第16話 ソフィアと【死操】、そして

「【死操】出てきなさい! もう逃げ場はないわよ!」


 ソフィアは呼びかけは、氷のドームに反響して屋内にいたイーリンたちにも届いた。窓を開け、睥睨するイーリンの背中から、ベラが顔を覗かせ様子をうかがった。


「イーリン、あれは?」

「【命名】のもう1人の弟子のぉ、ソフィアですねぇ」

「じゃああの大きな氷も、この寒さも、あの小娘の仕業なの?」

「はいぃ。氷の魔法を使うことはぁ、確認済みですからぁ」


 とはいえ、まるで前兆を感じさせずに、これだけの規模の魔法を一瞬で展開するのは、予想以上の実力だと、イーリンは評価を改めた。


「だ、大丈夫なのよね?」

「えぇ。呼ばれてますのでぇ、ちょっと行ってきますぅ。依頼主たちはぁ、危ないのでここでおとなしくしていてくださいぃ」

「さ、さっさと片付けてきて頂戴! 外の、拠点の様子も気になるわ」

「ヘイヘイ」


 イーリンは窓から、ではなく普通に廊下を歩き、玄関に向かった。窓から飛び降りれないこともなかったが、それは手の内を明かすようなものなので避けた形だ。同時に、ソフィアと対峙するまでに時間をかけ、頭のなかで状況の整理を行っていった。


(タイミング的にぃ、拠点の人間たちの魔法が解かれたのとはぁ、関係がありそうぅ。でもぉ、単騎で乗り込んできたということはぁ、やっぱり【灰燼】は動けない状況で間違いないぃ)


「イヒヒヒヒッ」


 イーリンの口端から漏れる擦れた笑い声が、白くなって館に空気に溶けていく。その色は玄関に近づくほど、つまりはソフィアに近づくほど濃くなっていく。まるで死の国へ近づいているように、気温が下がっているのだ。

 

 玄関の両開きのドアを押し開き、イーリンの目はソフィアの姿を鮮明に捕らえる。一切の油断なく近づき、しかし自身に満ち溢れた歩き姿は、二つ名持ちとしての矜持か。

 一方でソフィアも、間近に迫るイーリンの姿にギュッと全身に力が入る。シンデレラからは問題ないと言われているが、ソフィアはグリセルダやシンデレラ以外の魔法使いと戦ったことがない。その緊張は戦いの前のものというよりかは、初めてのことに対する期待交じりの緊張だった。


 玄関から門扉までの間の草木には霜が降りていた。すべてが氷に覆われた世界。その主として、ソフィアは両腕を組んで待ち構える。

 イーリンが5メートルほどの位置まで来たところで、ソフィアが先制とばかりに尖った声を投げつけた。


「あんたが【死操】ね!」

「そういうアナタはぁ、【命名】の弟子のぉ、ソフィアでしたねぇ」

「やっぱりあたしのことも知っているのね」

「えぇ、アナタたちもぉ、ワタシのことは調べていたのでしょぉ?」

「ふんっ」


 イーリンのことを鼻であしらったソフィアは、そのまま魔力を練る上げる。

 『氷槍』。何かを造形することが得意なソフィアがもっとも愛用する、攻撃用の魔法。装飾のないシンプルな造形ながらも岩をも貫く威力を持った1本の槍を、ソフィアは生成からほとんどラグもなしにイーリンに飛ばした。


 空を貫き、イーリンの頭を目掛けて飛翔した氷の槍は、寸前で業火に包まれ無に帰った。


「イヒヒ、いきなりですねぇ」

「挨拶替わりよ。あんたがその程度じゃ倒せないことはわかってたわ」

「へぇ。ワタシのことを調べていたのならぁ、魔法のこともご存じなのでしょう? そとの件もありますしぃ」

「洗脳・精神操作。そういった類のものなのはわかっているわ」

「ならぁ、今のに驚かないのはなぜですぅ?」


 互いに情報を引き出そうと、臨戦態勢にも関わらず言葉は減らない。

 イーリンは、いまのやり取りで外で起きている拠点の異変と魔法の解除に、目の目の少女が関わっているのだと確信を得た。

 対してソフィアも、グリセルダの調査で可能性として言及されていたものに、確信を得た。


「あんた、精霊を魔法で洗脳してるわね?」

「っ! ……イヒヒ、驚きましたぁ。そこまで調べられていたとはぁ」

「ふん、麻痺したみたいな顔面が崩れてるわよ? 動揺してるのかしら?」

「えぇ、まあぁ。してないと言えば噓になりますがぁ、だからどうというわけではありませんからぁ」

「気に入らないわね。今のは火の精霊でしょ。小手調べとはいえ、あたしの魔法を消し飛ばした。中級精霊といったところかしら」

「イヒヒ、ご明察ですぅ」


 ソフィアの指摘にイーリンは嗤笑を浮かべ、手のひらに淡く赤い光を呼び出した。


「それが精霊……」

「精霊を見るのは初めてですかぁ? どうです、かわいいでしょぉ?」

「それがかわいく見えるなんて、あんた目がおかしいんじゃないの」

「イヒヒ、言いますねぇ」


 精霊とは、万物万象が具現化した存在であり、魔力に意識が与えられた存在と考えられている。各精霊の持つ魔力量によって格が決まる。下級、中級、上級、最上級の4つに分けられ、最上級のなかには神霊と称され、祀られている存在もいる。教会が崇める光の最上級精霊ルクスは、もっとも有名な精霊といって過言はないだろう。


 そして今ソフィアの目の前にいるのは、指摘した通り火の中級精霊だった。下級ほどの魔力量ではなく、しかし姿がはっきりとしない光の玉状態。上級以上はなにかしらの姿をとるだけはなく人の言葉を介すので、ソフィアは分析は間違っていなかった。


