第4話 今度はダレルが困惑中

 まさか昨日の今日で、いつも通りに自分の前に姿を現すとは思っていなかった浩之は、その強靭な精神にただただ恐怖した。


「殿下! 私、気づいたのです! 殿下のことを愛しているのだと!」


 昨日と同様、早い時間に登園した浩之は、いつもと変わらず馬車を降りて早々に、セルマに捕まった。

 昨日、憤慨しながら談話室を去ったはずの彼女は、満面の笑みでダライアスの腕へと自身の腕を絡めてきた。そして声高に愛を叫ぶ。

 そんなセルマに浩之は思わず辺りを見回し、イヴの姿を探した。いつもならばセルマよりも先に来ているのにと、今日に限って姿を現さないことに狼狽える。その感情に浩之は違和感を覚えた。もしかして着々と主人公に攻略されているのかもしれないと、思わずニヤけてしまう。


「殿下! 私は本気です! 殿下の聡明さに、逞しい体躯、それになんといっても顔が良い!」


 恍惚とした表情で言い募ったセルマは、その勢いのまま益々ダライアスの腕を抱き込んだ。

 イヴを探していた浩之は、絡められた腕から伝わる柔らかい感触に、一瞬デレっとしそうになる。だが、後ろに控えていたダレルの冷たい視線を感じ、表情を引き締めた。


「セルツベリー嬢。離してくれ」


 自分の口から、酷く低く、冷たい声音が出たことに浩之自身が驚いた。『ダライアス』の不快感が伝わってきたと思った瞬間、浩之の意識がすうっと薄れる。


「殿下。私は本当に、殿下のことをお慕い申しております」


 勢いを失くしても、腕から離れないセルマに、『ダライアス』が命令をする。


「離れろ」


 怒気を含んだその言葉に、流石のセルマも絡めていた腕を離す。そして潤んだ瞳でダライアスを見上げた。


「殿下、私は……」


 だが『ダライアス』は容赦なくセルマを突き放した。


「近づくな。汚らわしい」


 心底軽蔑した目を向けられ、セルマは言葉に詰まる。

 それを見ていたダレルは、随分と感情的になっているダライアスに、思わず首を傾げた。


「珍しいですね。殿下がここまで嫌悪感を顕にするなんて」


 セルマが聞いていようとお構いなしに、ダレルが聞けば、『ダライアス』も気にした様子もなく、はっきりとその理由を口にする。


「人の命を軽く見ている者に、気を遣う必要などないだろう」

「なっ! それはどういう意味ですの!」

「言葉のままだ。父親に秘術のことは聞いたのだろう?」

「え? い、いえ……聞いておりません……」

「ならばしっかりと聞いてこい。そして二度と私の前に姿を現すな!」

「そ、そんな……」


 殺気にも似た威圧を出す『ダライアス』に、セルマの身体は震え上がった。普段優しい姿しか見せない『ダライアス』の怒気に、セルマは何も言えずその場に立ち尽くしすしかない。


 セルマを残し、『ダライアス』は学園内へと足を進める。そして、誰もいない廊下に差し掛かると、後ろからついてきていたダレルをゆっくりと振り返った。


「なあ、ダレル。『ダライアス』って、潔癖症なのか?」

「……は?」


 聞かれている意味が理解できなかったのか、ダレルは思わず素で返してしまった。


「なんか虫唾が走る程の嫌悪感で、流石に引いたんだけど……」


 前に『ダライアス』との違いを見抜いたダレルならばと、何の気なしに浩之は問いかけた。自分と『ダライアス』が別人格なのだと、ダレルが理解していると思い込んでいた浩之だったが、ダレルが酷く困惑している様子に、思い違いだったのだと気づく。


