第4話 魔法
翌日、シンデレラが起きたのは太陽が昇りきる直前の頃だった。
数分にして増築されたシンデレラの部屋のなか、ふかふかのベッドで目を覚ましたシンデレラはかすむ目をこすって、それから鼻に届くいい匂いで意識が覚醒し、慌てて服を着替えてリビングに飛び出た。
リビングではグリセルダが本を読みながらくつろいでいたが、シンデレラの立てた扉を開く音に驚いて、びくっと肩を跳ねさせた。
「おはようございます。申し訳ありません。わたし、こんな時間まで寝てしまって」
「いやいやいいって。これまでのいろいろな疲れがあったのだろう? それに、それだけ安心してくつろげたということでしょ。よかったよ」
「それは、はい。こんなに寝られたのは久しぶりです」
シンデレラは恥ずかしそうに手櫛で寝ぐせを直す。
お日様の匂いがするふかふかのベッドも、気を張りつめる必要がない確保されたプライベート空間も、美味しい料理も、贅沢なお風呂も。全部シンデレラにとっては3年以上ぶりで、安寧にゆだねた体はそれまでの疲れを癒すために、シンデレラを夢も見ない深い眠りの底に落ちていった。
ちなみに昨夜のシンデレラが眠りに落ちるまでは約1分。もはや気絶といってもいいレベルの入眠であった。
「あはは。うん、これなら今日から魔法の修行ができそうだ。あまり眠れないで疲れが取れないようだったら、修行開始を明日以降にしていたから」
パタン、と本を閉じてグリセルダは腰を上げた。
グリセルダもグリセルダで心配していたのだ。深く傷ついた心というのは、体の調子によらず眠りを妨げるものだと知っていた。
3年前、孤児となったばかりのソフィアも眠れない夜を過ごしたからだ。子育ての経験などなかったグリセルダにできたのは、安心できる空間を保つことくらいで、ソフィアがちゃんと眠れるようになったのはそれなりに時間を要した。
そのため今回はどうなることか、と柄にもなく一番に目覚め、今の今までソファで本を読んでいたのだ。
いつも通りに起きてきたソフィアが驚き、グリセルダの体調不良を疑うという一幕もあったが、シンデレラは当然深い眠りのなかにいたので知る由もなかった。
「さあ、まずは朝食にしよう。修行はそれからだ」
***
「さて、シンディは魔法がどういうものなのか、どれくらい知ってる?」
朝食後、グリセルダはシンデレラを外に連れ出し、庭に置かれた椅子に座って魔法について話し始めた。
ちなみにシンディというのはシンデレラの愛称だ。シンデレラというのが長く面倒になったグリセルダが、朝食時からかってに呼び始め、シンデレラも受け入れた。
対面に座ったシンデレラは行儀よく背筋を伸ばして座り、思案顔で問いに答える。
「えっと、なんかすごい力ってことしかわからないです。見たことがあるのは、お師匠さまの魔法だけで」
「……そっか。うん、これは1から説明する必要があるね」
「お願いします」
「ああ、いや凹むことはないさ。魔法使いと関わらない普通の人間が知らないのはあたりまえだからね」
グリセルダは「まず」と説明を始める。
「魔法は魔力と呼ぶモノを利用して行使するものだ」
「魔力、ですか?」
「ああ。人は空気を吸って、吐いて。生きているのだろう? 目には見えないけどそこにはある。同じように魔力も目には見えないけどそこら中にあって、わたしたち魔法使いはこれを体のなかに取り込むことができる。同時に、魔力はわたしたち魔法使いが体のなかで生成しているものでもある」
グリセルダはテーブルの上に置いた紙に、羽ペンで図を描いてわかりやすくする。
「外の魔力と、内の魔力。この2つには明確な違いがある。それは外の魔力はそのままでは魔法に使えないんだ」
「じゃあ、なぜ取り込むのですか?」
「器の水が流れたら、そこに水を足すだろう? 同じさ。魔力も消費した分だけ取り込む必要がある。正確には、体内で生成できる分を上回った分をね。まあただ、そこは大して重要じゃない」
羽ペンを置いて言う。
