最終話 それぞれの日常

 ゴールデンウィークが終わり、忙しくも穏やかな日常が戻ってきた頃、拓海は自宅でオンライン通話をしながら担当編集者と打ち合わせをしていた。拓海はメモ帳を片手に、ゴールデンウィークに過ごした朧谷温泉街で起きた出来事を詳しく説明していった。

『本当に災難でしたね。それに葉月先生が目撃した鬼という存在も…現実離れしていますよね。先生が言っていた怪物って、本当に黒面の鬼と呼ばれるものだったんでしょうか?』と担当編集者がペンをクルクルさせながら尋ねる。拓海はうーんと唸り、デスクに指をトントンと叩きながら考え込んでいた。そして、拓海は通話が映し出されている画面を見つめながらポツリと答えた。

『正直なところ、その真相については私もよく分かりません。あの怪物が本当に黒面の鬼で、彼が一体何者なのかについては、今でも疑問が残っていますね。』と拓海は眉を顰め、小さく笑っていた。拓海は手に持っていたメモ帳をテーブルに置き、傍らに置いてあるマグカップに手を伸ばして口をつける。

『あ、そう言えばお土産、ありがとうございました。

朧谷温泉街のクッキー、編集部の皆で頂いたんですけど、結構好評でしたよ。』と担当編集者は嬉々とした表情で拓海にお礼を伝えた。拓海はマグカップをテーブルの上に降ろし、「それは良かった」と笑顔で答えた。

「それに、今回は元々次回作のテーマを村にする予定だったし、折角ならこの経験を活かして小説に役立ててみようかなと思ったんですよ。内容も一応こんな構想があるんですよ。」と、拓海はこれから作成予定の小説の構想について、担当編集者に語り始めた。

 拓海は担当編集者との打ち合わせを重ねる中、ふと脳裏に朧谷温泉街で出会った人々の姿が浮かんできた。拓海朧谷温泉街でゴールデンウィークを過ごした彼らとは、度々連絡を取り合うほど、親しい仲間となっていた。特にK大学に所属する女子大学生の未来と香織とは頻繁に連絡を取り合っていた。しかし、未来の方では「拓海さんとのやり取りが兄に見つかってしまい、大騒ぎになった。」と彼女から苦言を呈されていた。しばらくの間、未来は誤解が解けるまで説得するのに苦労したと聞き、拓海は未来への言葉が見つからなかった時もあった。他にも出会った刑事の森川や、カメラマンの松本の二人とのやり取りも継続されていた。ゴールデンウィークの有給休暇が終わった森川は、職場である警察に復帰したとの報告があった。しかし、森川の休暇中に朧谷温泉街での事件が警察署内で話題になり、森川さんは大変苦労したという話を聞いていた。松本さんからは、朧谷温泉街で撮った風景の写真が送られてきていた。拓海が帰宅した後も、松本はしばらく街の中を散策しながらたくさんの写真が撮れたと、嬉しそうに語っていた。

「結局、ウツギさんが何者だったか、未だに分からなかったな。」と拓海は、打ち合わせの途中でポツリと小さく呟いた。拓海の独り言を聞いていた担当編集者は、疑問を拓海に直接尋ねた。

『あ、そういえば葉月先生の言っていたその…狐面をした着物姿の男でしたっけ。彼についても聞いていましたが、あれって結局何者なんですか?』

「いや、正直俺にもよく分かってないんです。あの時見た夢だって、あまり現実味がないんですよね。でも…」と拓海は途中から言葉を詰まらせ、口を抑えながら考え込んだ。担当編集者から「どうしたんですか?」と声が掛かり、拓海は担当編集者に尋ねた。

「そう言えば、あの日の夢に出てきたウツギさん…何か左耳に奇妙な形をした耳飾りをしてたんですよ。なんか、S字っぽい感じで…よく見えなかったんですよね。牧野さんは、何か分かります?」拓海が質問をすると、担当編集者の牧野は天を仰ぐ。

