第11話 神官長が困惑中
王城から馬車で神殿へと戻ってきた神官長は、執務室に向かうべく、長い廊下を歩いていた。
「神官長、お帰りなさいませ」
大きな柱の影から現れた人物に、神官長が足を止める。
見覚えのない顔だが、まだ幼いその人物に、神官長は警戒もせず返事を返した。
「どちら様かな? すっかり物覚えが悪くなってしまってね」
無表情で返された言葉には、まるで感情が乗っていない。
「ご無沙汰しております。冒険者ギルド職員のリオです」
「ああ、リオ君か。どうかしたのかい?」
リオが個人的に神官長に会うのは、これが三度目だ。前回から一年近く経っているので忘れていても仕方がない。
そう思いながら、リオは懐から封筒を取り出した。
「ダライアス殿下より、書状を託されております。ご確認の上、今ここでお返事を頂きたいと思います」
昨日、ギルド長ヴィンスと話をした浩之は、書状を書いてくれるよう頼まれた。神殿関係者に接触出来ないヴィンスのために、浩之はその申し出を快く引き受けた。
その書状を、リオは神官長へと差し出す。
「書状? つい先程、殿下にお会いしたばかりだが、何も言ってなかったけれど」
「人に聞かれては困る内容なので、お話ができなかったのでしょう」
神官長が封蝋を確認する。王家の印に触れ、鑑定魔法を発動し、本物であることを確認した。
本来ならば、執務室まで行ってから封を解除するのだが、神官長は特に気にした様子も見せず、その場で封を切った。
そして最初の一文で、目を見開く。
その様子をじっと見つめていたリオは、神官長の瞳に生気が戻る瞬間を見逃さなかった。
「ここに書かれている内容は、確かなのか?」
怒気に近い声音に、リオが萎縮する。
神官長にまで上り詰めた人物の威圧に、思わず膝を折りそうになったリオは、グッと足に力を入れ、頷いた。意識して呼吸をしなければ倒れそうだと、拳を握りしめる。
「娘の死が、黒龍のせいではなく、人間に殺されたなどと」
苦い口調の割に、声は弾んでいる。長年、どこにもぶつけることが出来なかった怒りの感情を、漸く開放出来ると喜んでいるようにリオには見えた。
行き場を失った怒りの矛先を見つけた神官長の、狂気に近いその感情に呑み込まれそうになりながら、リオは一抹の不安を抱く。
「今からでも構わないのか? すぐにこの施設に行って、犯人を特定しようじゃないか」
その言葉に、リオの顔が青褪めた。こうなる可能性は予測出来ていたが、想像以上の魔力の昂りに、身を震わせる。
「い、今、ギルド長は聖女とともに地下牢にいます。ですので……」
「過去視が出来るのが、ギルド長なのか?」
「い、いえ……僕が……」
リオが言い終わらない内に、神官長がリオの両肩に手を乗せる。
「そうだろうとも。君が過去視をしたんだろう? 私は鑑定魔法が使える。過去視とは少し違った魔法のようだが、それで十分だ」
肩に乗せられた手から、魔力が流れ込んでくる。クラリと目眩のような感覚と同時に、景色が一変した。
神官長が転移魔法を発動したのだと気づくのに、時間はかからなかった。
目の前の神官長の身体が傾ぐ。無理な魔法の使い方をしたせいだと、リオは慌てて抱き留めた。だが小柄なリオには支えきれず、神官長ともども倒れ込む。
その拍子に、リオの過去視が発動した。強い思念に引っ張られて。
扉が開く。
頭からすっぽりと外套を羽織った人物が、足音を立てないように、慎重に歩いていた。
一番手前にあった部屋に静かに入ると、しっかりと施錠する。
窓際まで進んだその人物は、近くにあった机に短剣を置いた。
血に濡れたその短剣の横にあるのは、通信用の魔導具だった。
「そろそろかしら」
呟やかれた声は、女のものだった。
女が窓に近づいた瞬間、辺りが明るくなる。それがセルツベリー公爵家が使用した禁術だということに、女は気づいた。
それと同時に衝撃波が襲う。距離があったため、ガラスにヒビが入る程度ではあったが、地響きは相当なものだった。
次第に光が収束していく。窓枠にしがみついていた女が、息を吐き出した。
通信装置がリンっと小さく音を立て、明滅する。
女がその魔導具に手を翳すと、声が聞こえて来た。
「黒龍が、王都まで入って来たわ!」
女の金切り声が響いた。
「そう、結構中まで入っちゃったのね」
