第2話 不気味な住宅街

 都会の大部分は、ほとんど住宅やオフィスが立ち並び、新しい建物が建つ余裕もなくなっていたが、時代の流れは早いもので、戦後しばらくしてからの高度成長時代の建設ラッシュで建てられた建物が何度かの老朽化による建て替え、あるいは、改修工事を経て、また建て替え、回収時期に来ていることで、最近では建物の工事をしていない箇所を探すのが難しいくらいだ。

 昼間などは、耳が痛いばかりの乾いた金属音や、コンクリートを破壊する、

「バババ」

 というコンクリートハンマーの音が響いて、今ではほとんど慣れてしまっているのでそれほどの騒音を感じないだろうが、本当なら勘弁してもらいたいものだ。

 ただ、夜になると、その騒音もなくなり、ヘルメットをかぶった作業員もいなくなり、そこで工事が行われているという標識や黄色いハードルのようなものが置かれていて、そこにネオンサインがついているくらいであろうか。

 歩く人もほとんどおらず、午後九時を過ぎると、通勤で家路を急ぐ人もほとんどおらず、寂しさで不気味な雰囲気を醸し出す空間になっている。

 そんなところを歩こうものなら、足から伸びている影法師が、自分の足を中心に、いくつもの分身を作っている。

 その分身はせっかく舗装されていた道路を剥がして、現れた土の凸凹で、さらに影法師を歪なものにしている。それこそ、門倉刑事と鎌倉探偵がこの間話していた犯罪談義の中に出てきそうなシチュエーションではないだろうか。

 近くには児童公園があり、さらにその向こうには大きなビルが連立する小規模なオフィス街まであった。

「これこそ、都会の風景」

 と言ってもいいかも知れない。

 前の建て替え時期というのと、風景的に変わったところがあるのだろうか。ビルなどの耐久年数から考えると、以前はまだ昭和だったのかも知れない、昭和がどんな時代だったのかというのを知っている人はすでに中年以降になっていて、それを考えると時代の進むのは何と早いことかと、昭和を知っている人は感じることだろう。

 特に年齢は進めば進むほど、時間が経つのが早いと言われる。門倉刑事にはピンとこないだろうが、鎌倉先生あたりになると、そろそろ感じ始める頃ではないだろうか。

 元々が同じくらいに建設されていて、似たような素材や建築方式なら、耐久年数もほとんど変わりないだろう。特に建設ラッシュの時代でも建設基準というものがあり、それにパスしなければ建設できないのがいつの時代でも同じことだ。

 建設ラッシュであれば余計に、合格ラインギリギリのところでコストを抑えて作るだろうから、どこも耐用年数などは似たようなものだろう。そうなると同じ時期に建設したものは同じ時期に耐用年数を迎えるのは当然のこと、どこの会社も、何かが起きない限りは耐用年数まで粘って、立て直しを遅らせることを考えるであろう。

 ただ、老朽化が激しいところは、ところどころでメンテナンスを行い、何とか持たせてきたところもあり、少しは延命になっただろうが、それでも数年違う程度であろう。実際にビル自体の建て直しともなれば、最低でも一年、下手をすれば数年の時間が掛かってしまう。そうなると、少々の延命で持ちこたえてきたところでも耐久性がなくなり、建て直しを余儀なくされる。そうなると、結局は同じ期間に建て直しということになり、街全体が死んでしまうことになりかねない。

 そこで、行政を巻き込んでの大型プロジェクトとして行えば、面目も立つというものではないだろうか。

 最近、どこもかしこも建て直しをしているのは、そういうことなのであろう。

「そういえば、二月、三月になると、やけに道路工事が多いな」

 と言っている人の話を聞く。

「それはそうさ。国土交通省は年間予算が決まっていて、年度末までには使いきってしまわないと、その次の年には削れれるって話だぜ。だから、年度末になると工事をして予算を使いきらないといけないのさ」

「じゃあ、辻褄合わせってことかい?」

「ああ、そうさ。サラリーマンが年末になると収めた税金の調整をするのに、年末調整ってのを出すだろう? それと同じようなもので、道路などの公共工事の予算を俺たちは年度末調整と呼んでいるのさ」

