第6話 誰もいない街
シリルはベッドから飛び出すと、夜間旅行に持って行ったリュックの中を漁った。
「ない」
「な、なにが?」
「招待状だよ」
「招待状なら、あの添乗員の女の人に預けて、返してもらってないよ」
「ああ……そっか。あれには、何時に到着予定だと書いてあったかな?」
シリルの言葉に、ロロは小首を傾げて考える。
「ああ、確か六日の朝五時頃と書いてあったと思うよ」
ロロがそう答えると、シリルは腕に嵌めたダーナ神族の森で作った時計と、自分の部屋の時計を見比べた。
部屋の時計は、五時前を指している。
「多少の誤差はあるとはいえ、確かに五時頃ではある……。でも、僕らは南十字星の丘から、家に帰ってきた記憶がない……」
その言葉に、ロロはシリルも記憶が無いことに気が付いた。
「どういう事だと思う?」
ロロの質問にシリルは腕を組んで眉間に皺を寄せると、ううんと唸った。
「一旦、記憶を整理しよう。帰りの馬車で、男の子が作った時計を窓の外へ落としてしまった。それを、僕は取ろうと手を伸ばして、馬車の扉が開いた……」
「僕は慌てて、シリルの腕を掴んだ」
「「そっから、記憶がない」」
二人は声を揃えて言うと、顔を見合わせた。
「ロロ、作った時計はある?」
「うん、あるよ。ほら」
ロロはベストのポケットから懐中時計を取って見せる。
「これがあるという事は、僕らは実際にユニコーンの馬車に乗って、ダーナ神族の森へ行ったという証拠だ。夢であれば、二人して時計を持っているハズが無いからな」
「うん」
ハッと何かを思い出したように、ロロはリュックのポケットを漁った。
ロロがポケットから出したのは、親子からもらった棒付きキャンディー。
「シリル、あの親子からもらったキャンディーも、ちゃんとある。確かに僕らは、旅行へ行ったんだ。僕らだけではない、他の誰かも一緒にいた証拠だ」
シリルも自分のリュックを漁り、同じキャンディーを取り出した。包を剥がすと、キャンディーを舐める。
「本物のキャンディーだ」
「なんだか僕ら、なにかに
「まったくだ」
そういうと、シリルの腹の虫が大きな音を立てた。それに返事をするかのように、ロロの腹の虫もキュルルと音を立てた。
ロロとシリルは、顔を見合わせ笑い合う。
「考えるのは後だ。まずは腹ごしらえをしよう」
「うん、そうしよう。僕、さっきから美味しそうな匂いが気になっていたんだ」
二人で部屋を出てキッチンへ向かった。ロロが感じた美味しそうな匂いが、より強くなる。
コンロに置いてある赤い鍋。半分蓋が開いていて、湯気がたっている。ロロは、きっとあの鍋が美味しい香りの主だと思った。
「お母さん? あれ?」
シリルは裏口のドアを開け「お母さん」と声をかける。しかし、返事はない。
「おかしいなぁ。また寝たのかなぁ」
首を傾げながらキッチンに戻ってきたシリルは、「とりあえず、何か食べよう」と戸棚を開け、パンを取り出した。
二人分のパンをトースターに入れ、ロロを振り返る。
「ロロ、リンゴ食べるか?」
「うん。じゃあ、僕が皮を剥くよ」
「うん、ありがとう」
ロロがリンゴの皮を剥いている間、シリルは裏口から外に出てレタスとトマトを収穫し戻ってきた。ザッと水洗いをして、ザクザクと大きく切り皿に盛る。その脇に、ロロが切り分けたリンゴを添えた。
鍋に入っていたのは、チキンスープだった。シリルが二人分よそっている間、ロロがコップにミルクを注ぎ入れた。
二人は席に着いて朝食を食べた。
「おばさん、どこへ行ったんだろう?」
「うん。食べ終えたら、いっかい部屋に行って声をかけてみるよ」
二人は食事を済ませると、ロロが洗い物をかってでて、シリルは両親が寝ている寝室へ向かった。
寝室へ向かってすぐ。二階の階段を、すごい勢いで降りてくる音がした。
「ロロ! 大変だ!」
ロロは持っていた皿を落としそうになりながら、シリルを振り返る。
「ど、どうしたの!? 急に!」
「お父さんとお母さんが居ないんだ!」
♢♢♢
二人は部屋中を探し、裏庭も表通りも探したが、シリルの両親は何処にもいなかった。
