第5話 ファンタジー過ぎて困惑中

 ここ数日の朝の登園時間は、浩之にとって実に快適なものだった。


 セルマを拒絶した日から一週間ほど経過したが、あれから登園はしていないようで、姿は見ない。そして聖女イヴもまた、登園していないようだった。


「嵐の前の静けさだったりしないだろうな?」


 馬車から降りて、学園内に入ろうと歩き出した浩之は、ついそんなことを呟いてしまっていた。


「もしかして殿下、寂しいのですか?」


 憐憫のこもった目でそんなことを言うダレルに、浩之は心外だと顔を顰めた。


「そんなわけないだろう! ただ少し嫌な予感がするだけだ」

「やめてくださいよ、嫌な予感だなんて。当たったらどうするのですか」

「聖女が登園しない理由は聞いただろう?」

「はい、何者かに暗殺されかけたとか」

「間違いなく、あの女の仕業だろうな」


『ダライアス』がセルマを拒絶したということは、イヴが『ダライアス』の婚約者に収まる可能性が大きくなったということだ。

 このタイミングでイヴを暗殺しようとする者など、ずっと敵対していたセルマ以外にはいない。

 コクリと頷いたダレルに、浩之は大きく息を吐き出した。


「何だかこっちにも何かしら仕掛けてきそうでな」

「確かに……。仕掛けるならば、王宮ではなく、学園の方がやりやすいでしょうからね」

「ああ」


 そんな会話をしながら図書室へと向かった二人は、そこにイヴが居たことに酷く驚いた。


「殿下、ご無沙汰しております」


 制服のスカートを摘み、軽く腰を落として頭を下げたイヴに、浩之が動揺する。


「クロスウェル嬢、久しいな。暗殺されかけたと聞いたが、登園しても大丈夫なのか?」

「はい。本日から護衛を付けての登園になりますが、一先ず大丈夫かと」

「そうか。それは良かった」


 イヴの発言に、浩之はホッと胸を撫で下ろした。彼女が登園したということは、それなりに学園は安全なのだろうと判断したからだ。だがそれが間違いだったと、この後気付くことになる。


「ご紹介します。彼女はあたしの護衛を勤めてくれる、シェリーです」

「お初にお目にかかります。シェリーです。よろしくお願いします」


 歳は三十くらい。聖騎士の制服を着ているが、護衛という割には線が細すぎる。そんな感想を浩之は抱いた。


 挨拶の後、深く頭を下げた女性は顔を上げると、上から下までマジマジとダライアスを眺めた。その不躾な視線に、浩之は顔を引き攣らせる。

 紹介を受けている以上、自分がこの国の王族だと分かっていてのその視線に、何か確認しなければならないことがあるのかと、浩之は訝しんだ。


「シェリーはこんな格好をしていますが、神殿の巫女です。あたしが幼少の頃、神殿に入ってすぐ側付きになったんですよ。彼女には随分とお世話になっているんです」


 『巫女』というイヴの言葉に、『ダライアス』が前世の記憶を持っていることを見破ったのかと、浩之は焦った。実際、巫女には珍しい能力が開花する者が多い。その中には『鑑定』という、希少な能力も含まれていたので尚更だった。