 と言っている。

「なるほど、うまいことをいうな」

 そう言って笑っているが、まさにその通りだ。

 だが、老朽化にともなう工事は、そうもいかない。待ったなしでもある。今までに何度も都市開発を進めてきたツケが回ってきたというであろう。

 今の若い人はほとんど知らないだろうが、あれは今から二十年くらい前のことで、あの時は元々民家だったところが立ち退いて、新しくビルを建てることになっていたのだが、そのビルで自殺騒ぎがあった。

 そこで首吊り自殺があったのだが、最初はその動機がハッキリとしなかった。首を吊ったのは大学生の青年だった。まだ一年生で未成年だったが、地元の大学に一浪して入った大学に、自殺をする前までは普通に通学していたのだ。

 彼には自殺をする理由が見当たらなかった。成績が悪いわけでおmないし、苛めのようなものがあったわけでもない。ただ、彼は秘密主義なところがあって、よほど親しくなければ彼のことを詳しく知っている人はいなかった。

 警察がいろいろ大学で事情聴取しているうちに分かったことだが、彼と普通に友達だと思っていた連中にもそのことは自覚がないようで、その話を聞くと、皆ビックリしていた。

 それでますます、彼の自殺の原因が分からなくなったのだが、ある友達から得た情報によると、

「あいつ、実は女子高生の女の子と付き合っていたんだ。それは真剣な付き合いだったと思うよ。珍しくウキウキして俺に話してくれたからね。刑事さんたちも捜査していて彼があまり自分のことを人に話す性格ではないことは知っているでしょう? いつも聞いていたのは僕だったんだ。だから僕は彼のことなら何でも分かるって自負しているんだ。ひょっとすると本人よりも分かっていたかもね」

 と話した。

「じゃあ、自殺について何か分かるかい?」

「ああ、分かるよ。これについちゃあ、あんたたち警察にも大いに責任があるんだけどな」

 という気になる前置きをした。

「ん? それは聞き捨てならないな」

 と刑事が少し不満そうに呟いた。

 聞かれた男はそれには敢えて触れず、話し始めた。

「あいつが自殺する一月ちょっと前くらいかな? あいつが自殺した工事現場である事件があったのを覚えていますかい?」

 と聞かれて、刑事はピンとこなかった。

「ねっ、それくらいのものなんですよ。警察なんて。こっちとしちゃあ、本当に許せないことではらわたが煮えくり返っているのに、警察の方じゃあ、さっさと終わったことになってる。一生消えることのない傷をたくさんの人に与えておいてだよ。俺だって、本当は殺してやりたいやつが、何人もいるさ」

 それを聞いて刑事もただ事ではないような気がしてきた。

「殺してやるなんて穏やかではないね」

「お前ら警察が腰抜けだからな」

 だんだんと喋り方も横着になっていくが、こんお雰囲気はやはりただ事ではない。

 彼は続ける。

「あんたら警察にとっちゃあ、毎日のように起こることなので、感情がマヒしちまってるのかも知れないが、当事者はそうはいかない。その瞬間に時間が泊まっちまって、その時計を動かすのに、それだけの力と勇気が必要なのか。国家権力といっても、しょせんその程度だって思わせるような事件だったよ」

「一体。どういうことなんだ?」

 刑事はイライラもしてきた。

「本当に忘れちまったのか、知らないようだな。じゃあ、教えてやるよ。今から一月とちょっと前、ここを夜に塾の帰りに通りかかった一人の女子高生が、暴行されたんだよ。バイクに乗っていた暴漢に襲われてな。男は女の子を見つけると、急いでバイクから降りて、用意していたクロロフォルムを嗅がせたんだ。そして誰もいない工事現場に連れ込んで、暴行したのさ。本当に知らないのか?」

「すまない。毎日のようにいろいろな事件が起こるもので」

 と刑事は言い訳をした。

 その言い訳がまた彼の神経を逆なでしたのだろう。彼の声はどんどんと大きくなってきた。彼は次第に興奮の度合いが上がっていき、鼻息も荒くなり、虚空を見つめた目には欠陥が浮かび上がっているかのように見えた。よく見ると、目から零れているのは涙ではないだろうか。

