あの藤の記憶は、夢か現か。

「この神社をきれいにするお手伝いをしてほしいの」

少女は主人公に頼んだ。
藤弦に封じられた大霊樹には、かつて、多くの人がお参りに来たという。その祠には、今や誰も足を運ぶことがなくなり、寂しく朽ち果てていた。
このとき主人公は少女の願いを叶えることはできなかった。のちに主人公は知るが、村の人々は、この地に悪神を封じてきたという。あの大霊樹のある山は、入ることすら禁忌であったのだ。
それ以来、少女に再び見えることはない。


藤の花言葉は『忠実』である。藤花を名乗った少女は、誰に忠実であったのだろうか。村の人々が言うように悪神か、あるいは。藤の花言葉には他にも、『優しさ』や、『酔う』、『決して離れない』という意味もあるのだ。
"御神木も、今でこそ藤弦まみれだが、優に川上村よりも長い期間ここにあるのだろう"――川上村を、藤ヶ山の地を決して離れず、悠久の過去からこの地を優しく見守り続けた大霊樹の姿が、ふと、目に浮かんでしまった。

庭に植えてはいけない、あるいは縁起が悪い、時が経ち流言や誤解によって、忌避とまでは言わずとも、現代では藤の花を怖がる人も少なくないという。村の守り神であった大霊樹は、時とともに忌まれるようになってしまったのではないか。そうして、過去のことを、大霊樹に添い遂げた藤弦の少女だけが覚えている。そうであれば切ない物語だ――そのようにも、私には思えた。

しかし忘れてはならない。藤の花には毒がある。少女のついた嘘という毒。主人公は、果たして毒に酔っただけなのか。真相は分からない。読者の我々は自然と考えさせられてしまう――気づかぬうちに魅せられるのだ。それがまさに、この作品の毒なのか。

これは、惹かれてやまない、不思議な夏の物語である。