第2話 『ダライアス』が出て来て困惑中

 執務室ではいつものように、陛下と王妃、そして宰相が忙しなく書類を捌いていた。


「父上、母上、只今戻りました。さあ、少し休憩を取ってください」


 気苦労のせいか頭髪に白が混じり始めた宰相であるハーマンに歩み寄り、浩之は「二人と一緒に休憩を」と小声で促した。それに緩く首を振るハーマンに、苦笑する。


「ハーマンが休憩を取らないと、父も母も遠慮して休憩を取り辛いだろう。さあ、二人を連れて行ってくれ」


 そう言って三人を追い出しにかかると、心得たように『ダライアス』の後ろに控えていた護衛が扉を開けたままにして待っていた。

そして「分かりました」と渋々ながらもハーマンが頷くと、『ダライアス』の両親が席を立つ。


「ゆっくりしてきてください」

「ああ、すまないね。行ってくるよ」


 そう言って笑顔で送り出した浩之に、父である国王陛下も笑顔で答えた。

 そんな国王を、浩之はまじまじと観察し、ふと思う。『ダライアス』は父親そっくりだなと。

 次いで母である王妃に目を向けると、髪色は違うが妹のアラーナは母親似なのかとその美しさに見惚れてしまっていた。

 

 黒龍との対戦で、左腕を失った父親を支えるように寄り添う母親。仲睦まじいその姿に、浩之は安堵した。政略結婚で結ばれたと聞いていた『ダライアス』からしてみれば、理想的な夫婦の形のようで、強い憧れの感情が溢れてくる。それと同時に、前世では独身だった浩之は『羨ましい限りだ』と切ない思いを心に抱いた。


 二つの感情が混ざり合うことなく、同時に頭に浮かんだことに、浩之は混乱しつつも受け入れる。

 三人を見送り、すぐに自分の席へと着くと、浩之は護衛へと目を向けた。


「いつもすまないな、ダレル」

「いえいえ」


 護衛でありながら、侍女のように茶も淹れられるダレルに、申し訳なさが込み上げた。そして執務の手伝いも難なくこなすこの護衛に、いつにも増して感謝する。


 貧乏な国故に、人を雇う金がなく、常に人手不足なこの王城で働く者たちは、必然的に少数精鋭となってしまっていた。

 一人で何役もこなせるほどに優秀な人材たちに、ただただ頭が下がる思いだった。だがそれも、いつまでも続けていいものではないと『ダライアス』は思っているらしい。

 記憶を覗きながら、この国の現状に、裕之は嘆息する。


「そういえば、殿下。先日言っていたことは……その……本気なのですか?」


 先日?と浩之は首を傾げる。だがすぐに思い至り、「ああ、あれか……」と呟くように返事をした。

 それは一昨日、今と同じように二人で執務を始めてすぐに、つい口から溢れてしまった言葉だった。


『婚約の話を進めたくはないが、潮時なのかもしれないな……』


 そんな言葉が口から漏れてしまう程には、心が疲弊していたのかもしれない。


「本気かと聞かれると、答えにくいな」


 前世の記憶が戻ってしまい、色々と考えたいことが増えてしまった浩之としては、婚約について早急に答えを出すことは避けるべきだと返事を濁した。


「まあ、そうですよね。正直、あの方が王妃になるのは、色々と問題が起きそうですので」


 問題が『ある』ではなく、『起きる』と言ったダレルに、思わず笑いそうになった浩之は、小さく頷く。彼女が王妃になるにあたり、問題は大いにあったが、この城に勤める者たちならば、上手く立ち回り、難なく困難を乗り超えるだろう。


 だが外交に関しては、そう上手くはいかない部分もある。絶対何か『やらかす』であろう彼女を、王妃にするという選択肢は本当に国が立ちいかなくなった時に、だろう。


 その時が来ないことを祈ると共に、一つの案が頭を掠めた。それは『ダライアス』がずっと考えていたことであり、実践するのを躊躇していた案件だった。


「ダレル。申し訳ないが、明日、少しばかり付き合ってほしいことがある」

「はい。なんなりと」


 恭しく腰を折ったダレルに笑みを浮かべた浩之は、日本で培った社畜魂を遺憾無く発揮し、懸命に書類と向き合うのだった。




◇ ◇ ◇




 本日も二人のご令嬢は元気いっぱいだと、浩之は思わず遠い目をしてしまった。


「おはようございます、殿下!」


 学園の入口で待ち構えていたのだろう、金の髪の少女が駆け寄ってくる。

 たった今馬車から降りたばかりの浩之は、ヒクリと顔を強張らせた。


「あらあら、随分と必死ですこと。こんなに朝早くから殿下を待ち伏せだなんて」


 続いてゆっくりとした足取りで、銀髪の少女が歩み寄る。そのことに『お前もな』と心の中で突っ込みを入れた浩之は、取り敢えず貼り付けた笑顔で対応した。それがいつもの『ダライアス』だと記憶の中の答えを見つける。


