「たのもーっじゃなくて……トリック、オア、トリート!」


 よく響く声で里子さんが叫び、ゆう君を小脇に抱えたままお茶屋さんの店先に立つと、お茶屋のおばさんが「はい~」と出てきて、私たちの格好を「みんな可愛いねえ」とニコニコしながら褒めてくれた。


「さとちゃんが抱っこしてるその坊やは、なんの仮装してるの?」

「魔女に攫われた可哀想な男の子です」

「へえ。良かったら、冷たいお茶飲んでってね」


 小さな紙コップで冷たい緑茶を飲んでいる間に、おばさんは受付で配られたスタンプラリーの紙に次々と「茶」のスタンプを押してくれた。スタンプ欄を全て埋めて受付に戻ると、お菓子がもらえるそうだ。


 商店街の中央付近からは「ポコポコたかたかシャーシャーパラパラ」と、打楽器の音が聞こえてくる。お祭りみたいだけど、日本の太鼓とは違う雰囲気で、ハロウィンの不思議な一日にはぴったりな感じ。


「俳句教室の皆さんが準備してたの、あの太鼓? 面白い音だねえ」

「あれはカホンとレインスティックです。廃材を利用して作りました」

「へえ、ハロウィンにはそんな楽器を使うんだ」

「いえ、ハロウィン関係ないです。里子さんのただの趣味です」


 すかさず訂正したのは、里子さんの甥っ子だという五年生の田沼君だ。

 普段は俳句教室に来ていないけど、今日は子供向けの俳句体験をやるから、サクラをやってくれって連れて来られたんだって。

 里子さんに無理やりコウモリのフェイスシールを貼られたらしくて、最初は嫌そうに頬を触ったりしていたけど、もう慣れたみたい。

 ちなみにうららちゃんは、頭に赤い牛の角みたいなのが生えたカチューシャをつけて、カボチャのフェルトバッグを斜め掛けにしている。


 二人とも時間差で里子さんを探しに来たついでに、今は私たちと一緒にスタンプラリーを回っていた。里子さんは目を離すと、すぐにいなくなっちゃうらしい。


「ごめんね、友達同士で回りたかったでしょ?」

 うららちゃんがこっそり聞いてくれたから、私たちは一斉に首を横に振った。


「ううん、助かったよ」

「お陰で香帆ちゃんも一緒に来られたし」

「ゆう君、里子さんにすっかり懐いてるし」


 魔女の格好をした里子さんは、本当に魔法が使える人みたいだった。


 あの時、うららちゃんが間に入って事情を聞いてくれて、状況を説明するや否や、里子さんは「なぁんだ」と言って、ゆう君を軽々と抱き上げたのだ。


「ロボット駄目ならこれで良くない? 仮装、魔女に攫われた男の子。

 ひぃーひっひっひっひ! 食べちゃうぞおおお!」


 ものすごい声色を作ってゆう君に顔を近づけるものだから、また泣くと思ったんだけど、意外なことにゆう君は、里子さんの顔を見つめてニヤッと笑った。

 それからずっと大人しく、魔女の小脇に抱えられている。


「あんなに長く抱っこしてもらえること、あんまりないから、嬉しいのかも」


 ぽつんとそう言った香帆ちゃんも、里子さんが頼んでくれたお陰で受付にダンボールを預けることができて、今は両手が空いていて、どことなく嬉しそうだった。


 <キリン文具店>が近づいてきた。

 俳句教室の前の道路には、家を出た時にはなかった特設会場ができていて、手作り楽器たちが並べられている。

 目立つのは、四角い段ボール箱に穴を開けただけに見えるシンプルな楽器だ。

 俳句教室に通うおじいさんや体験に来た子たちが、その箱の上に座って側面をポコポコ叩くたび、カシャカシャ、シャンシャンと変わった音が響く。


「もしかして、あれがカホンですか?」

「その通り。大量に段ボール箱があったから、こうして活用したらどうかと思ってね。俳句体験か楽器体験をしてくれた子には、スタンプ押すよ!」


 さとちゃーん、と、おじいさんの一人が声をかけてきた。


「そろそろ代わってくれよ、ずっと叩き続けで手が痛いよ」

「ありゃ、そうか。老体に鞭打たせるのもねえ。でも、スタンプラリーまだ終わってないし、坊やは魔女に攫われてないといけないもんねえ」


 ゆう君の顔を覗き込む里子さんを見て、私はさっきのアイデアを思い出した。


「みんな、ちょっと輪投げやっててね」


 うちの店先に用意されている輪投げを指さして、急いで家の中に走り込むと、座卓に出しっぱなしのハロウィングッズの余りを引っ掴む。


 フォークみたいな悪魔の武器と、コウモリの羽。


 肉屋のお孫さんが「シーカイジャー」が好きで、よくロボットの玩具を商店街のあちこちに置き忘れるから、私は知っているんだ。

 オルカブラックの武器が、先が三つに分かれた紫の槍だってこと。

 敵から味方になったドルウィングには、コウモリっぽい羽が生えているってこと。


 武器と言っても、このフォークには綿が詰められていて、紫のラメ入り布地で作られたぬいぐるみだから、小さい子に持たせても危なくない。

 

