2
何しろ急な話だから、ハロウィンまでの二週間、商店街の大人たちはとにかく忙しそうだった。
うちの隣はずっと空き店舗だったけど、今年に入ってから週に二回、火曜の夜と土曜の午前中に、俳句教室が開かれている。
そこに最近は毎日人の出入りがあって、たくさんの飾りやみんなに配るお菓子や景品の段ボール箱が持ち込まれて、本部のようになっていた。
俳句教室の生徒には、もうお仕事をしていないおじいさん、おばあさんも多くって、その人たちが随分と張り切って、楽しそうに作業をしている。
たまに、やたら元気のいい若い女の人が混じることがあった。
「
俳句教室の松宮先生の娘で、同じ小学校へ通っている五年生のうららちゃんが、そう教えてくれた。
「私も最近知り合ったんだけど、同じクラスの田沼君の叔母さんなの」
俳句教室からは時折、トントンポコポコと、何かの音が聞こえてくる。太鼓でも作っているのかなと思って、うららちゃんに聞いてみたけれど、子どもだから準備にはあまり関わっていないみたいで、首を傾げていた。
「でも、何かしているとしたら、里子さんがきっかけだと思う。段ボールだらけになった部屋を見た時に、『閃いた!』って叫んでたから」
そう言って、いつも物静かで大人っぽいうららちゃんは、ふふっと笑った。
「里子さんて、思いついたら何でもすぐにやっちゃって、面白いんだよ」
準備期間の二週間は、あっという間に過ぎていった。
とうとう、ハロウィンの土曜日がやって来た。
お母さんが張り切って、百円ショップでいろいろなグッズを買ってきてくれたから、私はその中から仮装の組み合わせを自分で考えてみることにした。
魔女のとんがり帽子と、黒のマントと、紫のチュチュスカート。
ちょっと迷ってから、頬にカボチャのフェイスシールを貼る。
フォークみたいな悪魔の武器とコウモリの羽は、やめとこうかな。
家を出る時は恥ずかしかったけど、お店の人たちもみんな紙製の魔女の帽子を被っていて、店先はコウモリやお化けのガーランドで飾られているし、すぐに気にならなくなった。
お隣の俳句教室からはやっぱり、ポコポコと太鼓の音が聞こえてくる。
一体、何をやるつもりなんだろう?
商店街入り口の待ち合わせ場所へ行くと、仲良しの四人がもう揃っていた。
「あ、結衣ちゃん魔女だ。可愛い!」
「わあ、みんなすごい!」
手を振って合流し、私たちはきゃあきゃあ騒いでお互いを褒め合った。
えっちゃんとあーやは、黒くて長い魔法使いの服に、
ひよりんはカボチャの形に丸く膨らんだオレンジ色のスカートに、上半身に黒いひらひらがいっぱいついたワンピース。頭にはお化けやコウモリの飾りがついた小さな黒い帽子を斜めに乗せていて、すごくお洒落。
ゆんゆんは「アナ雪」のアナのドレスを着て、手には白い手袋を嵌めて、髪の毛はアップにして、本当にお姫様みたい。この格好だとエコバッグが浮いちゃうんだよねとぼやくから、大丈夫大丈夫とみんなで励ました。
私たちの他にも、恐竜の着ぐるみの中で寝ている赤ちゃんを抱っこしたお母さんや、お揃いの骨柄Tシャツを着た低学年の子たちや、人気アニメの変身コスチュームを着た小さな女の子もいる。
昨日までごく普通の商店街だったのに、まるで魔法にかかってしまったみたいで、私は一気に楽しい気分になって、いつもより大きな声で喋って笑った。
待ち合わせの十時を過ぎたのに、香帆ちゃんはなかなか現れない。
みんな最初は楽しくお喋りして待っていたけれど、そのうちソワソワし始めた。
「香帆ちゃんまだかな?」
「あっちから来るはずだけど……あ、誰か泣いてる」
小さな男の子の泣き声が聞こえて、私は通りの向こうへ目を凝らした。
商店街から古い住宅街へ伸びている道を、でこぼこした二人組が歩いてくる。
あれっ、と思った。たぶん香帆ちゃんだ。でも、弟と一緒だ。
「弟も来るんだっけ?」
「ううん、違うって言ってたけど……」
ちょっぴり、嫌な予感がした。今までずっと晴れていた空に、雲を見つけた感じ。
「香帆ちゃん、普通の服じゃない?」
「うん、でも、何か持ってるから、ここで着替えるのかも……」
他のみんなも同じ気持ちになっているのがわかった。今まですごく楽しそうにハキハキ喋っていたのに、急に歯切れ悪く、言いづらそうに声が小さくなる。
香帆ちゃんの顔がはっきり見えるところまで来て、ようやく、丸いオレンジ色のフェルトがついたピンで前髪を留めていることに気付いた。
