第10話 姫に出会って困惑中
綺羅びやかな謁見の間、豪奢な玉座に座るイージリアス国王は、少しばかり慌てていた。
それは先程入った一報によるものだったが、隣国、アルカザルムより、急ぎ確認したいことがあるとの連絡を受け、落ち着かなければと、自身に言い聞かせる。
外務大臣との面会希望だと聞き、許可を出そうと使者の名を聞いて、国王は飛び上がった。
今まさに、会って感謝を述べたいと思っていた相手が来るのだ。それも今、到着したと聞いた。
大臣を押し退けて、謁見の間に通すように言った国王に、誰も文句など言うものはいない。それほどまでに、重大な謁見になるからだ。
「久しいのう、ダライアス」
「はい、ご無沙汰いたしております。イージリアス国王陛下におかれましては……」
「よいよい、そのような口上、必要ない」
「ありがとうございます」
隣国ではあるが、同じく王族故、膝を折ることはない『ダライアス』だったが、頭だけはしっかりと下げておいた。
浩之としては、イージリアス国の大臣辺りに連絡を取り、王子の容態を確認出来ればいいと思っていたのだが、急遽国王との謁見が設けられ、『ダライアス』と交代した。流石に隣国の国王への謁見で、庶民である浩之が無礼を働く可能性がある以上、交代しないわけにはいかなかった。どんなに『ダライアス』が拒んだとしても、そこは譲れない浩之だった。だがこのことを後悔する事態に陥るとは、このときの浩之は知る由もない。
「確認したいことがあると聞いたが、どういった内容だ?」
「はい。イージリアス国の王子、ユーイン殿下の病について、確認したいと思い、馳せ参じました」
「ああ、ああ、そうか。やはりそうなのか」
国王が玉座から立ち上がると、フラフラとダライアスへと歩いてくる。
それに驚いた『ダライアス』は、駆け寄ろうとして、思い留まる。国王の突飛な行動に、近衛兵たちに緊張が走り、ひり付いたこの状態で駆け寄るのは悪手だと判断したからだ。
代わりに敵意はないと証明するために、少し頭を下げ、国王が自分のもとまで来るのを待った。
ガシリと肩を国王に掴まれ、『ダライアス』は顔を上げる。
「ダライアス、ユーインが意識を取り戻した。しかもベッドの上で半身を起こし、腹が空いたと言ったのだ」
国王の目に涙が浮かぶ。肩に置いた手が、下に滑り、ダライアスの手を握った。その手は小さく震えている。
ここに来る前に、アルカザナム国から魔法通信で連絡は入れてあったが、思いの外ユーインの回復が早く、既に話せるまでになっているとは思っていなかった『ダライアス』は、震える国王の手を握り返した。
『ダライアス』が最後に見たこの国の王子ユーインは、もう本当に生きているのが不思議なくらいに衰弱し、息をするのもやっとだったのだから、尚更だろう。
「黒龍の呪いだと知ったのは、ユーインが五歳のときだった」
「知っておられたのですか?」
「ああ。だが呪われたが最後、ユーインが十二になる歳まで、苦しみが続き、その後、死すのだと聞いていた」
「誰に、言われたのですか?」
まさかという想いで、『ダライアス』が怪訝な表情で聞く。確かあの文献は神殿の資料室で見つけた筈だと、嫌な予感が頭を過ぎった。その資料室は神殿関係者や巫女ならば誰でも入れる。王族であるダライアスは、神官長の許可を得て、入室し色々な文献を閲覧した。
「聖女と呼ばれる女だ」
「それは我が国の聖女、イヴですか?」
「いや。イージリアス国の聖女だ。だが、文献を見つけたのはアルカザルム国の巫女だと言っていた。恐らく神殿を通して、連絡を取り合ったのだろう」
「やはりそうでしたか。ですが、黒龍を殺せば、その呪いが解けるという話しは聞いていなかったということですね」
「ああ、文献にはそのようなことは書いていなかったと聞いている」
「はい。確かに、書いてはありませんでした……」