「ゆう君、これ、なーんだ?」

 外に駆け戻り、勇気を出してそう言ってみると、ゆう君がパッと顔を輝かせた。


「サンダースピヤーだ! あ、ドルウィングも! 魔法で出したの!?」


 え? と思って、気が付いた。私、魔女の格好してる。

 空が一気に晴れたみたいな、すうっとした気持ちになった。

 そっか。私、魔女なんだ。

 今なら里子さんみたいに、何でもできる気がした。


「これ持って、みんなと一緒に歩こう?」

「うん。おねーちゃん、ドルウィングやって!」


 えーっと言いながら、香帆ちゃんがコウモリの羽を受け取って背負う。 

 照れくさそうなドルウィングと小さなオルカブラックが、また手を繋いだ。


「香帆ちゃん、これ、顔に貼っていい?」


 私は二枚入りだったフェイスシールの余りを取り出した。

 濡らした布巾を使って、香帆ちゃんの頬にペタリと貼り付ける。


 さっきのゆう君の大変さを知って、私は思ったんだ。

 いつも弟の面倒を見ている香帆ちゃんは、ハロウィングッズを買いに行きたくても、行けなかったんじゃないかな。

 自分でフェルトを切って作るのが、精一杯だったんじゃないかな。


「できた。お揃いだよ。あのさ……今日、一緒に来られて、良かったね!」


 思い切ってそう言うと、香帆ちゃんは何度か瞬きをしてから、うん、と頷いた。

 指先で頬のカボチャに触って、くすぐったそうに笑った。


 里子さんがカホンを叩き始めたらしくて、やたら陽気で軽快なリズムが商店街を包み始めた。なんだか、前にテレビで見たサンバカーニバルでも始まりそう。


「はいこれ、輪投げの特別賞ね」

 お母さんが全員の掌にカラフルな包み紙のキャンディを乗せる。


「魔女も姫もヒーローも掌にキャンディ」

 うららちゃんが急にそう言って、


「自由律俳句」

 田沼君がボソッと呟いた。


     *


「実はね、空き店舗を利用して、子ども食堂をやったらどうかって話が出ていて」


 ハロウィンを終えて数日後。

 お母さんが洗濯物を干しながら、そんなことを言い出した。


「子ども食堂って?」

「えーとね、夕飯を一人で食べている子とか、コンビニ弁当になっちゃう子とか、いろんな事情のある子が、みんなで一緒にご飯を食べられるところ」

「ふーん」


 頭にちらっと、香帆ちゃんの顔が浮かんだ。

 そんな場所があったら香帆ちゃんも、帰ったらすぐ買い物や夕飯作りをするんじゃなくて、一緒に遊べるようになるかな。


「ハロウィンの時に、お隣の俳句教室がかなり盛り上げてくれたでしょう?

 それで、もっと空き店舗の活用をしていこうって話になってね。

 一応、例の憎き大型ショッピングモールに相談してみたの。そしたら意外と親切で、廃棄直前の食材とか、余ったものとか、無償で提供してくれるって。

 ちゃんと始まったら、結衣、またお友達を誘ってくれる?」


 聞かれて私は、ちょっと考えた。


 子ども食堂なんて、うまく説明できるかな。

 それって、誰でも誘っていいの?

 友達って、どこからどこまでだろう。

 難しそうだし面倒だなって、一瞬思ったけど。


「うん、わかった。できるだけ誘ってみる」


 気付いたらそう答えていた。


 あの日以来、私の中には、小さな魔女が棲みついている。

 その魔女は、何か面倒だなって思ったり、勇気を出せずにいる時、胸の奥からトコトコ出てきて、私の背中をそっと押す。

 それから、頬のカボチャを指さして、ニコッと笑ってくれるんだ。



<了>

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ハロウィンの小さな魔女【辞書君とスマホちゃん番外編】 鐘古こよみ @kanekoyomi

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