第36話 帰郷の時
鬼の祠前に駆けつけた地元警察官の冴島に、事情を説明した森川と拓海。二人はそれぞれ用意した録音データや情報を全て冴島に公開した。冴島は二人の話を聞きながら、大きな溜め息をつき、森川と拓海を睨むように見つめた。
「今回の件は、犯人が逃亡を図ったという事態になったから、まだ貴方たちに命の危険は無かったんです。ですが、本来ならば大人しく犯人と直接関わる事がなく、我々警察が到着するまで待機するものでしょう。森川さん、どうして貴方まで藤原さんと一緒にそんな危険なことをしたのですか。」と冴島は呆れた様に呟き、森川へ氷のように冷たい視線を送っていた。
森川は軽く肩を竦め、「返す言葉もありません。」と冴島に言葉を返しました。冴島と森川のやり取りを聞いた拓海も、気まずい空気に身を縮めつつ静かに聞いていた。冴島は再び森川と拓海を交互に見つめ、大きな溜め息を吐きながら土砂崩れのあった場所を見た。
「今は犯人が逃走中ですが、そう遠くない場所のはずなので早期に確保する予定です。我々も警察としての立場があり、このような殺人を犯す犯罪者を野放しにしてきたことは今後追及される可能性も出るかもしれません。しかし、この事件を機に…ようやくこの街で起きた殺人事件に終止符を打つことができたのならば、それは幸運だろうか。」と冴島は困った様に呟きながら二人に視線を向けた。すると、冴島と共に来た一人の警察官が小声で報告をした。警察官の報告を聞いた冴島は、警察官に返答を返し、森川に顔を向けました。
「すみません、森川刑事。休暇中であるのですが…今回の犯人逃亡の件もあり、捜査の協力を申請します。今こちらも、件の駐在所と現在逃亡中の犯人の捜索もあり、手が足りない状況になっています。私も出来る限り捜査をしていきますが、宜しいでしょうか?」と冴島は、森川にこの事件の捜査の協力を要請した。森川は冴島の要請に快く承諾し、拓海は森川と冴島に帰ることを伝えた。
「すみません、そろそろ捜査の邪魔になりそうなので…ここで帰ります。犯人が無事に見つかることを祈っています。森川さん、この数日は本当にありがとうございました。」と拓海は深々と頭を下げてお礼を述べた。森川は拓海の元へ歩み寄り、拓海の肩を軽く叩いた。
「拓海君も今までお疲れ様。帰り道も気をつけて帰りなよ、犯人もまだそこら辺に居るかもしれないから、気をつけて。」と森川は拓海を労いながら、優しく声をかけた。冴島も森川に続くように、拓海に声をかけていく。
「私も藤原さんに感謝しないといけませんね。貴方のお陰で、この5年間表沙汰にならなかった事件もようやく終止符を打つことができそうです。ですが…再三申しましたように、今回の件は本当に運が良かったからこそ出来たことです。貴方は普通の一般人なんですから、あまり無茶な行動は控えてください。と冴島はさりげなく拓海を諫めつつ、呆れたような視線を送った。拓海は申し訳なさそうに体を縮こませながら謝罪の言葉を述べた。
拓海はもう一度冴島と森川に向けて深くお辞儀をした。
森川と冴島が拓海を見送る中、拓海は捜査中の警察官たちの間を掻き分けながら山道を降りていった。山道を駆け下りる拓海の足取りは、この街を取り巻く全てのしがらみから開放されたように軽やかだった。拓海が鬼の祠のある山道から降りると、拓海の元へ近づく一つの人影があった。「拓海さん!」と声を上げながら、街の雑踏を掻き分けて近づいてくる人影。
拓海も聞き覚えのある声に、表情を明るくさせながら相手の元へと駆け寄った。
「無事だったんですね、拓海さん!私、あまりにも心配で警察に連絡するどころじゃなかったんです。でも、無事で良かった……」と松本は胸を撫で下ろし、ほっと息を吐いた。拓海も小さく微笑みながら、安堵した様子の松本の顔を見つめていた。
「一応、警察の人たちが到着したので犯人を捕まえることができるそうです。後は俺達は何も出来ることは無いので、森川さん達に任せて帰ろうと思います。」と、その後の出来事を松本に伝えた。松本はうんうんと頷き、軽く目を細めて街の方を見た。拓海も松本に倣うように、視線を街の中へ向けていく。
拓海と松本の二人は、しばらくの間、じっと人の往来が続く街の中を眺めていた。すると、街の様子を眺めていた松本が口を開いた。
「不思議ですね、あれだけ不思議な事があったのに…この街はとても賑やかなんですよ。」と松本が呟くと、拓海も頷きながら言葉を返した。
「そうですね、まるで今まであった事が全部夢の中の出来事のように感じていますよ。そう言えば、俺はそろそろ帰るつもりですが、松本さんはこれからどうしますか?」と拓海は質問をすると、松本は拓海の方へ向き直る。拓海の質問に対し、「うーん……」と軽く唸る。