嘘は言っていない。だとすると、本当に文献を見た巫女が、ありのままを報告したということだろうかと、『ダライアス』は考えた。当時、何の病か分からず、治療法を探していたイージリアス 国王は、他国に向けて病についての情報を求めていた。その結果があの文献なのだろうと、偽聖女との関連はないのかもしれないと考えを改める。
「今回、十年前に飛来した黒龍と、もう一体、別の個体の黒龍を退治いたしました。あとどれくらいの数、黒龍が存在するのかは分かりませんが、暫くは大丈夫でしょう」
国王への謁見までされてしまい、王子の容態のみを聞いて帰るわけにもいかず、黒龍討伐の報告をすれば、国王は目に見えて安堵した。
「おお、そうか。ありがとう。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ、多大な援助をしていただいたのですから、これくらいは当然です」
「何を言う。元はと言えば、黒龍の討伐を依頼したこちらのせいだ。しかも過去にあった黒龍の襲撃の際にも世話になり、呪いを受けた王子まで助けてもらった。どんな礼でもする。何かあれば言ってくれ」
そう真摯に返され、『ダライアス』は一瞬、マーリーン姫の顔を思い浮かべた。このまま婚約という流れまでもっていけるかもしれないと希望を抱きつつ、マーリーン姫の気持ちも大事だと何とか堪える。
「ありがたい申し出ですが、お互いにまだやらなければならないことが山積みです。まずは黒龍の素材を売って、借金をお返しますので、落ち着いて話をするのはその後にいたしましょう」
「借金など、もう返さなくてもよい」
「そういうわけには参りません」
「うむ、仕方ない。そこはけじめとして受け取ろう」
「はい。ありがとうございます」
深く腰を折り、ダライアスが退出しようとしたその時、鈴を転がしたような美しい声が響いた。
「ダライアス殿下、お久しゅうございます」
腰を折ったままの『ダライアス』が、ピシリと固まる。
「殿下、お聞きしました。弟の、ユーインの呪いを解いてくださったのが、ダライアス殿下だと」
ぎぎぎと音がしそうな程ぎこちなく、『ダライアス』が頭を上げる。その様子に、国王が首を傾げた。
「こここここれは、マママママーリーン姫、ごごごご無沙汰、し、していまふゅ」
噛み噛みのダライアスを気にした様子もなく、美しい黒髪を揺らしながら、マーリーンが駆け寄る。
そしてそのままダライアスの手を取ると、ぎゅっと両手で握った。きらきらと輝く藍色の瞳で見上げられたダライアスは、ぼんっと音が出る勢いで顔を真っ赤に染める。
「ダライアス殿下、この度のこと、本当に感謝いたします」
「‥‥」
何かを言おうとしているのは伝わるが、言葉が出ない様子のダライアスに、マーリーンは言いたいことだけを一方的に告げた。
「もっとお礼の言葉を尽くしたいのですが、ユーインが寂しがるので、行きますね。本当にありがとうございました」
そう言ってにこやかに手を振り去っていくマーリーンを、『ダライアス』は真っ赤な顔のまま、一言も発せずにただ見送った。
「ほうほう。なるほどなるほど。これはまた、忙しくなりそうだな」
顎に手を当て、ダライアスの様子を眺めていた国王は、果たしていつ立ち直るのかと、愉しそうに目を細めた。
たっぷりと時間を費やしても、『ダライアス』が復活する気配がないことに、流石に不味いと感じた浩之が、緊張しながら表に出ていく。
「し、失礼いたしました。一国の姫に対し、とんだ無礼を‥‥」
「よいよい、気にするでない。あれも気にしておらん」
「温情をありがとうございます。以後、気をつけます」
「気を付けるか……慣れるまでは、無理だと思うがな」
小さく呟かれた国王の言葉に、浩之は冷や汗をかく。
先程の『ダライアス』の様子に、困ったことになったと頭を抱えたくなった。
『ダライアス』と交代すれば、それなりにマーリーン姫と話せるだろうと思っていた浩之だったが、あからさまに態度が変わるのは不信感を抱かせてしまう。何故『ダライアス』が国王との謁見を拒否したがったのか分かり、項垂れた。こういう事態になることを想定していたからかと、納得する。『先に言っておいてくれよ』と愚痴を心の中で愚痴を零しながら、退出の挨拶を告げた。
逃げるように謁見の間を出て、同行していたダレルを迎えに、浩之は控室へと足を向けた。
「ダレル、待たせたな」
昨日のザラタンの件で、忙しく飛び回っていたダレルを付き合わせるのは心苦しかったが、王族が従者も連れずに行動することは醜聞にもなるので、致し方ない。申し訳ない気持ちでダレルを見遣ると、疲れを感じさせない爽やかな返事が返ってきた。
「いえ、お疲れ様でした」
「ああ、本当に疲れたよ」
庶民が他国の国王に会うなど心臓に悪いと、浩之は小声でダレルに愚痴る。
控室にはそれなりに衛兵もいるため、大きな声では言えなかったが。
今いるこの控えの間も、豪奢な調度品などが置かれ、落ち着かない。
自国の謁見の間や控えの間、応接室などの調度品は、最低限のものを残し売り払われ、ガランとしていた。そんな自国の部屋と比べ、居た堪れなくなった浩之は、さっさと帰ることにする。
「よし、帰るぞ」
近衛兵たちに帰還の旨を告げ、ダライアスはダレルを連れて、イージリアス国を後にした。その際、来たときと同じように転移魔法を使用したのだが、それを目撃した近衛兵たちが突然消えてしまった二人に大いに慌て、捜索隊を組む事態に陥った。だが、浩之は皆がみんな、転移魔法を使えると思っていたので、そんなことになっているなど知る由もない。
アルカザルム国の自室に転移し、詰めていた息をホッと吐き出すと、浩之はダレルに目を向けた。そしてしっかりと確認を取る。
「ダレルはダライアスがマーリーン姫に懸想していたこと、知ってたのか?」
「はい、まあ……」
「ダライアスがマーリーン姫の前だと、ポンコツになることも?」
「はい、まあ……」
「そのことをマーリーン姫が全く気にしていないってことは、脈なしってことか?」
「……」
黙り込んでしまったダレルに、浩之は思わず唸ってしまった。
そして思う。
もしかして、前世の記憶を思い出したかったのは黒龍云々ではなく、マーリーン姫の前だと上手く話せないから、前世の誰かに頼ろうとしたのではないかと。今までどれ程の輪廻転生を繰り返したか分からないが、もしその全てを思い出していたならば、女性だった人生もあったかもしれないのだ。そうなれば心強いなんてものではない。難解な乙女心も理解出来るのだから怖いものなしだ。実際、思い出したのは一つ前の浩之の前世だけではあったが、それでもある程度人生経験があるので、想い人の前でも対処が出来る。浩之はそれなりに女性経験もあるので尚更だ。
考えに耽っていた浩之に、ダレルが心配そうな顔をしながら、「恐らく」と自身の見解を述べ始めた。
「姫はずっと、自国の女王になるのだと思っていたのではないでしょうか。ですから、隣国の王太子であるダライアス殿下は、元々恋愛対象外だったのではないかと思います。それよりも、王族に生まれた時点で恋愛など、そういった希望は捨てているのかもしれませんけどね」
「まあ、確かにそうだよな。ダライアスの方がおかしんだよな。でもまあ、好きになったんなら仕方ない。それに多分、婚約も纏まるだろうし」
「はい。本当に良かったです」
『ダライアス』の記憶の中にあるマーリーン姫は、いつも悲しそうな微笑みを浮かべていた。それは常に弟の病状を気にし、憂いていたからだ。だが先程会ったマーリーン姫は、それはそれは美しく、輝くような笑顔を見せていた。そのことに、浩之の心がギュッと締め付けられる。それが『ダライアス』の感情なのか、自身の感情なのか、浩之は胸に手を当て考えた。
黒髪に藍色の瞳、それが浩之の心に刺さったのは間違いない。前世の懐かしい面影を重ね、胸が熱くなった。
思わず感傷に浸りそうになり、浩之は慌てて口を開く。