「じゃあ、教えてやるから、しっかり聞くんだぞ」

 と彼はもう完全に怒りしかないようだった。

 刑事の方としても、これ以上彼を刺激しないようにしないと感じ、余計なことは言わないようにした。

「お願いします」

「その犯人というのは、それから少ししてから捕まったんだ。当時はまだ少なかったんだろうが、防犯カメラのあるところがあり、そこに犯人が映っていたんだ。ただ、完全な犯行現場ではなかったけどね。そも警察はその男を重要参考人として取り調べることにしたんだ。その男は逃げられないと思ったのか、すぐに白状したというんだけど、その後で弁護士というやつが警察に訪ねてきたらしい。そして、その弁護士が被害者のところにも訪ねてきたのさ。そこで大金を積んだらしい。その加害者というのは、本人も未成年で、受験勉強のストレスからの犯行だったというのだが、あいつの親が政治家らしくて、その圧力が掛かったのさ。弁護士は大金を積んで言ったらしい。『彼はこれからの日本をしょって立つ男になる。今ここで事を荒立てても、あなた方には何にもいいことはありませんよ』ってね」

「それはひどい」

「そう思うだろう? しかも裁判沙汰になったとしても、被害者はいろいろ言いたくない恥ずかしいことを口にしなければいけない。そんな状態で法廷で耐えられるかな? なんてこともいうんだ。完全に脅迫じゃないか」

「それで?」

「親の方としても、本当は訴えたかったんだろうが、娘のことを考えるとどうしても訴えることができなかったんだ。娘も泣き寝入りするしかないと思ったんだろう。それから少しして、彼女は手首を切って死んだんだ」

 彼は続ける。

「ここで死んだ俺の友達は、その女の子と付き合っていたんだよ。まわりの人に変に気付かれないようにね。彼女は受験生だったから、あまり余計な気持ちにさせないようにしようという彼の男としての優しささ。俺は二人ともよく知っているから、どっちの気持ちも分かったんだよな。彼女が暴行された時、やつは本当に憤っていたよ。自分はこんなに怒っているのに、何もできない。彼女に何もしてあげられないってね。それで彼女の自殺を聞いた時、彼の中で何かが切れた。それはきっと、彼女を救えなかったという思いと、どうして自分に相談してくれなかったのかという彼女に対しての憤りとだね。そうなると彼はもう抜け殻だった。俺もいつかあいつが死を選ぶんじゃないかって怖かったけど、彼を見ているうちに、彼が死にたいのなら、死なせてやってもいいような気がしてきてね。彼は結局、自殺したんだ。でも、それは後追い自殺というわけでも、何かに抗議してというわけでもなく、彼自身は犬死なんだろうけど、俺には彼のイヌ気にを責める気にはならなかった。彼だって被害者の一人だと思うからね」

「そんなひどいことがあったんですね」

「ああ。だってやりきれないだろう? 犯人が見つからないとかでも被害者は溜まらないのに、犯人は分かっていて、それで泣き寝入りしなければいけないなんて、こんな世の中が悪いんじゃないか」

 と彼はとうとう、涙を流し始めた。

 こんな時に何といって声を掛けていいものなのか、そのすべを知らない。ただ今までに何度も同じような被害者を見てきているので、こんな時には何も言えない自分を憤るしかないことは分かっていた。

 ただ、今から二十年くらい前に、この場所でそんなことがあったということを、事件関係者、いわゆる当事者でしか覚えている人はいないだろうが、この話を聞いた刑事も、

「俺もきっとずっと忘れることのできないことになるんだろうな」

 と感じた。

 いろいろな事件があって、実際に携わったものの中にはもっと悲惨な事件もあっただろう。

 ただこの事件だけは、なぜか頭に残っている。聞き込みをした刑事は、その頃ちょうど刑事に上がったばかりで、ある意味最初の事件と言ってもよかったくらいだ。話を聞いただけでも衝撃で、実際に震えが止まらなくなった。

