第2話 西へ駆けろかぼちゃの馬車

 右を頭左を尻にした獅子、という形したリエーフ大陸。その南部東寄りの、獅子の前足の付け根あたりにアッシュベリー王国は位置する。南には穏やかな海岸を持ち、東西北は山に囲まれた、まさに自然の要塞。

 アッシュベリー王国は適度な軍事力を有しつつも、基本的に他国から攻め込まれることがない、大陸でも随一平和な国だ。


 【命名】の二つ名を冠する魔法使いグリセルダの弟子となることができたエラ——改めシンデレラは、グリセルダの魔法で作られたかぼちゃの馬車で、国の中央にある初代国王の名を冠した王都・ボトルネックから王国西部を目指していた。

 と言っても、一晩で着くほどの距離ではない。かぼちゃの馬車がそこまで早くないという理由もあるが、アッシュベリー王国の領土はそこそこ広い。なにせ山の囲まれた平野部分を丸々国土としているのだから。


 かぼちゃの馬車は疲れる馬のいないので三日三晩走ることができるが、中にいる人間はそうではない。通常の馬車のような振動はないしクッションも効いているが、問題は食料だった。急な出立であったので食料などなにも準備していなかったのだ。

 王都を発った翌朝、眩し過ぎるくらいの朝陽にさらされて目覚めたシンデレラは、ぐうう、とかわいらしい音を馬車の中に響かせた。耳まで真っ赤にして顔を伏せる。

 シンデレラが食事をとったの昨日の朝。内容もとても成長期の娘に足りる量ではなく、お腹の虫が鳴いてしまうのは無理がなかった。


「す、すいません」

「あははは。謝らなくていいから。そうだね、お腹空いたね」


 肩を揺らすグリセルダは窓から地上を見下ろす。


「お、あの町か。ちょうどいい。あそこで朝食を食べよう」


 ちょいちょい、と手招きされてシンデレラも地上を覗くと、小さな町が見つけた。

 

「ただ、その前に体を洗ってからだね」


 同じ窓を除き顔を並べていたグリセルダが、ちらっとシンデレラを見た。

 シンデレラは自身の体を見下ろし、あまりの汚さに飛びのいた。馬車がガタガタと揺れる。


「すいません! ここまでだと思ってなくて」


 シンデレラは声を尻すぼみさせた。イフの3年間、シンデレラは今以上に汚れていたし匂いも酷かった。それを考えれば今は服もさほど状態が悪くなく、むしろ着心地がいいとさえ言えた。

 当然それは比較の話であり、酷いこと恰好だということに代わりはない。田舎の村娘ですらもっとまともな格好をしているだろう。


「気にしなくていいさ。ただ、それで町に入るのは嫌でしょう? あっちに川が流れているからそこで水浴びでもしましょう。服はアタシがなんとかするわ」

「はい。お願いします」



   ***



 川での水浴びはシンデレラにとって初めての経験だったが、不快なものではなかった。むしろ井戸から水を汲まなくてもいいことを踏まえれば、川での水浴びの方が楽で快適だ。

 膝を水面がくすぐるくらいの浅い場所でシンデレラは座り、体の隅から隅まで綺麗に磨いた。シンデレラの座っていた場所から下流に向かって、灰や煤が絵の具のように溶けて流れて行き、それも十数メートルほどもすればわからなくなった。


 シンデレラが水浴びをしている間はグリセルダが魔法で周囲から見えなくし、服も自身が羽織っていたローブに魔法をかけて間に合わせで作った。ちゃんとした、魔法が解けても大丈夫な服は町で調達する予定だ。

 光を曲げる見えない空気の壁の外にいたグリセルダに、シンデレラはが声をかけた。


「グリセルダ様着替え終わりました。……ただ」

「ん?どうかした?」


 グリセルダは魔法を解き、シンデレラが姿を現した。


「これ。肌の露出が少しだけ多すぎませんか?」

「普通よ普通」

「ですが……」


 シンデレラが短いスカートを両手で必死に下に伸ばし、露わになった白い太ももをもじもじとさせてすり合わせる。すると前かがみになった拍子にシャツの緩い襟が膨らんでわずかな隙間をつくり、シンデレラの豊満な胸がちらりと影の中に浮かび上がる。


