攻略途中で前世を思い出した王子は、只今困惑中

空青藍青

第1話 只今、困惑中

 自分が今、危機的状況だということに気がついた浩之(ひろゆき)は、何故こんなことになっているのかと、途方に暮れていた。


「ダライアス殿下は、あたしといる方が楽しいと、いつも言っています!」

「一緒にいるのは構いませんけれど、婚約者以外の女性と腕を組むなど、あり得ないと言っているのです!」


 淡い金の髪の可愛らしい一人の少女が、キツイ顔立ちをした銀髪の美少女に食って掛かっていた。

その様子を見ながら、浩之は自身の腕に絡みついている細い腕に気付く。

 銀髪の少女は、この腕を組んでいる状態に対し、酷く怒っているようだった。


「まあ、嫉妬だなんて醜いですわ! ご自分が相手にされないからと言って、そのようにヒステリックに叫ばなくてもよろしいでしょうに」

「嫉妬ではなく、常識を説いているのです。本当に、なんて頭が悪いのかしら」


 二人の言い合いは、凡そ淑女とは程遠いもので、醜悪な顔で睨み合う様は、見ていて気持ちの良いものではない。そんなことを思いながら、浩之はふと疑問を頭に浮かべた。

 

『淑女?』と。

 

 現代日本に於いて、淑女などという言葉は、全くと言っていいほど使わない。そんな言葉が頭に浮かんだことが酷く不思議ではあったものの、何故かしっくりくるものもあり、浩之は首を傾げた。


「頭が悪いのは、そっちの方でしょう! 自分が愛されていないことを理解していないのが、その証拠だわ!」

「貴族の婚姻に、愛など必要ないのよ! ただの政略なのだから」


 『貴族』という言葉に、浩之は困惑した。そして、二人の容姿にも違和感を覚える。日本人とはとても思えない金髪に銀髪。しかも彫りの深い目元に高い鼻。瞳の色も黒ではない。そして話している言語もまた、どこの国のものなのかが分からなかった。そのくせ、話している内容がすんなりと理解出来ていることが不思議でならなかった。


 だがそこで、ふと違う記憶が頭に浮かぶ。それは間違いなく『ダライアス』が今いる『学園』に通っているという記憶だった。そして自分の名前が『ダライアス』だと認識すると、益々訳が分からなくなっていく。

 自分には浩之という名前がある。だが自分が『ダライアス』でもあることに矛盾を覚え、混乱した。

 自分は日本人ではないのか?と考えるものの、答えはついぞ見つからなかった。そんな浩之を他所に、二人の少女の攻防は尚も続く。


「ふん、負け惜しみね! 見向きもされないのに、これからの結婚生活は一体どうなるのかしらね? 白い結婚にならなければいいけど」

「なっ!」


 今の言葉で頭に血が上ったのか、銀髪の美少女が持っていた扇を振り上げた。それを避けようとして、金髪の少女が浩之の腕から離れる。

 その隙を逃さず、彼はスッと音もなく一歩後ろへと下がった。

 学園の、それも帰路を急ぐ生徒たちが見ている中での言い争い。そんなことも気にならないのか、二人の行為はどんどんエスカレートしていく。


「何するのよ! この暴力女!」

「何よ、このアバズレ!」


 取っ組み合いの喧嘩を始めた二人を他所に、浩之は素知らぬ顔で歩き出す。そして一度も振り返ることなく我関せずを貫いてその場を立ち去ることにした。

 周りにいた生徒たちも、まるで何もなかったかのようにその場を去る。この光景は既に『日常』になっていたからだ。

 その『日常』も『ダライアス』の『記憶』の中にあった。


 さっさとその場を後にしたのは良かったが、どこへ向かえばいいのかと、浩之はとにかく戸惑う。


「困ったな……」

「どうされましたか?」


 小さくそう呟いた言葉に返事が返ってきた。

 そのことに驚きながら振り返ると、すぐ後ろに、ピタリと付いてくる軍服を纏った男がいることに浩之は気がついた。

 誰だろう?と思うと同時に、この男が自分の護衛だという『記憶』が流れ込んでくる。歳は『ダライアス』よりも上だが、背は少し低めだ。それでも、先程の美少女たちに引けを取らない美青年である。

 心配そうにこちらを伺う護衛に、浩之は自分の置かれた状況を説明するべきかと悩んだが、『ダライアス』のふりをして乗り切るのも有りではないかと一人頷いた。

 実際、説明するにしても面倒だし、上手く出来るとも思えなかった。


 取り敢えず、『困った』と口にしてしまった以上、何かしらその要因の話をしなくてはと思い、先程の少女二人を浩之は思い浮かべた。


「あの二人はいつもああなのか?」


 その問いかけに、護衛は酷く怪訝な表情をした。それを見て焦った浩之は、早口で弁解する。


「愚問だったな。だが一つ気になることがある。俺の記憶が正しければ、俺には婚約者はいないはずだが、違っただろうか」


 頭の片隅に残る『ダライアス』の記憶に疑問が生じ、つい質問をしてしまう。


「はい。殿下には婚約者はいらっしゃいません」


 護衛の『殿下』というその言葉に、彼はぎょっとする。護衛の表情は更に険しさを増したが、浩之は『婚約者はいない』というその答えにホッと息を吐いた。あんなのが自分の婚約者だとしたら、人生真っ暗だと思ったのだ。それと同時に『婚約者って、何だよ』と、現代日本に於いて余り馴染みのない言葉に浩之は首を振った。