「二人ともおはよう。相変わらず早いな。授業が始まるまでまだかなりの時間がある。もっとゆっくり登園してもいいんだぞ」


 遠回しに早く来るなと言ってみたが、二人にはまるで通じない。いや、通じる以前に、聞いていなかった。


「まあ、必死なのはセルマ様も同じでしょう? でなければ、侯爵令嬢がこんなにも早く登園なさる必要はありませんものね」

「あら、私は生徒の模範として早く登園しているだけですわ。それなのにイヴ様ときたら、早朝のお祈りもそこそこに、殿下に会いに来るなんて、それでも聖女なのかしら?」


 そう、金髪の少女イヴは、聖女だ。男爵令嬢でしかないイヴが、侯爵令嬢であるセルマに強気に出られるのはそれが理由だった。


 セルマの言った通り、この学園には教会がある。そこでイヴは毎朝祈りを捧げていた。それは義務ということではないのだが、聖女という手前、やっているのではないかと『ダライアス』は思っている。


 だが彼女が前世の記憶持ちであり、ここがゲームの世界だと言っていたことから、その『お祈り』も何かしら意味のあるものではないかと勘繰った。そして、ここがゲームの世界だというのなら、それなりに『物語』があるのかもしれないとも思い始める。

 

 恐らくはその『物語』の肝になるのは、十年前に襲来した『黒龍』なのだろうとあたりをつけた。

 黒龍は、時折人間を襲う。それも殺す前に弄ぶような残忍さを持っている、とても凶暴で強い『魔物』だ。そして利口な分、質が悪い。


 寿命の長い黒龍は、生命力がとても強い。それは傷の回復にも影響があるのだと国の重鎮たちを含め、『ダライアス』もそう思っていた。


 あの日、国王であるダライアスの父親は、黒龍との激戦で片腕を失った。それでも、その甲斐もあり、黒龍はかなりの負傷を負い、剣聖と呼ばれる『英雄』の一匁に逃げ出した。


 あれから十年。きっと頭の良い黒龍は、復讐をしに来る筈

だ。だからこその『聖女』なのだろうと浩之は納得する。きっとこれがこの世界の『物語』であり、主軸なのだと確信した。


 そもそも、聖女といっても色々あり、定義というものは存在しない。この世界に於いて、聖女と呼ばれた者たちの能力は様々で、その時々で国に大きな貢献を果たした女性に贈られる称号だ。

 イヴは『未来視』が出来ることから聖女の称号を得た。十年前の『黒龍』の予言もそうだが、それ以前にもいくつか予言をしていたらしい。そして現在進行形でその予言は続いている。これらは『ダライアス』の記憶にあった情報だ。


 それを踏まえた上で、この聖女の予言というのが、前世の乙女ゲームから得た情報を元にしているのか、もしくは、元々前世の記憶を持って転生した少女が主人公という設定なのかが分からない。知るのはイヴ本人といこともあり、浩之は誰にもこのことを聞けずに悶々としていた。


「あなたのような方に、殿下は靡いたりはいたしませんわよ」

「それはセルマ様が決めることではありません!」

「まあ、そうかもしれませんが、私は殿下の婚約者ですのよ。そこに割って入るのは無謀というものよ?」


 浩之が考えに耽っている間にも、二人の言い合いは続いていた。セルマが婚約者ではなく『候補』であることは、恐らくイヴもゲームの知識として知っているのだろう。何か言いたげにしたが、口を噤んだイヴを見て、浩之は彼女も『あのこと』を知っているのだろうと思い、敢えて突っ込むことはしなかった。


 未だ馬車乗り場にいた浩之は、とりあえず学園内へと足を進めるも、騒がしい二人もごく自然と浩之の後に続く。


「ダレル、聖女と二人で話をしたいんだが……彼女の手前、難しそうかな?」


 セルマにチラリと目を向けながら、浩之が小声でダレルにそう告げると、小さく頷きが返ってきた。


「二人でとなると、なにかと言いがかりをつけられて、厄介なことになりそうですね」

「そうなるよな。はあ、仕方ない。二人とも呼んで、話をする以外にないか」


 疲れたように呟いた浩之は、未だに言い合いをしている彼女たちを見遣り「本当、元気だよな」と少しばかり羨ましくなってしまっていた。


「殿下、今日も図書室へ行かれるのですか」


 丁度イヴからそんな会話を振られ、浩之は貼り付けた笑みで二人に向き直った。


「実は二人に話があるんだ。このまま談話室まで行こう」


 浩之の言葉に二人は目を輝かせた。それを遠い目をしながら受け止めて、浩之が先を歩く。

 イヴが『ダライアス』に固執する理由はゲームに由来しているのでよく解る。が、セルマは何故ここまで執着するのかが解らず、良い機会なのでこの後聞いてみようと浩之は考えた。



 談話室に着き、浩之がソファーへ腰掛けると、図ったように両隣に二人が陣取る。浩之から二人に話があると言ったのに、何故隣に座るのかと、思わず眉間に皺が寄りそうになるが、グッと堪えて笑顔で言う。


「二人とも、これでは話し難いから、向こうへ座ってくれないか」


 正面にあるソファーを勧めるが、二人は嫌だと言わんばかりに浩之の腕に抱きついた。


「このままで良いではありませんか!」

「そうですよ! 横にいても話は出来ます!」


 譲らない二人は益々浩之にしがみつく。

 中身が中年のおじさんである浩之は、若い女の子に抱きつかれ、思わず鼻の下をデレっと伸ばした。ダレルの視線が痛いほどに突き刺さる。


「それにしても殿下。凄い筋肉ですね」


 顔を赤く染め、セルマはほうっと熱い吐息を零す。それに続くようにイヴも熱の籠もった瞳で『ダライアス』を見つめた。


「本当に! 服の上からでも分かる程でしたが、こうして触ってみると、もう、凄いの一言です」


 頬を上気させて、腕を触りながらそんなことを言う二人に、浩之は「ん?」と首を傾げた。それは頭の中に浮かんだ別の感情が迫り上がってくる感覚に戸惑ったからだ。

 『ダライアス』の記憶にある二人は、やたらと身体に触れたがる。その理由がたった今分かり、気持ち悪さが込み上げた。だがこの感情は『ダライアス』のものだ。嫌悪感の酷さから、堪らず浩之はその場で立ち上がる。


「ならば『私』が向こうへ行こう」


 そう言って正面のソファーへ座った『ダライアス』に、二人は名残惜しそうな目を向けた。その視線もまた、『ダライアス』には不快に感じるものでしかない。

 その反面、あの柔らかい感触をもっと楽しみたかったという浩之の感情も生まれ、混乱した。二つの感情が入り乱れる中、何か大事なことを思い出しかけた浩之に、ダレルがそっと耳打ちする。


「殿下、『元』に戻ってますが、話は進められそうですか?」

「元に戻る?」

「あれ、違いましたか? 一人称が『俺』から『私』に変わったので、元に戻ったのかと思ったのですが」


 それが何を意味するのか、浩之は瞬時に理解した。確かに『ダライアス』は自分のことを『私』と言っていた。そして前世での浩之の一人称は『俺』だった。

 この優秀な護衛は、ダライアスの変化にしっかりと気付いていたのだ。

 だがそれが、前世の記憶を思い出したからだということまでは分からない筈だ。そう考えて、すぐに『分からない筈だよな?』と優秀過ぎる護衛に寒気立つ。


「……問題ない」


 そう言ってから二人の少女に目を向けると、これでもかという程に睨み合っていた。こちらの会話は聞かれていないようだとホッとしつつも、これから話す内容に心が重くなる『ダライアス』だった。


「話というのは、イヴ・クロスウェル嬢の聖女としての力のことと、セルマ・セルツベリー嬢がどうして『私』に固執するのか聞きたいのだが」


 途端に二人の表情が険しくなる。イヴはその問いかけに、そしてセルマはフルネームでよそよそしく呼ばれたことに対してなのだが、『ダライアス』にはそれを察することができないくらいに、二人に興味がなかった。そしてまた、何かを思い出しかける。だがそれに慌てて蓋をするように、『ダライアス』が首を振る。


 そんな『ダライアス』の感情を、曇りガラス越しに見ているような感覚を覚えた浩之は、不思議な気持ちになった。だがここでハッとする。


 普段の『ダライアス』を見たのはこれが始めてだ。今までは『ダライアス』の記憶を覗き見、主観しか見てこなかったのだ。急に『ダライアス』の中に入ってしまったという感覚であった浩之だったが、これは好機だと、客観的に『ダライアス』を観察し、今後の振る舞い方の参考にしようと浩之は考えた。


