─────終・真相の裏側

エピローグ

 ─────20‪✕‬‪✕‬年、5月5日。

 拓海に追い詰められた東雲健太郎は、息を切らしながら山の中に逃げ込んでいく。雑草を掻き分け、無我夢中になりながら走り続ける彼の心は恐怖に支配されていた。自らの犯した殺人がバレてしまい、警察が追ってくる恐怖に苛まれる。追い詰められた東雲は道なき道をただただ遠くに逃れることに集中していく。

『くそっ!くそっくそっくそっくそぉっ!何であんな男なんかに、俺の楽しみを奪われなきゃならないんだよ!大体街の風習を逆らって、22時~6時の間に外出をする馬鹿どもが悪いんだ!俺はただそいつらを狩るだけが楽しみだったのに!』と、東雲は心の中で怒りと絶望を吐き捨てる。朧谷温泉街の駐在警察官として勤務していながら、彼は5年以上にわたり、夜な夜な街に出ては時間を守らずに街の中を歩く人を見つけては、次々と殺してきた。

そんな悪辣な殺人事件を幾度も続けてきた東雲だが、一昨日の夜に犯した殺人がきっかけにして拓海や刑事の森川達に自分が犯した事を明らかにされてしまった。『鬼の祠』の前で自身の犯した悪事を全て暴かれてしまい、東雲は殺人を犯した際に使った鎌などの証拠に追い詰められてしまった。本当ならば自身が犯した殺人を拓海になすり付け、拓海がこの日の殺人の犯人として逮捕されることによって自分が隠れ蓑にするつもりで行動した。しかし、その計画が裏目に出てしまったのか、その行動が余計に拓海や森川への不信感を煽っていき、その結果がこんな無様な形で逃げ惑う事となってしまっていた。

 鬱蒼とした木々が生い茂り始め、東雲は体力の限界を感じて立ち止まる。膝に手を当て、ぜぇぜぇと息を切らしながら呼吸を整える。心臓が破鐘を打ち鳴らすようにドクドクと激しく脈打つ。東雲は胸をぎゅっと押さえ、額や頬に伝う汗を拭う。

幸いにも、追手の気配や足音は感じられず、安堵の笑みが東雲の口元に浮かぶ。

「ふっ、ははは…ここまで逃げ切れれば問題ない。どうせ本部の警察らは俺の居場所なんて分からない。」と東雲は勝ち誇った様に口元を吊り上げ、姿勢を正す。

落ち着きを取り戻すうちに、東雲の心の中では逃げ切れるという確信めいた余裕が芽生えていく。頭の中でこれからの行動計画を立てていく。

『今このままフラフラと朧谷温泉街へ戻ったところで、自分が殺人犯であることは既に街の人達に知れ渡っているはず。ならば…この山から降りて、この服を脱ぎ捨てて何か適当な服でも見繕ってしまおう。適当に身分証明書でも偽造して、あとはほとぼりが冷めるまで隠れるのも悪くない。』と東雲は考え付く。我ながら完璧な計画だと自負しつつ、山を降りるために足を進めていく。自信満々で新しい計画を胸に、疲労の溜まった足を必死に動かして山を降りようと更に雑草を掻き分けて歩き続けていく。


 東雲は長く足に絡まる雑草を踏み潰し、麓へと着実に進んでいく。その草が擦れる音は次第に自分の発生させた音に混じって複数の音も混ざり始めていく。

『まさか、この期に及んで追ってきたか?』と疑念に駆られた東雲は足を止めて後ろを振り返る。

「こんにちは、こんな場所にハイキングにでも来たんですか?東雲健太郎さん。」

東雲の背後で近づいてきた音は、三つの赤い目を持つ黒い狐の面を付けた着物姿の男だった。東雲はその奇妙な風貌の男に眉間に皺を寄せ、面倒臭そうに舌打ちを小さくする。だが彼はその険しい顔を、貼り付けた笑顔に変えて狐面の男に向き直る。

「あぁ、ちょっと気分転換にと思いましてね。ところで、貴方と私は面識は無いはずですが……もしかして、朧谷温泉街の観光客ですか?」と東雲はにこにこと笑みを浮かべながら狐面の男に近づいていく。

「おやおや、忘れてしまいましたか。心外ですね。でも、正直僕もこの変装は飽きたので解きますね。」と狐面の男は結んだ赤い紐を解き、東雲へ向けて狐面を外し、男は自身の銀髪の長い髪を引っ掴んでずるりと外して見せる。怪訝そうな目を向けていた東雲だが、狐面の下に顕になった男の顔を見て息を呑む。