服のいつも名札を付ける辺りにも、お化けみたいな形に切り抜かれた白いフェルトがついている。よく見ると、マジックペンで顔が描かれている。
右手で泣き叫ぶ弟の手を、左手で段ボール箱を掴んで、香帆ちゃんはおでこの汗に前髪を貼りつかせて、焦った顔つきでようやく到着した。
「ごめんね、急にお母さんに用事が入って、弟も連れてくることになって」
謝る香帆ちゃんの声と、大丈夫だよ、と答える私たちの声を、ぎゃあぎゃあ泣き喚く弟の声がかき消す。オルカブラックがいい! と言っているみたいだった。
「オルカブラック?」
「うん……日曜の朝にテレビでやってる、海獣戦隊シーカイジャーに出てくるキャラ。ロボットに変身して戦うやつ」
段ボール箱を一度下に置き、香帆ちゃんはハンカチで弟の汗と涙を拭った。
「自分も仮装したいって、オルカブラックがいいって言うから、急いでロボットっぽくなるように作ったんだけど……全然違うって泣かれちゃって」
そこで気が付いた。段ボール箱の表面には黒いマジックペンで、何かの動物の顔が描いてある。
「あ、それ、仮装なんだ!」
「うん」
香帆ちゃんは口をへの字にして、段ボール箱を持ち上げた。
よく見ると底がなくて、三つの面に丸く穴が開いていた。きっと頭を出す穴と、腕を出す穴だ。でも、どう見ても段ボール箱だ。
「ゆう君、上手に作れなくてごめんね。今日はこれで我慢してくれない?」
「いやー!!」
ゆう君は叫んで地面に転がってしまった。
私たちはどうしたらいいかわからなくて、顔を見合わせた。
横を通る人たちは外側に大きく膨らんで、ちらちらと視線を送ってくる。
香帆ちゃんだけが静かな、いつも通りの顔をしていた。
「じゃあ、お姉ちゃんのヘアピン貸してあげる。それか、お化けのブローチ」
「やだ! へん!」
「泣いてるなら、お菓子はもらえないから、帰るよ」
「やだー!!」
香帆ちゃんは、ふうとため息をついて、ごめんね、と呟いた。
「せっかく待っててもらったのに、こんな感じだから、今日はやっぱり帰るね」
「え、でも」
「ここから家近いし、落ち着いたらまた来てみるよ。やっぱり行くって自分から言ったのに、ごめんね」
落ち着いた声でそう言って、唇を引き結ぶ。
私はどうしたらいいかわからなくて、友達の顔を順繰りに見たけど、みんな私と同じような困った顔をしていた。
「じゃあ、悪いけど、行こうか……」
いつもこういう時に最初に決めてくれるえっちゃんが、自信なさそうに言った。
「私たちがいると、余計泣いちゃうかもしれないし」
「あ、そうだよね。こんな格好してるし」
どこかホッとした調子で、あーやが頷いた。ひよりんとゆんゆんも、そうだね、そうだね、と小さく頷いている。
どうしよう。私は迷った。
実は、ゆう君の機嫌が直るかもしれない、あることを思いついたんだ。
でも、それをしても全然泣き止まないで、余計に悪化させちゃったら?
みんなを待たせて、結局何も変わらなかったら?
「じゃあ、またね」
えっちゃんが香帆ちゃんに手を振って、みんなもその後に続いて歩き出す。
私も胸の中にもやもやを抱えながら、香帆ちゃんに小さく手を振った。
仕方ないよね。でも、今なら間に合うかも。
胸の中でゆらゆらと、違う心が揺れている。
「あっ、それ、カホンでしょ!?」
急に前から大きな声がして、みんなびっくりして顔を上げた。
黒いマントを身に着け、魔女の帽子を被って、紫の口紅を頬までぐいっと塗った背の高い女の人が、緑色の爪で私たちの背後を指さしていた。
香帆ちゃんの名前を呼んだ気がして、知り合いかなと一瞬思ったけど、何か変だ。
「やっだー、情報漏れてた? でも嬉しいな~、マイカホン持参してくれるなんて」
みんなが固まる中、その人はマントを翻してさっさと香帆ちゃんに歩み寄ると、ロボットになる予定だった段ボール箱に顔を近づけてじろじろ眺め始めた。
「あれ、でも、作り方が違うよこれ。底開いちゃってるし、三つも穴がある。もしかしてこういうタイプもあるの? 椅子中に入れて座る感じ?」
「え、あの……」
香帆ちゃんの戸惑う様子からして、たぶん知らない人だ。
変な人だったらどうしよう。
みんなで様子を伺っていると、
「あ、いた。里子さん、みんな探してますよ……あれ結衣ちゃん、どうしたの?」
後ろから聞き覚えのある声がした。
振り返ると、俳句教室の先生の娘の、松宮うららちゃんが立っていた。
それで気が付いた。
魔女の人の正体、例の里子さんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます