彼も何も言わなかった。

 この街は、十数年前からカルチャースクールが盛んに作られた。住宅街としての認知度も結構あったので、カルチャースクールが地方への進出を目論んでいた時に、いつも候補に挙がるのがこの街で、土地を融資する方も、カルチャースクールには便宜を図ることが多かった。

「ここはなかなかいいところですね」

 と土地を物色にきたカルチャースクールの人がいうと、

「そうでしょう。このあたりはマンションも多いし、住宅街にも結構人が住んでいます。いろいろな人がいて、新婚さんから、昔気質の富豪と呼ばれる家までですね。そういう意味ではカルチャーなどの文化が芽生えるにはいい土壌なのかも知れませんよ:

 と不動産屋は話した。

 不動産屋はカルチャースクールがどんなものか知ってはいるが、それと土地とがどんな関係なのか、知るわけもない。要するにハッタリである。口八丁手八丁とでもいうべきか、買い手がつけばそれでいいという考えだ。だが、彼が言ったように、この街にはいろいろな世代の家庭があるのは本当で、実際にカルチャースクールが増えるたびに、そのどれもが流行っているという状況になっていった。奥さんが通う料理教室などは、開業以来、いつも定員が満杯で、流行っていた。彼女が入会したのは、ちょうど年に二回の引っ越しシーズンだったので、引っ越す人が退会し、空きができたことで入会が簡単だったということだった。

 料理教室は、一クラス十人ほどというクラス編成だった。他にいくつかのクラスがあるが、先生一人なので、少数精鋭がいいということでのやり方だった。

 クラスの中には先生を慕って入会したという人も多く、奥さんは知らなかったが、先生はテレビなどでも時々出てくるような有名な先生だったのだ。

 年齢的には、まだ三十歳を少し過ぎたくらいだろうか。エプロンがよく似合う高身長でスリムな体型は、男子会員の注目の的だった。その凛々しい切れ長の視線は、時として凛々しさだけではなく、何者おwも寄せ付けないような不気味ささえあるくらいだった。

 ただ、それはたまにチラッと見せる表情で、普段は気さくな面倒見のいい先生だった。

 クラスは男女ほぼ均等の人数だった。最近では、

「イクメン」

 などと言われて男性も家事をしたりする時代なので、比較的入り込みやすく楽しい料理教室に通ってみたいと思う男性が増えたとしても不思議のないことだった。

 女性陣は主婦というと彼女一人だった。他の人は皆花嫁修業中で、いわゆる家事手伝いという立場にいて、年齢的にもまだ二十代ばかりという比較的余裕のある年齢なので、皆和気あいあいとやっていた。

「美佐子さん。お娼婦取ってくださいますか?」

 美佐子というのは、奥さんのことで、生田美佐子、三十二歳になっていた。旦那の生田正一氏は三十七歳。少し離れている気はしたが、旦那は見た目まだ三十代前半に見えるので、別に違和感があるわけではなかった。

「はい」

 美佐子さんは一人だけ既婚者ということで、最初は敷居の高さを感じたが、皆意外と気さくで気にしているのは美佐子だけだったというわけだ。

 元々気さくな性格の美佐子なので、まわりの気を遣う必要がないと分かれば、自分からまわりに溶け込んでいった。料理以外での主婦として勉強したことを、惜しげもなくまわりに話している時の自分を、少し誇らしげに感じるほどだった。学生時代からいつも中心にいたことがなく、中心に憧れたこともなかった美佐子には、初めて感じた新鮮な思いでもあった。

 先生も美佐子には敬意を表していて、やはり自分が先生でも相手が主婦で、しかも年上だと思うと、自然と人生の先輩としての尊敬の念が生まれてくる。もっとも、それくらい謙虚だからこそ、料理教室の先生が務まっているのかも知れない。

 料理教室に通い始めて二か月くらい過ぎると、それぞれの人間関係が分かってくるようになった。

 男性の最年少と、女性の最年少の二人は付き合っているようだ。二人は隠しているつもりのようだが、見る人が見れば丸分かりである。二人が一緒にいる姿を見ながらニヤニヤ微笑んでいる人は、二人のことを知っているはずなので、半分くらいの人は気付いていることだろう。

 普通のところであれば、会員の誰と誰が付き合っているかなどというのは、ウワサになっているのも公然のようになっているが、ここはなぜか表に出てこなかった。分かっているのに、それを秘密にしているということは、きっと密かにグループのようなものができていて、他のグループとは関係ないという構図ができているのかも知れない。

 中には重複してグループ参加している人もいるかも知れないが、和気あいあいの雰囲気の中で、そんな影のグループが存在するとすれば、あまり気持ちのいいものではなかった。

 だが、美佐子に対しては、グループからのお誘いのようなものはない。主婦というハードルがあり、その高さを皆が知っているからであろうか。美佐子にとって初めての習い事なので、せっかくなら和気あいあいのまま、続けたいと思っている。まわりがどうであれ、――自分は見えている部分だけを大切に皆と付き合っていこう――

