第9話 安藤社長の秘密

 鎌倉探偵が、社長室を訪れたのは、ななみが襲われてから一週間が経った時だった。利一が鎌倉探偵を訪ねてから四日後のことである。

「これはこれは、娘のことではお世話になります」

 そう言って入ってきた安藤社長は、思ったよりも若く見えた。

 大学生の娘がいるほどには見えなかったのは、若々しさが原因なのか、それとも社長としての貫禄に致命的に欠けているからなのか、どちらなのかを探ろうと鎌倉探偵は目論んでいたが、どうもハッキリと分かる感じではなかった。

「いえいえ、お嬢さんは大変な目に合われましたね」

「ええ、あの子は私にとって、目に入れても痛くないほどの子供ですので、話を聞いた時には、立ち眩みを起こしそうになりました」

 社長はそう言って、少し溜息をついた。

 こういう社長であればあるほど、一人娘ともなれば溺愛するものなのかも知れない。社長というと、

「お金を出せば女性はいくらでも……」

 などと不埒なことを考えている人も多いだろうが、それだけに誠実な女性を求めるものだ。

 そういう意味で肉親はそのゾーンにピタリと嵌り、自分の母親や、娘にそれを求める人も多いのではないだろうか。

「さっそくなんですが」

 といきなり鎌倉は切り出した。

 このままお互いに腹の探り合いのようなものをしていると、最後は相手に余裕を与えてしまい、こちらが攻めあぐねている状態を悟られると、それを突いてこられるのは必定に思えた。それならば、先手必勝、相手が面食らっている間に攻め落とすというのも、探偵の技術としてありえることだった。

 社長は、少し身構えたが、相手は百戦錬磨の探偵、何を言われても大丈夫なように心得てきた。

 しかも、仮にも社長である彼には、会社としてではあるが顧問弁護士というものがいる。弁護士としても、社長の不利益はそのまま会社の不利益になるということで、社長に何かある場合が、いつも相談に乗っていた。

 要するに、前にあった掃除婦の事件もその時の弁護士が暗躍していたのは言うまでもないことだろう。

 社長としても、

「会社はそれだけのものを支払っている」

 という自負があるので、何でも弁護士に相談するのは当たり前だと思っているし、弁護士側としても、こういう会社なので、いきなり何があるか分からないということで、必ずヤバいような情報は、必ず公開してくれることを約束していた。ケースバイケースだと言ってもいいだろう。

「ところで、あなたは生田美佐子さんという女性をご存じでしょうか」

 と鎌倉探偵はいきなり何を言い出すのか、社長にはピンとこなかった。

「えっ? いいえ、聞き覚えのない名前です」

 と、あっけに取られていた。

 鎌倉探偵はそれを見て、思わずため息をついていたが、

「そうでしょうね、あなたにはピンとはこないんでしょうね」

 と、そこまで言って、またしても溜息をついた。

 このため息は、やり切れないというつもりのため息で、

――なんで、こんなやつを――

 という気持ちも含まれていた。

「それはどういう意味ですか?」

 安藤社長は少し立腹したようだ。

――この男は探偵だと言いながら、いきなり訪ねてきて、知らない人の名前を俺に聞かせて何をしようというのだ?

 と思ったからだ。

 普通なら不愉快に感じたまま追い返してもいいのだろうが、娘の捜査ということ、そして知らない名前をいきなり言った探偵の真意を知らないまま、大人げなくも怒ってしまってもしょうがないと思い、なるべく立腹しないように心がけた。

 しかし、鎌倉探偵の気持ちは、相手を怒らせることにあった。最初から立腹していれば、こちらから誘導しなくとも、こちらの真意が分からず疑心暗鬼になってくれれば、こちらが望んでいる話を向こうから自然な形でしてくれるかも知れない。これも数年の探偵家業を続けてきて気が付いたことだった。

「実は安藤社長がこれまでに、この部屋で行ってきたセクハラとでもいうんですか? そのことについて、少し調査していましてね。これはお嬢さんの捜査をしている時に聞こえてきた話なんです。そして少し調べてみると、生田美佐子さんという名前が浮かんできたんですよ」

