第35話 悪夢の終わり

 月華荘のロビーに向かう道中、拓海は緊張のあまり、顔を怖ばせながら階段を下りていく。一方、森川はスマートフォンを取り出し、どこかに連絡をしているのか画面を見つめていた。そして、月華荘のロビーへ辿り着くと、拓海と森川を睨みつけるように見据える警察官の東雲健太郎の姿があった。東雲の傍らには、不安そうな目をした月華荘のオーナーの姿もあった。

「お待たせしました、ご要件があるのは私たちで宜しいのでしょうか。」と森川は拓海より一歩前に出た。

「はい、そうですね。ご存知かと思いますが…私が不在の間に何者かに駐在所を荒らされておりましてね、何かご存知ではないかと伺いに来ました。」と東雲は柔らかな笑みを浮かべて見せた。しかし、その笑顔の中には凄まじい怒りを孕んだ目の色を浮かび上がらせていた。森川と東雲の顔を、不安そうな目をしながら交互に見比べる月華荘のオーナー。

「オーナーさん、申し訳ございません。この件につきましては、私達三人の問題です。少し場所を移しませんか、東雲健太郎さん。」と森川は相手を射殺すような鋭い視線を向けながら、静かに東雲に話し掛けた。東雲は月華荘のオーナーを一瞥すると、森川の話に同意した。森川は拓海に顔を向けると、拓海は顔を強ばらせながら小さく頷いた。東雲は月華荘から離れるべく、森川と拓海を駐在所へ同行することに同意した。

「すみません、東雲さん。荒らされたと言われる現場で聴取を受けるのはあまり得策では無いと言えます。あまり騒ぎにならない場所に、森川さんと東雲さんも一緒に行っていただけますか?」と拓海は森川と東雲の二人に指定の場所へ行く旨を伝えた。

「別に構いませんが、下手な動きをしたら分かっていますね?」と東雲は拓海の提案に同意すると同時に、拓海と森川の行動について警告した。森川と拓海は頷き、東雲と共に月華荘を離れることにした。

 拓海、森川、東雲の三人は月華荘から離れ、朧谷温泉街の街中を歩いていく。拓海は人気の少ないを指定し、その場に向かって三人はそぞろ歩きをしていく。終始三人の口から言葉を発することもなく、沈黙の中で張り詰めた空気が三人の周りに漂っていく。拓海は時折、森川と東雲の二人に視線を投げかけるが、気まずそうに顔を前に向き直す。三人の足取りは徐々に山の方へと向かっていく。

「一体どこまで進むつもりですか、拓海さん。この先は山ですよ?まさか、二人で共謀した上での」と東雲は冗談めいた口調で言葉を口にしたが、警戒の視線も忘れていなかった。しかし、森川と拓海に睨まれてしまい、口を閉ざした。拓海は土砂崩れになった山道の前で立ち止まり、森川と東雲に向き直る。森川は東雲を一瞥すると、拓海の方に足を進めた。

森川の行動に疑念を抱いた東雲は、眉間に皺を寄せて森川と拓海の二人の顔を交互に見比べた。東雲は被った帽子のつばを掴み、深々と帽子を被り直す。

「一体なんのつもりですか、森川さん、藤原さん。証拠が今更こんな場所にあるなんて言い出しませんよね?」 と、緊張を誤魔化そうと口の端を上げて笑いつつ、二人を睨みつけた。拓海は一つ咳払いをすると、重い口を開いた。

「一昨日の、5月3日の夜に起きた殺人事件。その事件の真犯人が分かりました。」

「へぇ、その5月3日の殺人を犯した真犯人は一体誰というのですか?」と東雲は、拓海の言葉にすかさず口を挟む。拓海は東雲の発言を無視し、そのまま言葉を続けた。

「焦らずとも今から、その殺人を犯した犯人について教えますよ。」と拓海は東雲を睨みつけ、ゆっくりと深呼吸をした。

「その5月3日の夜の殺人、その犯人は貴方ですよね、東雲健太郎さん?」と拓海は東雲の顔を真剣な表情で見つめ、断言のように質問を繰り返した。


 拓海の質問に、東雲は驚いたように大きく目を見開いた。しかし、その途端に東雲の口は大きく歪み、笑いが噴き出した。

「っくくくくく…ふふふふふ、ふはははははははは!!!」と東雲は手で顔を覆い、山々に響く高笑いをした。

森川は東雲の唐突な笑いに身構えたが、拓海は冷静な表情のまま東雲を睨み続けた。拓海は、東雲を真犯人と見なして彼に対話を続けた。

「東雲さん、笑っている間失礼ですが…話を続けさせてもらいますね。俺達は話し合い、そして貴方が殺人を犯したという証拠を見つけたんですよ。」と拓海は呟く。東雲は先程の高笑いから、一切の表情が抜け落ちたように無表情になり、拓海を睨みつけた。