「えーと……俺と『ダライアス』が別人格だってこと、気づいてたんじゃないのか?」

「はあ、まあ……そうではないかとは思っていました」


 曖昧に答えたダレルだったが、別人格だという認識があるのならば、そこまで困惑することはないだろうと、浩之は首を傾げる。


「俺と『ダライアス』は、多分、そのうち融合するんだと思う。だがなんというか、『まだ』融合したくないみたいでな」

「融合……」


 今度はダレルが首を傾げた。顔には何の話をしているのかという表情を浮かべている。


「別人格であっても、それは今だけだ。何かしらの理由があって『俺』を呼び覚ましたんだろうけど、まだそれが何なのか、分からない」

「……そう……ですか」


 益々困惑した表情を見せるダレルに、浩之は苦笑する。そんな浩之に、ダレルは思っていたことを淡々と吐露した。


「正直言って、殿下は心の病なのだと思っていました」


 正気を疑われたのだと思い、浩之は眉間に皺を寄せる。だが続くダレルの言葉に、ほんの少し、浩之は自分の役割が分かったような気がした。


「十年前、あの日を境に、この国は大きく変わってしまいました。屈強な騎士でさえ、精神を病んでしまう程の恐怖を国民は味わいました。その騎士の中に数人、別人格が現れる者がいたのです。二重人格や多重人格と、人によって違ったようですが、その人格の時は、とても凶暴になったり妙に明るかったりと、そういう症状が出た者がいたそうです。自分の心を守るための手段なのだと、医師が言っていました。なので、殿下もそうなのかと思っていました」

「十年も経った今、その症状が出るのはおかしいだろう」

「もうじき黒龍が復活する。そういう話が出てきた今だからこそかと」

「ああ、なるほど。あのときの恐怖が蘇って、か。一理あるな」


 来る黒龍との対峙の際、あの時の記憶が蘇り、戦えなくなることがあるかもしれないと浩之は考えた。だから融合せずにいるのだと。『ダライアス』の記憶の中にはきっと父親が左腕を失った際の記憶もあるのだろう。それを頑なに浩之に見せないようにしている節があった。他にも何か思い出しかけて、すぐに蓋をされてしまう記憶もある。

 そのお陰か、あの時の記憶はあれど、浩之自身がそこまでの恐怖を抱いているかと言われたら、そうでもない。だからといって黒龍を目の前にしたときに、本当に戦えるかと言われれば何とも言えない浩之だった。

 真剣な顔で考え込んでしまったダライアスに、ダレルは首を緩く振った。


「いえいえ、殿下。ここは笑い飛ばすところです。まさか本当に別の人格が現れたなんて、言わないでくださいよ?」

「は? ダレルは気付いていたんだろう?」

「確かに少しおかしな言動をなさるとは思っていましたが、演技なのだと思っていました」

「演技? なんのために?」

「重圧から逃れるための、現実逃避かと」

「なるほど」


 側近に心配される程に『ダライアス』は弱っていたのだろうと、妙に納得してしまった浩之は、どうしたものかと逡巡する。今ここで、ダレルに自分という存在がどういうものかを言うべきかと悩んだが、前世の記憶などと言ったところで、どうせ信じないだろうと口を噤んだ。


「殿下のその人格は、どういった類のものですか? 別人の魂魄が身体に入ったのか、殿下自身が意識して故意に作り上げたものなのか、前世の記憶が戻ったものなのか……」

「なっ! 前世の記憶って、まさか他にもいるのか?」


 ダレルの口からよもやその言葉が出てくるとは思わず、浩之は素っ頓狂な声を上げた。そしてすぐに気付く。聖女であるイヴもまた、前世の記憶持ちだということに。まさかそれは周知の事実なのかと、『ダライアス』の記憶を探る。そしてその中に、前世の記憶を持っている者の記録が残されていた事実を思い出す。だがイヴが前世の記憶を持っているという記憶はなかった。


「数年前にも、我が国と他国で何人か見つかっています。そう珍しい事象でもないようです」

「そうか……」

「殿下も前世の記憶が?」

「ああ。それも異世界の記憶だ」

「過去の記録に、異世界の前世持ちもいましたね」

「そうなのか……」

「産まれた直後から記憶を持っている者もいれば、殿下のように突然思い出す者もいます。その、殿下は元の『ダライアス殿下』の記憶を共有しているわけではないのですか?」

「ああ、共有は一部分しか出来ていない。だから、俺自身が知りたい情報を、記憶の中から探すことが多いな。それでも、絶対に記憶を覗かれたくない部分もあるみたいでな。正直面倒だ」

