第58話 頸肩腕障害(健康被害)
その名前が表す通り
手話を通訳する人の間で、この頸肩腕障害が問題になっています。
なぜ手話通訳と頸肩腕障害が結びつくのか? それは手話通訳ならではの、特殊性があるからです。
手話通訳について、少しお話しをしておきましょう。
【手話(日本手話)⇨日本語】
手話を日本語に通訳する場合、見た手話をそのまま日本語にする事は出来ません。
語順を並び替え、多すぎる言葉を削り(※1)、相手のスピードに合わせて読み取ります。
手話のスピードが速い人は……もう、わけがわからないくらい早く、簡略化された特殊な手話を使う場合もあります。
一時も目を離せません。
必要な集中力は凄まじく、通常は10分、長くても20分までと推奨されています。
【日本語⇨手話(日本手話)】
日本語を手話に通訳する場合、聞いた日本語をそのまま手話にする事は出来ません。
語順を並び替え、足りない言葉を補い(※2)、相手の読み取れるスピードに合わせて表現します。
※1.2 手話は見る言語と言われているだけあり、日本語では普段伝えないことも、表現します。
例 食べ物を『温める』場合、『電子レンジ』『湯煎』『直火』『フライパン』などで、『温める』の表現がことなります。
手話通訳士は、相手から読み取りやすく表現しなければならない為、基本的に背筋を伸ばして、胸の位置で手話を行います。場合によっては、受話器を片手に行う場合も。
また、手話の表現として、顎を引いたり、肩をすぼめるなど、上半身を動かす動作も少なくありません。
通訳しながら、手話で表現することは、体力だけでなく、精神的負担も大きいと言われています。
手話通訳士の資格を取るのは大変です。時間もお金も掛かります。にも関わらず、手話通訳の仕事だけで食べていける人は、あまりいません。
頸肩腕障害について。
最初に話題に上がったのは1979 年。札幌市で、専任手話通訳者として雇われている人から、頸肩腕障害患者が複数発生したというものでした。
当時は手話通訳士と頸肩腕障害との関連性が、明らかになっていなかったので、特に対策がされることもなく、終わっています。
1990年〜 1992 年には、専任手話通訳者に重症頸肩腕障害が多発しました。
(本格的な調査が始まったのが1990年からなので、それ以前の詳細は不明)
1983 年〜 1992 年は『国連・障害者の 10 年』と言われ、各国が計画的な課題解決に取り組むことになった時期です。そのことが関連して、『重症頸肩腕障害』が増加したとの見方もあります。
手話通訳者の高齢化、高ストレス、電話リレーサービスの普及、非正規雇用の増加(手話通訳は非正規雇用が多い)、手話通訳の労働に対する不理解(社会的評価)などが、主な原因だと思われます。
ストレッチや、電話リレーサービスのヘッドホン使用等、少しづつ対策は進んでいます。ですが、何年もかけて取得した資格で、食べていけないこともあり、手話通訳士不足が止まりません。
アメリカでは、手話通訳だけで充分に食べていけるそうです。
手話通訳を仕事にしている4分の1が、将来的に辞めたいと思っています。(大規模アンケートの結果)
原因の1番が、皮肉なことに『聴覚障がい者』とのコミュニケーションだそうです。
ですが、支えられていることの1番も『聴覚障がい者』となっています。
『手話通訳士』とはいえ『聴覚障がい者』を理解していないところが多いかもしれませんが、『聴覚障がい者』も『手話通訳士』を理解してあげてほしいものです。
本当に個人差はありますが。
次の更新予定
手話のお供 元橋ヒロミ @gyakuryu
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