「私はまだここに泊まるつもりだよ、多分拓海さんよりあとから来たし…もう少しだけ予定はあるからそのつもりだよ。」と松本は拓海へ笑い掛けながら述べていた。拓海は松本の顔を見て、軽く頷いた後に深々と頭を下げた。
「それでしたら、俺は先に失礼します。月華荘で、俺を待ってる人達が居るので行かせてもらいますね。」と松本へ告げ、別れる為に軽く手を振った。
「分かった、拓海さんも気をつけてくださいね。またいつか、機会があればお互い話もしましょうか。」と松本も拓海へ手を振り返しながら、朗らかな笑顔を見せていた。
「はい、ありがとうございます。松本さんも、是非旅行を楽しんでください!さようなら。」と拓海は挨拶して、大手を振りながら街の中を歩いて行った。
松本と別れ、月華荘へと戻った拓海は、さくら達を迎えに行く為月華荘の玄関の扉を開く。ロビーの中は、この場所に初めて来た時と同じように豪奢な月華荘のロビーの光景が広がっていた。拓海はロビーにいるスタッフから朧月の間の鍵を受け取り、さくら、未来、香織の三人を迎えに廊下を歩いていく。拓海は胸から湧き上がる熱い感情を感じながら、過ごしてきた日々をしみじみと振り返りながら歩いていく。階段を昇っていき、2階に到達すると、拓海は部屋に掲げられている部屋の立て札を一つずつ確認していく。
拓海の足取りが藤の間へと近づいた時、ふと部屋の中から楽しげな声が耳に入る。拓海は聞き覚えのある三人の声に気づき、扉の前で足を止めた。
『この部屋に泊まっていたのか、あまりお邪魔する機会もなかったし、少しだけ声をかけようかな。』と拓海は心の中で呟き、扉をコン、コン、コンとノックした。扉の向こうでは、拓海がノックした音に気づき、「はぁい、今行きまーす。」と返事の声が聞こえてくる。拓海は扉の前から一歩下がり、扉が開くのを待っていると、扉の向こうから香織が顔を出してきた。
「あ、拓海さん。今ここに来たって事は……もしかして、もう終わりましたか?」と香織は、柔らかく微笑みながら拓海へ話し掛けた。
「はい、ようやく事件も決着がつくところだったんです。後は警察の人に任せて、今戻ってきたところなんです。」と拓海は疲れた様な笑顔を浮かべて言葉を返した。香織と拓海の声に気づいた未来とさくらも、ぞろぞろと部屋の奥からやってくる姿が目に入った。
「お兄ちゃん、遅い。もうお昼にもなるんだよ?私、待ちくたびれたんだから。」とさくらは不満そうに愚痴を言いながら拓海に文句を述べた。拓海は乾いた笑顔を浮かべながら、「こっちだって大変だったんだぞ。」と反論した。拓海とさくらの会話を見た香織と未来は、一度部屋の奥へ戻って身支度を整えていた。
「拓海さんの用事も終わったし、私たちもそろそろチェックアウトしないとね。」
「そうだねぇ、今からタクシーでも拾って駅まで向かわないといけないかな。」と未来と香織はそれぞれ口に出しながら、持っているキャリーバッグを置いた。
拓海はさくらを藤の間から出しながら、香織と未来にとある提案を出していく。
「それだったら、折角だし俺が駅まで送っていくよ。どうせ帰る道で高速にも寄る予定だし、こんな時間まで二人に迷惑もかけちゃったからどうかな?」と拓海が提案したとき、香織と未来は互いの顔を見合わせた。
香織は、拓海の提案に対し申し訳なさそうな声を上げた。
「いえ、私達もそんな拓海さん達にお世話になるつもりは無いですよ。そもそも、偶然にもこの場所で一緒になったばかりの人に駅まで送っていただくだなんて…」と香織は、拓海からの申し出を断ろうとするが、拓海は軽く首を横に振った。
「いいや、これは俺のワガママだ。ずっと君達に色々と助けて貰ったのにも関わらず、俺はそのまま別れて帰るくらいならせめて運転だけはさせて欲しいんだ。」と拓海が言うと、未来は困った様に顔を逸らす香織の肩に手を置いた。
「拓海さんの好意で言ってるんだから、折角だし乗せてもらおうよ。拓海さんがあれから何をしたのか色々と聞かせて欲しいし?香織だってちょっとは気になるでしょ〜?」と茶化し半分に未来は香織へ言葉を掛けた。香織は未来の顔を一瞥すると、「分かりました。」と拓海に向けて深々とお辞儀を返した。
「それじゃあ俺達も一旦荷物を持ってくるので、月華荘の外で落ち合いましょう。」と拓海は未来と香織の二人に告げると、さくらを連れて朧月の間へと戻って行った。部屋に辿り着いた拓海とさくらは、朧月の間へと入り、自分達の荷物であるキャリーバッグを手に取る。拓海はキャリーバッグを手にしたまま、この四日間過ごしてきた部屋を一望した。