 と思っていた。

 一番若い二人がそんなまわりの雰囲気を知っているのかどうか分からないが、二人には二人の世界があった。その世界には美佐子も入ることはできず。眩しいくらいに輝いて見れるので、他の人たちからも同じように見えているはずだ。

 カルチャースクールに単独で通っている男子も女子も、独身者の目的は一つだろう。彼氏彼女を作りたいという思いは誰にでもあり、

「お見合いみたいなものよ」

 という人もいて、お見合いカップリングなどのシステムとどっちがいいのか、美佐子もよく分からなかった。

 特に最近は男子がだらしないというか、草食系が多いので、女子が男子を腹立たしく思っている人もいるだろうが、草食系をかわいいと思う女性もいるだろう。カルチャースクールになど通う女子はどっちであろうか。

 他にもカップルがいるようにも感じられたが、しっかりと誰にも分からないようにしているところが一番若い二人とは違っていた。一番若い二人はまだ幼さが残っているようにも見え、もし本人たちが隠そうという意思があったとしても、漏れてしまうような情熱的な恋をしているのかも知れないし、別に隠すこともないと、最初から隠そうなどという意思がないことで、却って爽やかに見えるものなのかも知れない。

 下手に隠し立てなどしていると、ぎこちなく感じられ、それが違和感として映ってしまい、余計にいやらしさを感じさせるのではないだろうか。

「若い二人はあれでいいんだ」

 と、誰もが思っていることだろう。

 そうなると、他の男女はそれぞれに何かの目的を持っている。もし、目的がダブってしまっていて、好きになった人を取られたなどという思いを抱いたまま、教室を続けることにプライドが許すだろうか? かといってやめてしまうと、まるで敗者は去るしかないというのを絵に描いたようになってしまい、さらに自分が失恋によって逃げているように見られるのはもっとつらい。やめても地獄、残っても地獄の状態を分かっているからこそ、恋愛に結び付けば誰にも知られないようにしなければいけないという思いに至るのではないか。

 しかし、そんな人というのは得てして、自分が幸福の真っ只中にいれば、それをまわりに見せびらかしたくて仕方がないというのもあり得る発想だ。

 自分の中で勝手にジレンマを作ってしまうのは、他の人との間に自分で勝手に結界を作ってしまい、

「その結界を破るのは自分以外にはいない」

 と感じるからではないだろうか。

 だが、美佐子には、今この中で誰と誰がカップルなのか、想像はついている。

「他の人、誰にも分からないとしても私だけには分かる」

 という思いを抱いたが、それは曲がるなりにも結婚しているからだと思っている。

 結婚というのは、二つの間に存在する一つの壁のようなものだ。つまり結婚前はお互いに他人で、結婚すれば、他人には違いないが、家族になった。明らかな違いがあるのであった。

 権利も義務もお互いに共有する関係。それが結婚である。結婚して初めて分かるものもあれば、分かってしまって、こんなはずではなかったと思うことが現実になるのが、結婚という儀式であった。

 この中で、結婚というものに対してまったく別の意識を持っているのが、実は料理の先生であった。彼女は、

「形式的な意見に変わりはないが、結婚というものは、そんなに生易しいものではない」

 と感じている。

 彼女は離婚経験を持っていた。

 美佐子は結婚してから、それまでの独身事態と自由という意味でまったく違っていることを今経験しているが、先生はすでにそれは過去のことになっていた。

―ーああ、あの時、こうしていればよかった――

 などと感じることもある。

 しかし、そのすべてが後の祭りで、では一体何が一番悪かったのかと聞かれると、

「結婚してしまったことが悪かった」

 としか言いようがない。

 彼女としても、

「この人しかいない」

 と思って結婚したはずだった。

 結婚というものは、皆そう思うからするものであって、当然、後で後悔したくないというのは誰もが感じるはずのことであった。

 では、結婚しなければよかったのかというと、この問題は結婚してしまわないと分からないことなので、遅かれ早かれ結婚するのであれば、それがいつであっても、時期に問題はない。相手だって、自分で一番だと思って選んでいるのであれば、相手の問題でもないことになる。

 あくまでも結婚という事実に対しての離婚してしまった理由というのは、結婚しなければ分からないとしか言えない。様々な理由は結婚してから分かることだからだ。

 実に皮肉なことであり、笑い話にでもなりそうな本末転倒な理屈に、離婚してせいせいしたと思う自分は納得がいくが、寂しさが残ってしまった場合は、本末転倒をただ笑うだけでは済まされない気分になってしまうことだろう。