「ごくり……。遺伝、なのかしらね」

「遺伝……? っ! どこを見て言ってらっしゃるのですかグリセルダ様!」


 視線の行きつく先に気が付いたシンデレラは体をひねって胸を隠し、神妙な顔をしたグリセルダをじろりと睨む。しかしグリセルダはそれに怯むことなくニヤリと笑った。


「アタシは娘が立派に育ってくれて嬉しいよ」

「娘ではありませんが」

「弟子だろ? なら娘も同然さ」


 グリセルダが唇の端から力を抜き、そっとシンデレラの頭に手を伸ばした。


「灰と煤で汚れてわからなかったけど綺麗な銀髪だね」

「ありがとうございます。亡くなった母と同じなので、そう言っていただけて嬉しいです」


 シンデレラもグリセルダの手を素直に受け入れ、アルバムを見るように目を細めた。

  

 小鳥がさえずりと、町の方から朝の音が聞こえてくる。

 グリセルダはシンデレラの頭から手を離した。


「さてと、アタシも変装しなきゃね」


 グリセルダが自身に魔法をかけ、老婆へと変貌する。それがグリセルダだとは、はじめから正体を知らなければ、過程を見ていたシンデレラも見抜けないほどだ。おまけに声をそれっぽくしており、喋り方も変えているので初見では見抜くことはできないだろう。


 ただ、シンデレラには疑問があった。


「わたしに会いに来た時もそうでしたが、どうして姿を変えられるのですか?」

「アタシゃ、これでも有名な魔法使いだからね。本当の姿を知られていないというのは、いざという時に役に立つからさ」

「そうなのですか」

「そうさ。さて、町の住民も起き始めたころだね。朝食と、ついでに昼飯の分も貰いに行こうじゃないか」


 グリセルダの言葉にシンデレラは首を傾げる。買いに、ではなく貰いに? と。



   ***



 町——ロサルの住民はグリセルダの姿を見るなり盛大に出迎えた。初めにグリセルダを見つけた人が大きな声で名前を呼び、それが小さな町の静かな朝にはよく響き、まだ家の中にいた住民たちがグリセルダの下に殺到したのだ。


 住民たちに囲まれたなかで、シンデレラはグリセルダに耳打ちする。


「グリセルダ様、これはいったい?」

「ああ、これね。この町は以前訪れたことがあってねぇ。その時に少しばかり貸しがあるのさ」

「貸し、ですか」

「魔法でちょちょいとね」


 グリセルダはそう軽く言うが、それとは裏腹に住民たちは随分とグリセルダを慕っている。グリセルダの言う貸しが、けっして小さなものではないとシンデレラも理解する。


 グリセルダが住民たちとしばらく話していると、突然人垣が割れてそこを老人が歩いてきた。老人と言っても背中は丸まっておらず、むしろまくった袖の下にある上腕の太さが健康さを語っていた。


「これは魔法使いさま。お久しぶりでございます。こんな朝からどうされたのですか?」

「やあ町長。朝飯と、それからこの後の旅路で食べる昼食をいただきたくてねぇ。寄らせてもらったよ」

「なるほど、それでは朝食は食堂をご利用ください。代金はもちろんわしが払いますのでお気になさらず。その間に昼飯をうちの妻に用意させましょう。他になにか入用の物はございますか?」

「この子が着る服を一着頼むよ」

「それだけでいいので?」

「ああ。さほど長い旅にはならないからね」

「わかりました。それでは少々お待ちください。それからそちらのお嬢さん」


 町長が言葉を詰まらせている理由を察し、シンデレラは会釈した。


「シンデレラです」

「シンデレラさんは、町の女衆にお任せするので」

「おきづかいありがとうございます」

「いえいえ。それではわしは嫁に伝えに戻りますので。魔法使いさま、失礼いたします」


 町長が去ると、人垣に出来ていた隙間からシンデレラの下に、女衆が目を輝かせて詰め寄った。


「さあさあシンデレラさん。服を選びに行きましょ!」

「こんなにかわいらしい子に似合う服があったかしら」

「何言ってるんだい。これだけ別嬪さんなな何を着せても似合うよ!」


 怒涛の勢いでまくしたてる町の女衆を相手にし、シンデレラは背中を逸らせた。


「あのグリ——お師匠さま。助け」

「行ってきな」

「さあ。魔法使いさまの許可も出たし行くわよシンデレラさん!」

「ま、待ってください。引っ張らないで。きゃあっ!」


 抵抗虚しく、シンデレラは女衆に連れ去れてしまった。



   ***



 一着どころか三着も譲られことになったシンデレラは、えんじ色の生地に模様があしらわれたワンピースに白いシャツを合わせた村娘スタイルを着ていた。シンプルだが、シンデレラの均整の取れたスタイルにはよく似合っている。女衆も太鼓判を押している。


