第3話 思ってたのと違って、困惑中
学園から戻り、昨日約束した通りに、浩之はダレルに付き合ってほしいと願い出る。
ダレルを連れて裏山へと足を踏み入れた浩之は、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「この後もいろいろと忙しいのにすまない」
「いえいえ、毎日が充実していて楽しいですよ」
城で働く者たちは皆、優秀で勤勉だった。それに漏れず、ダレルもまた良く働いてくれていた。それを楽しいと言ってくれるダリルの気遣いに、前世は社畜だった浩之は少しばかり心配になってしまう。
「時間外手当は出ているのか?」
「は? 時間外?」
「いや、なんでもない」
思わず心配になって零した言葉だったが、そんなものはこの『世界』には存在しないのだったと首を振る。剣と魔法のある世界。おまけに他種族や魔物、『ドラゴン』(黒龍)までいるのだ。ファンタジーが過ぎると、浩之は思わず笑みを浮かべる。まるでRPGの世界に迷い込んだみたいだと、少しばかりワクワクした。だがすぐに笑みは消える。ここが乙女ゲームの世界だと思い出したからだ。
「それで、殿下。裏山に何か用でも? 新種の食用の草を見つけたとかですか?」
半ば冗談でもなさそうに、本気で周りの草を観察するダレルに、浩之は苦笑を漏らす。
「いや、そうではなくてだな……。聞けよ、ダレル」
ついには懸命に探し出したダレルに、浩之は突っ込みを入れた。
「はい、すみません」
バツが悪そうに頭を掻いたダレルに、浩之は思わず笑みを零す。
「話というのは……その……少し相手をしてもらいたい」
「相手?」
首を傾げたダレルに、申し訳なさそうにしながら、浩之は手の平を上にして、垂直に腕を前へと差し出した。
その手の平の上に小さな魔法陣が浮かび上がる。と同時に、ゆっくりと剣先が魔法陣から姿を現した。
徐々に伸びていく剣先は、最終的に大振りの剣となって手の平から現れる。剣の柄までしっかりと出てきたことを確認し、浩之はその剣を取った。それはその剣が幻影ではなく、本物だとダレルに知らしめた。
「なっ!」
「収納魔法の一種でもあり、空間魔法の一種でもあるかな。自分の許容できる物質を収納魔法で亜空間へと収納し、取り出したい時に取り出せる」
実際に魔法をやって見せているのだが、このような魔法の使い方はこの『世界』にはないものだ。
所謂、前世の記憶の漫画知識ではあるが、昨日少し試してみたところ、出来てしまったのだ。折角魔法が使えるのだからと色々なことを試し興奮して眠れず、寝不足にはなってしまったが、浩之としては大満足だった。
それでも、まさか本当にこんなことが出来るとは浩之自身も思っていなかった。
「そのような魔法、聞いたことも見たこともありませんが……」
「今見せたじゃないか」
悪戯っぽく笑った浩之は、その後すぐに表情を引き締めた。
「相手というのは、まあ、剣の相手をしてほしいのだが……。少しばかり本気で相手をしてほしいと思っている」
「殿下。今朝も言いましたが、殿下が戦う必要はないのですよ」
諭すようにダレルが言えば、浩之は緩く首を振る。
実際、王族というのは、護られる存在だ。そう理解はしていても、『ダライアス』は黒龍を倒すことに命を懸けていた。
浩之は『ダライアス』の体躯を見てその強い想いに納得する。
自身の胸元に目をやると、服の上からでも分かる程に盛り上がった胸筋が飛び込んでくる。腕にも筋肉がみっちりとつていて、亜空間から取り出した大剣も、重さを感じないほどだ。当然のことながら、腹筋もしっかり割れている。
貧乏故に服を新調できないことを考慮し、これ以上逞しくならないように気をつけてはいるが、ちょっと窮屈だと感じていた。
「まあそうは言っても、いざその時が来たら、戦わずにはいられないだろう?」
「はあ……確かに……それはそうかもしれませんが……」
困ったように顔を曇らせたダレルに、浩之は殊更明るく言葉を紡ぐ。
「試したいことがあるんだが、これがどれ程通用するのか確かめたい。とりあえずは、俺の剣を受け止めてくれるだけでいい」
「……分かりました」
「すまないな」
ダレルの返事を聞き、浩之は申し訳なさそうに謝った。
正直、どれくらい動けるのか分からないまま、黒龍と戦うのが怖かったからなのだが、その時になったら『ダライアス』が出てくるかもしれないなと、ちょっと安心する。それぐらいの覚悟が『ダライアス』から感じられた。
ダレルに背を向けゆっくりと歩く。距離を十分に取り、ダレルへと向き直った。そして剣を両手で握り、構えを取る。
「身体強化の魔法をかけるから、そのつもりでいてくれ」
「はい」
ダレルも剣を抜き、少し後ろへと下がる。
剣を構えたことを確認した浩之が魔法を自身へとかけ、一歩を踏み込んだ。だがその一歩は地面を陥没させるほどに重く、また速度は目で追えないほどに速かった。
ギイインと剣と剣が交わる大きな金属の音が裏山に響いた。と同時に、ダレルが片膝を着く。
そして、ダレルの後方では、木がドオンと倒れる音がした。
その大きな音に、ダレルはゾッとする。
腕と剣からはミシミシと嫌な音が聞こえる。身体は本能的に震え、『恐怖』を感じたことを脳へと伝えた。
ダレルは、耳のすぐ横にある剣を見遣り、必死の形相で声を張り上げた。
「まままま待って、待ってください!」
「ん? どうした?」
「どうしたではありません! 殺す気ですか!」
「はは、まさか。そんな訳はないだろう」