「呑気なこと言わないでよ! 神殿も壊されちゃって、大変なんだから!」
通信装置越しに、小さく破壊音と黒龍の咆哮が聞こえてくる。
「国王は、もう参戦してるんでしょう?」
「うん、でも本当に大丈夫なの? 黒龍の暴れ方が尋常じゃないんだけど」
「なんとかなるわよ。どうしても怖かったら、地下にでも逃げていればいいわ」
「うん。そうする。それで? シンディーは殺せたの?」
「ええ、もちろん」
チラリと机に置かれた短剣に目をやった。時間が経つにつれ、血の色が鈍い色へと変わっていく。
「良かった! これでダライアスは私のものね!」
「あらあら、イヴったら、気が早いわよ」
「だってこれだけ黒龍が暴れてるのよ? マーリーン姫の留学だって、無理でしょう? 邪魔者も全員、殺したし、後はセルマを悪役に仕立て上げれば完璧よ」
女が興奮しながら、早口で捲し立てた。
「はいはい。それじゃあ、あたしもそろそろ動くわ」
「そうね。頑張ってね。また王都で会いましょう、シェリー」
「ええ、またね」
通信装置が小さくりんっとなると、魔力供給が途絶えた。
女は羽織っていた外套を脱ぎ、窓を開け、外に投げ捨てる。そして魔法で燃やした。
外套の下の服装は、巫女のものだった。
そこで女の顔がはっきりと分かる。
イヴ付きの巫女、シェリーだと。
ゆっくりと目を開けた神官長に、リオが小さく声をかけた。
「大丈夫ですか?」
過去視から戻ってきたリオは、すぐに神官長の下から這い出し、うつ伏せになってしまっている神官長を仰向けにさせた。
「……あれが、真実か……」
「……はい」
されるがままの神官長が呟くと、リオが不安げに返事をした。
沈黙がおりる。
どう言葉をかけようかと、考えあぐねいていたリオが、意を決して口を開いた。
「もっと早く、報告するべきだとも思ったんですが、神官長への伝手がなくて……」
「そういえば、聖女様が冒険者ギルドを毛嫌いしていたな」
仰向けに寝転んだまま、神官長がリオに目を向けた。
「まあ、やろうと思えば、神官長に接触は出来たんですが、この時期が一番良かったもので」
実際に過去、三回ほど接触はしていた。だがそれは正式なものではなく、待ち伏せや偶然を装った強引なやり方だ。
「この時期?」
「黒龍が復活するこの時期です。ついさっき、届いた魔法便です」
仰向けになっている神官長にも読めるように、さっとリオが手紙を広げた。
「先程、ダライアス殿下が黒龍を二体、狩ったそうです」
「黒龍を……二体?」
手紙に書かれた内容を見て、神官長が目を見開いた。
「文字通り狩ったので、素材として売ることができます。ちゃんと売れる程度まで傷が回復していないと困るので、それまで待っていました」
「待っていた?」
「はい。万が一、結界が必要になった場合、その結界を張れる人がいないと困るので」
「ああ、結界を張るための聖女様を、捕らえられたら困るのか」
「いいえ。あれは偽物ですから、結界は張れませんよ。神官長は鑑定が出来るのに、気づかなかったんですか?」
「ああ、言われてみれば。最初からおかしな人物だったな」
予言が出来ると言い張っていたが、鑑定結果ではその事実はなかった。無能に近い魔力量だったが、実際、予言は当たったのだ。数回、程度だが。
だから、結界が張れると言われて、そうなのかと、自然と受け入れていた。そこまで考えて、神官長は首を傾げる。
「未来視など出来ないはずなのに、何故予言が出来た?」
「その説明は長くなるので、また今度にしましょう。それよりも、結界を張るのは神官長にお願いするつもりでした。ただ、神官長が復讐に走った場合のことを考えると、なかなか切り出せなかったというのが本音です」
確かに、と神官長が頷く。
ずっと黒龍のせいで死んだと思っていた娘が、実は人間の、しかも偽物の聖女と巫女に殺されたのだと分かったのだ。
しかもよく分からない理由で。それでも身勝手な理由で殺されたことだけは理解できた。
「もう、結界は必要ないのだろう?」
ムクリと起き上がった神官長が、にたりと嗤う。
その表情に背筋を震わせたリオは、言葉を発することが出来ず、代わりにコクリと頷いた。
「ならば、やることは一つだ」
今にも駆け出しそうな神官長に、リオがギュッと抱きついた。
