ピザ葬
筏九命
ピザ葬
火葬炉から戻ってきた祖父は、一枚のピザになっていた。
「それでは故人であります、山田敬一郎さまの切り分けを執り行います」
聞きなじみのない祖父の名前を、葬儀社の係員は呼んだ。それから彼はピザカッターを祖母に手渡した。カッターの柄には蔦の金装飾が施されている。
祖母は皺だらけの手でピザカッターを掴み、震える手で円形の刃を祖父に近づけた。手の震えが刃にも伝わり、回転する刃も小刻みに揺れる。祖母はもう八十歳。無理もない。
すかさず母が祖母の腕に手を添え、しっかりと掴んだ。母の手が祖母の手を包む。
「おばあさん、頑張って」
母の手伝いもあって、刃は祖父の中心に刺さった。母が祖母の腕を引く。その動きと連動して、カッターが後ろへ引かれる。カラカラカラ。ペパロニとペパロニの間に境界線が描かれ、分断される。
「なぁ、俺もやるよ」
「おばあさんを支えながら、みんなで切り分けましょ。本当は順番にやるものだし」
父が母に呼びかけると、叔母がそう提案した。叔父や大人の従兄弟二人、祖父の友人だった茂本さんはその案に頷いたが、私は独り愕然とした。
切り分けには参加しない。それが事前の約束だった。
火葬場まで付き添う人数は茂本さんを入れて九人。奇数だ。私が参加したくないと言い出したところ、母は「それなら茂本さんに譲ろう」と了承してくれた。偶数でないと綺麗に切れないから、この場合は八人にするのがいいという。
けれど、これで祖母は頭数から除かれたも同然。八人の中に、私も入ることになった。この場で異を唱えづらいのか、母は叔母に意見しない。
ふざけないでよ。叫びたくなったが、中学生にもなって火葬場で暴れても仕方ない。しぶしぶ、私は叔母の案に反対しなかった。
一本ずつ、祖父に線が引かれる。トマトとチーズの匂いが、火葬場の鉄臭さと混ざって気持ち悪い。カラカラカラ。刃の回転する音が、天井の高いこの部屋に響く。私の心に冷たい雑音が染み込む。
親族たちは祖母の手に自分の手を重ね、祖父にカッターを落とす。刃が祖父に刺さる瞬間、その手には力が籠もる。横から見ている私にはそれがわかった。拳を握るときのように、祖母の手を包む指がこわばる。
力が入ると、刃はチーズに沈む。腕を引くとチーズが裂け、祖父の身体も裂ける。
一つだった祖父の生涯はバラバラに切断されていく。
「里帆ちゃん。君の番だけど、やるかい」
茂本さんは祖母の手を掴みながら、私へと振り向く。私もやるものと考えていた叔母は驚き、私の心情を知る母はどこか安堵しているようだった。
断ってもいい。茂本さんは暗にそう言っている。
切り分けたくない。いくらあの人が望んだ弔い方でも、切断するなんてあまりに残酷だ。母に話を通したのもそういう考えからだった。
だけど、祖父を切る機会はもうやってこない。
「やる」
茂本さんが祖母から離れ、今度は私が祖母の元へ歩く。私も祖母の手を握った。くしゃくしゃした皺の感触といっしょに、まっすぐな柄の存在が伝わってくる。
祖母の手を持ち、祖父の真上へ誘導する。手そのものは軽いのに、なぜか重く感じた。
すとん、と祖父に刃を突き刺す。チーズは柔らかいのに生地は硬い。おじいちゃん、切るよ。言葉にはできなかった。残酷さが勝ってしまうような気がした。
ぎゅうと力を込め、刃を祖父に押しつける。心臓がドクドク訴えかけてくる。ごめん、ごめん。ありがとう。罪悪感を殺すように、乱雑な感謝を流し込んだ。
緩慢とした速度で、私は祖母の手を引っ張る。カラ、カラ、カラ。祖父を引き裂く。最後までカッターを引き切ると、台の上では八枚切りの祖父が完成した。
寂しかっただけだ。切り分けを怖がって、祖父を弔う営みに入れないのが。ここで参加しなければ、今後一生祖父には介入できなくなる。
ただそれだけ。大した感謝もなく、私は祖父を切り裂いた。
「里帆ちゃん?」
遠くから茂本さんの声が聞こえた。同時に、皺だらけの手が私の頬に触れる。祖母の手だ。
私の頬に流れた涙を、祖母は静かに指で拭い取った。
切り分けられた祖父は、白い皿にそれぞれ盛り付けられた。
祖父が火葬を望んだら壺に入っていただろうが、この葬儀を望んだので平皿だ。三角形になった祖父を膝の上に置き、何を考えるでもなく座っていた。