「警察官になったのは、悪い奴を懲らしめるため」

 誰もが思う勧善懲悪の考えを、この時にハッキリと感じた。

―ーこんなやつがのさばらないようにしなければいけない。それを取り締まるのが俺たち警察官の役目だ――

 と再認識した。

 その思いがあったからこそ、二十年経った今も、警察で飯を食っている。すでに年齢も四十過ぎで警部補に昇進していた。今では捜査の指揮を取れるまでになっていたのだ。

 そんな事件があったなどというのは、きっと誰も覚えていないだろう。当時の工事を請け負った会社の人でも覚えている人は少ないかも知れない。しかし事件としては、一人の女子高生がそこで暴行され、手首を切った。そして彼女の付き合っている大学生が、彼女の襲われた場所で自殺をしたというだけでもセンセーショナルな話である。しかし、遺族であろうか、その後にマンションが建ったのだがマンション前の電柱に、時々花束とお菓子をお供えにくる人がいる、見かけた人もいるようで、

「背が低い、腰の曲がった爺さんが、お供えに来ているようですよ」

 という証言があった。

 だが、別の人が見ると、

「いやいや、あれは女性だ。まだ三十代くらいの女性がお供えにきていたんだよ」

 という人もいた。

 男性には兄妹はおらず、お供えしているとすれば妹ではないかと思えたが、いつも無口で、しかも、人目を憚るようにお供えをしていたという、

 とにかく、この場所はその当時から曰くのある場所で、忌み嫌う人は、マンションを借りることもなく、問い合わせに来る人も少なかったという。当時はウワサを気にする借りても多く、マンションを作った方にとっても、この事件は、

「いい迷惑」

 だったのだ。

 しかし、建ってから一年も経てば、気にする人はいなくなり、まだほぼ新築に近いマンションで、駅に近いという立地条件もいい場所で、掘り出し物に違いないのに、まだ空室があるということで、すぐに部屋は埋まった。そのいくつかは、夜の店の女性で、ホステスなどが多かった。

 このあたりも、その時の教訓からか、街灯も整備され、少なかった監視カメラもたくさんでき、もっといいことには、マンションができてくれば、近くにコンビニなども進出してきて、いよいよ住宅街の様相を呈してきたのだった。


                 冷蔵庫


 マンションばかりというわけでもなく、少し入ると昔からの高級住宅街があり、夜は閑静な住宅街のはずだったのが、コンビニができたおかげで、騒音が目立つようになった。

 マンション住まいの人にとっては、夜道が怖くないという利点はあるのだが、昔からのこの土地に豪邸を構えている人たちにとっては、本当にいい迷惑であった。

 そのマンションの隣にもマンションが建っていて、そこはすでに耐用年数が来ているようだった。

 マンションの耐用年数というのは、役後十年くらいらしいが、実際にはもっと長く住むことはできるという。しかし、その間にいろいろな災害で壊れかけているところが目立ってくると、グッと短くなってしまう。

 このマンションは、高度成長期の後に作られたもので、当時は最先端だったようだが、今では、

「団地よりはマシ」

 という程度で、耐用年数というよりも、この設備で借りる人もいない状態だった。

 住んでいた人も、どんどん近くのマンションに引っ越して行ったりして、入居者あがいなければ、取り壊すか、立て直すかのどちらかだった。

 大家さんは、最初駐車場にしようと思ったようだが、まわりのマンションはほとんど駐車場が充実していて、元々それを売りにしていただけに、駐車場にいまさら変えても仕方がなかった。

「しょうがない、建て直すか」

 ということになり、解体後、新たなマンションを建てることになった。

 実はこの地域に似たような環境のマンションは意外と多く、今はちょっとした解体、建設ラッシュになっていた。

 数メートルしか離れていない。二軒隣のマンションも同じように建て替えるそうである。昼間は騒々しい毎日だったが、夜はその分、静かだった。何しろ人の数が絶対的に少ないからだ。