「イヒヒ、【灰燼】がいなくて大丈夫ですかぁ? 精霊が相手では、アナタには荷が重いのではぁ」

「っ! 舐めないで!」


 イーリンの挑発に乗る形で、ソフィアが次々に魔法を放つ。槍の雨だ。

 対するイーリンは精霊に命じ、そのことごとくを溶かし蒸発させる。

 水蒸気が煙のように立ち込め、次第に視界が悪くなっていく。

 ソフィアはそれを使って、イーリンの真後ろに『氷槍』を生成し、視覚の外から一撃を放った。

 しかし、イーリンの操る精霊はそれに反応し、何事もないように消し去る。


 ソフィアは舌打ち交じりに別の魔法を展開する。立ち込める水蒸気を再利用した、条件発生型の魔法『氷瀑』。精霊が消し去る間もなく、イーリンの体を氷の膜が覆った。

 しかし、ジューっという音を立て、イーリンを覆っていた氷は溶かされてしまう。


「残念——」

「どうかしらね!」


 ソフィアにとってはそこまでは想定内。嘲笑うように、同時進行で仕込んでいた魔法を発動させる。


「『氷山』!」


 地中に水分をかき集め、地面から突き上げるように氷の山が生成された。天を、氷の天井を貫く勢いで。

 精霊もそれを溶かそうと火を放つが、これまでのものとは質量が違いすぎた。逆の儒教ではあるが、焼け石に水だった。

 イーリンの体は空を舞うように突き上げられた。

 溶かす溶かさないではない。一瞬の衝撃で、人は死ぬのだから。


 ソフィアが完璧に決まった、そう思ってた時、ゴミのように浮いていたイーリンの体が、幻のように掻き消えた。

 ソフィアはその現象に一瞬だけ怯み、しかしすぐに警戒し、火の精霊を攻撃を防いだ。火を防ぎ、攻撃し、その繰り返しのなかでソフィアはイーリンの姿を探す。

 これだけ魔力が乱れていると、感知することもままならない。それは望んだ状況ではあったが、同時にソフィアの苦境に立たせた。


「イヒヒヒヒ、やりますねぇ」


 火の嵐が止むと、イーリンがなにもなかった場所に、目蓋を閉じた一瞬で現れた。

 ソフィアはそれに一瞬で攻撃を仕掛けたが、『氷槍』は手応えなく透けていった。


「無駄ですよぉ、ソフィアさぁん。そこにワタシはいませんからぁ」


 声がやまびこのように反響し、位置を悟らせない。ソフィアはこの状況に、いささか嫌な考えが浮かんだ。


「あんた、火の中級精霊以外にも洗脳してるのね」

「イヒヒ、せぇかぁい。幻は光の精霊、声は風の精霊」

「ほかにもいるんでしょ」

「さぁ? どうですかねぇ?」


 イーリンがとぼけるように言うと、ソフィアの周囲に2、3体の精霊が一気に現れた。火、水、風、土、それぞれの攻撃が一斉に放たれる。

 ソフィアは無詠唱の『氷壁』で一時的にしのぎ、その間に詠唱をした『氷壁』で一枚目を破った攻撃に耐えきる。


「おぉ、やるねぇ。じゃあぁ、いつまで耐えられるかなぁ?」

「っ!」 


 攻勢が一転し、ソフィアに守勢の時間が回ってきた。

 中級精霊程度の瞬間火力であれば、ソフィアは耐えられるし、上回れる。しかし、魔法使いと精霊では根本的に魔力回復速度が違う。精霊は存在そのものが魔力であり、消費する以上に回復速度が早いので実質的に魔力切れがない。ただ一度に保有できる量に限界があるので、それ以上の高威力は出せない。

 それでも、このままいけばいずれはソフィアの魔力が切れる。隙を突いてこの状況を脱しなければ、ソフィアの体は精霊の放つ攻撃で焼かれ、裂かれ、貫かれるだろう。 


「イヒヒ、さぁさぁ、どうしますかぁソフィアさぁん」


 イーリンが勝ちを確信したように高笑う。

 ソフィアの額に汗が垂れる。しかし、それでもソフィアの顔は曇っていなかった。むしろ希望に溢れいた。地面が抉れ、氷壁も削れていくなかで、ソフィアも勝ちを確信しているかのように笑っていた。

 それに気がつかず、イーリンは控えさせていた精霊をさらに攻撃に加え、終わらせにかかる。


「アナタもなかなかの強敵でしたぁ。でもぉ、ワタシのほうが強かったぁ、それだけですぅ。ひさしぶりに魔法使いと戦えてぇ、楽しかったですぅ。さよならぁ、ソフィアさぁん」


 計6体の精霊の一斉攻撃が放たれる。その瞬間、ソフィアが作った氷の結界の中に砂嵐が、いや灰嵐が発生した。

 ソフィアが笑う。

 灰は精霊たちを呑み込んでいき、そしてそのすべてを灰燼に帰した。そして、光の精霊によって隠されていたイーリンの姿も暴き出された。


「これはぁ、まさかぁ⁉」

「はい、そのまさかです」


 目を見開いたイーリンに答えた声は、灰の嵐のなかからのものだった。

 そして嵐が治まり、視界が良好となって、イーリンは動揺で後ずさった。そして信じられないという表情で、ソフィアの横に現れた者の名を叫ぶ。


「【灰燼】! なぜあなたがここにぃ⁉」


 シンデレラが不敵な笑みで宣告する。


「終わりの鐘を鳴らしに来ました」





 

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