閑話 蠢く悪意

 シンデレラが国王との会談を終え『魔女の森』に戻っている頃、王都の貴族街にあるトレメイン伯爵家の屋敷では、伯爵夫人ベラがいら立ちを募らせていた。


「あの娘……っ。間違いなくエラだわ。急にいなくなったと思ったら、今度は急に現れて、私にあんな恥じをッ」


 舞踏会での出来事を思い出し、下火になっていた怒りが再び燃え上がる。

 ベラと、それから娘のアナスタシアとドリゼラにとって、昨夜の舞踏会はこれまで参加したもののなかで、最悪の舞踏会として終わった。


 シンデレラ——エラを見つけ、こき下ろすことができると近づいたのが過ちだった。

 3年前は怯えてなにも言い返さないただの汚らしい小娘だったエラが、反抗してきたどころか、高名な魔法使いとして舞踏会に参加しており、精一杯だった服へのケチも、王国で知らぬ者がいない【大賢者】に邪魔され失敗に終わった。

 それどころか、それからは周囲の貴族たちには遠巻きに嗤いモノにされ、身にまとっていた流行を取り入れたドレスも、色褪せてしまったようだった。


 プライドの高いベラにとって、それはなによりの屈辱であった。また、ようやく決まった長女アナスタシアの婚約に悪い影響が出ないか心配でもあった。当の本人は、妹のドリゼラを連れて気晴らしの買い物にでかけているが。


 親指の爪の齧り、グリセルダは机の上に置いてあった書類に目を向けた。


「ようやく出せるようになったというのに……っ」


 書類は離籍届けだ。シンデレラは既にトレメイン伯爵家の籍から抜けているつもりであり実際的にはそうだが、王国法ではまだ籍から抜けられていなかった。

 王国法では、家門の籍から抜けるにはいくつかの条件がる。そのなかで、行方不明を理由に本人以外が離籍の手続きを行うには、3年間消息不明でなければならない。3年未満だと手続きが行えず、たとえ死んでいたとしても死体がでない限りは死亡処理もされなかった。


 そのため、王国法的にはシンデレラはエラとしてトレメイン伯爵家の籍にまだ残っているのだ。


 では、なぜベラが離籍の手続きをしようとしているか。それはトレメイン伯爵家の財産を全て、正当に受けとるためだった。

 現在、ベラは伯爵家が自身で管理しているものは自由に扱えるが、国に預けているトレメイン伯爵家名義の財産については、権限がなく自由に扱えていないのだ。


 エラはトレメイン伯爵家の血を引く唯一の存在であり、財産の継承権は第1位。そのためベラはエラを伯爵家の籍から離籍させることで、継承権1位になろうとしているのだった。

 しかし、野垂れ死にしていると思っていたエラは生きており、このタイミングで戻って来た。さらに計算外だったが、トレメイン伯爵を思いのほかコントロールできないでいたということだった。


 2つの計算外が、ベラに計画に支障を及ぼしていたのだった。


「でも、あの小娘なんでいまさら戻ってきたのかしら」

「それはねぇ~、どうやら『魔物の災禍スタンピード』が起きたことを国王に伝えるためみたいねぇ」

「——ッ! イーリン。急に現れるのはやめてといつも言っているでしょ。心臓に悪いわ」

「うひひ。これが性分だからねぇ」


 ねっとりじっとりとした口調で話すイーリンは、悪びれた様子もなく、床にでろんと寝転がった。腰まであるワカメのような黒髪と、蜘蛛のように細長い手足が絡まり、なんとも不気味な見た目をしていた。

 ベラはため息を吐きつつ、イーリンが言っていたことについて尋ねる。


「それで。『魔物の災禍』が起きたってどういうことなのかしら?」

「グラン山脈で起きたみたいだねぇ。主が発生した厄介なパターンだったから、援軍を頼みに来たみたいさぁ」

「エラが? 援軍って言ってたけど、あの小娘が『魔物の災禍』に対処するつもり? はっ! 無理に決まっているわ」

「さあ? 【灰燼】だけで無理でも【命名】がいるからねえ、西には」

「じゃあその【命名】の手柄を奪っているに過ぎないわねきっと」

「いやぁ、【灰燼】はかなりの使い手だろうねぇ。独力でも解決できるんじゃないかぁ」

「なによアナタまで。【大賢者】だけど、エラを過大評価しすぎだわ」


  ベラのなかではただの小娘に過ぎない。それは依然として変わらない評価だった。


「でもまあ、アナタなら別に問題ないのでしょ? 【死操しそう】の魔法使い様」

「イヒヒヒヒ。まあねぇ」


 【死操】の魔法使い・イーリン。その名は主に裏社会で広まっており、格安で違法なことを引き受けてくれる凄腕として知られていた。

 ベラとイーリンの付き合いは、4年前からのものだった。【死操】の存在を知ったベラは契約を交わし、その能力を用いてトレメイン伯爵と再婚。以降も継続的に活用し、伯爵家を乗っ取っていった。トレメイン伯爵が不自然な態度をとり、シンデレラを一切助ける素振りをしなかったのもイーリンの魔法の効果だった。


「じゃあいいわ。それで、伯爵の方はどうなの?」

「ん~。まだ時間が掛かりそうだねぇ。どうやら、誰かが魔法をかけているみたいで、それが突破できないんだぁ。今までは表面的だったけどぉ、今回は深層に触れるみたいだからぁ、それがトリガーだったのかなぁ。イヒヒヒヒ。凄い魔法けどぉ、ワタシなら破れるぅ」

「そう。できるだけ急いでちょうだいね」

「イヒヒ、りょーかいぃ」


 イーリンの自信を見て安堵したベラは、ワインを開ける。


「どう? アナタも飲んでいく?」

「ヒヒ。ワタシは酒が嫌いでねぇ」

「あらもったいない」


 ベラは嫌なことは忘れようと、渋い香りを堪能しながらグラスを呷り、酔いしれていった。

 その傍らで、イーリンがほくそ笑んだ。


「少しぃ、試させてもらおうかしらぁ、【灰燼】」






 

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