「重要なのは外の魔力はそのままでは使えないけど、過程を踏むことで使えるようになるということ」
「それの何が重要なのですか?」
「魔法の性質に関わるからさ」
小鳥のさえずりが会話のリズムを整える。
「外の魔力は魔法使いの魔力を溜める器に入ると、その魔法使いの持つ特有の色、のようなものに染まるんだ。魔力を自分のモノにすると言ってもいい」
「特有の色?」
「大前提として、使える魔法というのは魔法使いによって異なるんだ。似たような魔法はあるかもしれないけど、まったく同じ魔法はない」
「じゃあ、わたしがお師匠さまと同じ魔法を使うことはできないんですか」
「できない。アタシにはアタシの魔法があって、シンディにはシンディの魔法があるからね。アタシもシンディの魔法を使うことはできないのさ」
シンデレラは少し肩を落とす。
「残念です。お師匠さまの魔法、凄く便利でそうだったので」
「まあ、たしかにアタシの魔法は、魔法使いのなかでも便利な方に入ると思うし」
「それでは、お師匠さまの魔法はなんなのですか? 【命名】と名乗っていらっしゃいましたが関係あるのでしょうか」
シンデレラは一昨日からいくつも見たグリセルダの魔法を思い出す。
かぼちゃの馬車。変装。ローブの服。森の防衛陣。部屋増築にお風呂作り。多岐に渡る魔法は、1つの魔法しか使えない1人の魔法使いが使ったものだ。とすれば、そこにはなにかしらの一貫性があってもおかしくないのだが、シンデレラにはそれが皆目見当もつかなかった。
「アタシの魔法は『名付け』の魔法だよ」
「名付け? どういうことですか?」
「そのままさ。わかりやすくすると——」
グリセルダはそう言って、右手を羽ペンにかざすと、シンデレラの視線を羽ペンに向けさせた。
「——羽ペンよ、踊れ」
1つ、グリセルダが荒唐無稽な言葉を呟くと、羽ペンは命を宿したかのように1人でに立ち上がり、森を駆け抜ける風の音楽に合わせて、楽しそうに揺れたり跳ねたりし始めた。踊っている。
目を丸くして羽ペンに前のめりとなるシンデレラに、グリセルダが説明する。
「アタシが今したのは、羽ペンに踊り子という役割を与えること。『名付け』というより役割を与える魔法なんだけど長いからね。名付けもあながちまちがっていないから、アタシはアタシの魔法をそう呼んでるの」
「かぼちゃを馬車に、ローブを女性服に、森に守衛。他はわかりませんが、なるほど。すごい魔法ですね」
シンデレラは想像が及ばなかったが、グリセルダが姿を変えたのは自身の周囲の空気に幻影の役割を与えていたからだ。また、エラの時代、王城の舞踏会に行くときの服などは、それぞれドレスや装飾品の役割を与え姿を変えさせたものだった。
「できることの幅は魔法使いの中でも随一だという自負があるわ。これでも大陸で五本の指に入るって言われてる魔法使いなんだから」
「すごいです……。わたしは、どんなの魔法はどんな魔法なのでしょうか?」
「それは自分で見つけることね。っと、その前にもう少しだけ説明を続けるわよ」
「はい」
「どこまで話したっけ。そうだ、魔力と器のことね。——で、器で自分色に染めた魔力は、魔法を使おうとすると魔力の『道』みたいな物を通って外に出るの。魔力の血管ね。外にでた魔力は魔法使いの意に沿って魔法という形になるわ」
グリセルダは羽ペンに踊りを辞めさせて、再び図を描いていく。
「魔力を絵の具だとすると魔法使いは絵描きで、魔法は完成した絵ね。それぞれの色で、それぞれの絵を描く。自分の想像で世界を塗り替えるのが魔法よ」
「想像で塗り替える」
シンデレラは思う。それは、自身の過去さえも塗り替えることができるのかと。いや、塗り替えるために魔法使いになるのだと。
グリセルダがシンデレラを見つめて、不思議そうに言う。
「だから変なのよね。『道』に魔力の痕跡があるのは。魔法を使わないと『道』に魔力が流れるはずがないのに。ねえシンディ、やっぱり魔法は使ったことないのよね?」
「はい。ないです」
「そう。わかったわ。なら魔力もまだ感じられないのよね?」