「それは何でしょうかね、憶測でしたら存分に推理を繰り広げて見てください。」と東雲は拓海に挑発めいた言葉を投げかけた。拓海は東雲の挑発に対し、待ってましたと言わんばかりに声を上げた。

「もちろん。では、貴方の犯行について俺からの推理を一つ教えます。5月3日の夜、貴方は夜間巡回をしていた。本来ならば、この街では夜の22時から朝の6時までは外出禁止の規則が設けられていた。しかし、貴方はその違いますか?」

「いいえ、確かに私は夜間巡回はしていました。でも、それは街の規則を遵守した上での行動です。私は市民の安全を守るために、毎日声をかけたり、パトロールをしたりしていたのです。観光客や街の住民にとって、安全を確保する事が私の使命なんです。」

拓海の質問に対し、東雲は自信ありげに答えを返した。東雲の反応に対し、拓海は冷静になろうと深呼吸した。拓海はさらに深く話を掘り下げるために、東雲に追加の質問を試みた。

「では次の話になります。その夜、貴方は偶然にも外出禁止の規則が適用されている時間帯にもかかわらず、外に出ている人物を発見した。その人物は、規則を破ってまで外出しなければならない重要な用事があった。貴方は規則を守らないその人物に接近し、そして彼を殺した。森川さんの話では、多数の切り傷による失血性ショック死...という可能性があると聞きました。貴方は被害者に対して後ろから襲いかかり、刃物で滅多刺しにして殺したのでは無いのですか?」と、拓海は冷静に言葉を続けたが、次第にその声に怒りが滲み出していた。

 拓海の問いに対し、東雲は睨みつけるように見据え、口を開いて答えた。

「その証拠について、本当にあるとは限らないでしょう。それに、私はあの時確かに彼と出会いましたよ。どうやら療養中の母の様子を確認するために向かっていたとのことでしたよ。私はあの時『』と言った旨を伝えました。それ以降は会っていませんよ。」と東雲は薄ら笑いを浮かべた。拓海は東雲の回答に戸惑い、森川に視線を送った。森川は小さく首を横に振り、拓海は言葉を続けた。

「それでは、貴方はだと主張したいのですか?私は、鬼による仕業ではなく、人の手による殺人だと考えているんです。それをどう証明するつもりですか?」と拓海は鋭い言葉を東雲に投げかけた。東雲は薄ら笑いを浮かべたまま、拓海に冷たく言葉を返した。

「それこそ、貴方が今まで探し回ったものそのものが答えでは無いのですか?黒面の鬼、その怪物そのものがあるからこそ街の規則が生まれたのでは無いのですか。凶悪な怪物である黒面の鬼は、人間の知恵を遥かに超える存在…その怪物のために設けられた規則を破ったからこそ報復として受けたという考えは?」と東雲は自身の考えを拓海に返した。拓海は黙り込み、東雲を睨みつけた。東雲は余裕そうな表情で拓海に向き合い、お互いが言葉を交わさないまま、緊迫感に包まれた場面が続いていった。拓海は脳裏にある特定の言葉に気づき、急に顔を上げて東雲に新たな質問を投げかけた。

「そうなると、おかしくありませんか?東雲さん、貴方ははずです。覚えていますよ、貴方と初めて会った時…貴方はこの街の規則と鬼の存在について話していました。その時、貴方は鬼の存在を否定していたはずで、『』という話をしていました。そんなことを言っていた貴方が、どうして鬼の存在を肯定したのですか?」と拓海は問い詰めた。拓海の言葉に、東雲は目を見開き、言葉につまりました。そして、拓海は東雲を追求するために質問を続けた。

