もういちど、はじめの日


 ……ん。


 ふう。む、いかん、わらわとしたことが、眠ってしもうたのか……。


 いま、なんどきじゃろうか。あやつはいかがしたろうか。


 ……まて、なんじゃ、これは。


 なぜ、わらわが寝床に寝かされておる。


 丁寧に毛布までかけられておるの。


 ……おお、そなた、目がさめたのか。起き上がることもできるようになったのじゃな。そうか。そうか。よかった、安堵した……ほんとうに、よかった。


 わらわが眠ってしもうたから、寝床を変わってくれたのじゃな。にゃはは。捕らえたにんげんに寝かしつけられるとは、わらわも妖、失格じゃ。にははは……こふっ、こっ、こっ……ふぅ。


 ん、どうした。なんじゃそのかおは。わらわをじっと覗きこんで、にはは、なにゆえそんな、くしゃっとしたかおをしておるのじゃ。


 しかし……そなたは、よい見目になったのう。なんとも美しい。


 蒼紺の艶やかな髪とたてがみが腰までのびて。そのまま、ながあく、しなやかな尾につながっておる。銀の角、銀の爪。輝くような全身の鱗には、もはやにんげんの刃がとおることはないじゃろう。


 ああ。その、緋金の、しずやかなれど、あたたかな瞳。


 ようく、みせてたもれ。


 ……いや、見惚れておるばあいではないのう。いまは……や、もう朝ではないか。なんと。わらわはひと晩、眠ってしもうたのか。はや、情けなや。どうれ、布団をあげようの。片付けて、朝餉としよう。


 じつはな、そなたが子供のころ母御がつくった膳をな、わらわは調べておったのじゃ。記憶を読んでな。どうじゃ、にゃはは。すごいじゃろう。うまいものを、つくってしんぜるほどにな。どれ……。


 ……おかしいのう。からだ、きかぬ。


 ……んっ、ふっ……。


 くぅっ。はあ、はあ、ふぅ……。


 ……にはは、すまぬ、今朝はちょっと疲れておるようじゃ。なに、すこし休んでいればようなるわ。案ずるな。


 ……そうじゃな、そなたは、腹がへるだろう。


 のう、そこの、立戸のそとにな、あれが置いてあるから……。


 ……なんじゃ。どうした。


 なぜ、泣いておる。


 にはは。そなた、泣けるのじゃな。妖はのう、ほんらい涙をもたぬものなのじゃぞ。わらわも、泣かぬ。泣き方をしらぬゆえのう。


 いかがした。


 ……そうか。


 そなた、妖としてのちから、使うたのか。


 こころを読むちから、使うたのじゃな。


 わらわが眠っているあいだに、わらわのこころを……。


 ……くふふ。妖とはいえわらわは女子おなごぞ。それを覗くとは、なんとも非礼じゃな……くふ、ふ、こほっ、こほっ。


 ……そうか。


 どこまで、わかった。ぜんぶか。はじめから、か。


 そなたは妖のちからも、強いのだのう。見事なものじゃ。はじめのこと……あのときのこと、もうふるい昔じゃ。並の妖なら、それほど深く、こころを読み取れはせぬ。


 あのときのことを、のう。


 ……では、わらわのことも、思い出したのじゃな。


 ああ、そうじゃ。


 十も二十も、年をさかのぼった、あの日。


 あの日も、いくさじゃった。


 負けはせなんだが、わらわも傷ついた。からだが効かなくての。ちょうど、いまと似たようなものじゃ。くふふ。


 胸に矢をふかぶか刺したままで、わらわは、あの山でたおれておった。不覚じゃったわ。呪のかかった矢をまともに受けてしもうてな。回復するつもりではおったが、難しかったろうの。


 そなたが、たまたま、通りすがらなんだらの。


 わらわはそのとき、いまとはまったく違う見目をしておった。おどろおどろしい姿であったはずじゃ。にんげんの目に触れたときには、にんげんに化けるのが慣わしじゃったが、あのときのわらわには、もうそのちからはなかった。


 わらわは、威嚇した。吠えて、くびをもたげて、そなたを齧り切ってやろうと、牙を向けた。恐ろしい形相だったはずじゃ。じゃが、矢を刺されてうまくうごけず、そなたは、易々とわらわの横に立った。


 幼い……や、十歳ほどであったろうか。そなたは、それでも、腰に刀を帯びておった。武者としての修行の旅であったのだろう。あとから、そう思った。


 わらわは、覚悟したのじゃ。妖としてはながい生ではなかったが、すべきことはした。時間のながれの中に溶けゆくのもまた、わるいことではない。


 そなたが刃を抜き放ったから、わらわは、目を閉じたのじゃ。くびが落ちるのを、しずかに、待った。


 そうして、胸に激痛がきた。わらわは、また、叫んだ。はやくいのちが閉じるよう、祈った。はやく逃れたくて、泣いた。


 が、いのちは、閉じなかったのじゃ。


 しばらく気を失うて、それから、目がさめた。それでも、そなたが胸の矢を抉って抜き去ってくれたとわかるのに、まだ少しの時間が必要じゃった。


 そのときはわからなかったが、胸に、膏薬のようなものを塗ってくれておったのう。に、は、は。われら妖には、膏薬は、効かぬのだ。効かぬはず、なのだ。


 じゃが、どうして、胸のいたみが軽くなったのか。いまだにわらわにはわかっておらぬ。効くはずが、ないのじゃがな。


 そなたは立ち去っておった。


 わらわはそなたを恐れはしなくなっておったが、こうしておれば他のにんげんどもに見つかる。はよう立ち去らねばと、もがいた。が、身体がきかなんだ。


 しばらくすると、ふたたびそなたが、戻ってきた。


 手に、なにかを抱えてのう。


 紅い、まことに紅い、果実じゃった。


 それを両手に、抱えるほど。


 なにをするつもりなのかと思うておったら、そなた、なんと、その実を、手で揉んで、わらわのくちに押し込むではないか。


 のう、妖は、にんげんの食するものは、喰わぬのだ。喰えぬでもないが、われらにはもっと洗練されたものがある……まあ、そうじゃ、にんげんの、血肉のような、のう。には、はは。


