第3話 魔法使いの弟子

 グラン山脈麓の森に着いたのは、そのグラン山脈に太陽が沈みかけた頃だった。

 森から少し離れた場所にあり、高い城壁に囲まれた辺境伯が治める都市カラン・ルランはすっかり宵闇に浸かっており、点々とランプの灯りが広がっていく。

 かぼちゃの馬車は夜の街を越え、灯りのない森の上を進む。


 グラン山脈麓の森には、カラン・ルランの住民が『魔女の森』と呼ぶ区画がある。

 カラン・ルランから山までは、木々を切り開いて真っ直ぐ伸びる主要道がある。これは山に魔物討伐に向かう軍のためであることはもちろん、貴重な鉱石の発掘ができる鉱山に向かうためでもある。グラン山脈とその麓の森は貴重な資源の宝庫なのだ。そのため主要道からは細道が枝分かれして伸びているのだが、それは主に主要道から南側に向けてだけだ。北側に派生する道は1つもなく、カラン・ルランの住民は誰一人として北側には立ち入らない。


 北側の森は【命名】の魔法使いグリセルダが住む森であり、資格なき者が立ち入れば生きて帰ることができないと噂されているからだ。

 そしてその噂は半分本当で、半分が嘘だった。


 噓の部分は、全ての理由がグリセルダに由来しないということ。単純に南側に比べ魔物が多く出現するから、普通の人間にとっては危ない森なのだ。グリセルダはその危ない部分を『自身の庭』と宣言することで、人間たちの侵入を抑止していた。このことは領主カラン辺境伯も承知していることだ。辺境伯も北側に入るのを固く禁じている。

 これによってグリセルダは静かな森を得てのんびりと過ごすことができ、辺境伯も魔物の脅威の軽減が叶うという、両者にとって益のある取り決めとなっていた。


 一方で、本当の部分はという部分だ。『魔女の森』と呼ばれる地帯には、木々や草花、動物や虫などにグリセルダが魔法をかけ、強力な防御陣を築いている。噂通り資格のない者——グリセルダの許可がない者や魔物が立ち入れば、木々は枝を鋭くして幾重の槍を突き、無限と言える葉の弓を放つ。草花は侵入者の足をからめとり、動物や虫は巡回兵のように襲い掛かる。まさに森に襲われる、だ。

 それが決して侵入してはならない『魔女の森』という認識を作ったのだ。

 もっとも、ただの人間であればはじめは警告程度で済む。それでもと蛮勇を見せる者が、グリセルダの家に近づいた分だけ致命傷となる攻撃を受けるようになるのだ。当然、魔物は初めから致命傷となる攻撃がされ、だいたい太い枝の槍に串刺しにされて終わる。


 そんな物騒な話を話すグリセルダに少し恐怖を覚えつつ、シンデレラは『魔女の森』の奥、湖の畔に建てられたグリセルダの家にやって来た。『魔女の森』をかぼちゃの馬車で飛び越えている間、魔物の断末魔が時々聞こえてきたが、シンデレラは努めて何事もないかのように振る舞った。


「ここがお師匠さまの家ですか。素敵な場所ですね」

「でしょ?」


 『魔女の森』の中にぽっかり空いた場所。湖があり、小さな畑がある。木組みの家には煙突があり、もくもくと煙が出ていた。


「んーっ、と。さすがに魔力を使い過ぎたわね。疲れた」

「大丈夫ですか?」

「ん? ああ、ごめなさいね心配させて。大丈夫よ。それよりも中に入りましょう」


 かぼちゃにかけていた魔法を解き、グリセルダが家の扉を開く。シンデレラもそれに続いて中に入った。


 木の温かさが感じられる内装。周囲の木々を利用して作られただろう木製家具。玄関を抜けた先にあるリビングルームは広々としており、貴族の屋敷に置かれていてもおかしくないソファが置かれていた。光源は光る木で、見たことも聞いたこともないそれにシンデレラは口をぽかんと開けていた。


 グリセルダはソファにボスっと腰を下ろすと、突っ立ったままのシンデレラに向けて言った。


「おかえりシンデレラ。今日からここがアンタの家だよ」

「……っ! ありがとう、ございます。よろしくお願いします、お師匠さま」


 こみ上げるものを堪えたシンデレラは、丁寧な所作で頭を下げた。

 するとその頭上越しに、やけにとげとげしい声がグリセルダに向けられた。


「お師匠さま! おかえりってどういうことですか! 弟子が増えるってなんですか⁉」


 リビングの奥、キッチンの方から現れたのはシンデレラの肩くらいの背丈の女の子だった。料理をしていたのだろう、短い金髪を首の後ろで束ね小さな尾を作り、エプロンをしていた。つり上がった目尻がきつい印象を与える。


「ただいま~ソフィア」

「あ、はい。おかえりなさいお師匠さま。……って、じゃなくて! 説明してくださいよ、そこの人のこと!」


 グリセルダにソフィアと呼ばれた少女は、顔を動かさず指だけをビシッとシンデレラに向けた。

 