「はい、多分ですが」
「わかったわ」
グリセルダはシンデレラの答えに納得し、椅子から立ち上がって家から家屋から離れた位置まで移動した。当然シンデレラもそれに付いていく。
「基本的な説明を終えたところで実践に足を踏み入れていくんだけど、なにかおかしいとは思わなかった?」
「おかしいところですか? 特には」
「魔法使いによって使える魔法は違うのに、魔法について何を教えるんだ? って思わない?」
「言われてみれば、たしかにそうですね」
「そーなのよ。師弟関係っていっても、教えられることはほとんどない。で、数少ない教えられることのうちの1つが、魔力操作」
シンデレラに正対したグリセルダは両手を突き出した。
「シンディ、アタシの手のひらに手を重ねて。こう、パーで」
指示通り素直に重ねたシンデレラの手を、グリセルダは手を組むようにして握った。
「今からやるのは基本とも呼べない、魔法使いになるための第一歩。シンディが魔法を感じられるように、アタシの魔力を流し込む。シンディが感じられたら教えて」
「感じられたらと言われましても、どういうものかわからないのですが」
「大丈夫。わかるようになるから。空気の流れは見えなくても肌で感じられるでしょ? 魔力も見えなくても感じられるようになるわ」
グリセルダはそう言いつつ、手の感触を確かめるようににぎにぎとした。
「それじゃあ、始めるわよ」
「はい!」
シンデレラは瞼を閉じ体を硬くして、未知の感覚に身を備える。
グリセルダは息を整えると、自身の中の魔力を右手を通してシンデレラの中に流し込み、送った魔力を引っ張るようにして左手から抜き出す。継続して魔力の流れを保ち、シンデレラが魔力を感じられるようになるのを待つ。円環させている魔力は、次第に熱を帯びていく。
目を閉じ、当然ではあるがシンデレラには何も見えない。代わりに他の感覚が鋭くなり、シンデレラはグリセルダの息遣いや手のひらの温度、湿った土の匂いなど、五感で世界を感じていた。
三分ほど経ったときだった、自分のなかに得体のしれない感覚があることに気が付いたのは。どんなに些細なことでも、それが続けば気になるもので、小さかった違和感も大きくなっていき、そしてついに違和感ではなくなった。
シンデレラははっきりと魔力を感じ取った。左手から流れ込む魔力が自身の中にある魔力の塊、器を通って右手に流れ、グリセルダの中へと出ていくのを。魔力の流れは円環を作り、シンデレラの体を熱くしていく。物理的な効果はないはずで、当然摩擦熱など生まれるはずもない。それでも熱くさせるのは、魔力というものに心を躍らせていたからだった。
「わかりました。左手から入って来て、右手から出て行ってます」
「お、早かったね。それじゃあ第二段階。次は魔力を自分で動かしいくよ。今の魔力の円環を自分で作ってみるの」
「動かす、動かす……」
「自分のなかの魔力を動かすの。最初は今の流れに乗せるイメージで」
シンデレラは瞼を閉じたまま、自分のなかにある魔力を切り出して、川の流れに葉っぱを乗せるように、魔力を魔力の流れに乗せる。するとそれがグリセルダのほうへと流れて行き遠ざかるのを感じると、シンデレラの魔力はすぐに自分のなかに戻ってきた。
シンデレラは瞼を持ち上げてグリセルダの目を見て訴える。グリセルダのは「上出来」と笑うと、次の指示をした。
「動くのがわかったら、自分で押し出して、アタシの中に入っていった魔力を自分の方に引き戻す」
「はい!」
シンデレラははつらつと返事をした。
***
成功体験、というものは合法的な麻薬のようなものだ。しかもそれが始めたばっかのことであればより強力な物となる。
シンデレラはのめり込むように魔力操作をしていった。グリセルダも調子を確認しながらであったが、一向に疲れる気配のないシンデレラを見て、最後の方は好きにさせることにした。
そして、昼前に始めた修行は夕方まで続き——