呑気に笑う浩之に、ダレルは自分との温度差に愕然とした。
「いやいやいや、今、確実に首を狙ってきましたよね!」
「正面よりも受けやすいかと思ったんだが、駄目だったか?」
「駄目も何も! 殺す勢いで斬りかからないでください!」
剣を引いた浩之は、首を傾げた。
だが、剣を引かれたことで支えを失ったダレルは、剣を落とし、肘まで地面につけて蹲ってしまう。
「おい、ダレル! 大丈夫か?」
「大丈夫な訳ないでしょう!」
苦悶の表情を浮かべるダレルに、流石に浩之も焦りだした。一応、様子見のつもりで軽く魔法をかけ剣を振るったのだが、想像以上に威力があったらしいと、ここで初めて気づく。
「すまない、ダレル。俺は治癒魔法は使えないんだ……。すぐに誰かを呼んで来る」
昨日の夜に、散々試してみたが、使えなかったことを思い出し狼狽える。だがこのままでは駄目だと、助けを呼ぶために駆けだそうとした。
とそこへ、割って入る声があった。
「殿下! ご無事ですか!」
近衛兵の制服を纏った数人がこちらに駆けてくるのを見遣り、浩之はホッと息を吐く。
「ああ、すまない、英雄殿。あなたの弟子に怪我を負わせてしまった」
顔を青くさせ、今にも泣き出しそうな浩之は、縋るように自身が『英雄』と呼んだ人物を見つめた。
「何があったのです!」
「……その……すまない……」
それ以上言葉が出ない浩之は、ダレルの方へと顔を向ける。苦しそうなダレルの額には脂汗が滲んでいた。そのことに只々後悔の念に苛まれた浩之は、ぎゅっと拳を握り項垂れる。
「すぐに治療を開始します」
駆け寄ってきた近衛兵の中には治癒魔法が使える者がいたらしく、すぐにダレルの治療が始まる。そのことに浩之は安堵し、詰めていた息を吐き出した。
「ダレル、すまない……」
「謝罪は後で良い! それで、何をしたんだ!」
臣下とは思えない口調で『英雄』と呼ばれた男、グレンが再度聞き直す。それに咎めるような視線を向けたのはダレルだった。
「師匠!」
「いいんだ、ダレル。それに今は安静にしていないと……」
膝を付き、未だ立ち上がれないダレルに目線を合わせ、浩之はもう一度すまないと謝罪した。
「俺がダレルに、剣の相手を頼んだんだ。身体強化の魔法を試したくてな」
「身体強化? それにしては……」
軍の鍛錬場があるのは、この裏山からはかなり遠い。実際、彼らはこの裏山の入口までは馬で駆けつけたのだ。そんな距離でもはっきりと分かるほどの強大な魔力に、鍛錬場にいた兵たちは顔色を失くす。
近衛隊の総隊長であるグレンが数名を引き連れて裏山に辿り着き、ダライアスの姿を目にし、最悪の事態が頭を過ぎった。だがこの事態の発端がダライアス自身によって引き起こされたものだと知り、緊張は解かれた。
「先程の魔力量を自身にかけた割には、身体に負担がかかっていないようだが」
本来ならば、過剰な魔法は身体に大きな影響を与える。例えば、身体の筋肉が断裂したり、意識障害をおこしたりと、それなりに負担がかかるはずなのだ。だが当のダライアスはピンピンとしている。それを不思議に思いながら、グレンは腕を組んだ。
「ああ、まあ。言うほどの魔力は使ってないからな。実際、今回のは様子見のつもりだったんだが……」
バツが悪そうに、浩之は言葉を零す。だがその内容に、グレンはグッと眉間に皺を寄せた。
あれが様子見というのならば、本気を出せば取り返しのつかないことになると、呑気なことを言うダライアスに危機感を覚える。
「殿下。二度とこのようなことはなさらないで頂きたい」
「……そうはいかない……」
「殿下!」
「あなただって分かっているはずだ。もうじき、あの黒龍も復活するだろう。そうなれば、復讐のために必ずこの国に舞い戻って来る。だから、出来ることは何でもやりたい」
真剣な面持ちで、浩之がグレンに訴える。だが臣下としては、それを受け入れることは出来ないと、グレンは大きく首を振った。
「それでもです、殿下」
「はは……弟子にも同じことを言われたよ」
ダレルの方を見遣り、浩之が自嘲気味に笑みを零す。
治癒魔法のおかげで、ダレルの表情は随分と穏やかになっていた。そしてまるで何事もなかったかのように立ち上がる。そのことに、浩之は目を丸くした。
「治癒魔法というのは、本当に凄いんだな」
尊敬と羨望の眼差しを向けられた騎士が、俄に狼狽えた。
随分と昔にも同じことがあったなと、遠い目をした。そのときの相手はダライアスの妹、アラーナだったのだが……。彼女はその年、近衛隊の入隊試験に紛れ込んで、大きな騒動を起こしていた。
「殿下は治癒魔法よりも、攻撃魔法の方に適正がありますので、そちらを伸ばされた方がいいかと……」
引き攣った笑顔で言う騎士に、浩之も苦笑を零す。
「訓練の邪魔をしてすまなかったな。そして助かった。感謝する」
わざわざここまで急いで来てくれたであろう騎士たちに、浩之は素直に謝罪をし、礼を述べる。そして持っていた剣を、また収納魔法を使って消し去った。
「なっ!」
その魔法に驚いた騎士たちに、浩之は不敵に嗤う。
「今はダレルを休ませる方が先だ」
歩けるか?とダレルに問いながら、姫抱っこをしようとする浩之を牽制し、ダレルが声を張り上げる。
「歩けます! 歩けますから!」
元気いっぱいに歩き出したダレルに、浩之はもう一度、安堵の息を吐き出した。
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