第6話 6年ぶりの舞踏会
貴族にとって、王族が主催する催し事は普段交流を持つことができない貴族と交流することでできる場である。
茶会であれば貴婦人たちが机の下で熾烈な争いを繰り広げ、祝宴であれば当主の威厳と派閥の勢力図をかけた交渉・駆け引きが行われる。
現国王はそうした貴族同士の競争を好み、されど血を嫌い、権威と地位を求めさせるのみに留まらせる、見事な治世を敷いていた。
そうした事情を鑑みて、王位継承権第三位である第三王子ジェイクの生誕を祝う舞踏会は、貴族たちにとって大した意味を持っていなかった。もちろん王族が主催が故に積極的な欠席をすることはなかったが、当主が積極的に参加するかと言われればそうでもない。
そのため参加をしているほとんどが、跡継ぎとしての経験を積むため名代として送りだされた男子たちと、未だ婚約者が定められていない王子の隣を狙った狼のような淑女たちだった。ちらほらと第一・第二王子どちらかの派閥に入りびれた家門の当主も見られるが、数少ない彼らもほとんどが弱小なので、力の強い家門の子息子女たちに腰が引けていた。
第三王子が成人となる前から毎年開かれている第三王子のための舞踏会は、そんな状況を揶揄して『見合い舞踏会』などと呼ばれていた。主に含まれるのは嘲笑であった。
しかし、今年は様子が違った。とある参加者の噂が流れ、子息子女と彼らの家門の当主たちがこぞって参加を表明したのだ。
そのため小ホールでの開催が常だった舞踏会も、今年は大ホールで開催され、他の催しと比較しても遜色ないどころか上回るほどの人が集まっていた。
王位争いにおける王太子派閥筆頭の外務卿・エリスト侯爵に、第二王子派閥筆頭の軍務卿・デュラン侯爵、中立を謳う公爵まで、王国の重鎮たちがいた。
子女が口に手を当て、値踏みするように噂話をする。
「あの人が今日来るって言う魔法使いの方? すごく若そうよ」
「そうね。【命名】の魔法使い様は年老いているはずだから、あの子はその弟子じゃない?」
「じゃあ期待外れってことじゃない。嫌だわ、こんな堅苦しく空気にしておいて」
「馬鹿。【命名】の弟子と言えば、【灰燼】の名前で有名なのよ?」
「そうなの? そんな風には見えないけど」
「間違いないわ。お父様が聞いた特徴と一致するもの」
曰く、【灰燼】の魔法使いはまだ18の少女であると。美しい白銀の髪は月の光のごとき輝きを持ち、端正な顔立ちは妖艶さを感じさせつつも少女の未熟さを兼ね備え、見る者すべてを魅了する美しさである。
なによりも注目するべきは、まだ年若くも偉業を成し遂げた大陸屈指の魔法使いであることだ。その実力は既に師匠である【命名】を越しているとさえ言われている。
王国中の貴族が集まった場で、貴族でない少女が一身に注目を浴びる。
子女たちは期待はずれと言っていたが、表向きは老婆である【命名】と比べれば、まだ年若い【灰燼】の方が御しやすいのではないかと、重鎮たちは各々に予想外なれど期待以上だと考えていた。
そして、第三王子から恋と愛と打算と計略が渦巻く舞踏会の主役の座を奪いかけている大注目の参加者、【灰燼】の魔法使い——シンデレラは、なぶられるような視線を感じながら、心の中でグリセルダに愚痴を吐いていた。
(そんなに人が集まることはないって言っていたのに。お師匠さまの嘘つきっ)
誰も寄せ付けないように威圧感を放ちながら、シンデレラは手に持ったグラスを煽る。お酒も嗜むようになり、大陸各地でいろいろなお酒を飲んでいたシンデレラは、上等そうだけどどこのものかしら、なんて気を紛らわす。
とはいえ、この件に関してはグリセルダは半分は無関係だった。
元々は国王に伝えたいことがあると、『魔女の森』があるカラン辺境伯領の領主にグリセルダが願い出たことが発端だった。カラン辺境伯も慣れたもので、内容の重大さを鑑みて王都に早馬を送り、登城の許可を貰った。グリセルダも王城への用事は初めてではなく、カラン辺境伯もすんなりと要求は通るだろうと思っていた。
そしてたしかに要求は通ったのだが、返信の書にはこう付け足されていた。
『ちょうど舞踏会を開く時期故、魔法使い殿には是非参加してほしい』
その一文を見たグリセルダは、次の瞬間にはシンデレラにこう言っていた。
「シンディ、アタシの名代としてちょっと王都まで行ってきて」
そんなグリセルダも、舞踏会がここまで大きなものになるとは思っていなかったのだ。それはシンデレラも同じであり、第三王子の舞踏会の評判は耳に入っていた。
しかし現実は無情であり、シンデレラはかつてないほどの注目を浴びることなっていた。