しばらくの間、拓海と牧野は考え込んでいた。拓海が諦めて話を打ち切ろうと頭を垂れた瞬間、牧野が大きく目を見開き、唐突に口を開いた。

『ねぇ葉月先生、そのS字の耳飾りって…なんだか蛇みたいな形してません?似てるというか、それっぽい気がするんですよ。』と牧野が拓海に伝えると、拓海も納得がいったようにぽんと手を打った。

「あぁ!確かに蛇だ。え?だとしても、どうして蛇のような形の耳飾りが…?」牧野による名推理に、拓海も感心をしたが、同時に新たな謎が生まれ、拓海は思わず頭を抱えた。


 その後、拓海と担当編集者の牧野の間で「実際に起きた出来事」を元に、小説のアイデアをどう形に収めるかについて話し合いが続いていった。ある程度小説のアイデアが固まった頃、拓海は大きく伸びをした。『こんな感じで、一旦本編書いてみてから内容の擦り合わせをして行きましょうか。本当にお疲れ様です、葉月先生。今回の作品も、きっと良いものになりますよ。』と牧野は満足そうに笑いかけていた。拓海もパソコンに書いたアイデアのメモを見つめ、牧野の言葉に肯定的に頷いた。すると、牧野の方でスマートフォンのバイブ音が聞こえ、牧野は「ちょっと失礼します」と立ち上がってその場を離れた。拓海は席を外した牧野を見送り、空になったマグカップを覗き込んだ。

「ちょっと今のうち、コーヒーのおかわりでもしてこようかな。」と拓海は独り言を呟き、コーヒーを淹れに席を立った。拓海は自室の部屋から出てキッチンでコーヒーを入れながらぼんやりと考え込んだ。

『うーん、この小説のタイトル、どうしようかな…鬼、鬼がテーマだし…出来るだけ目立つものがいいかな。』と拓海は、これから書こうと考えている小説のタイトルについて考えながら、部屋へと戻っていく。

 拓海がマグカップを手に部屋へと戻ると、画面の向こうで顔を真っ青にした牧野が、デスクに齧り付くように画面を凝視していた。拓海は牧野の尋常ではない表情に、「どうしたんですか」と声を掛けながら席に戻った。牧野は拓海に携帯を見るように伝えた。

「良いから今から見てください、葉月先生って確か朧谷温泉街に言ってたんですよね?」と牧野が伝えると、拓海はそうだと答えた。拓海は牧野の言っていることが分からず、訝しみながらスマートフォンを起動させた。すると、スマートフォンの液晶画面に、とある編集者からのメールの通知が送られていた。

「あれ、編集者の人からメール…」と拓海が呟くと、拓海は言葉を続けた。

「一旦見てください、葉月先生。その、朧谷温泉街についてなんですけど。」と牧野の言葉に、嫌な予感を感じた拓海は急いでパスワードを解除してメールを開いた。

メールの差出人は、牧野の所属する出版社の知り合いの編集部の人からだった。内容には「朧谷温泉街殺人事件について」と書かれた文章と動画のURLが一緒に添付されていた。胸騒ぎを覚えた拓海は、その添付されたURLを開いて動画を見た。その動画はどうやらニュースの内容であり、女性のニュースキャスターが淡々と読み上げている内容だった。

「それでは次のニュースです。5月3日の夜に起きた殺人事件について、進展がありました。5月6日の昼頃、〇県の朧谷温泉街で新たに遺体が発見されました。目撃者の証言によりますと、 まるで大きな獣に襲われ、身体には無数の切り傷があり、激しく損傷している状態で亡くなっている報告がありました。地元警察による身元調査によれば、この遺体は逃亡中の犯人である元駐在所警察官、東雲健太郎であることが判明しました。事件の詳細な経緯や動機については、現在警察の捜査が続けられています。」といった内容で動画は終わっていた。拓海は動画を見た瞬間、その内容に衝撃を受け、絶句してしまった。

牧野の不安そうな声が通話越しに響いたが、拓海は目の前で知った真実を受け入れることができず、スマートフォンを握りしめたまま呆然としていた。

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