よっかめ


 ……こうやって、目が覚めるのを待つのは、なんどめじゃろうの。


 はじめの日、ほんとうはもう目を覚ますことはないのではないかと、ずっと怖かったのじゃ。十日間、そなたは身動きもせなんだからなの。わらわはずっと、ずっと枕元でそなたのかおを見ておった。


 やっと目をあけてくれた時には、なんというのか、不思議な心持ちがしたものじゃ。安堵ともちがう、よろこびともちがう。


 ようよう考えたのじゃが、どうやら、寂しい、という気持ちに似ておったのう。いまにして、おもえばな。


 目は、覚ましてほしかったのじゃ。偽りではないぞ。そなたの命を奪うつもりであれば、あのいくさばで、ほんの少し、強くそなたを打ち据えれば済んだはなしじゃ。


 それでも、目覚めたそなたを見て、寂しゅうてな。


 目覚めた日。その日から数えて、五日目には……。


 そのことを、思うとな。


 それがわらわの望みであり、みずから仕掛けた術じゃからのう。寂しがるのは筋がとおらぬ。それはようよう、わかっとる。


 ふふ。どうやらわらわも、そなたの傍にいくにちかおったことで、にんげんにこうなっておるのやもしれぬな。考え方、感じ方。われら妖にとってはまばたきをする間のような、まことに、まことに短いせいをいきる、そなたらにんげんならではの、ものの見方。


 そうじゃ。


 そなたをこの屋敷に運んだ日、術をかけた。


 わらわの全力をもって、な。


 そのはじまりの日が来てしまったことが、わらわはきっと、寂しかったのじゃ。


 ……のう、聴こえておるか。


 夢のなかに、ことばは、届いておろうか。


 昨日の朝、崖から落ちて、そなたはまた眠りにはいってしもうた。


 ほんに、そなたは、にんげんは、愚かじゃ。


 なぜ、身を投げようなどと考えた。


 わずかしか動かぬ身体を捩るようにうごかして、地面を這って、ころがって、あんなに高いところから、そなたは跳んだ。


 そなたはいま、身体の半分より多くが、妖じゃ。妖は、ひとの何倍も、何十倍も頑丈にできておる。そうやすやす、死ぬることは叶わぬ。あの高さの崖であってものう。


 とはいえ、そなたはまだ、療養の身じゃ。完全ではない。にんげんであった部分が、傷んだのであろう。


 心配はない。こよい一晩やすめば、明日には起き上がることもできるようになっておろう。


 そうして、明日は、五日目じゃ。


 ……のう。なぜ、跳んだ。


 わらわから逃げたかったのか?


 いくさで仲間たちを喪うて、望みをなくしたのか?


 妖にされた己が身が、情けのうなったのか?


 妖としてにんげんと対することが、辛かったのか?


 わらわが……わらわが、いや、じゃったのか?


 きのうの朝餉、そなたは平らげてくれたの。わらわは、とても嬉しかったのじゃ。そうして、そのおり、そなたは、ありがとうと、いうてくれた。


 そなたのこころ、じかに読んだ。誤りはないはずじゃ。嘘のことばであろうはずがない。


 ならば、なぜ。


 なぜ、跳んだのじゃ。


 わらわは妖じゃ。世界のことわりは手に取るようにわかる。じゃがな、にんげんの心はことわりを離れて、気ままに、自由にうごめきまわるものらしい。そのようなもの、わらわには、理解できぬ。


 理解、できぬのじゃ。それが、かなしい。


 のう、教えてたもれ。わらわにも、そなたが感じたことを、わかるように説明してくれぬか。


 そなたは、なぜ、身を投げることを選んだのじゃ。なぜ、妖とのたたかいに関わったのじゃ。それまでなにを考え、どこで、どうやって暮らしてきたのじゃ。


 おしえてたもれ。


 そなたの、こと……を。


 のう。


 ……ん。


 くっ……ごほっ。


 ……ふう。


 ……今宵はのう、宴のつもりじゃったのじゃぞ。


 なにもなければいまごろ、そなたは床から起き上がることもできていたであろう。くちを利くこともできたかもしれぬな。己の腕で膳をとり、わらわと語ろうてな。


 酒はのめぬだろうが、祝いの杯をしんぜようとおもうておった。最後の、薬じゃ。それで、わらわの術は、ほとんど終わり……あとは、そなたが……けほっ、ごほ、ごほ。


 ……そなたの髪、蒼くなってきたのう。たてがみとちかしい色合い、美しい青藍じゃ。額の龍角も、もう、親指ほどのながさとなっておる。


 くびと顎の傷もほとんどみえぬ。のどのとおりも、障りはなかろう。首筋から胸と腕を覆う、白銀ぎんの鱗の、艶やかでひややかで、なんとも良い風合いであることよ。


 ……こうやって、いつまでも、そなたの頬を撫で、髪を漉いていたいのう。そなたの青白いうなじを、わらわの手のひらで、温めておいてやりたいのう。


 じゃが、な。


 ……どれ、水をとってきてやろうの。首筋を冷やす布も……あっ。


 ……なんじゃ。足にちからが入らんの。ふふ。わらわとしたことが、よろけて転ぶとはのう。にはは。ふう、それ、立ち上がるぞ……うん、立てるではないか。どうということはない。


 ……どうと、いうことは、ない。


 ふう、そうら、板戸に縋っておれば、歩けるではないか。ゆっくりでよいのじゃ、ゆっくり、伝え歩けば……あっ。


 ……くっ、ふっ、ふふ、くふふふふふ。なんじゃ、もう、立てぬというのか。にははは。おかしいのう。すこうし、早いではないか。


 まっておれよ。いま、水を、もってきてしんぜるゆえ、な……。


 まって、おれよ……。



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