「そして、東雲さんは被害者が殺された際に使われた凶器について……ご存知ですか?被害者の遺体は刃物によって無数の切り傷があった。しかし、遺体のそばには凶器が存在しませんでした。もし本当にこれが『黒面の鬼』だった場合、爪で切り裂いたと言いますか?それとも、これが人間の殺人だった場合、凶器はどこに行ったか、貴方には証明できますか?!!」と拓海は声を荒げ、東雲に強く質問を投げかけた。拓海の傍らにいた森川は、拓海の唐突な追求に驚いた表情を浮かべた。


 森川は東雲に対し啖呵を切った拓海に、言葉を詰まらせながら拓海を凝視した。拓海は東雲の返答を待つために、口を噤んだまま東雲を睨みつけた。東雲は帽子を再び深く被り直し、大きく溜め息を吐いた。

「この事件が、人間による殺人だった場合……ということですよね?私ならこう考えますね。例えば、草刈り鎌と言った鬼の爪のような鋭く、殺傷性の高い凶器を用いて被害者に近づき、滅多刺しをした。その後に鬼の仕業と見せかけるために、周辺も傷をつけた。そう捉えることもできますよ。」と東雲は、拓海に向かって返答した。東雲の返答に対し、拓海は森川に顔を向けた。森川の目に映る拓海の顔は、まるで子供のようにキラキラと目を輝かせたような笑顔を浮かべていた。

「そうなんですか、東雲さんはそんな風に考えているんですね。ありがとうございます。でも、おかしいですね…俺、いつからと言ったのですか?証拠品なんて、見つかってなくてとしか言っていません。それなのに、どうして東雲さんは凶器が草刈り鎌であることを断定した上でそんなこと細かく知っているんですか?俺だったら、色々な可能性を考えますよ。例えば、隠し持てるようにナイフや包丁、日本刀、鉈という可能性もあったのに、どうしてピンポイントに草刈り鎌と断定していますか?」と拓海は期待を隠せないような笑顔を浮かべ、東雲に言葉を返した。森川は東雲を挑発する拓海を制止しようと、慌てたように手を振った。しかし、拓海は言葉を失わせた東雲に対し、更に言葉を続けた。

「それは貴方が被害者を殺した殺人犯だからですよ!言いましたよね?5月3日の真犯人が見つかったという事を、わざわざ貴方が詳細を全て話してくれてとても感謝しています。お陰であなたの証言も含めて全ての証拠が揃いました。それに、貴方はこの朧谷温泉街に配属されてからの5年、同じ手口で殺人を犯したのでは無いですか?そうやって朧谷温泉街の信頼と、貴方が国家公務員としての立場を上手く利用して事件を隠蔽した、そうじゃないですか?」

拓海の挑発めいた発言に、森川は拓海を諌めようと口を開く。しかし、森川は拓海を止める前に東雲の顔が視界に入り、森川は言葉を失った。

 拓海の挑発めいた発言に対し、東雲の顔はまるで七変化のように、顔色が変わっていった。東雲の顔は真っ青から真っ白に変わり、やがてその顔色は次第に赤く染まっていった。東雲の顔色の変貌に耐え兼ねた森川は、拓海の肩を強く掴んで声を上げた。

「どうしてそんな挑発をするんだ、拓海君!仮にも被疑者に対して、分かりやすく挑発したら、君も危険な目に遭うんだぞ。一体何を考えているんだ!」と森川は拓海の顔と東雲の顔を交互に見合わせた。焦る森川に対し、拓海の顔は冷静さを装うように落ち着いていた。東雲の顔は、余裕があった表情からやがて険しい表情に変わっていった。険しい表情は、まるで赤鬼のように厳しいものとなっていき、東雲は次第に顔を俯かせ、拳を握り締めた。ビキビキと顔に血管を浮かせ、ギリギリと強く歯軋りしながら、拓海を鋭く睨みつけた。拓海も東雲の表情にギョッと目を見開き、東雲の顔を釘付けになったかのように凝視していた。東雲は被っていた帽子のつばに手を掛け、帽子を地面に強く叩きつけた。拓海と森川は、東雲の異様な雰囲気に気圧され、警戒しながらゆっくりと後ずさる。東雲は俯いたまま、ゆっくりと息を吸い込んでいった。