「あたしの聖女としての力は、既に殿下もご存知の筈です」


 チラリとセルマを見遣ったイヴに、この力のことは知られたくないのだろうと、『ダライアス』はここで漸く察した。知られたくない理由も確かに理解出来る。恐らくは命を狙われたり、不利益を被るからだろうが、それでも詳しく聞きたい『ダライアス』は逡巡した。


「ああ、知っている。ところでセルツベリー嬢は、彼女の力がどういうものなのか知っているのか」

「はい、もちろん存じております。なんでもこの国全体に結界が張れるのだとか」


 セルマの言葉に、イヴの顔が青褪める。だがダライアスとダレルは表情を変えることはなかった。

 この聖女の力については箝口令が敷かれている。それでも、絶対に情報が漏れないということはないだろうと考えていたからだ。

 何故なら、セルマの侯爵家と神を祀る神殿は、強く結びついている。それは多額の寄付という形でだが。


「黒龍が復活し、復讐をしにこの国に攻め入る可能性がある今、彼女の力は確かに必要でしょう。ですが!」


 そこで言葉を切ったセルマはニンマリと嗤う。


「我が侯爵家ならば、その聖女と同等、いえそれ以上の結界を作り出すことが出来ますわ!」


 まさか自分からその話を振ってくるとは思っていなかった『ダライアス』は、目を瞠る。そしてイヴも同じように驚いていた。そのイヴの表情を見遣り、セルマは益々勢いづく。


「我が侯爵家の秘術にかかれば、この国だけでなく、他国への結界も作り出せますわ!」


 胸を張って豪語するセルマに、『ダライアス』は目を細める。そしてイヴは、怒りを湛えた瞳で睨んでいた。


「秘術とは、どんな魔術だ?」

「それはお教えできません」

「なるほど。そうなると聖女の力に頼る以外はないな」

「な、何故ですか! 侯爵家の方が、より大きな結界を張れるのですよ!」

「王族に話すことの出来ない秘術など、怪しすぎて当てには出来ない」

「はあ……まあ……そうかもしれませんが。そのようなことを言っていても、いざ黒龍が攻め入れば、我が侯爵家の力を頼らざるを得ないのでしょうけれどね」


 うふふと上機嫌に笑っているセルマの横で、イヴが小さく呟いた。


「一ヶ月後には断頭台よ」


 その言葉を聞き逃さなかった『ダライアス』は、驚くと共にホッとした。

 セルツベリー侯爵家の秘術とは、人の命を使った結界術のことだった。


 十年前、黒龍の襲来の際、セルツベリー侯爵領だけは無傷だった。それはその術を発動したからに他ならない。だが国が混乱の真っ只中に於いて、その証拠を掴むことは出来なかった。

 沢山の国民が命を落としたその日、結界術で失われた命たちはその中に埋もれてしまったのだ。


 魔法を使える者ならば誰でも使えるこの秘術は、禁術に指定されている。それをまるで侯爵家のみが扱える秘術だと言って、秘匿しているのだ。実際、非人道的なその魔法を使おうという者はそういない。そう考えれば『侯爵家のみ』が使えるというところは正しいのかもしれないと、『ダライアス』は皮肉げに心の中で毒づいた。


 それよりも、イヴが『一ヶ月後』という具体的な日時を口にしたことに戦慄する。

 『前世の記憶』を垣間見た『ダライアス』は、この世界がその前世でゲームとして語られていたことを知った。そしてイヴもまた、そのゲームの内容を知っている。そのイヴがそう言ったのだ。


 その時期に黒龍が攻めて来て秘術を使用する際に『それ』が露見するのか、侯爵家の悪事の証拠を掴んでの断罪なのか、どちらにせよ事が大きく動くのが一ヶ月後だということに『ダライアス』は焦燥感を覚える。


「次の質問にいこう。セルツベリー嬢は、何故『私』に固執するのか聞きたい」

「何故? それはもちろん、婚約者だからですわ! 婚約者のいる男性にベタベタするなど、あり得ないことです」


 イヴを睨みつけながらそう言ったセルマは、ただ婚約者だからだと言う理由で固執しているように『ダライアス』には見えた。


「それはおかしな話だな。『私』とセルツベリー嬢の婚約は成立していない。あくまでも婚約者候補という立ち位置のはずだが」

「なっ! そんな筈は!」

「ここで嘘を言っても意味はない。父親である侯爵に今一度問いただしてみるといい」


 真剣な顔でそう告げた『ダライアス』に、セルマは信じられないと、ダレルにも目を向けた。そのダレルもまた大きく頷いたことに、流石のセルマも顔の色を失くす。そして追い打ちをかけるようにイヴが口を開いた。