「そうか。これからも顔を合わせることが多いと思う。よろしくな」


 そう言って引き攣った笑顔を見せた浩之に、たった今紹介されたシェリーがとんでもない発言をした。

 だがそれはイヴの耳元に囁かれたもので、浩之は辛うじて聞き取れるくらいのものだった。


「うわ〜、本物の王子だわ。ゲームのスチルで見るより断然カッコイイわ」


 その小声に、イヴがウンウンと頷いている。

 聞こえてきた『ゲームのスチル』という言葉に、浩之は戦慄した。

 そして続けて早口で確認を取るシェリーに、浩之は確信する。彼女もまた『前世持ち』だと。


「次のイベントが勝負よね。ちゃんと助けてくれるかしら」

「ええ、大丈夫よ」


 『次のイベント』『助けてくれる』という言葉に、先程の嫌な予感が蘇り、浩之の背に、冷たい汗が伝う。

 特に『助けてくれる』という部分は、何かしら良からぬことが起きることを予感させる発言だった。

 その何かしらの出来事が、セルマによるものなのか、全く関係のない何かなのかは分からないが、浩之は酷く警戒した。


「あの、殿下。実は……」


 そうイヴが切り出した時だった。

 大きな音と共に、大地が揺れる。


「きゃっ、地震!」


 この国では地震はめったに起きない。それなのに揺れを感じてすぐに『地震』と言ったイヴに、やはり前世の、それも日本の記憶があるのだと浩之は再認識した。


「殿下、魔物です!」


 すぐ側に控えていたダレルが声を上げた。


「魔物は一体。ですが、これは……ザラタンです」


 ダレルの探索魔法に引っ掛かった魔物は、実に意外な魔物だった。


「ザラタンって……海に出る魔物だったよな。船乗りが陸と間違えて上陸するくらい、ものすごく巨大な亀のような魔物だと聞いたことがある」

「はい、そのザラタンです」

「何でザラタン? 召喚魔法で出すにしたって、もっとこう、違う魔物でもいいだろうに……」


 思わず呟いてしまった浩之だったが、いまいちザラタンという魔物の脅威度が分からなかった。

 実はザラタンは、前世の記憶にあったものだ。架空の生き物として物語に出てくる。そんなものとどう対峙していいのか分からず、本気で困惑した浩之だった。

 そんな浩之を他所に、イヴとシェリーが興奮したように声を荒げた。


「来たわ!」

「ええ、後はどっちが倒すかによって、好感度が分かるわ!」

「あたしはずっと殿下狙いで動いていたから、大丈夫よ。まあ、ダレルだったとしても悪くないけどね」


 大きな声で交わされた会話に、浩之は『やっぱりダレルもハーレム要員だったのか』と静かにダレルへと目を向けた。

 だがダレルは真剣な表情でダライアスへと声をかける。


「殿下はここから動かないでください」

「待て、ダレル!」

「私は殿下の護衛です」

「分かっている。そうじゃない。良いから聞いてくれ!」


 ダレルがここから飛び出して行かないよう、浩之は強くダレルの腕を掴んで引き止めた。


「アレはきっと高く売れる!」

「は?」


 この緊張感の中、突然の脈絡のない言葉に、ダレルが呆けた。その隙をついて浩之が巻くし立てる。


「滅多にお目にかかれない魔物だ。アレは素材として活かせるのか? もしくは、収集家に売れたりしないだろうか?」

「……売れるとは思いますが……」

「そうか! じゃあ、生きたままの方が良いのか?」

「いえ、生きたままは流石に……」

「そうか、分かった!」


 ダレルを差し置いてここから駆出そうとするダライアスを、今度はダレルが引き留めた。


「殿下! 貴方は護られる側です!」

「いいから、行くぞ!」


 ダレルの腕を引き、浩之が駆け出す。ダレルもまた一緒に駆け出すと、イヴとシェリーが後に続いた。


 外に出ると、巨大な亀のような魔物が学舎の一部を破壊していた。


「でかいな。学舎と同じくらいあるぞ」

「はい」

「だが、島と間違える程ではないな。黒龍と、どっちがでかいかな?」

「黒龍の方がもう少し大きいかと」

「そうか」


 ダレルの返答に、浩之は少しばかり安心した。こんなにも巨大な魔物を前にしても、恐怖をまるで感じていなかったからだ。もしかしたら、黒龍と対峙しても、問題なく戦えるのではないかと楽観視する。その根拠は『売れば金になる』からだ。

 そういえば前世でも預金通帳を眺めてはほくそ笑んでいた『金の亡者』だったなと、浩之は苦笑した。


「ダレル。高く売るにはどう倒したらいいと思う?」

「甲羅は特に高く売れるので、傷はなるべく付けない方が良いかと」

「じゃあ、首を落とすか?」

「いえ、あの巨体ですから、首を落とせば血の海になってしまいます」

「じゃあ、凍らせるか?」

「あの巨体を丸々、ですか?」

「ああ、丸々だ。よし、狩るぞ!」

「殿下!」


 言うが早いか、浩之はすぐに行動に移していた。

 それは一瞬の出来事だった。

 浩之が魔物に向かって手を差し出したと思った次の瞬間、ザラタンは氷漬けにされる。その場にどおんと大きな音を立てて転がったザラタンだったが、幸い学舎の反対側へと転がった為、倒壊は免れた。


