第11話 推理

「やあ、門倉君いらっしゃい」

 と言って、いつものソファーに座って待っていた鎌倉探偵は、門倉刑事が部屋に入ってくるなり、これもいつものニコニコ顔を彼に浴びせた。

「事件は解決ですか?」

「解決とまではいかないんだ。それについては、最後の大団円を飾ってくれるのは君になるんだからね」

 というと、門倉氏に座るように制した。

「どういうことですか? 犯人を僕が逮捕して、それで終わりということになるのかな?」

 そんなことは分かり切っている。

 そんな分かり切ったことを少しぼかしているとはいえ、わざわざ口にするというのも少しおかしな気がした。

「いや、実は事件はまだ終わっていないんだ。むしろこれからが本番ということだね」

 と鎌倉探偵は意外な言葉を口にした。

「エッ、どういうことですか? まだ誰かが被害に遭うということですか?」

「そういうことだ。しかし、まだ何かが起こるということはないでしょう。起こるとするば夜だと思うし、たぶん、バイクがその事件に関わっていると思うので、犯人がバイクを手に入れる状態から、事件は始まる。まだ大丈夫だ」

「バイクですか? よく分かりませんが」

「君は事件を目撃した佐久間詩織という女性の話を覚えているかい? 彼女は急カーブを曲がるバイクに乗った人を見たと言っているんだ。そして、バイクが止まったような音がしたと言ったが、それは止まったのではなく、音がねじ曲がったからではないかな? いわゆる『ドップラー効果』と言われるもので、例えば救急車のサイレンが、近づいてくる時と、走り去る時で音が違っているというのを聞いたことがあるかい? 走り去る時は近づいてくる時よりもずっと重低音で、したがってどんどん遠くなってくるにつれて、聞こえなくなるスピードも早くなる。特にそれまで耳をつんざくまでの轟音が耳に残っているのだから、聞こえなくなるのが早くて当然だ。だから止まったように聞こえるのさ。でも実際にはそのバイクに犯人が乗って走り去ったのだと思えば、時間的に考えても、犯人がバイクを使ったものだと考えるだろう」

「なるほど、じゃあ、鎌倉先生が犯人はやはり通り魔のようなものだとおっしゃるんですか?」

「いやいやそうは言っていない。通り魔に見せかけるようにしたと言っただけだ。だから逆に犯人は通り魔などではない。これは立派な殺人未遂事件だよ」

「でも、彼女、ななみさんには誰かに狙われるような感じはないという話だったですy。我々の捜査でもそうでした」

「そう、彼女は狙われるだけの理由はないんだ。だが、彼女が何かを見ていたのだとすれば、狙われる原因になったかも知れないよね。ひょっとすると、犯人を知るだけの何か犯人と接近したために、そのことに気付かれたのではないかと犯人が思い込んだのかも知れない」

「じゃあ、彼女を最初から殺すつもりはなかったと?」

「僕はそう思っているんだ。ただ、本当の被害者にそれを言われては困るので、少しの間この事件から遠ざかっていてほしかったのかも知れないね」

「じゃあ、被害者はもう一人いて、いや、その被害者こそ、本当の犯人の犯行目的のターゲットであり、ななみさんは、犯人と被害者に繋がる何かを知ったか見てしまったのかということになるんですか?」

「そういうことですね」

「じゃあ、本当のターゲットというのは?」

「それは、ななみさんの父親、安藤庄次郎氏です。彼は子煩悩で、警察の人には、子供を溺愛する父親というイメージが強いでしょう。富豪の主人が一人娘を溺愛するという話はよく聞きますからね。それですっかり騙されたというか、この殺人未遂に父親は何も関係ないということで蚊帳の外に置かれた。しかも、警察の捜査の半分は犯人を通り魔だと思っている。それは犯人にとって実に好都合で、行動もしやすいというものです」

 と言って、鎌倉探偵はコーヒーカップを持ち上げ、一口含み、喉を潤していた。

「安藤さんは分かっているんでしょうか?」

「いや、分かっていないと思うよ。あの男は今までに富豪の社長として、セクハラ、パワハラを尽くしてきたようだが、それも彼の性質がそうさせたのだろう。私は彼を擁護するつもりなど一切なく、彼こそ憎まれるべき人間だと思うが、彼はあんな性質になったのも、無理のないことでもあるんです。だからと言って、彼が今までやってきて、一切表に出てこなかったたくさんの事件をいちいちここで口にしていくのもウンザリするし、それを思うと犯人に最後の犯罪を犯させてやりたいという気持ちがないわけでもない。だが、法治国家での仇討ち、復讐は許されないという観点と、これ以上犯人に罪を犯してほしくないという思いから、今日君をここに呼ぶことにしたんですよ」