 というと、安藤社長は、いよいよ顔を真っ赤にしていた。

 その顔はズバリを指摘されて、羞恥の思いで顔が真っ赤になっているわけではなく、明らかに立腹しているようだった。それを見て鎌倉探偵は、

――やはり――

 と思い、内心ニヤリとしたが、立腹している相手にそんなことが分かるはずもない。

「君は一体何なんだ? だから私はそんな名前に記憶はないと言ってるだろう。失敬だな」

 といい、完全に怒りをあらわにした。

 これは、あくまでも、質問に対して、

「その名前は知らない」

 ということを激怒とともに言えば、探偵が言ったセクハラというワードをわざと肯定しない自分を演出できるという考えがあったからだが、そんな相手の考えなどお見通しの鎌倉探偵には通用などしなかった。

 ただ、安藤社長の言っていることも無理はない。確かにこの名前をいきなり言われて覚えているとすれば、それはそれで不思議に思えたからだ。

「この女性はこの会社に掃除婦のパートとして派遣されていた女性です。あなたはこの女性にセクハラのようなことをしようとしましたね?」

 と言われて、さすがに社長もハッとした。

「そう言われれば、そんな女性もいたような気がする。しかし私はその女性を襲ったりセクハラのようなことをした記憶はない」

 きっと彼はかなり前の出来事のように思っているのだろう。

 社長ともなれば、毎日どんなに小さなことでもそれなりの出来事はあるものだ。美佐子のことなど、過去の過去だったのかも知れない。

「そうですか。分かりました」

 と、なぜかいきなり話を切り出したわりに、簡単に引き下がってしまう鎌倉探偵に対して。

――おや?

 と不思議に感じたことだろう。

 しかし、その後のまたまたさらに不可解な質問に、さすがに安藤社長も面食らってしまい、呆然とするしかなかった。

「じゃあ、生田愛子さんという名前にご記憶はありませんか?」

 と聞かれて、

――生田愛子? 聞き覚えはないな。しかし、今この探偵の口から出てきた生田美佐子という女性と名字が一緒だぞ? やはりこの女性も私からセクハラでも受けたというのだろうか?

 と考えたが、その名前には覚えはなかった。

「はて? その名前にも記憶はないが」

 というと、

「そうですか。あなたは視野を最近のことに絞っておられるようですね。ただそれも無理のないことです。私が娘さんのことで調査をしているという話をしているので、娘さんに絡んだ話だとお思いになっているでしょうからね。でも、あなたの過去の記憶で、本当であれば決して忘れてはいけないお名前なんですよ。その意味をお判りでしょうか?」

 鎌倉探偵は、無表情で真剣に話した。

 この探偵は、少しでも相手をやり負かすという意思があれば、それを表情から掻き消すようなことはしない。気持ちを表に出してニヤリと笑うことだろう。

 それを思うと、今の表情は納得がいかない。

――私から娘のことで何かを聞き出しにきたのではないのか? まるで私を直接攻撃しているようにしか思えない――

 と思うと、今度は探偵に対して怒りを感じるというよりも、警戒心の方が強くなってくる。

 迂闊に口車に乗って何でも話してしまわないようにしないといけないと今感じているのだが、どうしてそんなことを感じるのかというと、この社長には今までに口では言い表せないほどの、

「若気の至り」

 があった。

 しかし、この若気の至りだが、そんな言葉でごまかしてはいけないこともたくさんあった。金持ちの坊ちゃん育ちにはありがちのことではあるが、許されることと許されないことがある。今まではその一つ一つを表に出ないように、父親が揉み消してきたのであろう。それを思うとまたしてもやり切れない気分になる鎌倉探偵であった。

「まあ、あなたにとっては若気の至りということになるんでしょうね。まあいいです」

 と言って、肝心な話はしようとしない。

「そんな中途半端に話を終わらせてしまうのですか?」

 本当なら内容を言われなかったことで、これ幸いと話を変えてしまうチャンスではあったが、娘のこともあるので、このまま終わらせるのが怖かった・

 と安藤社長がいうと、今度はさっきの真面目な顔とは違い、人懐っこそうなニコニコ顔で、

「ええ、大丈夫です」

 と言った。

 鎌倉探偵が調査で人と会う時、こちらのニコニコ顔が普通なら定番であり、彼の代名詞でもあった。今日はこの場にはいないが、警察の門倉刑事もよく心得ていて、

「鎌倉の恵比須顔」

 などと揶揄されたりして、それに対して苦笑いをする鎌倉探偵というのが、よくあったのだ。

 安藤社長はまたしてもあっけにとられ、今度は自分が苦笑いをするしかなかった。しかしその苦笑いはごまかせてよかったという思いと、

――この探偵、何を知っているんだ?

 という思いが入り混じっての苦笑いである。

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