思い返すほどため息が出てしまう。グリセルダも、今頃はこの状態を耳に挟みシンデレラに任せたことを英断だったと安堵していることだろう。
談笑の時間、誰もが牽制をしあってシンデレラが高嶺の花となっているところに、1人の夫人と2人の子女が、悪意と敵意のみを抱き寄っていった。
「あら、高名な魔法使い様が来ると来ていたのだけれど、あなただったとはね」
その神経を逆撫でするかのような声が、シンデレラの鳩尾にピリリと鈍痛が走らせる。
シンデレラは向き直って、努めて冷静に受け答えする。
「あの、どちらさまでしょうか?」
「ふんっ。とぼけなくていいわ。あなたエラでしょ。汚らしいエラ」
「さて、わたしの名前はシンデレラと申しますが……。エラ、というの誰のことですか? それからあなたも」
シンデレラはとぼけた風に言った。正面にいる相手を、3年前とは違い見下ろされることがなくなった顔を。今はもうない傷痕が疼きそうになるのを堪えて。
トレメイン伯爵夫人、義母だった女。3年前よりも化粧が厚くなっていたが、シンデレラはその顔をはっきりと覚えていた。
トレメイン伯爵夫人は、ぴくっと口の端を引くつかせながらも穏やかさを装って言う。
「あら、私の見間違いだったのかしらね。3年前に消えた娘に似ていたもので」
「はあ、そうですか。わたしはあなたのことなど知りませんので見間違いですね」
一切を認めないシンデレラの不遜な態度に、伯爵夫人の横に控えていた娘たちがまくしたてる。
「ちょっと! 何偉そうにしちゃって。あんたエラでしょう? 魔法使いだなんだって言われてるけど、詐欺なんじゃないの?」
「そうねお姉さま。あのエラが、高名な魔法使い? ふっ、あの出来損ないがあり得ないわ」
アナスタシアとドリゼラの剣幕も乗り越えて来た困難に比べればそよ風のようなものだった。3年前と何にも変わらないのだな、とある意味感心しながらシンデレラは冷静に返す。相手は伯爵夫人だが。
「えっと、なんとお呼びすれば? 申し訳ないのですが、まだ自己紹介をいただいていないもので。わたしのことは……噂もされていますしご存知でしょうが」
無視されたアナスタシアたちは顔を真っ赤にする。当然シンデレラの意図を伯爵夫人も理解しており、だからこそ一瞬だけ反応に遅れた。
「——ッ。失礼、私はトレメイン伯爵夫人。この子たちは娘のアナスタシアとドリゼラよ」
「トレメイン伯爵夫人ですか。わかりました。それで、ご用件はもうお済ですか? 他にも、お話したそうな方がたくさんいらっしゃるようなので」
シンデレラはちらっと、わざとらしく周囲に視線を遣った。もちろん彼らとの談笑に応じるつもりはこれっぽちもない。しかし、その仕草は伯爵夫人の神経を刺激するのには十分だったようで、伯爵夫人が作りものと分かる笑顔で固まった。
「ちょっとエラ、生意気よ! お母様になんて態度なの?」
「そうよ。ドレスも用意できないくせに」
「ドリゼラに言う通りね。この場に似つかわしくないわ」
ドリゼラの言葉にアナスタシアが同調し、2人は嘲笑を浮かべる。その後ろにいた伯爵夫人も、手で覆っていて見えないが、口は歪んだ三日月の形になっていた。
シンデレラはため息をぐっとこらえ、懇切丁寧に言う。相手の無知を晒すように、服を見せつけて。
「似つかわしくない、とおっしゃられますが、わたしは魔法使いとして登城しています。ですので、師であるグリセルダより1人前と認められた際にいただいたこの服は、わたしの魔法使いとしての正装なのです。似つかわしくない、ということはありません。第一に、似つかわしくないのであれば、この場に来るまでに止められていますから」
夜空を編んだような蒼黒のローブ。刺繍フリルの施された透明感のある白のノースリーブブラウスと、胸元に垂れる青の紐リボン。裾に青墨の小花が散りばめられた灰白色のアンブレラスカート。足元はシンプルな濃紺のショートブーツ。
白銀の髪と調和するようにデザインされた衣装は、グリセルダが素材までこだわって用意したものだった。シンデレラにこれ以上似合う物があるのかと問いたくなる出来栄えだ。
シンデレラもこの衣装は気に入っており、アナスタシアたちへの言葉には若干イラつきを込めていた。
アナスタシアたちはそれでも文句をつけようとしたが、周囲で動向を観察していた者たちの表情が、怪訝そうなものに変わっていく。それに気がついたのは伯爵夫人で、さすがに状況が悪いと思ったのか、娘2人を引き下がらせようとした。
しかし、それは少し遅かった。