「魔力操作、全部成功させたの? 一日どころか半日で? 噓でしょ……」
同じく修行のため魔物狩りに出かけていたソフィアは、グリセルダから聞かされた言葉に衝撃を受けていた。
「あ、あたしなんて1ヶ月はかかたのに⁉ それを半日⁉ ……あり得ないわ」
「あ、あのお師匠さま?」
じっとしたまま唇を震わせ、狩ってきた魔物の死体をぼとりと落とすソフィアと、そんなソフィアの様子に困惑したシンデレラ。
忙しい娘たちだな、と笑っているグリセルダも、ソフィアの反応には同調したかった。
「シンディは天才だったよ。才能はあるかもって思ってたけど、まさか基礎どころか応用の魔力操作まで半日でやってのけるとは思ってなかった。あと、それだけの時間魔力を扱えることにもね。とんでもない魔力量だ」
「で、でもお師匠さまは王都からここに来るまで常に魔法を使っていらっしゃいましたよ?」
「純粋に魔力を扱うのと魔法を扱うのじゃ効率が違うのよ。前者の方が悪いし、それにアタシだって魔力量は多い方よ。でも、多分だけどシンディの方が多いわね。魔力操作のセンスは抜群で、魔力量も申し分ない。——間違いなく天才よ」
「っ! ありがとうございます!」
シンデレラはグリセルダの言葉に笑みを浮かべ、勢いよくお辞儀した。誰からも見えない伏せた顔は、ニマニマと喜びをこらえきれず緩んでいた。
「認めないわ……」
ソフィアがぼそりと呟いた。怒りを堪えているのか、ぶるぶると肩が震えている。
グリセルダが宥めるように言う。
「あのね。そうは言ってもシンディは天才だって——」
「そんなことじゃありませんッ!」
「……え?」
グリセルダの言葉を遮ったソフィアは涙目で訴える。
「なんであの子のこと愛称で呼んでるんですか⁉ あたしは呼ばれたことないのに⁉」
「え、そっち? いやシンデレラって長いから」
「あたしのことだってソフィーって愛称で呼んでください!」
「ソフィアは別に長くないじゃん……」
「呼んで欲しいんです! シンデレラだけずるいですよ!」
吠えるソフィアに、グリセルダが珍しく引き気味になる。
そんな美しい? 師弟愛を間近で見ていたシンデレラも、そこに加わる。
「そうよね。1人だけ仲間外れなんて悲しいわよね」
「シンデレラ……あんたわかってるじゃない」
「ええ、ソフィーちゃん」
「別にあんたに呼んでほしかったわけじゃないんだけど⁉」
「わたしもシンディでいいわよ」
「別に呼びたいわけじゃないんだけど!」
と、どっちが姉でどっちが妹かわからない姉妹喧嘩が始まり、グリセルダも疲れたとばかりに声をかける。
「わかったわかった。シンディ、それからソフィーね。これでいいでしょ」
「ありがとうございますお師匠さま!」
「よかったわねソフィーちゃん。お揃いよ」
「別にお揃いじゃないわよっ」
「はいはいそこまで。で、ソフィーは無事に狩れたのね」
グリセルダがソフィアの傍らに落ちていた魔物を指さす。
「兎、ですか?」
「似てるけど違うわ。魔物って言ったでしょ。これはランラビット。元は兎だったけど、魔物化してすばしっこくなった魔物よ」
「ランラビットですか……」
言われてみればたしかに、とシンデレラはランラビットの脚部を見る。
ランラビットの脚部は異常に発達しており、小さな体にはやや不釣り合いなほどだった。
「すばしっこくて苦手だったんだけど、ようやく1匹狩れたのよ。明日も狩りに行かなきゃ」
「すごいね! ……あ、ランラビットは魔法で狩ったんだよね?」
「当たり前じゃない。魔法使いだもの」
「じゃあ、ソフィーちゃんは何の魔法を使うの?」
「ああ、そういえば見せたことなかったわね」
ソフィアは物を手のひらに乗せるようにすると、そこに氷の花を作りだした。薔薇に似た造形の細かい氷像だ。
目を輝かせて魅入るシンデレラに、ソフィアが勝ち誇ったように宣う。
「あたしの魔法は『氷結』。氷を生みだして操る魔法よ」
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