泣き女と鍋

小稲荷一照

泣き女と鍋

 また彼女が泣きに来た。

 正直ウザいなぁ、と思う。

 煮詰まってイヌやネコをとっ捕まえて相談をしたことがあるが、ヤツラも最初はだまって聞いていてくれるが、そのうち露骨にいやな顔をしだす。

 イヌのほうは困った顔で捕まっていてくれるが、ネコの方はモウイヤダ。と全身で態度を示して出て行ってしまう。

 そういう感じだ。

 食事の準備中でなければ、俺もそうしたい。

 彼氏もちの女の人生相談は彼氏がキチンと面倒見てやれよ、とまったく自然に思うのだが彼女のように自称『できる女』だとたまにまともに相談すると相手がひどく困るらしい。

 目の前で、何度目かの論理の迷走に入った彼女ができる女かどうかは知らないが、誰でもかまわないから口にしたいという気分はわからないでもない。

 少なくとも、今の彼女は『ダメな女』でしかない。

 好意のようなモノが欠片でもあれば、たまに弱みを見せるのは馴合いや安心のサインだが、こっちもあまり彼女にあまり好印象を持っていなくて恋愛とかそういう将来的な展開を見出せない。

 せいぜい美人でスタイルがよくてという見栄えのところが及第点で、財布の紐がだらしない考えなしのお嬢様気質というのがどうにも我慢できない。

 以前の男と大喧嘩をして呑屋で隣り合わせて連絡番号を交換して、という間柄でしばらくたってから深夜に意味不明の嗚咽交じりの声で電話がかかってきて仕方がないので人生相談に付き合った人のよさが運のつきだった。

 夕餉に何を作ろうかなぁと野菜と鳥のひき肉を確認して、つくねで澄まし汁にして下仁田葱でも焼けばいいか。くらいのつもりで昆布でだしをとり始めたところでドアベルが鳴らされ、デキル女には残業が似合うと思うのだが、まだ日が暮れてさほどたっていないゴールデンタイムに彼女が現れた。

 玄関先で泣かれるのもさすがに色々迷惑なので、交渉も駆け引きもなしで入ってもらった。

 ぐずる彼女をコタツに座らせてテレビのリモコンを与えて、適当にドキュメント風の番組にあわせる。なにやら宇宙空間で利用可能な樹脂についての話題らしくて面白そうだが、一人前の食材を二人前に水増しするためにナベの支度をすることにする。

 背中から聞こえてくる突然の訪問に対する意味のない口上を夕餉の支度の音で軽く流して、コンロと土鍋をコタツにすえる。

 鳥のひき肉はツクネに仕立てるのが面倒になったのでそのまま出汁に成ってもらうことにした。

 干し椎茸も水に戻さず放り込む。

 おいしくおつゆにしようと思っていた昆布もこうなれば引き上げるまでもない。適当にはさみで切って摘める大きさにする。

 プカプカと鍋の中で浮かぶ干し椎茸になにやら言いたげにしていた彼女の前に大根の短冊と葱を切ったものを山と積んで、フードプロセッサを用意して準備完了。

 一応こちらの義務と権利に基づいて用向きを聞くが、彼女はそれには応えずに彼氏が如何にロクデナシかという話を始める。

 聞くに堪えない雑言がソコソコに美人の唇からこぼれる様は最初はエキセントリックな面白さを感じさせたが、さすがに数回目だと新鮮さにかけて醒めてくる。

 相槌を打つのがだるくなってくると、フードプロセッサで大根おろしを作りながら片栗粉を足したもので鍋を覆ったり、薬味のモミジオロシをいい加減に作ったりして機械に相打ちをたたかせていたが、いい感じに表面の大根おろしに火が通って片栗粉に粟立ちはじめても彼女はまだ愚痴がいい足りないらしい。