それを振り払おうとした神官長に、リオが慌てて言葉を放つ。
「止めはしません。ですが、魔力は既に枯渇してますよね? 転移の魔法陣を近くに設置してあります。それを使って、まずは冒険者ギルドへ行きましょう」
また転移魔法を使用する可能性に思い至り、リオがそれを阻止した。神官長ほどの者ならば、命を削って魔力に変換出来ることをリオは知っていたからだ。
本来は、この場所に来る際も転移陣を使用するはずだったのだが、神官長が無理矢理、リオごと転移してしまい、魔力が枯渇した。
上手く説明が出来なかった自分の落ち度だと、リオは猛省する。
「今、ギルド長が、偽聖女を捕らえに行っています。一応、聖女なので……その、どこの牢に入れるかは、まだ決まっていないようです。なので、一度ギルド長と話をしてみてください」
偽物とはいえ、聖女という称号を得ているため、もしかしたら王城内の貴族牢に入れられる可能性もある。
そしてその王城の貴族牢に入れるための許可も、下りている状態だ。
暗にそう示唆したリオに、神官長が眉を吊り上げた。
「なるほど。このことはもう既に陛下も殿下も知っているのだな?」
「はい。ご存知です。神官長が何をしても、きっと目を瞑るでしょう」
リオの言葉に、神官長が驚愕の表情をする。
貴族牢に入るのならば、手出し無用という思惑があるのだろうと考えていたからだ。
「巫女の方は恐らく、地下牢に入れられると思います」
もう駆け出す心配もないだろうと、リオが神官長から離れる。
「そうか。ならば先ずは、冒険者ギルドで、ゆっくりとギルド長の帰りを待つとしよう」
偽聖女に、直接裁きの鉄槌を下せることが分かり、神官長がほくそ笑む。
およそ神職者とは思えないその黒い笑みに、リオは震え上がった。
「では、転移陣へ案内してくれ」
青い顔で震えているリオに、神官長は満面の笑みでそう告げた。
◇ ◇ ◇
浩之は困惑していた。
国王と王妃のイチャつきっぷりに。
「あー、父上。お熱いところ、すみませんが、お話があります」
急な浩之の声掛けに、国王と王妃は飛び上がった。
「ダ、ダライアス! いるならいると、言ってくれ!」
「ノックは散々しましたよ。盛り上がっていて気づかなかったようですが」
「そ、そうか。それはすまなんだ」
「いえいえ、お邪魔してすみませんが、早めに話しておきたいことがありましてね」
やれやれという感じで、浩之が執務室へと入ると、ソファーへと腰を掛けた。
ちなみに二人は裕之の向かい側のソファーで、睦み合っていた。
二人が姿勢を正し、裕之と向かい合うと、咳払いを一つする。
「して、話したいこととは?」
「はい、先ずは隣国、イージリアス国の王子についてです」
「ああ、命を削って結界を張ると言っていたが……確かに、今年で十二歳になるが……」
神殿で読んだ文献の内容を思い出し、浩之は頷いた。
黒龍の呪いにかかると、十二歳までしか生きられない。その間は酷くもがき苦しむ、という文献を。
「父上も、黒龍の呪いに関する文献を、知っておられたのですね」
「隣国が情報を求めている旨を神殿側に話した際に、その文献を見せてもらった。神殿側から隣国の神殿へとそれを報告させた」
「そうでしたか。実は俺……私もその文献を個人的に読む機会がありましたので、知ってはいました。ただそこには記されていませんでしたが、黒龍の呪いは、呪った黒龍を倒せば解除されるようです」
「そうなのか!」
身を乗り出し、浩之の言葉に驚く国王に、笑みを浮かべる。
「はい。先程、確認してきました。あちらの国王陛下に、謁見させて頂き、お礼を直々に言われましたよ。それと、マーリーン姫にも、感謝、されました」
うっかり『ダライアス』の感情に引っ張られそうになり、浩之は慌てて気を引き締める。
あの時の様子を思い浮かべた『ダライアス』は、内側で大いに喜び、照れていた。
「そうか。良かった。本当に良かった」
国王と王妃は手を散り合って喜んだ。王妃は涙さえ浮かべている。
「それと、聖女のことについてですが……」
すっと表情を消した国王に、浩之はどこまで知っているのだろうかと、疑問を抱く。
「既に貴族牢へ入れる手筈は整っている」
「貴族牢……ですか?」
不満気にそう聞き返した浩之に、国王は苦笑した。
