みっかめ
……おお、眩しかったかの。
なに、よう晴れたから、空を見せてやろうと思うてな。立て戸を開けたのじゃ。みえるか。庭先は竹ばかりじゃが、空気が凛としとる。気持ちがよい朝じゃ。
昨夜は雨がよう降ったの。この屋敷、裏には小川があるのじゃが、水嵩がずいぶん増してな。まあ、妖術で止ませることもできるのじゃが、わらわはあまり、そういう仕儀は、好かんのじゃ。
にゃはは。妖がなにをいう、というかおをしておるの。にゃはははは。もっともじゃ、もっともじゃ。
妖はな、夜に棲まうものもおるが、そうでないものもおる。変わらぬことは、樹々やら草花やら、山、空、そんなものといのちを共にして生きとる、ということじゃ。野とわかれ、空を見んでも生きてゆけるなどと傲慢でおるのは、にんげんだけじゃよ。
そなたは、どうじゃ。どちらが好きじゃ。
からだのほとんどが妖となった、そなたなれば、わらわに賛同してくれようのう。にはは。にはははは。
お、くびが起こせるようになったのう。どうじゃ、胸元がみえるか。肩から胸にかけて銀の鱗が覆っておろう。
それからな、腕が見えるか。いくさで落とされた二の腕。そうら、もう、生えておろう。ちからは入らぬだろうが、かたちは立派なものじゃ。わずか数日で生え変わるとはの。そなたは妖としても、なかなかに強いちからをもっておるようじゃ。
ん……なんと。指先も、少し動くではないか。鋭い鉤爪がぴくぴくと。手の甲の、刃のような棘も見事じゃ。このぶんなら明日には、腕はうごくようになるのではないか。さすがのわらわの妖術、そうしてそなたの、妖としての器、というところじゃな。
くふふ。くふふ。くふふふ。
……どうじゃ、外へ出てみんか。
身体に痛みはあるまい? そなた、もう半月ほども陽にあたっておらぬからのう。まだ、そなたの半分ほどは、にんげんじゃ。外に出て、ひかりを浴びたほうがよいと思うてな。快復もはやくなろうて。
なに、わらわが背負う。案ずるな。こう見えてな、腕のちからは、そなたよりずっとあるのじゃ。そうじゃなあ。そなたくらいなら三人ばかりまとめて背負うこともできようぞ。
……どうじゃ。外に、でてみんか。気も晴れようぞ。
……そうか! そうか。よし、ふふふふ。出よう。出ような。
じゃがまずは、
むかし、母御がつくってくれた、かゆ、というものがあったのだろう。そなたはそれを、欲しておった。じゃからの、その味、なんとかこさえてみたぞ。妖の食い物には同じ味がなかったのでな、妖術でなんとか、工夫してみた。
そら、匙ですくって、口元へ運ぶぞ……おお、すこうし、唇もうごくな。今日はわらわが指で、くちを開けてやらぬでもよさそうじゃ。
よし、ゆっくり、流し込むぞ。あつうないか。飲み込めるか。ああ、うまく飲み込めたの。どうじゃ、うまいか……。
……そうか、まあ、しかたあるまいな。にんげんの味などわらわには分からぬ。うまくできぬのは当然じゃ。ふん、苦いくすりとおもうていやいやにでも、飲み込むがよい。そら、そら。
なんじゃ。そうか、舌がまだ効かぬゆえ、味がわからぬと。まずいわけではないと。ふん、さようか。それで……なに、なんと申した。ん……?
あり、が、と……あり、がとう……?
……ふん。くくく。くふふふふ。
戯言はやめておけ。そなた、姿がどうなってきておるか、わかっておるのか? なんの妖術をかけられておるか、理解しておるか? その食い物ものう、そなたの妖としての生長をたすけるためのものなのじゃぞ。
わかっておるのか。おろかものめ。
……なんじゃ、その目は。見るでない。わらわが、そなたを看とるのじゃ。そら、もそっと、喰え。くって早う、ひとかどの妖となれ。よいようにこき使ってやろうほどにの。
にはは。にははははははは。
……ありがとう、か。
さあ、喰ったのう、今朝はよう喰った、平らげてしもうた。よい兆しじゃ。器は……そら、妖術で消しておいた。また、夕餉のおりにこさえればよい。
では、まいろうか。
布団をはぐるぞ。そうして、そなたの身体を、起こして……わらわがそなたの腹に、背を合わせるゆえな。身を預けよ。そうじゃ、そうじゃ。
そら、立ち上がるぞ。手をわらわの首にまわしておこう。そうら。よし、よし、これでよい。くるしゅうはないか。胸は、つかえておらぬか。息はすえるか。
では、このまま、おもてに出るぞ。
縁をとおって、石台の草履を履こう。なに、ふだんは裸足なのじゃがな、そなたがこういうしつらえが好みということでな。にふふふ。どうじゃ、似合うておるか……なんじゃ、背中越しでは見えぬと。もっともじゃ。ふん。
どうじゃ。ひさかたぶりの、太陽は。気分がよかろう。
ん? いや、わらわはのう、風と星をつかさどる妖じゃが、昼ひなかでも支障はないのじゃ。むしろ、こうして温い日をあびておると、幼きころを思い出して、なんともよい気持ちになる。わらわにも、里も、母御も、おってな。
……わが屋敷の裏には小川があって、庭先から竹林がしばらく続いておる。すこうし斜面となっておるが、下草もすくない。歩くのにちょうどよくての、わらわはこのあたりを散策するのがとても好きなのじゃ。
ゆっくり、登るぞ。揺れるが、大事ないか。痛みは、ないか。
登って、しばらくゆくと……そら、こうして、竹林が切れて、ひろい葉のしげる、なんともよい香りのする場所にでるのじゃ。もう少し歩くぞ。
鳥のさえずりがたのしげじゃのう。
……のう、ひとつ、教えてくれぬか。
あそこに、木の実がなっとるじゃろう。
そうじゃ、あの、紅い……すこうし黒ずんだような、深いあかいろをしておる、あの木の実。
あれは、なんという名なのじゃ?
いや、喰うたことはあるが、にんげんのあいだでなんと呼ばれとるのか、わらわにはわからぬでな。訊いてみたまでじゃ。
……やま、もも。
やまももというのか。
やまもも。そうか、やまもも。
ふふ。覚えた。
……のう、喉が乾いたろう。わらわがあの実、少しとってきてしんぜよう。ちょうど見晴らしのよい、ひらけた場所にきた。あたりの山々も見事じゃろう、ここで座って、あの実、ふたりで食そうではないか。
うむ、わらわが妖術で、妖でも喰えるように整えてやるよってな、案ずるな。そうら、そなたを、おろすぞ……うん、この崖のよこの、石に背を預けて、座らせておいてやろう。しばし、風景をみてまっておれ、すぐ戻るでな。
……。
そうか。やまもも、というのじゃな。くふふ。そうか。
これはどうかの。大きい実じゃ。これもよいな。これも、これも。
ふむ、これくらいでよかろう。あやつを待たせてはならぬ。はよう、もどろう。
……戻ったぞ。どうじゃ、こんなにたくさん、やまももが……。
……おい、どこじゃ。どこに行きおった。
動ける身体ではないはずじゃぞ。山を降りたわけでもあるまい。まだ妖術も使えぬゆえ、飛べるわけでもない……とぶ……跳ぶ?
……あ……。
……崖の、したに……。
あやつが……崖の、したに……。
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