畳の匂いが鼻をかすめる。祖父が焼き上がるときにも入った火葬場の休憩室は、古い旅館の一室に似ていた。部屋の中央では両親や叔母たちが何かを話している。
「里帆ちゃん、食べないの」
肩身が狭いのか、茂本さんが私へと近づいてくる。
「だってこれ、おばあちゃんのだし」
「おじいさんが冷めるよ」
あぐらをかいて茂本さんが座る。そういう茂本さんも、まだ皿を持っていた。皿の上には祖父がいて、徐々に乾きつつある。
「茂本さんも食べてないじゃん」
「年寄りにはきついんだよ、チーズ」
祖父より二十歳ばかり若い茂本さんは、苦笑いしながら祖父をかじった。顎の力も弱くなっているのか、ちみちみと食いちぎる。祖母が祖父を食べないのも同じ理由だろう。私は祖母の方を覗く。談笑する大人たちの中で、祖母の背中だけが寂しそうだ。
「おじいちゃん、どうしてこんな迷惑な葬儀にしたんだろ」
「迷惑かな」
「肝心のおばあちゃんは、おじいちゃん食べられないし」
「おばあさんはこの葬儀に納得してたよ」
「なんで」
「若い人に食べてもらえるから」
茂本さんはゆっくりと祖父を咀嚼する。
「この葬儀はね、幸せな人しかできないんだよ。自分を食べてくれる人がたくさんいて、それも若い人じゃないといけない。いくら元気でも、年寄りはダメ」
「それ、偏った解釈じゃないの。子どもや孫に切られるんだよ」
手のひらを見た。祖母の皺と、柔らかいんだか硬いんだかわからない祖父。細胞まで染められたかのように、祖父を切断した感触がまだ残っている。
私は祖父を切り刻んだ。そんなひどいことするもんか、なんて思っていたのに。
祖父を切る怖さより、取り残される焦りが膨らんだ。あの瞬間の私に、感謝の気持ちなんて一つもなかった。混ざりたい、加わりたい。身勝手な衝動が先行した。
「里帆ちゃんは初めてだから、混乱しただろうね」
「慣れるって、そう言いたいの」
「受け入れるしかなくなるんだよ」
耳の部分をひょいと口に入れ、茂本さんは口をもごもご大きく動かした。
「それでも人は、最後に何かしてあげようとする。普通で、悪いことじゃない」
「違うの。ママたちはそうかもだけど、私は、私がやりたいだけで。切り分けに参加したいって、急に思っただけ。私は私の我がままで、おじいちゃんを切ったの」
「死んだら灰になるだけの人だっているよ」
歯を剝き出しにして、茂本さんは祖父をすり潰す。がたついた歯がプレス装置のように何度も祖父を叩く。そうしている間、茂本さんはただ前を眺めていた。トマトソースの裏側に濃縮された記憶を、じっくり味わっているように見えた。
長い時間をかけて、茂本さんは祖父を飲み込んだ。口の周りを指でぬぐい、私に笑いかける。小さな食べかすが取れていなくて、そこだけ粉がついて白っぽい。
「いいじゃないか。その人の死に関わりたいと思うだけで」
何もなくなった皿に、茂本さんが右手を置く。皿の上で、骨ばった人差し指を私に向ける。茂本さんの指は、私の膝上に乗る祖父を指していた。
「人に食べられるピザはね、必ず切られるんだよ」
私は祖父に目を落とす。何となく、指で断面を撫でた。片方は私と祖母が切ったところ。もう片方は母と祖母が切ったところ。祖父が三角形になったのは、祖母と母と私がいたからだ。三人の手が、祖父を大きな円から小さい三角形にした。
耳の部分を持って祖父を持ち上げる。大口を開けて祖父を歯で挟み、勢いにまかせて食いちぎった。トマトとチーズと肉。混濁した味が口の中を暴れ回る。私は目を瞑った。
家に行けば無愛想ながらも出迎えてくれた祖父。椅子に座って陽の光を眺めていた祖父。一人ずつ、脳裏に浮かんだ祖父の姿を嚙み潰す。旨味が爆ぜ、喉を流れる。
私の細胞に祖父が溶ける。爽やかな酸味が舌をつたう。
「ねぇ、茂本さん」
半分になった祖父を見つめる。祖父に、私の歯型がくっきりついた。
「私も死んだらピザになりたい」
ごくりと、祖父のすべてを私は飲み込む。
ピザ葬 筏九命 @ikadakyumei
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