「ああ、良かった。学舎の方に倒れ込まなくて。修繕費が大変な額になるだろうからな」

「……はい、そうですね」


 驚きと共に呆れた様子のダレルだったが、聞こえてきた甲高い声に、再び警戒する。


「何故私が召喚した魔物が凍っているのよ!」


 声のした方に目を向ければ、隣の学舎の屋上で、セルマが髪を振り乱し激昂していた。


「ああ、やっぱり彼女だったか……」


 浩之はイヴたちの会話から、この騒動の犯人はセルマだと確信していた。だがここで、ひとつ残念な思いが浮かぶ。


「彼女がこれだけの魔物を召喚出来るのが分かっていたら、もっと違う方向で活用出来たかもしれないな」

「……まさか、彼女に魔物を召喚させて、その魔物を素材として売る、とか言わないで下さいよ?」

「なんだ、駄目なのか?」

「召喚魔法は、通常十人程の召喚師が必要です。それをたった一人で召喚するためには、それなりに『カラクリ』があるはずです」


 ダレルの言う『カラクリ』が、とても良くないものだと悟り、浩之は項垂れた。


「じゃあ、この魔物も売るのは止めた方が良いのか?」


 恨みがましく浩之がダレルを見遣れば、緩く首を振る。


「今はそのことよりも、彼女を捕らえる方が先です」

「確かにな」


 言うが早いか、浩之は音もなく魔法を繰り出した。

 黒い鎖のようなものが、セルマのいる学舎の屋上の床から這い上がる。セルマの身体を一気に絡め取った黒い鎖はギチリと音を立てて締め上げた。


「きゃあ、いやーーーー!」


 その魔法がかなり不味いものだという認識はないのだろう。セルマの身体が真っ黒に染まって初めて浩之は狼狽えた。


「なんだ! 様子がおかしぞ?」

「殿下! あの魔法は何です?」

「え? ただの拘束魔法だが? え? 違うのか?」


 浩之自身、よく分かっていない魔法は、更に暴走を続けた。


「ぎゃああああーーー! やめてーーーー」


 セルマの絶叫と共に、空中に黒い靄が現れた。それは次第に大きくなると、丸い円を描く。そしてその中央に、何かが映し出された。


『侯爵、本当にこの秘術を使うのですか?』

『ああ、もう既に生贄は用意してある』

『黒龍の侵略など、この結界の前では意味を成さん』

『はい、確かにその通りでごまいますね』


 映し出されている人物は二人。その一人は間違いなく、セルマの父親、セルツベリー侯爵だった。

 そして場面が切り替わる。

 ボロボロの服を着た痩せ細った者が十人程、魔法陣の中央に座らされていた。ゆっくりと左に画像が流れると、そこには今まさに秘術を発動している魔導師がいた。その横で、セルツベリー侯爵が高らかに嗤っている。

 生贄の者たちの悲鳴が轟く中、光が溢れ出した。それが結界となりセルツベリー領を覆ったのだと、浩之とダレルは理解した。


「あれは……彼女の記憶を映しているのか? そういえば、彼女があの場にいたって言ってたな」

「そのようですね。ですが、無理やり記憶を引き出して、彼女は無事なのでしょうか?」

「……これは流石に不味いかもな……」


 浩之はとっくに魔法を解除していた。だが、なかなか魔法が消えないことに焦ってしまう。

 それでも空中に映し出されたものが消えると同時に、セルマに巻き付いていた鎖もゆっくりと消えていった。

 どさりとその場に倒れ伏したセルマに、ホッとしたのも束の間、死んでしまったかもしれないと二人は顔を青くする。


「大丈夫ですよ。死んではいません」


 二人の焦燥を他所に、近くまで来ていたイヴが、そう声をかけてきた。


「そ、そうか……」


 ゲームの知識でセルマが生きていることを知っているのだろう。そう思って安心したように浩之が言えば、イヴは頷いて見せた。


「ですがこれで、セルツベリー侯爵家は終わりですね」

「……だが、あれが証拠になるのか?」

「なりますよ。王族である殿下、その側近、そして聖女であるあたしに、巫女が観たんですから、十分証拠になると思いますよ」


 自信満々に言うイヴに、先日聞いた『一月後には処刑よ』という言葉を、浩之は思い出す。これも筋書き通りなのだと理解して、頷いた。


「そうか」

「ふふ、これであたしが殿下の婚約者に内定ですね!」


 今それを口にするのかと、なかなかに自分本位なイヴに、浩之は苦笑した。

 だが、ダレルは怪訝な表情をイヴへと向ける。それを何を勘違いしたのか、イヴはとんでもないことを言い出した。


「ダレル様、あたしのことは諦めてください。あたしは殿下以外の方と、結ばれるつもりはありませんので」


 益々眉間に皺を寄せたダレルは、嫌悪感から会話をするのも嫌だと口を噤む。その様子に益々勘違いをしたイヴは、わざとらしく息を吐き、「あなたの想いに応えられず、申し訳ありません」などと、自分自身に浸っていた。


