ふつかめ


 ……ふむ。


 もうすこし、こう、うなじのあたりに……毛並みの量が、欲しいのう……が、焦ることはない。おいおい、整ってくるであろうの。


 なかなか見事な、たてがみじゃ。


 硬さも、よい……ふうわりしつつも、芯のある、艶やかな毛じゃ。こやつの魂、くろがねのような色じゃったから黒くなるかとおもうたが、こんな美しい青藍せいらんのいろがでるとはのう……。


 あんがいこやつ、こうみえて、初めからにんげんを逸れてうまれてきたのやもしれぬな……くふふ。


 ただ、髪のいろはまだ変わらんようだの。すこうし茶色を帯びておるが、艶やかな黒じゃ。それにしても、こやつ、荒々しいつらがまえの割に、おんなのように細くてやわい髪をしておる。


 どうれ。前髪から指をいれて、耳の後ろまでこう、すうっとなでつけて……そうして、そのまま、首の後ろまで……たてがみの手触りが、なんとも心地よい。


 ……ん?


 おお……いや、まさかの。まだひと晩しか立っておらぬから……それは、さすがにありえぬとおもうが……いや、いや、やはり、そうじゃ。間違いない。


 こやつの額。


 前髪にかくれて、わずかに、龍角りゅうかくが生えてきておる。


 まだ、こぶのようなものじゃが……二本の角が、育とうとしておる。


 ……ふふ。ふふふふ。くっふふふふふふ。


 ああ。ゆかいじゃ。


 やはりこやつ、はなからひとを離れておったのだ。


 あのいくさでも、われら妖がいく十人もかかっていったのを、まるで平原を進むように切り開いていったときく。その膂力りょりょく、胆力。むろん、鍛錬も怠らなかったのだろうが、おそらく……とおい祖先のどこかに、妖の血がはいったのじゃろうのう。


 ……そうか。じゃから、わらわを……。


 ふふ。そうか……。


 ……ぬ?


 龍角を得つつあるのであれば、もしや、背中には、はやくも……。


 それ、こうして、肩のうしろに腕を入れて……すこうし、持ち上げると……なんと。どうじゃ、もう、背中の肌がかたくなりはじめておる。色まではよう見えんが、手触りは……おお、おお。よいのう。触れれば切れる、白刃のようなうろこ。わずかではあるが、いくつかかたちになっておる……。


 ああ。たまらぬ。


 たまらぬのう。


 このまま養生すれば、きっとこやつは……。


 わらわの背筋まで、痺れたようになってきたわ。不思議な気持ちじゃ……。


 どうれ。もう少し、よう、みせてたもれ。


 かおを……額を、わらわに、ようく、見せてたもれ……。


 ……息が、肌が、あついのう……。


 ああ……。


 ……む。おお、気がついたか。


 いや、傷の按配をみてやっておったのじゃ。熱もみておった。額をあてて、熱を、な。それだけじゃ。


 昨日よりはずいぶん、落ち着いたようじゃな。


 ぬ? 時刻か? もう陽も落ちかかっておる。そなた、昨日の昼過ぎにいちど目覚めて、またすぐ眠ってしもうてな、それからいままで、寝ておったのじゃ。


 気分はどうじゃ。


 おお、昨日より表情がうごくようになったのう。首筋から顎にかけての傷も、ずいぶん、塞がっておる。まだしばらくくちは利けぬとおもうが、おいおい、ようなるはずじゃ。


 ……ほう、身体が、熱いとな。


 まあ、それだけの傷じゃ。発熱もしておろう。ん? そのような熱さではない……と、なにか、身体のうちに火がついたようで、骨身を焼くようで、苦しゅうてならん、とな……。


 ……ふふ。にふふ。にふふふふふ。


 ああ、なにをわらっておるという顔をしておるな。


 ……まあ、まずは、くちにものをいれるがいい。


 これはな、わらわの一族に秘伝の妙薬じゃ。妖だけが育てることのできる薬草をくだいて、白湯で溶いてある。そこにいくつか妖術を加えておるが、甘みもある。


 いや、にんげんのふだんの食べ物は、まだそなたには喰うことはできぬ。ほんらいなら生き絶えている身、それをわらわの妖術で生かしておる状態なればな、妖のくいものしか、喰らうことはできぬのじゃ。


 ほうら、器のなかで、湯気をたてておる。わらわがさじで、ようく、ようく混ぜて、ゆっくりと、冷ましてやるからな。


 ……ふう。


 ……ふう。


 さあ、くちをひらけ。……というても、自由がきかぬか。どれ、わらわが、指でそなたのくちびる、ひらいてやるからな……。


 痛くはないか。そうか。ほら、匙から、すこしだけ流し込んだぞ。飲み込めるか……うん、よいな、では、もうひと匙……。


 うまいか。ふふ。うまいものではなかろうの。じゃが、滋養がある。しっかり飲み込むがよいぞ。


 おお、むせてしもうたな、ほうら、肩を持ち上げて、背をたたいてやろう。大事ないか。


 ……ん、どうした。おかしなかおをして。


 首のうしろ? 背中? なにか、慣れぬ感触があったと……。


 ……くくっ、くくくくくく。そうか、気がついたか。


 鏡がほしいか。ああ、だしてやろう。


 ……そうら。また、そなたの目のまえに、姿見を浮かばせてやったぞ。こんどは、もう一枚鏡をだして、あわせ鏡で、背中のほうも映してやろう。


 とはいえ、寝転がっていてはみえぬか。わらわが僅かに、身体を傾けてしんぜよう。どうじゃ、これですこし、見えるか。


 そなたの首筋、首のうしろ、そうして……背中の、うつくしいものが。


 ……にゃはは、にゃはははははははははは! にゃはははははは!


 そのたの、その、あっけに取られたかおよ! にゃはははは!


 いやいや、表情はあまり動かせぬようじゃが、わらわには見えるのじゃ。そなたの心の動きがのう、よう、みえるのじゃ。


 どうじゃ、驚いたか。


 そうじゃ、いかにも。


 そなたの首筋には、蒼い……青藍の、立派なたてがみが生えてきておる。


 そのたてがみは背中まで続いておるが……その背中には、ほうれ、立派な、龍の鱗……銀の鱗が、もうなんまいか、育っておるわい。


 そうして、どうじゃ、どうじゃ、額、みえるか……わかるか。そら、髪を持ち上げてやる。わかるか……?


 額には……くくっ。


 そなたの額には、龍の角が、生えかかっておるのだ。


 ああ、そのとおりじゃ。


 魔成まなり、と、いうての。


 いまのそなたは、わらわと、半分はおなじじゃ。


 わらわとおなじ、妖に、変化へんげしつつあるのじゃよ。


 ああ。ああああ。心が打ち震えるのう。


 にんげんの武者、最強とよばれたおとこが、わらわの手で、わらわの妖術で、わが眷属に成る。わが、家族に、なる。


 わがおとこに、なる。


 ああ。なんとすばらしいことじゃろう。


 のう。そなた、妖としての名。


 なんと名付けてやろうかの。


 くふ。


 

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