「この娘はシンデレラ。アタシの新しい弟子。ソフィアの妹弟子だね」

「王都に行く用事って、まさかそこの人を弟子にしに……⁉」

「まあ、結果的にはそうなるか」

「そんな⁉」


 グリセルダの肯定に、ソフィアは雷が落ちたかのような衝撃を受けよろめいた。シンデレラは心配そうに手を伸ばすが、その手をソフィアは「触らないで!」と叩き落とす。

 手の甲を抑えたシンデレラに、ソフィアは野生の猫のように歯をむき出しにする。


「あたしはお師匠さまの一番弟子のソフィアよ。あたしは、あんたのこと認めないから!」


 一方的に言いつけたソフィアは、どたどたとキッチンの方に引きこもってしまった。シンデレラは唖然として、助けを求めるように笑っていたグリセルダに助けを求める。


「あの……」

「あははは。ごめんね。自分で行ってたけど、あの子はアタシの一番弟子のソフィア。ちょーっとアタシのことが好きすぎて、急に来たアンタに驚いただけだから」

「怒っていましたが……」

「こんなところに住んでるのと、あの子の元々の性格が相まって、会話が絶望的に下手なの。多分だけど、今頃キッチンで頭抱えてるわよ」

「はあ……」


 グリセルダはソファから腰を上げるとキッチンを覗く。そしてソフィアが案の定という状態だったからか、肩を跳ねさせて笑い声を上げた。

 一方でシンデレラには何も会話が聞こえないので置いてけぼりで、しばらくグリセルダの背中をぽつんと眺めていた。

 グリセルダが振り返って手招きする。


「ごはんの用意ができたみたい。みんなで食べるわよ」



   ***



 気まずい食卓にはならなかった。

 初手で、渋々といった様子だったがソフィアがシンデレラに叩いたことを謝ったからだ。

 ただ、ソフィアがシンデレラを認めないということは変わりなく、グリセルダもこれにはため息を吐くしかなかった。


 シンデレラはそんな敵意を向けられつつも、冷静だった。というか、敵意とすら認識していなかった。イフの3年間で義母たちから向けられ続けた物に比べれば、ソフィアの攻撃的な態度はかわいいもので、子猫がじゃれているくらいの印象だった。

 実際、ソフィアはシンデレラの2つ年下の13歳で、その年齢差の分の余裕もあったのだろう。あるいは子猫という印象を与える、ソフィアの同年齢の子どもと比較しても小柄な体躯が、シンデレラには微笑ましく見えたのか。


 そんなわけで、シンデレラとソフィアは決して良好とまではいかないが、悪いと言い切れるほど険悪でもない、不思議な関係を築くこととなった。

 グリセルダもはじめは間を取り持とうとしたが、なぜか成り立つ会話に首を傾げつつ、見守ることを選択した。


 食事が終わり、三人でお茶を飲んでいると、和やかな空気を切り裂くようにソフィアが訊ねる。


「それで、なんであんたはお師匠さまの弟子になったのよ」


 姉弟子として、あくまでも上からの物言いは崩さないソフィアに対して、シンデレラは端的に答えた。


「強くなりたかったからよ」


 こちらも崩れた言葉だった。ソフィアが年齢を考慮して普通にしゃべっていいと許可したのだ。変な風に律儀である。


「なにそれ? 英雄にでもなりたいわけ?」

「いえ、ただ……」


 シンデレラが表情を暗くする。それを見てグリセルダが口を挟む。


「こらこらソフィア。アンタだって聞かれたくないことがあるだろう」

「そう、ですけど。……いいえ、ごめんさなさい。たしかに無遠慮だったかもしれないわ」

「いいえ、ただどう言ったらいいかと迷ってただけで。話すのは構わないの」


 紅茶に薄く映る自分の顔を、ふーっと息を吹きかけてかき消す。


「難しいのだけど、強くなって、負けたくなかったの」

「なにによ」

「そうね。理不尽な世界に?」

「なぜに疑問形。それに相手が大きすぎない?」

「そうかしら」


 笑ってごまかすシンデレラだった、グリセルダにはわかっていた。出会った時の状態からも、シンデレラがどういった扱いを受けていたのかを。それにちょっとした人脈で、シンデレラの父親であるトレメイン伯爵が変わったことも知っていた。

 理不尽な世界。鳥かごのなかにいたシンデレラにとっては、伯爵家のなかが世界の全てだった。 

 負けたくないという言葉は、つまりは伯爵家の人々に対するものなのだ。


 グリセルダは少しだけ目尻を歪める。だけどシンデレラにとっては過ぎたもので、本人はけろっとした様子で話を広げた。


「そういうソフィアはなんでお師匠さまの弟子になったのかしら?」

「あたしは……なるしかなかったのよ」


 ソフィアは一瞬だけ躊躇ったが、シンデレラが話してくれたのに自分が話さないのは不公平だと考え、言葉を続けた。


「なるしか?」

「そうよ。あたし他所の国の出身なんだけど。魔物に住んでいた村が襲われて、1人だけ生き残ったのよ。そこに偶然通りかかったお師匠さまに拾われて、運よく魔力があったから弟子になったの」