「では何故、彼女はあんなことを?」

「殿下、体調が優れないのですか?」


 理由は知っていて当然なのに、こんな質問をしてくる『ダライアス』を、心底心配そうに護衛が見遣る。それに申し訳無い気持ちが込み上げて、浩之はすぐに言い訳を口にした。


「ああ、いや……すまない。少し疲れているのかもしれない……」


 憐憫の表情を浮かべる護衛に、浩之は少しばかり戸惑った。何故そんな顔をするのかと聞き出したい思いでいっぱいだったが、それを聞いてしまえば益々心配をかけてしまいそうだと、言葉を呑み込む。


「殿下、城へ戻ったら、裏庭へ参りましょう」

「?……ああ」


 『何故、裏庭に?』と思いながらも、眉を下げて心配そうにしている護衛に、ただ頷くことしかできない浩之だった。



 一人馬車へと乗り込み、一息ついた浩之は、馬に乗り、馬車と並走する護衛の姿を見つめ、逡巡する。


「彼の名前はダレルか。いちいち記憶を探らないと出て来ないのは不便だな……」 


 馬車の中で一人ごちた浩之は、腕を組み、考え込んだ。


 自分が前世の記憶を有しているのに、漸く気がついた。記憶を思い出した切欠は、あの金の髪の少女。

 彼女たちの言い合いが始まる少し前に、あの少女が言った言葉だったということを浩之は思い出す。


 『この後のイベントは、結構大事なのよね。乙女ゲームのヒロインとしては、踏ん張りどころだわ』


 いつもいつも、よく分からない単語を発する少女に、『ダライアス』は困惑していたが、その言葉の意味がスッと理解出来、唐突に前世の記憶が蘇ったのだ。


 日本という国で生まれ育ち、ごくごく普通に生活を送っていた中年独身男。一般的な会社に勤め、立派な社畜になっていったことを浩之は思い出していた。

 日本人としての自分の名前は覚えていたが、いつどうやって死んだのかは思い出せない。それでも趣味や好きな食べ物、家族構成や友人など、大まかなことは覚えていた。そしてそれなりに楽しく生きていたような、そんな記憶が残っている。


「乙女ゲームとか、やったこともないし、興味もなかったからなー。RPGだったら、それなりにどのゲームか分かったかもしれないのに……。ああでも、男性向けの恋愛シュミレーションゲームなら、やったことあったなー」


 そんなことを呟きながら、馬車に揺られる。

 前世の記憶に浸っていた浩之は、『ダライアス』本来の記憶をたくさん取り込もうと少し焦っていた。

 馬車で向かう先にはきっと『ダライアス』の家族もいる筈で。護衛があれほど心配をするのだから、家族はもっと心配するのだろうと、気が急いた。

 それと同時に、自分が『殿下』という立場だということに思い至り、浩之は眉根を寄せる。


「まさか王位争いとか、そういう展開が待ってるなんてこと、ないよな?」


 一抹の不安を抱きながら、浩之は近づいてきた王城を見つめた。


 だがそんな考えは、杞憂に終わる。



「おかえりなさいませ、お兄様」


 護衛の先導で何故か裏庭に連れて来られた浩之は、ここで天使に出逢う。


 美しく艶のある青い髪に、碧の瞳、そして愛くるしい顔(かんばせ)に、浩之は心が洗われるような感覚に陥った。


「これが癒やしでなくて何なのか……」


 思わずそう呟かずにはいられないほどに、天使な妹の姿に感嘆する。

 そしてここで漸く、自身の容姿にも興味がいく。

 目の前の妹と同様の青い髪に碧の瞳。そして何より、乙女ゲームに登場する主要人物らしく、非常に整った顔をしていた。


「似てはいるが、可憐さは半端ないな」


 妹の笑顔を思わず拝みそうになってしまった浩之だったが、その妹の手にあるものに目を留めた。それは紛うことなき『じゃがいも』だった。


「見てください、お兄様! 大きなじゃがいもが、こんなに沢山採れましたよ!」


 満面の笑みでじゃがいもを見せる妹に、思わず浩之は目頭が熱くなった。一国の『姫』が何故じゃがいもの収穫をしているのか、そんな疑問を打ち砕くように、『ダライアス』の記憶が鮮明に浮かび上がる。


「ああ、とても立派なじゃがいもだな、アラーナ。今夜はじゃがいも尽くしの夕食になりそうだ。とても楽しみだな」

「はい! 私も料理長のお手伝いをしますので、楽しみにしていてくださいね」


 笑顔で手を振り、厨房へと向かったアラーナを見送り、浩之は小さく呟いた。


「苦労をかけてばかりだな」

「ダライアス殿下も、負けていませんけどね」


 しれっと、後ろに控えていた護衛が言葉を投げる。それに苦笑しつつ、浩之は「お前もな」とすぐに返した。


 『ダライアス』の生きてきたこの国、アルカザナム国は、とても貧乏だった。

 十年前、黒龍の襲来により、各地に甚大な被害を及ぼしたのが主な原因だ。その復興のために、二つの隣国に援助を求め、多大な借金を背負っている。そして現在もまだ、その借金を返済している最中であった。


「さて、俺も仕事をしないとな」


 日々、学園と執務に忙殺されて『ダライアス』は限界を迎えていたのかもしれない。現実逃避をしたくても出来ない状況に、前世の記憶を蘇らせることで、社畜時代の経験を今世で活かそうと考えたのだろうか?などと 、少しばかり飛躍した考えを頭に浮かべながら、浩之は執務室へと足を運んだ。



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