「まあ、喜ぶのはまだ早い。『ダライアス』にしてみれば、相思相愛が理想だろうし。姫の気持ちは……どうなんだろうな? 意外と自国の騎士あたりに、惚れ込んでる可能性もあるのか?」
「騎士ですか?」
「身近にいる男っていったら、騎士くらいだろ? アラーナの周りも、騎士以外いなそうだし」
学園に通っていないアラーナを引き合いに出し、浩之は同意を求めた。確かマーリーン姫も学園には通っていなかったなと、『ダライアス』が安心していたことを思い出し、苦笑する。
「だとすると、アラーナ様は、私あたりに想いを寄せていると?」
「おお、そうなるのか? ダレルはどうなんだ、そこんとこ」
「いえいえ、殿下、そこは笑い飛ばすところですよ。アラーナ様の想い人は、もう一つの隣国、ロドルグマ国の王子ですから」
「え! そうなのか!」
「まあ、本人には自覚がないようですがね」
「それはどうなんだ? 背中を押した方がいいのか? それとも、余計なことはしない方がいいのか?」
再び唸りだした浩之に、ダレルは息を吐き出した。
「王族の婚姻は、殆どが政略です。黒龍を二体も倒したダライアス殿下には、今後釣り書が山程送られてくるでしょうね。もちろん、アラーナ様にも」
「んー、どうだろう。そんな直ぐには国も立ち直らないのに、縁談の話なんて来るのか?」
「数年後には確実に立て直せるのですから、婚約だけでも先にと考える国は多いでしょう。援助を申し出る国も多そうですし」
何を今更、と浩之は憤慨する。散々頭を下げまくっても、援助してくれたのは両隣の隣国だけだったのだ。とはいえ、どの国にも事情があるだろうから、仕方がないといえばそうなのだが。
「なるほど、面倒だな。正直やることが多すぎて、そういうのには手が回らないんだが。というか、そんなのに人手を割きたくないな」
腕を組み、首をがくりと垂れて打ちひしがれている浩之に、ダレルが解決策を提示する。
「ですから一刻も早く、マーリーン姫との婚約を結び、発表することをお勧めします」
「なるほど、それが一番てっとり早くて、全てが丸く収まるのか」
実際、アルカザルム国への援助を一番してくれていたのはイージリアス国なのだ。信頼関係を一番築いている国の王族同士が結ばれることに、そうそう文句も出ないだろうと、浩之は考えた。
「マーリーン姫には悪いが、諦めてもらうか」
「正直、ダライアス殿下が口説き落としてくれれば良いのですがね。顔は良いのですから、いけると思いますよ」
「まあ、そうだよなあ。顔は本当に良いもんな。何だったら、身体も使うか? こっちじゃモテるだろう、細マッチョ……というか、ゴリマッチョだよな、この身体」
自身の身体を見下ろし、流石に筋肉がつきすぎじゃないかと不安になる。前世ではゴリより細い方が人気があったなと、浩之は少し落とすべきかと本気で悩んだ。
「まあ、ゴリマッチョというのはよく分かりませんが、そこは好みの問題でしょうからね。聖女は随分と殿下の身体にご執心でしたし」
「うわー、嫌なこと思い出させるなよー」
『ダライアス』の想いを知った今、偽ヒロインとの未来など考えられないと浩之はげんなりする。それ以前に本物のヒロインを葬った疑惑もあるのだ、嫌悪しか感じないと、吐き気さえも込み上げてきた。
「そういえば、聖女から夜伽の申し込みがあったと聞きましたが」
忙しくしていたダレルだが、通信魔法でその情報はすぐに回ってきていた。そして当然、ダライアスが黒龍を狩った情報も耳に入っている。
「そっちも思い出させるとか、ダレルは鬼畜なのか!」
「いえいえ、黒龍を倒したのでもう必要ないのですから、そんなに嘆かなくてもいいのではないですか?」
「ああ、そうだよな! ダライアスの貞操は守られた! あとは黒龍を売って、姫と婚約して、国を立て直す!」
自分で言っていて、今まで以上に忙しくなるなと思い至り、悲しくなってしまった浩之だった。
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