 鎌倉探偵が自分の推理を語る時、いつも捜査陣や事件関係者を一堂に会することをしないのは、きっと自分にも自信がないからなのかも知れない。

 自分は警察関係者でもなく、一探偵という力のない人間なので、自分が裁くことは許されない。だから自分の意見を腹心とも言える刑事である門倉を呼んで意見を聞くつもりなのが、まわりはそれを、

「事件解明だ」

 と思い込んでいるだけなのかも知れない。

 そういう意味では探偵小説やサスペンスドラマの影響が大きかったのだろうが、この鎌倉探偵のやり方にはどこか共感が持てるところがある。それは警察内部共通した気持ちで、鎌倉氏が警察に協力的で、警察も鎌倉探偵に一目置いているというのは、そのあたりに理由があるのだろう。

「でも、安藤社長がかつて何かの犯罪に手を染めていたとしても、それが彼を殺すだけの事実があったとは思えないんですが。我々も彼のことは当然調べましたが、ハッキリと何かが出てくるわけではありませんでした」

 というと、鎌倉探偵は少し寂しそうな表情になり、溜息でもつくのではないかと思う雰囲気であった。

「表向きにはそうでしょうね。しかもこれは今から二十年も前に起こったことで、この時彼はまだ未成年だった。今でこそ、若手社長と言われるようになったけど、その頃はちょうど今の奥さん、つまりは先代の娘さんとの縁談も決まって、彼としては順風満帆だったはずなのに、その時の若気の至りだったんだよ」

「というのは?」

「彼はその時、暴行事件を起こしている。当時、高校生だった女の子に暴行を働いているんだ」

 という鎌倉探偵に対し、

「そんな事実は警察の調書には残っていませんでしたよ」

「その事件は、まだ未成年だったということもあり、さらに、義父になるはずの先代が、今みたいに会社の顧問弁護士を使って、被害者を買収したんでしょうね。事件にはなっていない」

「じゃあ、被害者はお金で泣き寝入りしたと?」

「警察側から見ればそういうことになるのでしょうが、弁護士というのは口八丁手八丁ですからね。被害者の家族に対して、『訴えることもできますが、訴えて起訴して裁判を起こすまでにはかなりの困難が必要になります。さらに困難を乗り越えて裁判になったとしても、証拠の提出や立証責任は被害者側にあります。しかも、いろいろ聞かれて、恥ずかしいことも言わなければいけなくなる。しかも、それは今までのように隠密ではできないことなので、自らの恥ずかしい経験を自ら世間に公表することになる。なるほど、今は感情に任せて訴えることもできるでしょう。でも、強姦というだけなら、相手も未成年ですから、罪になったとしてもそれほど大したことはありません。あなた方が受ける被害と、こちら側の被害とを比較してみると、このまま訴えて罪に問うのがいいのか、それとも、まとまったお金を貰って、このまま隠密にしておくことがいいのか、お嬢さんの将来を考えたらどっちなのでしょうね。世間というのは、存外に冷たいもので、被害者であっても、面白おかしく誹謗中傷されることもあります。それにご本人やご家族はいつまで続くとも分からない誹謗中傷に果たして我慢できるでしょうか?』などと言えば、家族としては娘を説得して、言いなりになるしかなかったと思っても、仕方のないことではないですかね」

 と、鎌倉探偵はなるべく淡々と話した。

「それは酷い」

 と、逆に門倉刑事はこれでもかというほどに声を絞り出すようにして呟いた。

「世の中というのはそういうものです。弁護士というものは、いくら非人道的なことをしていると分かっていても、彼らの仕事は、依頼人の利益を守ることなんです。だから彼らは裁判になったら、どんなことでもしてくるでしょう。そのことも脅し文句の中に入っていたかも知れませんね。当時からテレビドラマでも、そういう裁判のあり方などを示すようなものもあっただろうから、そういうドラマを見ていれば、弁護士の言っていることに信憑性を感じたとしても無理のないことです」

「じゃあ、それが今回の本当の目的に繋がったということですか?」

「ええ、そうです。その時に暴行にあった女性は自殺してしまいました。そして、悲惨なことはその女性の彼氏もその後、後追い自殺を遂げています。実にやり切れない事件ですが、こんな事件は決して稀なことではないんですよ」

