第8話 前へ向く。

 その本は『アルジャーノンに花束を』。言われずとした不朽の名作。ダニエル・キイスさんが手掛けたSFの金字塔。知的障害のチャーリーが手術によって大天才になるストーリー。『アルジャーノンに花束を』を初めて読んだのは無事に学校に通えていた14歳のときだった。進学校に通っていた私は『アルジャーノンに花束を』を一気読みして胸が締め付けられるような痛みを覚えた。痛みを覚えた読書体験はこれが最初で最後だった。

 

 あの頃の私はまだ痛みを多く体験していなかったからチャーリーに対して憐れみを専ら感じていたけれども今は別の感慨を覚える。IQの数値で振り回され、自分自身の価値を上手く享受できないチャーリーはまるでかつての私だった。

 チャーリーは結局、大天才から元の知的障害に戻る結末が用意されている。この最後をネットでも多くの推察が行われているが、チャーリーは元に戻って幸せだったのだろうか、それとも、不幸せだったのだろうか。この作品は令和の今でも色あせない輝きを放っているが、それだけに自分自身の能力の齟齬に苦しみ、傷つき、藻掻いている人が数多くいるのだろう。

 

 チャーリーの痛みは過去、私が歩んできた痛みの道程と共通している。閉鎖病棟で何度も涙を濡らして、傷ついて、劣等感ばかり植え付けられて、アイディンティティまで壊されて続けてきたけど私はこうして生きている。助けてももらった。チャーリーの孤独を知って私も自分自身の孤独を知った。今でもあの時の涙を思い出すと胸が苦しくなる。今、この瞬間でさえ、涙が零れる。人間の価値は尊い。だからこそ、どんな人であっても生きている価値がある。

 

 このエッセイも思いがけない反響があり、私は自分が一人じゃないことを知った。私は死んでいない。私は生きている。数値の差があって途轍もなく生きづらいけれども生きている。それもまた自分を形作る個性の一つだ、明日はどうなるのか、分からない。今日も私は絶望し、死にたくなるかもしれない。が、それでも、生きてやるんだ、と思う。

 

 最後までこの拙いエッセイを読んでいただき、ありがとうございます。自分自身を見つめて私自身も変わった。今この瞬間も希死念慮は止まらず、明日さえもあまりよく見えないが私は生きようと思う。まだまだカクヨムでも読みたい作品はいっぱいあるし、死んでたまるか、と思う。


  生きていればいいことが一つや二つはあるのだ。その合言葉を信じて生きてみよう。自分の特性を考えて自分自身を見つめて心苦しかったこともあったが今、私は満足している。

 

 もちろん、すぐにきつくなって落ち込む日もあるかもしれないがとにかく前を向こう。生きていればこそ、出会えた人たちもたくさんいる。とにかく前を向こう。生き延びてみよう。


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東京大学『ギフテッド創成寄付講座』へ行って。 詩歩子 @hotarubukuro

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