「なるほど、確かにもどかしいですね」

「ああ……」


 疲れたように肩を竦めた浩之に、ダレルが最初の質問に答えた。


「ダライアス殿下の潔癖症についてですが、少なからず、あるといったところでしょうか。特に、異性との極端な接触は避けたいという思いは強いようです」

「ああ、だから彼女に対して随分な言いようだったのか」

「まあそれもありますが、あの女も、秘術の内容は知っているどころか、その場に立ち会っていましたからね。あれを自慢気に話すなど、私でも虫唾が走りますよ」

「なるほど……。知っていたのに知らないフリをしたということは、あれが非人道的だと理解していたということか」

「そうとは限りませんよ。殿下が秘術に対して反発を示したので、知らないフリをしただけで、人の命を犠牲にすること自体、何とも思っていない可能性の方が高いです」

「だからここまで毛嫌いしているのか……。だが聖女の方にもあまり良い感情を持っていないようだが……。何か理由があるのか?」

「ええ、まあ……」


 言葉を濁すダレルに、浩之は首を傾げる。だが『ダライアス』の記憶の中にはそこまで悪感情に繋がる『何か』は見つからなかった。

 それでもダレルの言い淀み方は、それなりに何かがあるのだろうと思わせるものだった。

 きっと何かしらの事情があるのだろうと思いつつ、その事情を察しての態度だとしたら、セルマと同等の何かなのだろうと、浩之は言いようのない嫌悪感が込み上げた。


「そうなると、少し面倒なことになるな」

「面倒なこと、ですか? 既に十分面倒ですけれど」


 確かに、と浩之は苦笑いをする。だが乙女ゲームの攻略途中ということもあり、このまま主人公である聖女イヴとくっつく未来が待っていたとして、『ダライアス』はどうするのだろうと不安になった。そこでまた、浩之の脳裏に何かが浮かぶ。だがやはり前と同じように蓋をされてもやもやとした想いだけが浩之の胸に残った。


「なんなんだよ」


 そんなにも知られたくない何かなのに、やたらと浮かんでくる記憶に、浩之は苛々が募っていた。


「どうかしましたか?」

「あー、いや……」


 心配げにダレルに眉を下げ、声をかけてくるその優しさに、浩之は心を落ち着けた。

 そして気付く。

 男性向けの恋愛シュミレーションゲームでは、当然のことながら色々な女性と関わりを持ち、所謂ハーレム状態になるわけだが、乙女ゲームにもこれに似た逆ハーレムがあるのではないかと。

 だとしたら、自分以外にもそういう対象者がいるはずだと、希望を抱いた。


 手始めに、心優しい優秀なダレルの顔をジッと眺める。

 切れ長の目に鼻筋もスッと通って、如何にも色男という出で立ちだ。ダライアスよりも背は少し低いが、髪色と瞳の色が茶色と地味だが、王太子の側近というのもなかなかに高物件だろう。間違いなくダレルも逆ハー要員だと確信し、他にも思い当たる人物はいないかと逡巡した。


「確か、英雄殿も独身だったよな?」

「は? はあ……独身ではありますが……。それがどうかしましたか?」


 突然そんなことを言い出したダライアスに、潔癖症故に、一生独身でいるつもりでいるのかと、危機感を抱いた。

 実際には潔癖症ではなく、他にちゃんとした理由があるのだが、それを口にすることを、ダレルは躊躇する。そんなダレルを他所に、ダライアスはとんでもないことを言い出した。


「英雄殿に、聖女を押し付けるってのも手ではないかと思うんだが、どう思う?」

「聖女を? いやいや十歳以上歳が離れていますし、師匠も嫌がると思いますよ」


 聖女に様を付けないばかりか『嫌がる』と言い切ったダレルに、『ダレルとくっつけるのも無理か』と項垂れる。『聖女って、嫌われてるんだなー』などと呑気に思っていた浩之は、困ったように眉を下げた。


「そうか……駄目か……。他にいないかなー? 例えば聖騎士とか」

「はあ……どうでしょうね? というか、聖女が殿下を慕っているのは公認の事実ですからね……セルツベリー嬢が脱落した今、聖女が諦めない限りはこのまま婚姻まで行く可能性が高いかと思いますよ」

「うーん、そうか。まあ、俺はそれでもいいんだけどな」


『ダライアス』の気持ちを考えると、素直に頷けない浩之だった。


「え! いいんですか? あの聖女で?」

「ん? まあ別に、顔は可愛いしな」

「顔ですか!」


 余程嫌いなのだろう、顔色が青くなっている。『ダライアス』と婚姻したら、嫌でも聖女に付き合わなければならなくダレルにとっては、一大事なのだろう。そして『ダライアス』の嫌悪の感情が浩之に伝わってきた。それに苦笑いを浮かべ、浩之は息を吐き出した。


「あー、よし、この話はここまで!」


 そう言って話を切ったダライアスに、ダレルは不満げな顔をする。だがそれ以上は追求することはなく、ダライアスの後ろを付きしたがって、教室へと足を向けた。



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