 あっさりと語られる思い過去にシンデレラは目線を落とす。


「気にしなくていいわ。たしかにショックだったけど、あたしのいた国では普通のことだったもの。それに今の生活は気に入ってるしね」

「そう」

「ええ、お師匠さまに出会えたことは、あの不幸がもたらした最大の幸福ね」

「それを言うならわたしもね。地獄から連れ出してくれたのだから」


 口をそろえて言う2人に、グリセルダは恥ずかしそうにお茶を呷った。


「言っておくけどね。ソフィアは魔力がなくたって拾ったわよ。ただ、魔力を感じたからあの村に立ち寄れたのだけど」

「ですね。それに、お師匠さまはわたしを拾って助かったでしょ。生活力皆無だし」

「皆無って……。別に困らない程度には1人で暮らせるわよ……」

「嘘つかないでくださいっ」


 ソフィアが我慢ならない、といった風に立ち上がる。テーブルの上のティーセットがカチャカチャ、と軽く音を立てる。


「わたしがここに来たの悲惨な散らかり具合はなんです?」

「あれは……たまたまよ」

「たまたま。このあいだだってお師匠さまの部屋からお酒の瓶が転がってきたじゃないですか!」

「うぐっ……」


 分が悪いのか、グリセルダはソフィアから顔を背ける。ソフィアはそんなグリセルダに、テーブル越しに詰め寄った。


「ほかにもあります。湖で泳ぐって言って服は脱ぎっぱなしだし、出かけたと思ったら懐を素寒貧にして帰って来るし。それから——」

「あー! あー! 聞こえない!」

「あ、ちょっと! こどもみたいなことしないでください!」


 耳を塞いで騒ぐグリセルダ。耳を塞ぐ手をどかそうと手を伸ばすソフィア。

 どっちが師匠でどっちが弟子なのかわからない光景に、シンデレラはクスクスと笑いが込み上がった。


「ちょっと、笑い声じゃないから。これからはお師匠さまの世話にあんたも加わるんだから」

「任せて。掃除は得意なの」

「それは期待できるわね」

「勘弁してよ~」


 共通の敵? を得て仲を深めるシンデレラとソフィア。

 グリセルダはテーブルに顎を乗せて、情けない声を上げた。



   ***



 諸々を終え、シンデレラは風呂に浸かっていた。

 風呂は野外にあった。世界中を旅したのだというグリセルダが、東洋の島国で感銘を受け、以来気にいった露天風呂だ。

 3人で入っても余裕がある石造りの浴槽にたっぷりと湯が張られ、シンデレラは贅沢にもそれを独り占めしていた。

 もちろん、お湯も浴槽もグリセルダが魔法でこしらえたものだった。


 王都にいた時では考えられない贅沢さだ。


「貴族の籍から抜けたのに」


 夜逃げをするように抜け出して来たのだから正式な手続きを踏んだわけではなないが、シンデレラは自身が既にトレメイン伯爵家の籍から抜けたものだと考えていた。

 トレメインの名を捨て、エラの名も表向きは捨てている。新たにシンデレラとなり、義務に縛られない自由の身になったのだ。

 

 ぐぐぐっと、シンデレラは体を伸ばす。浮力が働き、いろいろな意味で解放され、お湯に溶けてしまいそうなほど手足が弛緩していた。疲れも湯気の上がるほど良い温度の湯水に流れ出ていた。

 まとめあげた髪が崩れないようにしつつ、浴槽の縁に頭を乗せて、仰向けになって夜空を見上げる。


 遮る物がなにもない、開けた空。闇に紛れ影のように浮かぶ雲も今夜は一つもなく、藍色の空に金銀の星々が爛々と輝いていた。その星々は手に届かないものだと知っているのに、シンデレラはスッと腕を持ち上げ、星に触れようと手を伸ばしてしまう。それほどまで近くに感じられる、天満つ星だった。

 

 目を閉じ、しばらくして目蓋を持ち上げたシンデレラは、天地がひっくり返ってかのような錯覚に陥った。のぼせたのではない。鼓動に合わせてゆるやかに揺れる水面に、星空が宿ったように映っていたのだ。

 全身を包む星に、シンデレラは思わず息を飲む。


「この景色が見れただけでも、あの家から出た甲斐があった」


 呟いた言葉は、頬を垂れた水滴と一緒に星を砕いた。

 大きく息を吸って胸を膨らませ、ゆっくりと吐いて体を起こす。

 胸元でぎゅっと手を握る。


「明日から頑張なきゃ。——強くなるために」


 知ってか知らずか、ほうき星が夜空を一瞬裂いた。

 果たして願いともいえぬシンデレラの呟きは届いたのか。

 

 今は誰も知らない。


 





 









 

 

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