 当然、マンションの窓から漏れる光もなく、街灯だけだと、いかにも寂しい。建設ラッシュが時代の最先端だった時代も今が昔、テレビドラマの世界でしかないのだ。

「そういえば、何丁目かの夕日なんて映画もあったよな」

 と、当時を振り返る人もいるが、今ではそんな人はすでに還暦を過ぎ、会社員なら定年退職している年齢である。

「もはや戦後ではないなんて言ってたけど、戦争なんて、今出が歴史上の出来事の一つでしかないんだからな」

 とぼやく人もいる。

 戦争を知っている人は、当時子供だったとしても、今では八十歳を超えている計算になる。記憶も定かでない中で、言い伝えることもできなくなっていることだろう。

 その時代のこのあたりというのは、どんな街並みだったのだろうか。決して街中というわけではなく、空襲を受けるような県庁所在地の近くでもなかった。たぶん、空襲には免れたに違いない。

 ひょっとすると、田園風景が広がっていたのかも知れない。農作物は結構あったかも知れないが、戦争末期になれば、学童疎開や、大都市への大空襲で焼け出された人が命からがら逃れてきて、このあたりに生息していたとすれば、豊富であった農作物も、実際には豊富だったとは言えないかも知れない。

 戦後は次第に都心部が復興してくると、田舎から戻る人も増えてきた。そうなると、このあたりは昔のイメージに戻ってくる。しかし農地改革などもあって、いつまでも農業だけをしていられなくなり、いずれ、若い者は都会に出ていくことになる。

 このあたりも農地から住宅地へを姿を変えていったのもそのせいであったのかも知れない。

 詳しいことは知らないが、次第に道も舗装されていくようになり、街中までの通勤にも鉄道が電化されたこともあり、一時間もかからない場所だったこともあって、駅前近くを新興住宅街として売り出す計画が立った。

 最初は分譲住宅を考えていたようだが、団地建設が始まり、駅前から少し離れた丘陵地に住宅街が建設され、完全にこのあたりは都心部へのベッドタウンとして栄えるようになった。

 近くを国道が走り、温泉も近いことから、近くに旅館やホテルが建設されるようになると、観光産業からも人の需要が生まれて、このあたりに都心部から移り住むようになってきた。

 戦争中と違って、命からがらではない、逆に都心部で金を儲けて、こっちで家や団地を買うと言った形である。

 そういう意味ではこのあたりは住宅新興が早かった。それだけ昔の団地が最近まで残っていたりして、新旧が入り混じった街としても、有名だった。

 最近では住宅街というのも、いたるところにできて、古いところにわざわざ移り住む人もいないのではと思われたが、古いところを取り壊して、新たに建設することで、まだまだこのあたりの住宅需要は十分だった。

 それに、二十年くらい前から、郊外型の大型スーパーが、レジャーランド化して建ち始めたことで、このあたりも注目を浴びるようになった。

 温泉地とのコラボでいろいろなイベントも催され、温泉もレジャーランド化してくると、このあたりの住民の人口は、最大に達していた。一時期若者が都会に出ていくというブームがあったが、今では都会の学校を出てから、地元で就職するという人も増えたおかげで、ここを地元として家を買う人もマンションを買う人も増えたのだろう。

 そうなってくると、余計に古い建物はせっかくの景観を損なうということで、新たなマンション建て替えも盛んになっていた。

 ただ、マンションを建て替えるとなっても、一気にできるわけでもない。マンション建て替え計画が住民の立ち退きが終わって、マンションを取り壊しても、すぐに工事に入らないところもあった。土地の所有者と工事関係の会社との折衝でもあるのだろうか、しばらくの間廃墟のような場所もチラホラと出てきた。

 昼はまだいいが、夜になると、完全に真っ暗で、妖鬼の世界を映しているようだった。いわゆる廃墟と言ってもいいのだろうが、すぐ近くには人が住んでいる最新型のマンションが連立しているというのもおかしな感じである。

 マンションに住んでいる人は、廃墟があるのは分かっているが、建設会社の作った足場とそこに巻き付けられている幌のような厚手のシートに覆われているので、中を覗き見ることはできない。

 やろうと思えばできるのだが、誰が好き好んで、そんな夜の不気味な時間、気味の悪い場所を覗き込もうなどと思うのだろう。意識していないふりなのか、本当に意識の外なのか、人によって違うのだろうが、近寄る人もいない不気味な場所であることは、誰の目にも明らかなことだった。