 流石の浩之も『頭は大丈夫か』とイヴをまじまじと見遣る。そのことに頬を染めたイヴは、まだヒロインに酔っているようにダライアスに言った。


「そのように見つめられると、恥ずかしいですわ!」


 くねくねと身体を捩るイヴに、浩之も堪らず目を逸す。何故ダレルがイヴを嫌っているのかが、分かった瞬間だった。

 『気持ち悪い』

 その言葉が頭に浮かんだ。それが『ダライアス』のものなのか、自分のものなのかは分からなかったが、浩之は強く同意した。

 イヴの相手をするつもりもない浩之は、ダレルへと目を向ける。


「とりあえず、彼女を拘束する」


 ダレルは向かい側の学舎の屋上にいるセルマを見遣り、ついで目の前に転がっている氷漬けにされた魔物に目を向けた。

 あの魔法の持続時間はどのくらいなのだろうかと、つい危惧してしまう。それを察した浩之は、大丈夫だと言いたげに頷いた。


「あら? 誰かが騎士団を呼んでくれてたみたいですよ」


 イヴの言葉に、浩之は周囲を見回した。すると学舎の隅の方に、何人かの教師の姿が見えた。何故こちらへ来ないのかと訝しんだ浩之だったが、魔物のせいで壊れた学舎の一部が、上から垂れ下がっていることに気づき、あの下を通るのは危険だと判断したのだろうと納得する。

 そして教師たちに怪我はないのかと心配になった。逆にあちらも、ダライアスたちに心配気な視線を向けている。


 そんなことを考えていた浩之の耳に、馬の蹄の音が聞こえてきた。

 ダレルが音の方へと身体を向けると「私が通信魔道具で、呼んでおきました」と言って、手を懐に入れ、『通信魔道具』を軽く掲げる。懐に入る程に小さい魔道具を見遣り、浩之は記憶を探った。

 魔力を流して念じれば、相手に思いが伝わる魔道具で、相手を選ぶことも出来る、なかなかの優れものだと理解する。


「流石、ダレルだな」


 仕事の出来る優秀な側近に、浩之はただただ感謝した。

 そんなやり取りをしていた二人に、大きな声がかけられた。


「殿下! お怪我はありませんか!」

「ああ、問題ない!」


 怪我がないことを報せるように、浩之は大きく手を振った。


 騎士団が合流し、セルマの拘束が迅速に行われ、教師たちも無事救出された。

 学舎はこれ以上倒壊しないよう魔法で固定されたが、補修工事を行うだけの予算をどこから捻出するかで、議論となってしまう。

 そんな中、騎士団の団長がチラリと氷漬けにされているザラタンを見遣った。つられて浩之とダレルも目を向ける。


「やはりこの魔物を売るべきだろうな」


 浩之がそう言うと、ダレルが苦い表情をする。


「もし売るのであれば、冒険者ギルドに持っていくのが適切かと」


 騎士団長は意外にも賛成なのか、助言までも付け足してきた。そのことに顔を輝かせた浩之は、すぐさま行動に出る。


「よし、早速行ってこよう」


 善は急げと浩之が魔物へと手を翳した。するとあの巨体が音もなく一瞬で消え失せる。

 その瞬間を目の当たりにし、ダレルと騎士団長が驚愕に目を見開いた。

 先日、王城の近衛兵たちにも似たようなことをして詰め寄られそうになった浩之は、ここでもさっさと退散することにする。


「ダレル、後は任せてもいいか?」

「え! あ、はい」


 二人が呆けている間に浩之は転移魔法でその場を後にした。だがそれもまた二人を驚かせてしまうのだが、浩之は浮かれていたせいで気づいてもいなかった。



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