「この部屋とももうお別れか、何だか長いようで短い日々だった気がするな…お前もそう思わないか?さくら。」と拓海は感慨深そうに部屋を眺めながら、さくらへ声を掛けた。さくらもキャリーバッグを手にしたまま、大きく頷いた。
「そうだね、でも結構刺激的な体験ができて、私は楽しかったよ。良くも悪くも、普段経験しない事を一生分経験した気分だよ。」とさくらはため息混じりに呟きながら、キャリーバッグを部屋の外へ運び込む。
拓海もさくらに続くように、キャリーバッグを朧月の間に運び出すと部屋の鍵を閉めて廊下を歩き出す。
「じゃあそろそろ行こうか、忘れ物は無いな?」
「うん、大丈夫。朝のうちに全部詰め込んだし、部屋も全部見たからあとは無いよ。」拓海とさくらは互いの荷物を確認していく。拓海とさくらの二人は、キャリーバッグをカラカラと引きながら廊下を歩いていく。拓海は階段を降りる前に、後ろ髪を引かれるような気がして後ろを振り向いた。三階の朧月の間がある廊下は、人の気配を感じられないような静けさが広がっていた。階下からは、拓海を呼ぶさくらの声が聞こえてくる。拓海は「今行く!」とさくらに声を掛け、急ぎ足で階段を下りていった。
拓海がキャリーバッグを引きながら、ロビーへと辿り着くと、朧月の間の鍵をロビーにいるスタッフに返し、チェックアウトの手続きを済ませていく。
「この四日間お世話になりました、ありがとうございました。」と拓海は月華荘のスタッフにお礼を述べると、スタッフも「また機会があれば、いつでもお越しください。」と、丁寧にお礼を返して行った。拓海はもう一度深くお辞儀をし、玄関まで歩いていき、靴を履いた。拓海は月華荘玄関の扉に手を掛けると、扉を開けて外へ出た。月華荘の外では、それぞれ荷物を持ったさくら、未来、香織の三人が待っていた。
「皆お待たせ、俺もチェックアウトは済ませたから行こっか。」と拓海は軽く手を挙げ、三人に向けて挨拶をした。さくら達三人も拓海へ笑顔を見せながら手を振り返した。
「待ってたよお兄ちゃん。さ、香織も未来さんも行こうよ!」とさくらはニコニコと笑顔を浮かべて駐車場に向けて指を指した。拓海は「分かった分かった」と言いながらさくらについて行く。その後、香織と未来も拓海達に続くように街中を歩いていく。何事もなく朧谷温泉街の出入口に辿り着いた拓海達は、駐車場で拓海の乗ってきた車の荷室に荷物を詰め込んだ。四人は車に乗り込み、拓海は車のナビを付けた。
「えぇと、ここから近い駅だったよね。そこから高速か……皆、シートベルトはちゃんとしたかい?」と拓海は運転席から、三人に確認をした。
「大丈夫だよ、ちゃんとしてるし。」とさくらが答えると、未来と香織もシートベルトをしている旨を伝えた。拓海は頷き、車を発進させて朧谷温泉街から離れて行った。拓海が運転する中、四人はそれぞれ他愛のない会話や、この朧谷温泉街の出来事について多くの会話を楽しみながら駅まで向かっていった。
拓海の車が駅まで辿り着き、車から降りた拓海は荷室から未来と香織のキャリーバッグを降ろした。
「ここまでで大丈夫かな、二人とも本当にありがとうね。俺達はこのまま高速に乗って帰るから、また機会があれば会おうね。」と拓海は未来と香織に約束をして行く。香織は頬を紅潮させ、こくこくと頷いた。
「私達も、拓海さんに色々お世話になったので…いつか何かの形で返させてもらいますよ。この駅まで送ってくれてありがとうございます。さくらちゃんもまたね!」と未来は屈託のない笑顔を浮かべて車で待つさくらに向けて手を振った。さくらもブンブンと手を振り返した。その後、未来と香織は拓海にお辞儀をし、二人は駅の中へと消えていった。拓海は名残惜しそうに二人の背中を見送り、そして車の中へと戻って行く。
拓海は車に乗り込むと、エンジンを掛けて駅から離れていく。その時、後部座席に座っていたさくらが身を乗り出して拓海に話しかけてきた。
「なんだか寂しくなったね、お兄ちゃん。」
「そりゃあそうだ、今まで体験したことがないくらい賑やかな旅だったんだ。二人になって、随分と車が広くなったような気がするよ。」と拓海はハンドルを握り締めながらさくらへ返答を返した。さくらは座り直すと、車のバックミラー越しに拓海を見つめる。
「また機会があったら旅行行こうね!今度は、香織と未来さんも呼んで4人でどっか遊園地とか楽しい場所とかに旅行してみようよ。」とさくらは嬉しそうに笑い掛けながら拓海に話を続けた。拓海は苦笑しつつ、「いつかな」と呟き、運転に集中した。拓海達を乗せた車は、帰路につく道を走っていった。
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