 そういえば、廃墟ということで思い出される事件が昔あったと聞いたことがあった。

 それは例の強姦によって自殺に追い込まれた事件があった頃よりももっと前、それから十数年くらい前に遡る。ちょうど高度成長時代くらいであろうか、このあたりにはまだまだ廃墟のようなところがたくさんあった。

 それは、前にあった家に立ち退きをしてもらい、建て替えている前の状態であったが、立ち退きの際に、かなりのお金を貰って、口外に引っ越していった人は、昔の家具や電化製品を買い替えて、新居には新しいものを置くようになった。そのため、取り壊す予定の元の家に、古い家電や家具を放置したまま立ち退いた。

「処分くらい、お前たちでやれ」

 と言わんばかりにである。

 そのためか、街のあちこちに残っていた空き地は、廃品置き場になってしまい、まさかの粗大ごみ置き場と化していた。

 そんな場所をわんぱく小僧たちが見逃すはずはない。洗濯機や冷蔵庫など、鬼ごっこをするには最適な場所だった。近くに公園など、そんなに整備された地域でもないので、なかなか子供が思うように遊べる場所はなかった。しかも、工事現場が増えたおかげで、元の空き地もなくなってしまい、

「俺たちはどこで遊べばいいんだ」

 と言わんばかりだった。

 友達の家で遊んでいると、

「表で遊びなさい」

 と言われてしまう。

 友達の家で皆が集まって遊べるところというと、鉄工所を営んでいる友達のところしかなかったということで、何しろ鉄工所というと危険物の宝庫なので、表で遊べと言われる道理もあるというものだ。

 遊ぶ場所に窮した子供たちにとって、この廃品置き場は持って来いだった。親もそんなところで子供が遊んでいるなどということが分かっていれば、注意の一つもしたのだろうは、誰も気づいていなかったのが、悲劇の元だった。

 ある日、いつものように皆で鬼ごっこをしていたが、普段は塾があってなかなか付き合えない友達が、その日急に、

「塾が休みになったので、俺も混ぜてくれないか?」

 と言ってきた。

 仲間は四人だったので、鬼ごっこをするとしても中途半端な気がしていた。鬼が一人に、隠れる人間が三人では、少ないと思うのも無理はなかった。

「ああ、いいよ」

 別に相談することもなく、皆声を揃えて賛成した。

「よかった」

 と、安堵した新たな仲間だったが、彼は今まで鬼ごっこはおろか、友達と表で遊ぶことはほとんどなかった。

 この時期、第一期受験戦争というべきか、学習塾に通う子供が増えてきた。家庭が裕福になってきたせいもあるのか、それとも、学歴社会というのが、社会に浸透してきたからなのか、それとも親のただのエゴなのか、とにかく子供の意見は二の次に、有無も言わさず学習塾に通わせる親が増えてきたのは事実だった。彼もそんな親の命令と会っては断りきれず、不本意ながらに塾に通うことになったのだ。

 その日は、塾が休みということで、親から遊んできていいと言われて、ワクワク気分で皆のいるところに現れたというわけだ。

「お母さんが初めて皆と遊んでいいっていってくれたんだ」

 と思うと、少年は嬉しくなった。

 彼は有頂天になって友達のところに駆け込んだ。それでも一抹の不安がなかったわけではない。

――もし、仲間に入れてくれなかったらどうしよう?

 というのが非常に怖かった。

 せっかく母親が遊んでいいと言ってくれたのに、もし皆から拒否されたら、自分の立場がないと思ったからだ。

「お母さんは自分が友達から仲間に入れてもらえると信じたから、遊んできていいと言った。そして、友達は俺が塾をさぼったのではないかと思っていたとすれば、それはまったくの誤解だ」

 母親と友達の間に入ってジレンマに陥ってしまった自分をどうすればいいのか、最初あんなに嬉しくて有頂天になった気持ちがあっという間に奈落の底であった。

 だが、友達はそんな彼の心配をよそに受け入れてくれた。それだけにさらなる有頂天になったとしても無理はないだろう。

――俺は、もう皆と仲間同士なんだ――

 という思いが爆発しそうであった。

――遊びの内容は鬼ごっこだという。やったことなかったけど、自分にできるかな?