「お母さんは、どこかへ行く時に、いつもホワイトボードに書いていくんだ。でも、それが何も書いてない……」
「おじさんは、いつも何時に起きるの?」
「お父さんは仕事の時間が早いから、六時には起きてるよ。だから、お母さんは、いつもこの時間には食事の支度をしていて……」
ロロは、ふと妙な胸騒ぎがした。
「ねぇ、シリル。一回、僕の家に行ってみないかい? 今から」
「今から?」
「うん。気になるんだ。何となく」
シリルは不思議そうな顔をしたが、黙って頷いた。
二人はシリルの家を後にし、ロロの家へと向かった。心なしか、少し早足で。
ロロの家に到着すると、真っ先にキッチンへ向かうが、誰もいない。
しかし、ついさっきまで、確かにここに誰かが居たという、痕跡がある。
それは、シリルの家同様、朝食の準備の途中であったと分かる、洗い途中の食器がシンクにあったのだ。
まだ泡の付いたままの鍋やヘラ。
水滴がついている、洗ったばかりだろう食器が水切り籠に入っている。
ロロは、両親の寝室へ向かった。
「ロロ、どうだった?」
戻ってきたロロに、シリルは心配そうに声をかける。
「僕のお父さんも、お母さんも、どこにもいない」
その言葉に、シリルは険しい表情をした。
「ロロ、もしかしてだけど」
シリルが口を開く。
「僕たち、パラレルワールドへ迷い込んだかも知れない」
ロロは、深く一度頷いてみせた。
「僕も、そう思った。いくら朝早いとはいえ、ここまで来るのに誰とも会わなかった事も、不思議に思ったんだ。この時空間には、僕ら二人しか居ないかもしれない」
「うん。でも、もう一度、街を歩いて人を探してみよう。本当に誰もいないとなったら、その後の事を考えよう」
「そうしよう」
二人は、ひとまず外へ出た。人が集まりやすい場所を、片っ端から歩いて行った。
学校、公園、駅、スーパー……。
「誰ともすれ違わなかったな」
僅かに息が上がり、呼吸を整える。
「そうだね」と、ロロは短く答えた。
「ロロ、これから、どうする?」
「僕に考えがあるんだ」
「考え?」
シリルは訝しげにロロを見る。
「一旦、家に戻ろう。そして、旅支度をしよう」
「旅支度? それは、どうして?」
「もう一度、南十字星の丘へ行くんだ。そして、昨日の夜に戻るんだ」
ロロの言葉に、シリルは驚きの声を上げる。
「昨日の夜に戻るだって?! そんな事、どうやって!」
「ダーナ神族の男が言ったんだ。独り言みたいで、シリル達に聞こえていなさそうだったけど。この時計の摘みを手前に一度回すと、戻りたい時に、戻れるんだと言っていたんだ」
「時を、戻す?」
「うん。だから、戻ろう。ユニコーンを見た、あの夜に」
ロロの言葉に、シリルは力強く頷いた。
二人は、一旦それぞれの家に戻り、荷造りをした。ロロは、少し荷物を多くして。
何が起こるか分からない。だからこそ、大切な物もリュックに詰めて。
待ち合わせ場所に到着すると、シリルもまた、少し荷物が増えている様子だった。考える事は一緒だと、ロロは小さく笑う。
そして二人は、昨夜歩いた丘の頂上へ向かう道を再び歩いた。
途中、昨日感じた空気の重たさは感じなかった。あのゼリーのような重たい空気は、何だったのだろう。もしかしたら、あの空気こそ、異空間へ入り込んだ感覚だったのかも知れない、と、ロロは思った。
頂上に到着すると、当然、朝の空に南十字星は見えず、ユニコーンもいなかった。
「ロロ、心の準備はいいか?」
「シリルこそ!」
「はは! 僕はワクワクして
「うん、行こう! 僕らの時を取り戻しに!」
ロロは、ベストのポケットから懐中時計を取り出すと、シリルを見る。
シリルは黙って頷き、ロロの腕を掴んだ。
ロロは懐中時計の摘みを手前に一回。くるりと回した。
どこからか、カチリと何かが嵌るような音が、空に響いた。
終
月時計と時間旅行 藤原 清蓮 @seiren_fujiwara
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