 だが、寂しさというのも一時の迷いのようなもの、離婚してしばらくすれば、最初から結婚していないような気になる。もちろん、戸籍が汚れてしまったという思いはあるが、自由が戻ってきたのであれば、それもいいと思えるくらいになっている。今の先生はその時期にいるのではないだろうか。だから教室はまるで見合い会場のようになってしまっても、それは問題ないと思っている。

 だが、そんな先生のことを好きになった男性もいた。この教室に以前入会した男性であったが、先生はまったく気づかずに彼は通うのを自分からやめてしまった。

「あれだけ熱心に通ってきていたのに」

 と先生も感じたようだったが、彼が見ていたのは先生だけだった。

 先生の眼鏡に適えば、ただそれだけでいいと思っていた。料理などどうでもよかった。とにかく先生のそばにいたい。先生の吐息を感じたい。先生の臭いを嗅ぎたい。一種変態的なところがあったが、気持ちは素直で純情だった。

 ある日、そんな彼が失敗して、先生がフォローした際、思い切り先生が彼に接近した。彼の中で自分と先生の距離の中で、それ以上近づいてはいけない結界のようなものを築いていたのだが、先生の方からその結界を破ったのだ。

 最初は喜んだ彼だったが、急に気持ちが一変した。彼の中で先生が二人に分裂したのだ。

 そして、自分が愛し、敬っている先生と、勝手に自分の了解に侵入し、結界を破ってしまった先生。彼の中でその二人の女性を作り出さなければ、その時の彼の心境をどう説明していいのか分からない状況に陥ってしまった。説明できなければ、それは結界を破ったのが自分ということになり、自分が地獄の責め苦を受けることになるという妄想を描いてしまっていた。

 それを阻止するには、先生を分裂させて、もう一人の架空の先生にその責任を押し付けることで、自分への責め苦を逃れようという自己防衛意識だった。

 だが、先生を分裂させたのはよかったが、実際に責めを負わせようと思った相手が本物の先生であることに気付いた彼は、もうどうすることもできない状況に陥り、そこで選択したのが、先生から離れることだった。

 自分が先生と一緒にいてしまっては、大好きな先生が責め苦を味わってしまうことになる。

 ただ、分裂させてしまったことで、大好きな先生はもう自分のものではないという思いも生まれ、それまで熱中していた感情が、次第に冷めてくるのを感じた。別に嫌いになったわけではない。むしろ嫌いになった方がどんなに楽か。そんな中途半端な気持ちで先生を見ることがどれほど辛いかということを彼は知った。ジレンマの正体を自分で覗き見たのである。

 どうしてそんな思いに至ったのか、彼は分からなかった。先生が前に誰かと結婚していたことは分かっていた。分かっていて、

「俺だったら、前の旦那みたいなことはないはずだ」

 と根拠のない自信もあった。

 根拠がないからこそ、今からその根拠を裏付けるだけの気持ちを抱くための理由付けをするのだと思っていた。普通の人と順序が違っているが、それを彼は独自の恋愛感情だと解釈した。

 彼は確かに他の人では考えられないような発想を持っていた。だからこそ、他の人よりも発想を現実にできるだけの能力を有していたのかも知れない。

 しかし、そんな彼だからこそ、自分の中にできたジレンマを解決できないでいた。

――ジレンマなど、自分にはない――

 とさえ思っていたに違いない。

 彼の間違いは、自分のようなタイプの人間が、先生のように自由を取り戻し、それによって自分の生き方に目覚めた人を相手にすると、お互いが見えないところで反発しあって、相手の気を遣っているつもりでも、まったく気遣いがなされないことをである。

 別に気遣いをしないわけではない。気遣いをするのが嫌な人間と、気遣いを露骨に感じる人間というのは、一種の磁石で言えば、同じ極ではないだろうか。つまり、S極とS極では反発しあって、お互いに離れようとする。それを無理に近づけてしまうと、どちらか弱い方が弾き飛ばされてしまうのだ。

 この場合どちらが弱いのかといえば、男性の方なのは一目瞭然だ。少なくとも一度結婚経験があり、さらにその後離婚を経験し、自由と自分を取り戻した人間に、結婚すらしていない男が敵うはずもない。

 彼は先生に失恋したわけではない、自分の立場に気付いたのだ。なぜなら二人はまだ恋愛までも進んでいない。本当であれば進むべきタイミングを逸してしまった。それは男とすれば大人としての対応を意識し、女性の方では自由と自分が、もう恋愛を考えないようにするという戒律を自分に課していたからだ。

 もちろん、こんなことが二人の間で起こっていたなど誰も知る由もない。先生の方にも意識はないだろう。男性側で勝手に妄想し、勝手に終わったことだった。だが、これは男性側にとって、失恋よりも成長する上で大切なことだったのかも知れないと思うのは、作者だけであろうか。

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