すずなりのやまもも

壱単位

はじめの日


 ……お、やっと目が覚めたようじゃの。


 わらわが、みえるか?


 そうか、どれ、よう顔をみせてみい……ふむ、まずは、ひとやま越えたようじゃな。


 そなた、もう十日ほど寝ておったのだぞ。覚えておらぬか。まあ、そうじゃろうな。


 ここはな、わらわの屋敷じゃ。


 どうじゃ、わらわの姿。久しぶりのにんげんの姿じゃでな、あまり自信はなかったが、変ではなかろうか。ふむ。そなたのこころに問うてみたが、わが姿が奇怪とはおもうておらぬようだの。


 それもそうじゃな。これはの、そなたのこころの中にあった、そなた好みの娘のすがたじゃ。にゃははは。そなた、ずいぶんと線のほそい、頼りなげなおなごが好みだの。そなたよりも随分わかい。んふふ。


 そなたほどの偉丈夫が、あの、鬼神すらひしぐとも思われた武士もののふの、そなたがのう。


 ん? もしや……これは、むかし恋焦がれたおなごの姿ででも、あったろうかの? それはそれは。この機会じゃ、わらわの姿、たんと愛でるがよいぞ。にはは。にはははは。


 ああ、屋敷のうちも、調度も、にんげん風にしつらえなおした。なに、わらわの妖術によれば、造作もないことじゃ。なかなか落ち着いた、よい風情であろう。 


 ……なに? いくさか? むん、もう、終わっとる。とっくのとうに、じゃ。そなたの味方、にんげんの軍勢は、全滅したぞ。


 いやいや、まさか、われら妖の里にまで乗り込んでくるとは思わなかったゆえな。ずいぶん手間取ったが、みな、我が眷属が喰ろうてやったわ。残ったのは、そなただけじゃ。


 たいしたものじゃったぞ。


 腹をさかれ、腕をたたれ、それでもそなたは、倒れなんだ。最後まで得物をてばなさず、わが軍勢に、ひとり立ちむこうた。まあ、最後には、わらわが仕留めたがのう……くふふ。


 じゃが、興味がわいた。強いにんげんはきらいではない。連れ帰って、養生し、なぐさみものにしてやろうと思うてな。担いでもどったのじゃ。


 ……さっきから、なにをもぞもぞしておる? ああ、くちがきけないので戸惑っておるのか。まあ、無理もないぞ。


 それになにやら、身震いしておるな。ん? 震えているのではない、か。なに、身体のどこもかしこも、言うことをきかん、と。うむ、うむ、そうじゃろう。


 目は……うごかせるようじゃな。では、しばし、まてよ……。


 そら、そなたの目の前に、おおきな姿見すがたみ、鏡をこさえてやったぞ。ちょうどそなたの全身が映るようになっておる。宙に浮いておるが、気にするな。妖術じゃ。


 そうら、布団を、はぐってやろう。映っているじぶんの顔が、すがたが、みてとれるか?


 どうじゃ。あごも、はらも、ひどい傷じゃ。うごく道理もない。脚のさきも、そなたの自慢の、あの長い刀をふるうておった太い腕も、どこかにいってしもうたのう。


 なぜこの姿で生きておるのか、という顔じゃな。んふふ。わらわがな、生かしておるのじゃ。


 わらわの生命のはしっこをな、そなたに、注ぎ込んで、生かしたのじゃ。ほら、みていよ……わらわが手の中でうんだ光の玉を、そなたの胸にな、こうして、沈めるのじゃ……どうじゃ。ぬくかろう。ここちよかろう……。


 む。いかがした。泣いておるのか。涙はでておらぬが、わらわは、にんげんの気持ちが読み取れるのでな。かなしいのか。なに、情けないと。わらわのような妖に生かされ、うごくことも叶わぬ姿で寝転んでいるのが、悔しい、と。


 く。くふふふ。くふふふふ。


 案ずるな。案ずるな。


 すぐに動けるようになる。


 そうして、動けるようになったら、そなたは、わらわの術で……。


 くふふふ。


 ん、なんじゃ。なんのことだ、という顔をしておるの。ふふふ。まあ、もうしばし、そうして寝転んでおるがよい。おいおい、教えてしんぜようぞ。


 ……どうれ、そのかお、よう見せてみよ。これ、動くでない。逃れようもないぞ。どうせわずかの身動きしかできんのだ。


 ほうら、そなたの頬に手を当てるぞ。そのままさすりながら指先で耳元を漉いてやろう。なんども、なんども。


 髭があたるのう。ちくちくするわ。だが、きらいではない心地だ。ほうら、そのまま、頭の後ろまでこすってやろう。十日も寝ておったから、首のすじが固くなっておろうな。こうして手のひらをいれて……ゆっくり、ゆっくり、温めてやろう。


 ふふ。指が首筋をとおるときに、目を細めたな……なんじゃ。心地よいのか。わらわの指が、妖の指が、気持ち良いのか。ふ、ふふふふ、くふふ。このようなときに。わらわのような、妖の指、が。


 ……なるほどのう。我が術にて身体の痛みは感ぜぬはずだが、どうもそなた、無意識に、にんげんであることを止めようとしておるのだな。ひとの世から、離れようとしておる。じゃから、わらわの指からの常世のちから、こころよう感じるのであろう。


 ふん、にがさぬぞえ。そうそう容易に、いかせはせぬ。


 ……まあ、よい。


 しかし、にんげんというのは、おろかなものじゃな。


 まだ文字もことばも持たぬころには、われら妖を頼うて、日照りやら雨降りやら、困りごとを持ち込んできた。


 わらわはまだ、千をすこし超えるほどの年しか生きておらぬが、それでもずいぶん、そなたらにんげんのために、骨折りしたのだぞ。


 わらわは風と星をつかさどる妖じゃによってな、大地つち宇宙そらのあいだの取り決めを読むことが得手えてじゃった。じゃから、暦をおしえ、草木がよう伸びるやりかたを伝えて、そうした智慧ちえで、にんげんらはずいぶん、富んだものだ。


 にんげんらは、そうして余裕がでると、ことばを学び、文字を創り、たがいに交流をして、くにをつくった。


 そうしたらどうじゃ。こんどはそのくに同士であい争うようになった。それで土地が荒れ、疫病がはやると、あろうことか、我ら妖の仕業と、声高にさわぐようになったではないか。


 わらわも、眷属たちも、みな、呆れておったのだぞ。


 にんげんが道理を忘れておるから、摂理がうまくはたらかぬ。摂理がたたねば、作物は実らず、水もながれず、獣たちもすがたを隠してしまう。


 さかしい顔をしながら、そなたらにんげんは、ほとほと、おろかじゃった。


 あとは、そなたも知ってのとおりじゃ。こぞって軍勢をたて、大人しゅう暮らす我が眷属を追い立て、とうとうこの妖の里にまでどかどかと踏み込んできおって……。


 ……なんじゃ、眠ってしもうたのか。


 どれ、まだ春先、夜分はひえようぞ。布団をゆるりと、かけておくでな。


 ……ああ。温いのう、そなたの身体は。手を当てておくと、わらわの注ぎ込んだいのちが巡ってもどりよる。なんとも、不思議な、綺麗ないろだ。


 ふふ。


 よう、眠るがよい……。


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