「さっきからゴチャゴチャうるせぇんだよ!!何なんだよお前ら?!!マトモな証拠もないのに、どうして俺を犯人扱いするんだよ!!!証拠出してみろよ、何処にもない癖して、何を根拠にものを言ってんだよ!!!」と東雲はまくし立てるように声を荒らげ、拓海に詰め寄った。鬼気迫る東雲の表情に、拓海は青ざめた表情で口を震わせ、怖気づいた。

「とうとう化けの皮が剥がれたな、それがお前の本性なんだろう。申し訳ないが、証拠については既に俺が持っている。」と言いながら、森川は東雲と拓海の間に割って入り、上着の内ポケットから薄汚れたタオルが入ったビニール袋を取り出して見せた。タオルが入ったビニール袋を目にした東雲は、一気に血の気が引いたように顔が青ざめていった。

「朧谷温泉街の駐在所で、この証拠品が見つかった。殺人犯である貴方には見覚えがあるだろう?このタオルに包まれている血の着いた凶器には、恐らく貴方の指紋と被害者の血液DNAが付着している。これ以上、言い逃れが出来る状況にないのは確実だろう。」と森川は、氷のような冷たい言葉を放ち、東雲に血の着いた草苅り鎌の入った袋を突きつけた。東雲は、森川の手から袋を取り返そうと手を伸ばした。森川は取り戻そうと伸ばした東雲の手をかわし、再び上着の内ポケットにしまった。その後、躍起になったように森川へ掴みかかろうとする東雲の前に、森川は更に言葉を続けた。

「それに、この場所の会話は全て警察に聞かせてある。もうじき、この山にも応援の警察が到着する筈だ。もうお前には逃げ場はないぞ。」と森川は通話画面を開いたスマートフォンを東雲に突きつけた。すると、先程まで怖気付いていた拓海も同様に、スマートフォンを東雲に突きつけた。

「俺も念の為、貴方とのやり取りを全て録音させていただきました。駐在所での尋問のやり取りも、今回の会話も全て録音したので、言い逃れは絶対に出来ません。」と拓海が言い放つと、東雲は首を横に振りながら、森川、拓海達の二人からゆっくりと後ずさった。

「嘘だ、そんな…そんな簡単にバレるなんて。」と東雲はうわ言のように呟き、拓海と森川を凝視した。

 すると、東雲の背後から複数の人の足音が山道に急速に近づいてきました。拓海たちは近づく足音の方向を見ると、厳格な表情をした男性たちが彼らの元に駆け寄ってきた。

「そこを動くな!警察だ!」と駆けつけた冴島は声を高らかにし、徐々に東雲に近づいていく。

「東雲健太郎、お前を殺人容疑で逮捕する!」と宣言し、距離を詰めていく。冴島を含む複数の警察官は、拓海や森川、東雲を取り囲み、東雲に手錠をかけようと近づいた。しかし、東雲は駆けつけた警察官を振り切るように拓海を突き飛ばし、そのまま土砂崩れのあった瓦礫の上に駆け上り、山の中へと駆け出していった。警察官たちは、その場から逃げた東雲を追って走り出していった。拓海と森川は、土砂崩れの向こう側へと消えた東雲たちを呆然と見つめるばかりだった。冴島は森川に向き直り、姿勢を正して敬礼をした。

「お疲れ様です、森川さん。捜査への協力、感謝します。」と冴島が声をかけると、森川も敬礼を返した。

「こちらこそ、ここまで来ていただきありがとうございます。殺人に使われた凶器はこの中に入っています。」と森川は上着の内ポケットからビニール袋を取り出し、冴島に渡した。差し出されたビニール袋を受け取った冴島は、森川に感謝の意を表現した後、拓海に向き直る。

「藤原さんも、捜査へのご協力、感謝します。それと、改めて貴方へ容疑を疑ったことを、お詫びします。」と冴島は深々と拓海に向けて頭を下げた。それに対し、拓海は慌てた様子で「大丈夫です、気にしていませんから。」と言い、冴島に伝えた。冴島はもう一度軽く頭を下げ、森川と拓海の顔を静かに見つめた。

「それとですね…今から今回の件について、詳しくお話をさせていただけませんか?勿論、任意で構いません。」冴島は、二人に東雲について話を聞くことに決めた。冴島の問いに対し、森川と拓海は深いため息をついた。しばらくの沈黙の後、二人は冴島へ事の顛末をゆっくりと語り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る