エピローグ

34 ようこそ狩り場へ ここは地獄一歩手前

 湿気を多分に含んだ生暖かい風が頬を撫でる。

 目を開ける。あたりは暗い。街灯からの光に照らされていないところは真っ暗である。

 かすかなかゆみをおぼえて、顔に手をやる。じとっとした汗が指についた。

 顔も首も背中も汗ばんでいる。しかし、耐えられないというほどの暑さではない。


 俺はブルーシートのうえに転がされている。

 ブランコが視界にはいってくる。先ほどから俺の頬を撫でている生暖かい風に吹かれてかすかに揺れている。

 鉄棒に、砂場、子どもがまたがって遊ぶような遊具がいくつか、それにベンチが三基ある。どこかで見たような公園だ。


 ブルーシートの上に転がされているのは俺一人ではない。大勢の人が転がっている。

 しかし、俺の隣に大好きなあの子はいない。


 転がされている人たちは、皆、知った顔だ。

 必死に憶えた顔たちだ。


 俺はゆっくりと立ち上がる。


 街灯の明かりを頼りに薄暗い公園で皆に声をかけていく。

 いかにも不機嫌そうな若い女性がいる。

 俺の声かけに刺々とげとげしい声で質問してくる。

 ああ、君か。

 よくもまぁ、初対面の見知らぬ相手にそこまで攻撃的になれるものだ。

 そうそう白田さんは泣いていたよ。こんなことで地獄に落とされるのかと泣いていたよ。痛い痛いと泣いていたよ。


 あいつはすぐに見つかった。

 全然知らなかったあいつに優しく声をかけてやる。

 不安そうな様子で返事をするあいつを殴りたい衝動を必死に抑える。

 今はだめだ。もっと絶望と恐怖と後悔のなかでおぼれさせないといけない。のたうちまわって苦しむべきだ。惨めに、泣きわめき、懺悔と命乞いを汚い口から吐き出しながら、殺されなければならないのだ。

 

 カンカンカンと踏切の警告音が聞こえてくる。

 最初は同じなのか、それともただの偶然なのか。

 どちらでも良い。やることは決まっている。


 「線路を辿っていけば駅にたどり着けるぞ!」

 俺は人々の不安を和らげ、この先へと誘おうとする。


 ――そういえばさ、あいつらが毎度毎度見せつけてくる手帳ってなんなんだろうな?

 ――法務調査なんたら庁だっけ。警視庁組織犯罪対策部ならばわかるんだけどな。

 ――あれはね、たぶん日本語に意味なんかないんですよ。Legal Investigation and Mediation Board of Observation、これの頭文字をつなげてみてください。L. I. M. B. O、リンボってね、キリスト教で地獄の一歩手前とか地獄の辺境とか表現される場所のことなんです。僕らはね、地獄のはしっこ、地獄の一歩手前であがいているわけです。まぁ、趣味の悪い洒落ですよ。いやぁ、むかつきますね。

 風呂場での会話を思い出す。


 ここは地獄の一歩手前。地獄からやってくるやつらの狩り場。

 俺はおぞましい狩人の前に獲物を駆り立てる猟犬であり、俺自身も狩られる獲物だ。


 ――僕はね、イザナギって神様が嫌いなんですよ。

 白田さんが露天風呂につかりながら力説していたのを思い出す。

 ――だって、勝手に追ってきて勝手に幻滅して逃げていく。それはイザナミだってぶちぎれますよ。

 イザナギという神様は死んでしまった自分の妻イザナミという神を連れ戻しに行った。自分から連れ戻しに行ったにもかかわらず醜い腐乱死体となった妻の姿におそれをなして逃げ帰ったという。

 ――僕だったらね、彼女とずっと一緒に暮らします。黄泉の国だろうと地獄だろうと愛する人とずっと一緒ならばそれでいいじゃないですか。

 彼がどこまで本気だったかはわからない。

 でも、白田さん、本当にあなたのいうとおりだよ。


 あやちゃん、こんな俺だけど待っててほしい。

 少しだけやり残したことがあるんだ。

 終わったらすぐ君のところに行く。


 今度はずっと一緒だ。




 ジゴクイッポテマエ(カリ)了

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ジゴクイッポテマエ(カリ) 黒石廉 @kuroishiren

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