「ずっと不思議だったんですよね。神官長から殿下には婚約者はいないと聞いていたのに、何故セルマ様が殿下のことを婚約者だと言い張るのかが。それと、あたしも婚約者候補なので、セルマ様とは同等なんですよ」


 イヴにも婚約者候補だと言われ、セルマは思わずカッと頭に血が上る。声を荒げようとしたが、それよりも早くイヴが言葉を続けた。


「ですが殿下。何故、今になってそのことを話されたのです? 今までは否定も肯定もなさらなかったのに……」


 ダライアスに向かってそう投げかけたイヴの言葉に、セルマは身を乗り出してダライアスの返事を待った。その様子に、面倒だと思いながらも『ダライアス』が答える。


「そうだな。そろそろ頃合いかと思ってな」

「頃合い?」


 イヴが首を傾げ、セルマは怪訝な顔をする。


「今年中には黒龍が復活し、攻めて来る。『私』も生きて帰れるかは分からない。だから……」

「なにを!」


 『ダライアス』の言葉を遮り、大声を上げたのはダレルだった。


「何故、殿下が戦う前提で話をしているのですか!」

「ダレル、その話は後にしよう」

「嫌です!」

「まあまあ、ダレル様。誰も死んだりいたしませんから、落ち着いてください」


 物凄い形相でダライアスに詰め寄るダレルを宥めたのはイヴだった。そしてその言葉に、ダレルの強張った身体から力が抜ける。それは『聖女』には『未来視』の魔法が使えるという事実があるからだ。

 そのことを知らないセルマはすぐにその言葉を否定した。


「あら、随分と楽観的ですわね。あなたの結界は、この国にしか張れないのでしょう? もし我が国にのみ結界を張った場合、怒り狂った黒龍は、援助をしてくださっている隣国に攻め入るのではなくて?」


 嫌な笑みを浮かべるセルマに、それでもイヴは顔色ひとつ変えずに言い切る。


「ええ、そちらの方も問題はありませんよ」

「まあ、そのように強がらくても……」

「いえ、本当に大丈夫なのでご心配なく。既に他国の方たちとも話し合いは済んでいますから」


 にっこりと笑ったイヴに、セルマは悔しそうにギリギリと奥歯を噛みしめる。そして負け惜しみのように言葉を吐き捨てた。


「ふん、そんな都合よくいくわけがありませんわ! どうせ我が侯爵家の秘術に頼らざるを得なくなるのですからね!」

「その秘術がどういうものか、あなたは知っているのかしら? もし知らないのだったら、父親に聞いてみることね。そして知っても尚、それを使うことに賛同するならば、あなたの命もまた散ることになるわ」


 イヴの言葉に、ふんっと鼻を鳴らし、談話室を出ていったセルマを見送り、浩之が小さく息を吐き出した。ここで『ダライアス』の意識がフェードアウトしたことに、浩之が気づく。ずっとこのまま『ダライアス』が出ていてくれても良かったのにと、思わず溜息が溢れてしまっていた。


「良かったのか、あんなに煽ってしまって」

「はい。準備はほぼ出来ておりますので」

「そうか。それで、先程の話は、陛下は知っているのか?」

「はい。ですが、まだ承認は得ていません」

「そうか」


 承認が得られないということは、何かしら問題があるのだろうと浩之は考えた。それが何なのかまでは分からないが、少なくとも『ダライアス』自身の未来にも影響があるのだろうとは思っていた。何故ならば、ここが乙女ゲームの世界だからだ。


 この聖女であるイヴに攻略されてしまうのだろうかと、浩之はジッとイヴを観察する。その時、また何かが頭を過る。だが形になる前にすぐに霧散した。


「う~ん?」

「どうかしましたか? 殿下?」


 可愛らしく首を傾げるイヴに若干のあざとさを感じながらも、乙女ゲームの主人公らしい美少女に心配され、デレっと浩之は相好を崩した。

 『彼女に攻略されるのも悪くないな』などと上から目線でそんなことを思った浩之に、天罰が下る。


「今、最低なことを考えましたね。姫殿下にしっかりと報告させていただきます!」


 ダレルの鋭い突っ込みに、浩之は顔面蒼白で縋りつく。


「待ってくれ、ダレル! アラーナに何を言うつもりだ!」

「さあ、何て報告をしましょうかね~」


 悪い顔で嗤うダレルにイヴも笑顔を見せていた。

 浩之が一人、絶望の表情を浮かべる中、本日の授業を受けるべく、三人は談話室を後にした。



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