ミズキ

「……本当に良いのですね?」


 統治者の三度目の問い掛けに、ミズキは三度目の頷きを返した。


「はい。心は既に決まりました」


 何も無い地の底で、地獄の王と向き合うミズキは背筋を伸ばした姿勢で美しく佇んでいた。口元には微かな笑みをたたえ、瞳には強い意志の色が宿っていた。

 ……それでも、彼は死人なのだ。


「あなたの命は仮初かりそめのものです」

「はい。俺は一度死にました」


 友となれたマヒトと相討ちとなって果てた。一度は霧散した身体は統治者によって再び形成された。


「生きている者と自分とでは、異なる存在であるということを忘れてはいけませんよ?」

「………………」


 統治者に釘を刺され、流石にミズキは渋い表情となった。


 統治者から従者にならないかと打診されて、ミズキは申し出を受け入れた。ひとえに生前の記憶を持ったまま、愛したエナミにもう一度会いたいとの願いから。

 しかし死んだ自分が生きている彼に何ができるのか、それを考えると気持ちが沈んだ。


「私もね、あなたと同じ経験をしたんですよ。私もかつては従者をしていましたから」


 ミズキの心情を見抜いた統治者は、珍しく自分語りをした。生前は天才軍師と呼ばれた男。それが遥か昔の統治者の前身だった。


「地獄を管理する者として、私は長く地獄に留まっています。今はもう知り合いが居ないので気楽なものですが、あなたのように従者になりたての頃は、生前に親しくしていた者の魂がよく地獄へ落ちて来ました」


 統治者は対面のミズキの肩越しに遠くを見た。そこにも闇しか無かったのだが。


「妻だった女性、子供達、一緒に戦った同僚……。紛れもなく知っている彼らでしたが、私と居た頃の彼らとは違いました」


 目を伏せた統治者は残酷な事実を改めて告げた。


「生きている者には絶えず変化が起こるのです。ずっと地の底で時間という概念を無くし、同じ姿のまま過ごす私達とは違うのです」

「………………」

「地獄に落ちて来た妻は再婚しており、子供達は独立してそれぞれ別の家庭を築いていました。私と言う存在は彼らの中で完全に過去のものになっていたのです。皮肉なことにそれは臨終の際の、私の願いでありました。私の死を乗り越えて先へ進めと、私は現世で死ぬ時にそう望んだのです」


 ミズキはドキリとした。彼もエナミの腕の中で息絶える時、自分に構わず幸せになって欲しいと願っていた。


「永遠の別れならば家族の変化を素直に祝福できたでしょう。しかし私達地獄の住民は再会してしまうのです。かつて愛していた相手と。軍の関係者である者はほぼ確実に死後こちらへ魂を落とします。命懸けで国を守ってきた結果としては哀しいですが、人間同士、同族で殺し合うことは大罪なのです」

「………………」

「いつか再会するエナミも、あなたが愛するエナミとは違う存在になっているかもしれません」


 現世で別の誰かを愛し、ミズキとの恋を過去のものにしているかもしれない。


「私達は任に就いている限り、再生を司る天帝から永遠の命を預けられます。人が求めてやまない不老不死という訳です。便利な能力も授けられます。超人ですよね」


 統治者は自嘲気味に言った。


「でもね、それら素晴らしい贈り物でも、たった一つの孤独には勝てないのですよ」


 真面目な顔つきに戻った統治者はまたもミズキに問い掛けた。


「これが最後の確認です。今ならまだ取りやめられます。ミズキ、あなたは私の従者となりますか?」

「なります」


 間髪入れずに即答したミズキに、統治者は昔を思い出して苦笑した。サーシャもこうだったな、と。

 サーシャが従者になることを決めたのは、二度も自分を殺してくれた草薙ヨウイチへの複雑な感情、そして孤独を抱えた統治者の傍に居たいと願ったからだった。


「決意は揺るがないようですね」

「はい。俺はエナミを幸せにしたかった。幼少時から当たり前の幸せを知らずに早く大人になってしまったあいつに、暖かい家庭を与えてやりたかった。甘えさせてやりたかった。それなのに、俺はあいつを大泣きさせてしまいました」