 じゃが、そなたは、それをわらわに、喰わせた。


 わらわも多少、ちからを回復しておったから、そなたのこころが読めた。


 そなた、いくさで傷ついたときには、あの果実を砕いて傷に塗り、あるいはくちに含み、絞った汁をのんで、しのいだそうじゃな。そう、習ったそうじゃな。


 そなたは、わらわを、救けようとしておった。


 合点がいかなんだ。なにゆえ、妖たる、わらわを。にんげんの、武者が。


 ……には、は。その、ときの、そなたのこころに浮かんだこたえ。


 うつくしかった、から。


 わらわの目が。いきようという思いが。


 わからぬわ。わらわは、敵ぞ。妖ぞ。妖にとっての敵はにんげんで、にんげんを美しいとおもうことなど、われらには、ありえぬこと。


 いまだに、わからぬ。


 ただ、な。


 あの果実の、うまかったこと。


 うまれてのち、あのように甘美なものをくちにしたことはなかった。


 にんげんが、獣たちが喰らうようなもの、妖が食ってうまいはずがない。


 ないのじゃが、わらわにはあのとき、震えるほどに、うまかった。


 そなたはわらわにそれを食わせ、しばらくすると、立ち去った。


 それきり、会うことはなかったのう。


 わらわは回復して、里にもどり、そなたを探した。妖術で、あるいは、にんげんたちに尋ねて。


 が、みつからなんだ。


 そうしてながい時間がたち、あのいくさが起こって。


 そなたは、わらわの前にたった。


 ……ごっ、ふっ、けふっ。


 ……にはは。しゃべりすぎたのう。


 そなたを見かけたときには、もう、虫の息じゃった。じゃのに、斃れぬ。腕をうしない、腹が裂け、それでもそなたは、わらわに斬りかかってきおった。斬れるはずがないのにのう。


 もっとはよう、気づいてやれればよかった。


 わらわにできることは、わらわの手でとどめを刺すことだけじゃった。


 そうすれば……。


 けっ、けっ、こふっ。


 われらの一族にな、秘伝がふたつあってな。


 いちど命を失うたにんげん、骸を、妖にかえる術。


 そうして、妖を、にんげんに戻す術。


 にはは。わらわはな、一族でも最強といわれた術つかいじゃぞ。


 ふたつを同時におこなうことは、むずかしいが、できぬことではなかった。


 まあ、ちょっとした代償が、あるがのう。にふふ。


 いったん妖としたものをにんげんに戻すのじゃ。ことわりをいくつも、いくつも破っておこなう術、それを元に戻すというのじゃ。


 術者のいのちくらいは、それは、必要となろうて。


 骸が目が覚めてから、五日後に、ぜんぶ、成就するようになっておる。


 今日がその、五日目じゃ。


 ……ああ、しゃべりすぎたの。


 いささか、つかれ、た……わ。


 ……ぬ。そなた、どこへいった。ん、そこに、おると……? みえぬぞ。なんじゃ。あたりまで暗くなっておるのう。くふっ、けふっ。


 ……ふぅ。に、はは……。


 ……のう。約束してくれぬか。


 にんげんに戻ったら、もう、いくさには関わらぬと。


 おのれの里に戻って、しずかに、暮らすのじゃ。


 山をみて、鳥のこえをきいて、世界のことわりに、よう、耳をかたむけて、のう。


 わらわが、そなたをおもいながら、そうして、きた、ように……。


 ……のう、まだ、そこに、おるか。


 そうか。


 くふ。ふ。


 ……ああ、それと、もうひとつ。


 そなたがにんげんに戻るときにな、最後に、にんげんの食い物をくちにしなければならぬのだ。


 そのために……そこ、に、縁に……あの、あかい実が、積んである、から。それを食うが、よい。ここを、でてゆく、ときにな。


 紅い実。なんと、いうた、か……ああ、やまもも。


 やまももが、たくさん、置いてある。が、あまり美味くはないのじゃ。


 そなたにもろうた、あのときの実。


 あれとおなじ味のもの、ずうっと、さがしておったの、じゃがな……ふ、にふ、ふふ。


 おなじ味が、見つからのうて、な。


 どうしても、見つからのうて。


 ……くらいのう。


 なにも、みえぬ。


 ……ん? まて……ここ、は……?


 なんと……そなたと出会うた、やまじゃ。


 いつのまに飛んでおったのじゃろう……そうか、そなたが、術で飛ばしてくれたのじゃな。ふたりで、飛んだのじゃな。


 なつかしい、あの、やまに。くふふ。にははは。ゆかいじゃ。


 ああ、あたたかいのう。


 日差しがなんとも、温いわい。


 ……おお、それ、あちらこちらの樹に。


 なんと、やまももが。


 やまももが、すずなりに、あんなにたくさんの、やまももが。


 どれ、ひとつとって。ともに、くおうぞ。


 ……おお。おお。あのときの、味じゃ。


 やっと、会えたぞ。あのときの、やまもも。


 さあ、そなたも、たんと、くえ。


 ……にはは。ああ、嬉しいのう……。


 嬉しいのう……。





 <完>


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すずなりのやまもも 壱単位 @ichitan

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