「ふぉっふぉっふぉ。なにやら愉快なことになっておるの」
会場に響くような笑い声とともに現れたのは、白い髭がネクタイのように伸びた老人だった。とんがり帽子と引きずるようなローブを纏い、いかにも魔法使いといった出で立ちだ。
会場にいた者たちが、ことごとく頭を下げ礼をする。老人はその中は歩いて、シンデレラのところまでやって来た。
老人はシンデレラの衣装を興味深そうにまじまじと眺めたあと、興奮気味に口を開いた。
「おお、どれも上位の魔物の素材を使った物じゃのぉ。これなんて精霊の祝福を受けておるじゃないか。それも、おおこれも。貴重な素材ばかりじゃのぉ。まさかこれの価値がわからない者などおるまいて」
老人は楽しそうな声を一変、低くし、
「……のぉ?」
ひょうきんな目で伯爵夫人に振り返った。
伯爵夫人は顔を赤くし、形勢が悪くなったと悟ったのか、
「——ッ! 失礼いたします。いくわよ二人ともっ」
「待ってお母様」「待ってちょうだいお母様」
アナスタシアとドリゼラを連れ、羞恥心と怒りをかみ殺した表情で会場の隅に消えていった。
威勢のよかった姿が哀れに思え、シンデレラだけではなく会場にいた者たちは揃って失笑した。
緩んだ口元を隠していた手を下ろしたシンデレラは、老人に向けてカーテシーをした。
「助けていただいてありがとうございます。宮廷魔法使い、【大賢者】クドリャフカ様。わたしはシンデレラと申します」
「おお、儂のこと知っておったかい」
「あなた様を知らない者はこの国にはいませんよ。それに、師匠に色々聞き及んでおります」
「グリセルダに? いったいどんな悪口を吹き込まれたのじゃ?」
「い、いえ。悪口なんて……。ちょっと、愚痴のようなことをおっしゃってはいましたが」
「ぷ、わはは。よいよい。あの娘の顔がまじまじと浮かぶわい。そうじゃ。あの娘の弟子ということは儂の孫弟子じゃろ? そんな硬くならなくてよいからの」
茶目っ気たっぷりにウィンクをしたクドリャフカに、シンデレラも、ふふふ、と微笑を浮かべた。
【大賢者】クドリャフカ。300年の時を生きていると言われる大魔法使いであり、アッシュベリー王国を守護する宮廷魔法使いだ。
残した逸話は数知れずあり、中でも有名なのは、大昔に星を墜としたされるモノだ。現在の温厚さからは考えられないほど攻撃的で過激な性格をしていたらしいと噂されるが、親友だったアッシュベリー初代国王の死を契機に鳴りを潜めたという。
建国時から国の発展を支えて来た生き証人であり、いかなる大貴族もクドリャフカの言葉を軽視することはできないほどの権威を有する。国王ですらそれは同じだ。
また、クドリャフカが認めた片方の指の数にも満たない弟子たちは皆優秀であり、グリセルダもそのうちの1人だった。
「はい。よろしくお願いします、クドリャフカ様」
「硬いのぉ……。まあよいか。そいじゃ、さっきはあれでよかったかの?」
「とても助かりました。なんとも思いませんが、少々面倒くさい相手でしたので」
「それにしても、なぜ絡まれておったのじゃ?」
「少々因縁がありまして」
「そうかい。なにかあったら言うのじゃぞ? できることであれば力を貸そう。もっとも、お前さんは優秀そうだからそんな必要なさそうじゃがの」
「いえ。是非その時はよろしくお願いします」
「うむ」
孫弟子、という言葉通り親愛の情を宿す優しい表情でクドリャフカが頷いた。
また、【大賢者】が認めたとう事実が会場にいた貴族たち広まり、【灰燼】の名声が高まっていたのだが、シンデレラはそれに気がついていなかった。
とはいえ、【大賢者】の間に割って入ろうなどという輩はおらず、結果としてシンデレラはゆったりと過ごすことができた。
そしてしばらくクドリャフカとの談笑を楽しんでいると、脇に控えた楽団のトランペットが高らかに音を鳴らした。これを合図に談笑を楽しんでいた者たちは皆、奥の一つ上がりの檀上に向き直り、うやうやしく頭を下げた。
例外なのは【大賢者】であるクドリャフカと、国に仕えているわけではないシンデレラだけだった。それでも談笑はやめ、真面目な表情を取り戻して檀上に視線を向ける。
檀上の脇から、着ぶくれすること間違いなしの大きく分厚いマントを羽織った国王と、年を取ることを忘れてしまったかのように美しい第三王妃、そして本日の主役である第三王子が現われた。
シンデレラはいよいよ務めを果たせると気を入れ直した。
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