 ミズキの後を追って死にたがっていたエナミ。あの時のエナミを思い出すとミズキの心は締め付けられるように痛んだ。


「あなたが地獄に留まるのは、エナミに対する罪悪感からですか?」

「いいえ。俺自身のエゴです。エナミは俺にいろいろな感情を教わったと言ってくれましたが、それは俺も同じです」


 ミズキは自身の胸にそっと右手をあてた。


「あいつと出会ってから俺は変わった。自分の中にこんなに温かく、激しい感情が有ったなんて知らなかった。俺はこの火を消したくないのです。忘れたくない、あいつを愛したという記憶を」

「……エナミが心変わりしていたとしても?」

「はい。記憶を洗われて知らない人間同士で来世で会うよりも、たとえ一方通行であっても彼を愛した記憶を持ったまま、今世で再会したい」


 身を焦がすようなミズキの恋。統治者は彼を応援したいと密かに思い、同時に哀しく思えた。サーシャと自分のように、報われない想いを抱えて無限の時に閉じ込められてしまうのではないのか。


 統治者は統治者である限り、サーシャの想いに応えることはできない。一人に固執することを許されない立場なのだ。

 許されるには、資質の有る他の誰かに地獄の王の座を譲るしかない。しかしそうなったら、今度はその人物が長い孤独に苦しむことになる。優しい彼はそれを良しとしなかった。


「ミズキ、この瞬間からあなたは私の従者です。契約の証にあなたの名前を捧げなさい」

「はい」


 ミズキは統治者へ頭を下げた。


「地獄であなたの名を知る者は私だけとなりました。これからは好きなように名乗りなさい」

「はい」


 ミズキであった男は顔を上げた。深淵に一筋の光が差し込んでいるのが見えた。先程までは闇に包まれているだけの空間だったのが。


「従者となったあなたは、今まで見えなかったものが見え、できなかったことができるようになります。その力、地獄の為に役立てて下さい」

「はい」


 男は力強い眼差しで光を追った。その先が何処へ通じていようが、彼にはもはや迷いが無かった。



《完》




■■■■■■

 『流寓人』、これにて完結です。

 元々は読み切り投稿だったこの作品、規定最大枚数の50ページを使っても、物語の序盤しか描けず当時は悔しい思いをしました。(筆者が31歳の時です)

 漫画ではエナミ、イサハヤ、女管理人(マホの記憶無し)しか出せませんでした。

 長編小説として書き直すことで、書きたかったエピソードやキャラクターをようやく全部出し切れました。漫画版とは違うストーリー&結末となりましたが、筆者にとっては小説版『流寓人』が正史です。


 ミズキ・マヒト・トオコ・モリヤの死は、キャラクターを生み出した時から決めていました。ミズキとマヒトは現世へ主人公を押し上げる役。トオコは壊れそうな主人公の見守り役。モリヤはメッセンジャーです。モリヤの最期の言葉、「幸せの形は人それぞれ」。これにエナミや仲間達は大いに後押しされました。

 ……死を決めていたのに、彼らのが来た時は執筆しながら泣いてしまいました。


 実はイサハヤも戦死する予定でした。最終戦でイオリと共に力尽き、親友同士で一緒に地の底へ沈んでいくシーンを描こうと思っていました。

 でも読み切り漫画がバッドエンドだったので(エナミを救ったイサハヤが次の管理人になって終わり)、小説版では完全ではないにしろハッピーエンドにしたいと思いました。州央と桜里の未来の為にも、イサハヤを生きて現世へ還してあげたいと考え直したんです。

 結果、イオリ独りが最下層に沈むことになりましたが、統治者の計らいでいつかイサハヤの魂と出会えるはずです。


 あ、エナミとミズキも必ず再会しますよ。お互いを強く求めていますから。

 同性同士、生者と地獄の住人。二人の前には大きな問題が立ちはだかりますが、イオリから贈られた言葉「苦難の連続でも互いを尊重して協力し合え」を、忘れずに実践すれば乗り越えていけるでしょう。


 筆者は書きたかったことを書けて満足しています。読んで下さった皆様へも、何らかの感動をお届けできていれば幸いです。

 最後までお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。


 (今作品から二年後を描いた物語が『空に月 地のこだま』となります。エナミの姉のキサラが主人公です)



(ラストビジュアル。『流寓人』イメージイラストは↓↓をクリック!!!!!!)

https://kakuyomu.jp/users/minadukireito/news/16817330668744267789


(⇧でラストと言ったのに追加イラスト。決意をした「彼」です↓↓)

https://kakuyomu.jp/users/minadukireito/news/16817330669369888665

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流寓人《リュウグウビト》 ~地獄の第一階層で兵士達は再起を図る~ 水無月礼人 @minadukireito

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