 そう思うと、ドキドキものだった。

 まるで冒険活劇の主人公にでもなったかのように、胸躍るとはこのことだろう。

 それに、皆が仲間意識を持ってくれているので、安心だった。自分が初めてだということもきっと分かってくれるはずだ。そして、

「教えてやるから、安心していいぞ」

 と優しく言ってくれると思っていた。

 実際に、皆は優しかった。鬼ごっこをしたことがないと言っても誰も驚かず、おかしな目で見られることもなかった。優しく教えてくれてそれが嬉しかった。

 最初は、じゃんけんでオニを決める。自分がオニになることも何度かあったが、ほとんどは逃げる方だった。

 逃げる範囲は限られていたが、ふと目に見えたものが目に止まった。それは霊倉庫だった。人間が隠れるには少々小さいが、子供だったら問題なかった。一層式の冷蔵庫、今では骨とう品級のものだが、その頃は粗大ごみとしては普通だったのかも知れない。

 ちょうど日暮れが迫っているということで、誰もが、

――できたとしても、あと二、三回くらいのものだろうな――

 と思っていたことだろう。

 彼ももちろん、そのつもりだった。

「もういいかい?」

「もういいよ」

 いつも変わらない声で鬼ごっこの最終ラウンドが開始された。

「ここだ」

「あっ、見つかったか」

 と、どんどん発見されていく。

 鬼ごっこを飽きもせずに続けていくと、見つける方もそうだが、見つかる方も、

――いつ頃見つけてくれるのか――

 ということも分かってくる。

 ここまで毎日続けてくると、逃げる方も、見つからないことを目指しているわけではない。どこに隠れたら、どれくらいで見つかるかということを予想して、その予想がピタリと当たるのを目指していた。彼らはそれを一歩先だと思っているが、本当はどうなのか、そんなことが分かる人などいるはずもないのだが。

 四人目が見つかると、見つける方も満足だった。

「よし、皆見つけたぞ」

 と、誰か一人忘れているのに、なぜか誰も気づかない。

 夕日が沈むのを意識していたからだ。別に意地悪で誰も思い出せないわけではなかった。西日の魔力というのは実際にあるもので、その日臨時の形で入ってきた人間の存在を完全に消してしまったのだ。

 その時、臨時傘下の男の子はどうなったのか?

 読者諸君には分かり切っていることだと思うが。例の冷蔵庫い閉じ込められていた。

 元々ちょっと小高くなったところに斜めに放り出されていた冷蔵庫だっただけに、最初から斜めになっていた。無造作に置かれていた冷蔵庫に入った瞬間。それまで動かなかった扉が閉まり、中から開けることができなくなってしまった。

 表にはちょうど、こちらも無造作に置かれた気の柱のようなものが、冷蔵庫の蓋が締まる神童で崩れ落ちてきて、それがそのまま冷蔵庫の蓋を抑える形になり、ロックが掛かってしまったのを同じようになっていたのだ。

 鬼ごっこから皆引き上げてくる。家に帰って皆夕飯を食べていたが。その時、慌てて電話してきたのが、彼の母親だった。

「うちの子が、皆と一緒に遊ぶと言って出て行ってから、まだ帰ってないんです」

 ビックリした電話に出た母親が、夕飯を食べているわが子に聞く。

「今日、皆ちゃんと帰ったのよね?」

 と聞かれ、最初は電話の内容をまったく知らない息子はキョトンとしていたが、急に顔色が変わって、

「あっ、そうだ」

 と言って、母親にこたえる暇もないほど慌てて、表に飛び出した。

 目的地はもちろん、さっきまで遊んでいた粗大ごみ置き場になっている空き地だったが、他の子供も同じように電話で気付いたのか、慌てて集まってきていた。

 しかし、すでに日は沈んでしまっていて、街灯も明かりもないところで捜索もあったものではない。子供の浅はかさではあるが、取るものもとりあえずやってきた行動力は評価してもいいかも知れない。

 さすがに親たちはそのあたりは心得ているのか、子供のあとを追いかけながら、懐中電灯を持ってきてた。子供と親が一緒になっての捜索になったが、そのうちの一組の親子は、当時の派出所に行って、警官を連れてくることになった。巡査もビックリして、本部に連絡を入れて、自分も捜索に加わった。