「お久しぶりです、東雲健太郎さん。あれから随分と派手に動いていたんだね。」男は脱いだ銀髪を狐面の中へと押し込みながら微笑みかける。

地毛であるやや長い前髪を耳に掛け、黄金色に煌めく蛇の耳飾りを露わにする。東雲の顔からは色が抜けていき、真っ白になった蒼白な顔で口をパクパクとさせていた。

「な、何でこんな所に来たんだよ!!!!!!」と東雲は男に向かって声を張り上げる。男は困った様に腕を組みながら軽く首を傾げる。

「何でって、僕だってのつもりで患者の経過を見に来る事もあるよ。まぁ建前だけど。」

「それに、君は知らなかったかもしれないけど…実は僕と繋がりのある警察のお友達が居てね、その子が僕に教えてくれたんだよね。君の情報が、森川という刑事だけじゃなくて、朧谷温泉街を管轄に入ってる県警本部にもバレたって。あ〜あ、残念だね、これじゃあ君の趣味はもう出来なくなったね。」と軽薄そうな言葉を上げ、男は軽く肩を竦める。

東雲は、狼狽えたように一歩一歩後ずさる。男はにこにこと笑顔を崩さず、東雲へと歩み寄る。

 男は笑顔を絶やさないまま言葉を続ける。

「じゃあ僕から単刀直入に伝えるよ。東雲健太郎くん、君がこのまま生きていてもから死んでくれない?」と男は東雲に言い放つ。

東雲の口からは惚けた様な声が漏れ出るが、その瞬間、男が東雲へ受けた言葉は紛れもない「」であることを理解した。東雲は唇を震わせ、目の前にいる死神のような男に釘付けになる。今、東雲の首筋には大鎌の刃が突きつけられているような錯覚に陥る。

「ふ、ふざけんじゃねぇ!大体、お前が『』で俺の心を解放してくれたじゃないか!おかげで俺はこんなにも楽しく自由にやってこれたと言うのに、今更になって殺しに来ただと?!やってる事がめちゃくちゃなこと、自覚してんのか!」と東雲は男へ向かってあらん限りの罵詈雑言を浴びせる。だが男は一切笑顔を崩さず、軽く首を傾げたまま聞いていた。

「うーん、そんな事言われてもねぇ…僕もうんだよ。だからもう要らない。それだけだよ。」と男は簡単に言葉を吐き捨てる。男の発言に、東雲はすっかり言葉を失い、口をぽかんと空けたまま黙り込む。『いくら話をしても、目の前の男には何一つ通じないこと』を、この時の東雲は目の当たりにする。

「それに、東雲健太郎くんをここまで追い込んだのも僕が加担してるんだよ。大変だったんだよ?僕がこの場所にお客さんを六人も呼び込んで、ここまで誘導するのは。」と男は聞かれてもいない事を楽しげにつらつらと喋っていく。東雲は男の言葉を遮るように叫ぶ。

「それじゃあ!!!この数日はずっと、俺を追い詰めるために用意した『』だって言うのか!」と東雲が男に向かって言葉を放つと、男はパチパチと楽しげに拍手する。

「ご名答!それに、もう一つ理由があるけど知ってた?が凄いカンカンに怒ってたよ?を真似して、無関係な人を次々と殺してくれただろ?そんなの見捨てておけなくてね、折角ならと思って手を貸したのさ。ほら、今丁度来たよ。」と男はニコニコと笑い掛けながら紹介する。

「な、何を言って………。」と東雲が呟くが、男の背後からは押し潰さんばかりの思い空気を伴って近づく大きな異様な影が近づいていく。


 東雲の目に映るその姿は、身長2~3mもある巨躯を持つ筋骨隆々な怪物『黒面の鬼』だった。ギラついた真っ赤な瞳が東雲の姿を捉えると、その場の空気を震わせるほどの大きな咆哮を上げた。あまりにも現実離れした光景に、東雲は恐怖のあまり腰が抜ける。怒りに身体を震わせる黒面の鬼は、東雲に足をしっかりと踏みしめて近づいていく。

「お前のせいで、俺が苦しむことになったんだ。報いを受けろ。」と黒面の鬼は地の底から響くような声で東雲を鋭く睨みつける。東雲は転がるようにして、一目散にその場から逃げ出す。黒面の鬼は逃げる東雲を追って走っていく。

「いやだ、嫌だ!!!死にたくない!こんなところで死にたくない!誰か!!誰か助けてくれ!!!」と東雲は迫り来る鬼から必死に逃げ惑うが、怒りと憎しみを持つ黒面の鬼に追われていく。

「ふふ、因果応報とはこのことだねぇ。さてと、そろそろ帰ろうか。行くよ、空。」と男は傍らに隠れた小さな少年、宙へ手を差し伸べる。宙と呼ばれた少年は男の手を取り、東雲の逃げた方向へ一瞥する。

「彼は報いを受けたんだ。鬼を騙り、人を殺し続けた末路はいつだって悲惨なものだよ。」

「さて、雨が降る前に早めに山から降りようか。近いうちに血の雨が街に降り注ぐかもしれないからね。」と男と空は手を繋ぎながら山の中の道を戻っていく。

この日、山の中から東雲健太郎の絶叫が朧谷温泉街まで響き渡っていた。

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鬼の棲む街 灰野 千景 @yakumo_kiyashiki

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