「言いたいことは分かるが、あれでも聖女だ。信奉者もいるのでな」
「あれに、ですか? 予言と言っても、役に立たないものばかりだったのに?」
黒龍の襲撃の際、大きな山や河川が破壊され、地形が大きく変わったこの国で、イヴの予言は余り役には立たなかった。
大きな嵐が来ることは当てられても、被害の出る場所が違ったり、既に対策済みで被害自体が出ないこともあった。貧乏故に、如何に被害を減らし、少ない資金で遣り繰りするかに命を懸けた役人たちの執念の賜物だ。
そして、予言の中には世界に一つしかない発掘物も何個かあったのだが、それが売れるような代物でないと分かった時点で、金のかかる発掘作業はしないと、王家からのお達しをだした。
結局のところ、予言は当たるのだが、役には立たず、唯一役に立ったのは、黒龍の襲来くらいだ。だがそれも、隣国イージリアス国の巫女の方がより正確な予言をしていたので、実質、あってもなくても良かった予言だった。
「まあ、一日も居ないだろうから、気にするな」
「神官長に、連絡は?」
「既にあの場所に飛び、過去視を見たそうだ。今は冒険者ギルドに居る。神殿にはもう、帰らないだろうな」
それが何を意味するのか、浩之にも分かった。だがそれで本当に良いのかと、思わず唸ってしまう。
「神官長の娘についての酷評は、ダライアスの耳には、入っていないだろう?」
「酷評?」
「十年前のあの時、本来ならば、神官長の娘シンディーが、予言を元にあの場所に結界を張る予定だった。それなのに、間に合わなかったのだと言われている。寝ていたという話もあれば、遊んでいたという話もある。結局のところ、職務怠慢だという誹りの内容だ」
神殿内では随分とその話が広まっていたが、外部には殆出てきていないことに、国王は陰湿さを感じた。
「神官長をその座から落とそうとした者まで現れたが、そういった輩は、何故か突然、魔力を失うという事態に陥った。そのせいもあり、神官長に物申す者はいなくなったらしいがな」
神の逆鱗にでも触れたのだろうと、国王は神妙な表情で付け足した。
「父上は、その、神官長の娘が殺された経緯は、ご存じなんですか?」
「ああ、過去視を見せてもらった」
チラリと王妃に顔を向けた国王は、青くなっている王妃の肩を抱く。
その様子に、王妃も過去視を見たのだろうと、浩之は推測した。
「彼女が結界を張ろうとしているところに、短剣を持った女が近づき、彼女を刺した。複数箇所刺され、その場に倒れたシンディーは、そのまま事切れた」
「短剣で……それならば、他殺とすぐに分かりそうなものですが?」
「その女の能力なのだろうな。巫女には特殊な能力を持つ者が多い。傷口はそう見えなかったそうだ。まるで黒龍の爪で引き裂かれたように、胴の真ん中に大きく、深い傷があったと報告されている」
だからと言って、本当にそれで隠し通せるのかと、浩之は疑問に思う。腑に落ちないという表情をしていたのだろう、国王が補足する。
「神官長は鑑定魔法が使える。もし、遺体を見ていたならば、見破れただろうにな」
「ご遺体には、会われなかったんですか?」
「会えなかったと言った方がいいな。あの当時は、治癒魔法をかけに、国内を飛び回っていた」
なるほどと、浩之は納得する。当時は死人も多く出たが、怪我人も当然多かった。
誰もが混乱し、正常な判断も出来なかったのだろう。
そして神官長は、役目に翻弄され、実の娘の葬儀にさえ出れなかったのだろうと容易に想像出来た。
「だからと言って、復讐を容認するのは……」
「そうだな。だが、聞けば聞くほど、非道だろう? あの偽物がやったことは」
国王がどこまで知っているのかと、最初に考えた浩之だったが、全部知っているのだろうと、改めて気付かされた。
本来ならば、十年前のあの日に黒龍はこの国に被害を出すことなく、退治されていたはずなのだ。それなのに、あの偽物たちのせいで、多くの民が死に、苦しんだ。
それは紛れもなく、故意に行われたことであり、許されることではない。
「はい。その通りだと思います」
それでも、と思ってしまうのは、甘さ故か、身近な大切な人を殺されたことがないからなのか、浩之には判断がつかなかった。
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