 空き地ではさすがに、隠れるところは限られていると、誰が最後にどこに隠れていたのか確認すれば、残った場所は数か所しかない。したがって、難なく冷蔵庫に目を向けることができ、しかも、入木血がふさがっているという状況を見れば、皆どうしてそうなったのか、瞬時に理解したことだろう。

 抑えている柱をのけることはまるで赤子の手をひねるよりも簡単だった。そして冷蔵庫の蓋を開けると、その中に少年が身体を丸くして入っていた。眠っているようだったが、睡魔だけで眠ってしまっていたわけではなかった。叩いても押しても開かない扉を当てもなく必死に脱出を試みてみたが、いくらやってもどうにもならない。そのうちに、

――もう出られないのではないか――

 という不安に駆られ、疲れが一気に出たことで、そのまま眠ってしまったのだ。

 身体の疲労と精神の消耗とが少年に一気に襲い掛かり、実際には一時間とちょっとくらいだったはずなのだが、彼にとっては数時間、いや数日に感じられたかも知れない。

 真っ暗で狭い場所に身体を曲げた状態でどうしようもない不安が募ってくる。こんな恐怖はもちろん初めてだった。

「もう二度とこんな思いはしたくない」

 と思ったことだろう。

 助け出されて

「助かった」

 という思いがあっただろう。

 まわりの人の大げさに騒ぐ歓喜の声が聞こえていたが、もうそんなものは耳に入ってこない。親は必死になって一緒に探してくれた親や子供に誤っている。それはそうであろう、誰が悪いというわけでもない。しいていえば、そんな危険なところに隠れた自分が悪いのだ。しかし、今までに鬼ごっこの経験のない彼にとっては無理もないことだった。

 では、彼のことを忘れて帰ってしまった皆に罪はないというのか?

 これも難しいところである。今まで一緒に遊んだことのない人がその日初めて臨時参加のような形で一緒に遊んだのだ。しかも夕日の魔力で、すでに彼らは家に帰ることを意識していたため、普段と変わりない意識しかなかった。一人増えているという感覚がまったくなかったと言ってもいい。そんな彼らにも罪はないだろう。

 しかし、見つけてもらえなかった親はそうは思わなかった。

――どうしてうちの子を置き去りにして帰ることができたのかしら?

 としか思わない。

 わざとされたという意識は消すことができなかった。

 他の親は誰でも、不幸な事故だと思っている。子供たちもそうだ。見つけてもらえなかった子供にしても同じだったが、子供たちの間では、誰の心にもその時のことがトラウマとなって残っていた。

 学校からは、

「あの空き地で遊ばないように」

 という通達があり、警察の方も、その場所を立ち入り禁止にし、放置されているゴミを行政の方で、強制撤去という形にしたようだ。

 その場所は空き地に変わりはなかったが、買い手がなかなかつかないのも事実で、どうも因縁があるという変なウワサも立ってしまったようだ。

 事故が合って、一か月を過ぎたあたりで、見つけてもらえなかった子供の家族は、この街から引っ越していった。街の人たちの反省が見られないからというのと、息子のトラウマを解消してやりたいという気持ち、そして、自分たちがこれ以上いれば、人間関係で致命的な喧嘩になり、収拾がつかなくなることを分かっていたからだった。

 その事件のことは、誰も口にする人はいなかった。口にするのはタブーなのだという暗黙の了解が広まっていたようだ。

 そのせいもあってか、このことを知っている人は次第に減っていく。この街に住んでいた人も、次第に他の街に引っ越したり、都会に出て行ったりして、まるで都市伝説的な捉え方になり、下手をすれば、七不思議的な、本当にあったことなのかどうか分からないというレベルの話にされていたのだ。

 しかし、誰も死んだわけでもなく、子供を中心とし他愛もない事件として忘れ去られるのは仕方のないことだろう。

 この街には、絶対に風化させてはいけない暴行されたが、泣き寝入りしなればならなかった女の子の事件、そして風化してしまい、都市伝説になってしまった子供の間での、鬼ごっこにおける冷蔵庫格納事件と、二つの明暗分ける事件が存在しているのだった。

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