 仕方なくから揚げにする予定だった手羽先を機械でまとめて砕いてひき肉にする。

 そんな騒音の脇でこっちに声が聞こえていないだろうことも無視して彼女は愚痴り続ける。

 もういいや。と思いはじめた。

 そんな男別れちまえよ。そして二度と男のいるところに近づくな。

 オマエみたいな女にセクハラなんて言葉を口にする資格はない。

 合理的なんてお前みたいな不条理な生き物が口にするな。

 つーか、人生相談したいなら占師かカウンセラーか弁護士か裁判所にでも行けよ。

 要するに彼女は王様の耳はロバの耳と言いたいだけらしい。

「鍋が煮えた。黙って食え」

「ありがとう。いただきます」

 ようやくここがどこだか思い出したような物言いに戻った彼女が箸を手に取る。

「――これってなんか、エロい」

 おろし大根と片栗粉で作った白雪と呼ばれるそれが鍋のふたの下から顔を出すや彼女はナニカを連想したように言った。

「何を連想したかはおおむね想像がつくが、絶対に口にするな」

「アタシが何を連想したって言うのよ!」

「何でもいい黙って食え」

「何でもいいわけないでしょ!」

「大根と葱に欲情するな。黙って食え」

「欲情なんてしてないわよ!」

「食事がいらないならさっさと帰ってくれ。それともブブヅケがいるって言うなら準備してやるぞ。湯と冷や飯でいいんだったな」

 なんだかいくつかNGワードが琴線に触れて立ち上がったようだが、相手にせず言ってやると黙って腰を下ろした。

 鍋は乱暴に作っただけあって、いい味だった。

 思うんだが、鍋はいい加減に作ったほうが気楽な分だけ味がよいような気がする。

 葱と大根がよく煮えているのを確かめて、フードプロセッサの中身を乱暴に掻き出す。白雪に肉色の穴が開くが、やがて崩れて埋まる。

 軽く味を調えればおいしいツクネ種なわけだが、そこまでしてやる義理もない。

「食ったら帰れよ。酒は出さないからな」

「え~。鍋なのにお酒ないの?ビールでいいからぁ」

「パーか。オマエは。デキル女が他人の家でタダ飯タダ酒をたかるな」

「デキル女の燃料はアルコールです」

「メタノールでも使って地球に優しくしていろ」

「メタノールって、メチルアルコール?どっちが工業用だっけ?メチル?エチル?」

「底が知れるから黙って食ってろ」

「なにソレ、アタシが馬鹿だってこと?」

 目の前でグダグダ囀っていた奴が一転、弾かれた様に立ち上がる。そのまま帰ってくれるならソレはそれで正解だが、持ち堪えたらしい。

「いいから、黙って食ってろ。軟らかく煮えてて美味いぞ」

 正直この手の相手の対策は、相手にしないことに尽きる。

 飲ませてタクシーというのが後腐れないというのも考えないでもないが、アゴアシつきというのはやりすぎだろう。

 現実としてそっちの方が面倒が少ないことはわかっているが、何か得体の知れない金銭感覚がソレは許せないと言っている。

 その理不尽さたるや、CSとBSのアンテナの区別もつかない年寄りをきのこ狩りに歩かせて受信料を徴発するNHKの下衆なやり方と同じくらいだ。

「そー言えばアタシ、葱嫌いだったんだよね」

 ピキッと頭の中で音がした。

 あまりに見事に鳴ったので、音のしたあたりを手でさすってしまったほどだった。

「――あ、いや、もう大丈夫。おいしくいただいていますから……」

 どうやら顔に出てしまったらしい。普段あまり怒り慣れていないので、どうもその辺の調整がうまくいかない。

「小さいときネギ嫌いだったんだよね。辛いしネギ臭いし……」

 黙って鍋に箸を伸ばすと、彼女は覗うようなホッとしたような表情を浮かべながら話を戻した。なにやら昔話を思いついたらしい。

「で、しばらくダメだったんだけれど、田舎で夏風邪惹いたときに、ネギを食え!ってことになってさ。どうしてもイヤだって言ってたら、剥いてお尻に挿すって言われてさ。花も恥らう乙女に向かってネギを座薬にって幾らなんでも酷いって。じゃぁ食べますって言うことになって無理やり食べさせられて、で風邪の方は翌日熱が下がっちゃんったんで、ネギってすごいなぁと――どうかした?」

「デキル女で恥らう乙女が食事のときにする話じゃねぇだろ。食事が終わったならさっさと帰れ」

 自分が何を口走っていたのかようやく思い至ったかのように、黙って鍋をつつく。

「……ネギって風邪に効くんだよ。っていう話をしたくてね」

「ウチでも焼きネギ食べたり、ネギ味噌をシップしたりするよ」

「風邪にネギって定番なのか」

「定番というか、葱韮大蒜くらいだろ。日本の冬でもある野菜でスタミナ系って」

 そういえばニンニクを余らせているのを思い出した。

 おじやにする前に煮てしまおうとまとめてむき始める。

「エーニンニクぅ!?鍋に。マジで?ありえない!やめてよー」

 とたんに大きな声を上げやがる。

「うるさいなぁ。食い終わったら、さっさと出て行けよ」

「ナニソレ、嫌がらせのためだけにそんなもの鍋に入れるの!?」

 自意識過剰もほどがある。葱座薬の話を食事中にしだした口でイヤガラセもないものだ。

「本当にうまいんだ。国内産の太ったニンニクを鍋で茹でると」

「でも、明日仕事」

 うまいんだ、が引っかかったらしい。おとなしくなった。

「別に食ってくれとは言っていない」

「でも鍋の汁ごと臭くなる」

 三十路に絡んだ独身女の仕草ではない。

「ウルセエなぁ。食いたくなきゃ帰ればいいだろ」

 無視してざくざくとニンニクを剥いていく。ツルツル艶々してやや青い卵色をしたハリのある身だ。

「……美味しいの?」

「美味しいが、ニンニクだからなぁ。臭くなるかな。食べてほしいとはこれっぽっちも思っていない。むしろさっさと帰れ」

 こっちは本気でそう言ったのだが、何を勘違いしたかすっかり興味が沸いたらしい。

 結婚しなさいと周りからせっつかれているだろう妙齢の独身女性が妙にかわいいそぶりをして見せるのもミスマッチで、最初は面白かったが最近はどうにも透けて見えるのよくない。

 追加の葱と大根を一緒に入れて鍋のそこにニンニクを沈める。

「エー美味しい!」

「いいから食ったら帰れよ」

 邪険なフリをしているのでなくて本当に可能な限り邪険にしているのが目の前の生き物にわからないのだろうか。そんなことを考える。

 ふと思い当たることがあった。

 はっきりさせておくべきことに思い至ったのだ。

「……あのさ、キミとは結婚できないから」

「は?」

 何を言ったのかわからないようだったからもう一度繰り返す。

「キミとは結婚できないから。オレ、子供いるし」

「は?え?」

 言葉の意味が上手くつながらなかったようなので、改めて繰り返すと、彼女の顔が焙られたように赤くなった。鬼面というのはあるのだなぁという変化は実に興味深かった。

「ふ、ふざけないで!そんなつもりで来たんじゃないから!見損なわないで頂戴」

 脛をちゃぶ台にぶつける勢いで立ち上がり、戸口で律儀に、ご馳走様美味しかったわ、と言い捨てると彼女は出て行った。

 実にあっけなく解決したことをどう捉えてよいのかはよく判らないが、とりあえず雑炊を食べることにして、娘に感謝のメールを送ることにした。

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