 服選びも終わり、今は食堂で朝食を食べていた。ただ、一足先に食べ終えたグリセルダはどこかに消え、シンデレラは町の子どもたちに囲まれていた。


「ねえねえシンデレラさん! シンデレラさんは魔法使いさまのお弟子さんなの?」

「はい。なったのは昨日ですが」

「じゃあまだ魔法は仕えないの?」

「残念ながら。早く使えるようになりたいです」

「そうなんだ、残念。使えるようになったら見せてよ!」

「はい。機会があれば」


 男の子が目を輝かせて魔法ついて聞けば、


「どうしたらシンデレラさんみたいに綺麗になれるの?」

「わたしなんてそんな。あなたの方がかわいいですよ」

「ううん。シンデレラさんすごく綺麗だもの。お姫様みたい!」

「お姫様、ですか」

「うん! ねえねえどうやって?」

「そうですね……」


 女の子はシンデレラの容姿に見惚れてそう訊ねた。

 シンデレラはそれらに拙く答えながらごはんを食べた。


(こんな食卓、お母様が亡くなる前以来だわ。なんだかあたたかい)


 食べきれないくらい出された食事は当然シンデレラの腹を満たしたが、それよりも心を包み込んでくれた子どもたちとの触れ合いが、シンデレラに満腹感以上の幸福感を与える。

 テーブルマナーは乱れ、口に運ぶ手は止まってばかりでゆっくりとした食事だったが、シンデレラにはそれが妙に心地よかった。自然と笑みも零れる。


 そんな様子を陰でこっそりと見ていたグリセルダも、危うく魔法が解けてしまうほど安堵した。



   ***



「またねー!」「ばいばいおねーさーん!」

「ありがとうございました!」


 昼食を受け取ったシンデレラたちは、再びかぼちゃの馬車で西を目指すべくロサルを発った。短い時間だったがシンデレラは子どもたちには懐かれ、大人たちにも礼儀正しさを気に入られ、すっかり打ち解けていた。

 送り出すのに町の外に町民が集まったのは、グリセルダの功績だけではなかっただろう。


 シンデレラは窓から身を乗り出し手を振っていたが、見えなくなると体を引っ込めた。緊張も解け、背もたれに背中を預けて息を吐く。


「いい方たちでしたね」

「そうでしょ? お気に入り場所の1つさ」

「子どもたちに、魔法を練習して披露するって約束してしまいました」

「そうなの。それじゃあ、頑張らなくちゃいけないね」

「はい。……あの、お師匠さま。お師匠さまのご自宅にはいつ頃着くのでしょうか?」

「そうね、このままいけば夕方には着くわ」

「夕方、このペースでですよね。どこまで行くのですか?」


 通常の地上の馬車より単純に速いことはもちろん、道を気にせず一直線に進めること、疲れる馬がいないこと、そういったことを加味してかぼちゃの馬車はとてつもない速さで国を横断している。それにも関わらず着くのが夕方というのは、さほど王都から出たことがないシンデレラでも、かなり西に行くことがわかった。


「あそこまでよ」

「あそこって、グラン山脈ですか⁉」

「そ、あそこの麓の森の中に家があるの」

「大丈夫なんですか? その、魔物がたくさんいるって話なのでは?」


 アッシュベリー王国三方を囲う山のなかでもっとも険しく危険と呼ばれているのがグラン山脈だ。遠くから見れば緩やかな稜線を描く綺麗な光景ではあるのだが、実際には数多の魔物がうろつく魔山と呼ばれる類の危険な山である。

 三方の山脈の麓には防衛を務める辺境伯軍が控えているが、北と東がそれぞれ他国の、つまりは人に対する装備をそろえた対人の軍だとして、西は唯一魔物の備えた軍が構えている。なにせ、他と比べて他国がグラン山脈を越えて侵略してくることはありえず、して来ても魔物を相手にする装備で事が足りるのだ。


 王国の子どもは皆西のグラン山脈の怖ろしさを聞いて育つので、シンデレラの心配はもっともなものだった。


「大丈夫大丈夫。麓の森にいる魔物なんて弱いし、刺激しなければ寄って来なから」

「そうなのですか」

「そうよ。それに、すべての魔物が危険というわけではないもの」


 グリセルダはそう言うがシンデレラは不安を拭うことができず、途端に胃のあたりがキリキリと痛み始めた。久しぶりに油の乗った食事をしたせいかもしれなかったが。しかし、そんなことなど関係なく、シンデレラの気は重くなるばかりだった。

 


  






 


 

 

 


 

 

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