 まさにテレビドラマの世界の話であったが、本当に何と言っていいのか分からない。

「あの社長がそんな男だったなんて、狂気の沙汰ではないですか」

「その通りなんだ。だからと言って、彼が生まれつきそんな性格だったというわけではないような気がする。あの男が本当にそんな風になったのは、一種の病気のようなものなのかも知れない」

「どういうことですか?」

「実はその事件が起こる十数年前に、子供が冷蔵庫に押し込められるという事件があった。それは、鬼ごっこをしていて、誤って閉じ込められることになったのだ。次の日にその子は助けられたが、それが、安藤社長だったんだよ」

「ということは安藤社長は、その時のトラウマで、そんな異常な性格になったということですか?」

「そういうことだ。閉所と暗所への恐怖が一緒に襲ってきた。小学生の少年にとってはかなりの恐ろしさだっただろう。それが彼に強いトラウマを植え付け、そして恐怖心を植え付けた。自己防衛本能と結びついて、彼の中で、思い込んだことをやらないと、恐怖心とトラウマが一気に襲ってくるようなそんな心理を持つような人間になってしまったのかも知れない。私も小説を書いている時、心理学の研究をしていたことがあったが、そんな例を見たことがあった。もちろん、皆が皆同じような状況になれば、同じような道をたどるとは言えないが、少なくとも安藤社長にはそういう性質があったということだね。これは性格ではなく性質なんだ。つまりは持って生まれたものでも、変えられるものではなく、それを持っていることで定めや運命と呼ばれるものに結び付いてくるようなものだと考えてもらえればいい」

 と、鎌倉探偵は言った。

 その話を聞いていると、門倉刑事は本当にやり切れない気分になったが、我に返って話を先に進めた。

「じゃあ、犯人は誰なんですか?」

「これは私の想像なんだが、生田美佐子という女性ではないかと思うんだ。彼女の姉というのは生田愛子と言って、彼女こそ、二十年前に安藤社長に暴行されて自殺したその本人なんだ」

「そうだったんですね」

「そして、彼女は数年前に安藤の会社の掃除婦として派遣されていたことがあった時、安藤から暴行を受けかけたこともあった経験がある」

「それは偶然だったのでしょうか?」

「それは私にも分からないが、ひょっとすると、その時に彼女は安藤社長を妹を暴行した犯人だと思ったのかも知れませんね。安藤のことだから、彼のような男は暴行しようとする時の行動は、精神的に自己防衛、つまりトラウマや恐怖から逃れようとしていると感覚があり、しかも、妄想と頭が混乱しているので、ひょっとすると、襲おうとしている時、自分を鼓舞させるためか、それとも相手を威嚇するつもりだったのか、思わず二十年前の事件を口にしたのかも知れない。普通では考えられないことだけどね。その時、その時の反省をまったくしておらず、しかも今また暴行しようとしている。さらにだよ、それが自己防衛やトラウマから逃れるためという、暴行とは関係のない動機であると分かった時から、彼女はこの男を許せないと思っていたのかも知れない。犯行が今になってしまったのは、彼女の中で葛藤を必死に繰り返していて、この二十年の思いが今爆発したんでしょうね。そして、それまで殺害を思いとどまったのは、彼女の理性というか、性質的なものがあったと思えるんです。このような結論を出したことには残念に思いますが、彼女はすでに苦しみぬいてきているということを、警察でも考慮してほしいと思っています」

 と、鎌倉探偵は言った。

 その後沈黙が続いたことで、鎌倉探偵のところを後にした門倉刑事は、彼の話を元に捜査を行い、アッサリと犯人が罪を認めたことで、あっという間の大団円になってしまったのだった。

 逮捕され起訴もされたが、情状酌量もあり、被害者が死んでいないということもあり、刑としては、かなり譲歩のあるものだった。そこには証人として参加した鎌倉探偵の事件報告が役に立ったのはいうまでもない。

「ところで、鎌倉さんは、どうしてすぐに犯人の目星がついたんですか?」

 と門倉が聞くと、

「この間君と犯罪談義をしたじゃないか。あの時の言葉にヒントがあったのさ」

 と言って、鎌倉探偵はニコニコしながら言った。

 事件解決のヒントというのは、どこに隠れているか分からない。そしてこの時ほど、

「罪を憎んで人を憎まず」

 という言葉が身に染みることはないと、門倉刑事は感じたのだった……。


                  (  完  )

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