第20話 レクミラの置き土産

 昔話を終えたレクミラは、外で従者を待たせているからそろそろ失礼しなければ、と聴衆勢にいとまの意思を伝えた。そして、供物台に乗せられていた葡萄に目をとめ、それを指し示す。


「葡萄を一房いただいても?」


 頷いたカエムワセトは、立派な一房を選ぶと布にくるんで渡した。


 レクミラは嬉しそうにそれを受け取ると、貴族の娘らしい完璧なお辞儀で全員に退出の挨拶をする。


「それでは皆さま。ごきげんよう。よい夜を」


 出ていこうとしたレクミラを、フイとカエムワセトが出口まで送った。

 

 会場を出ると、レクミラは夜空を見上げた。夜気を深く吸いこみ、「本当に、いい夜だこと」と呟く。そして、覚えてしまうほど何度も耳にしたあの夜の呪文を、その唇で紡いだ。


 カエムワセトとフイは、レクミラの口から紡ぎ出された呪文を聞いて不思議そうな顔をする。


「その呪文は、誰から?」


 カエムワセトの問いに、レクミラは首を傾げ、「これ? イエンウィアが唱えていた野犬よけの呪文よ」と答えた。


 途端、フイが俯いて「あのバカめ……!」と噛みしめるように泣きだす。

 カエムワセトは、いたわるようにフイの背中を撫でた。


「……違うの?」


 二人の様子に、レクミラは眉をひそめる。


 カエムワセトはレクミラに満ち足りた笑顔を見せると、こう言った。


「その呪文の本当の意味は、こうです。『どうか、この方に神々の恩恵を。どうか、この方に神々の愛を』」


 目と口をぽかんと明け、驚きを顕わにしたレクミラは、続けて「あ……」と言葉を詰まらせると、その大きな眼から涙をぽろりと落とした。

 レクミラは慌ててそれを拭うと、「あの人らしい」と楽しげな笑いに顔を綻ばせた。


 心の底から幸せそうな笑顔を見せるレクミラに、カエムワセトは「はい」と強く同意する。


「あのね」


 レクミラが、はにかみながらカエムワセトに近づく。


「あの人、朝方最後に自分から抱いてくれたの。とても嬉しかった」


 熱い息遣いの中で、イエンウィアの口から紡がれ続けた呪文。それは何度も、何度も擦り込まれるように、レクミラの身体に染みわたっていったのだ。

 一晩中付き合わされて疲れているであろうに、イエンウィアはできるだけ長く、レクミラに祈りの呪文を与えようとしていた。


「それは……よかった……です」


 どこまでも明け透けに話すレクミラに、カエムワセトは返答に困りながら応対した。


 レクミラはまだまだ初心な第四王子の困り顔に、楽しげな笑みを見せる。


「あの人は自分を幸せにできるのは自分だけだと言ったけど、幸福は、他者によってもたらされるものよね。イエンウィアがいなければ、私はこの幸せを掴めなかったもの」


「無事に生まれますように。お祈りしております」


 深々とお辞儀をしたカエムワセトに、レクミラは「ありがとう。貴方にも幸せが訪れますように」と祈りを返す。


 そして、かつてのプタハ神殿前でしきりにカエムワセトの姿を目で追っていた時と同じように、今もこちらの様子を伺っているライラを一瞥したレクミラは、カエムワセトに耳打ちした。


「ごめんなさいね。あのに余計な知恵を与えてしまったみたい」


「お気になさらず」


 カエムワセトは苦笑いで答える。だが、次の瞬間、その表情は驚きに変わった。

 カエムワセトの肩を引いたレクミラが、その口元に口づけしたからである。


 会場から、「おぉ~っ!」という驚嘆の声が上がった。


「落ち着けライラ! ギリ外れてるぞ!!」


 ジェトが必死になってライラを宥めた。


 カエムワセトの口角横に控えめな口紅の痕を残したレクミラは、後ろを振り返ると、涙目で震えている赤髪の乙女に笑顔で叫ぶ。


「この子素敵だから、早くしないと他の誰かに獲られちゃうわよ。お嬢さん!」


 そして葬式会場に驚愕と少々破廉恥な空気をもたらした源は、颯爽とした足取りで退場した。


「恋敵の気持ちをちょっとつついてやるくらい、いいでしょ。イエンウィア」


 目にはみえないが、おそらくその会場にいるのであろう想い人に、レクミラは小さな意地悪を残して。


 神殿の前庭に出たレクミラは、入口の前で控えていた小柄な少女に微笑みかけた。


「待たせたわねキキ。はいこれ」


 そう言って、先程カエムワセトからもらった、布にくるまれた葡萄を差し出す。

 包みを両手で受け取ったキキは、姿を現した中身に目を見開く。


「葡萄、好きでしょ」


 主人からの問いかけに、キキは嬉しそうに「はい」と頷いた。


「ごめんね、あなたまで巻き込んでしまって」


 自宅監禁中、メリトにキキを探し出してもらったレクミラは、キキに自分の妊娠を告げ、これから自分の味方になってくれるよう頼んだ。

 おそらく自分も子供もこの家にいては幸福になれないと考え、夜逃げを企てていたのである。


 キキは、レクミラにイエンウィアが残した命が宿っている事を知って歓喜し、恩人の頼みを喜んで引き受けた。それからはとりあえず、従者としてレクミラに付き従っている。


「ねえキキ。子供が産まれたら、どこで暮らしましょうか」


「お好きな所へ。私は路上生活者でしたから、家が無くても平気ですよ」


 レクミラのうきうきした問いかけに、キキは頼もしい笑顔で答えた。


「ベドウィンになるのもいいわねぇ」 


「いいですね。ラクダには一度乗ってみたかったんです」


 仲良く手をつないだ大小二つの影は、これからの計画を楽しげに語り合いながら、夜のメンフィスの街に消えていった。



 それからしばらく経った頃。こちらは宴を終えた葬儀会場である。


「でもそうか……そうだよな」


 宴会の片づけをしているライラの隣で、腕を組んだアーデスが感慨深げに言った。


 ライラは布巾でテーブルを拭きながら、物言いたげな様子の同僚に、眉を寄せる。


「何が、そうなのよ?」


 ライラが訊き返してきた事で、発言の機会を得たアーデスが、神妙な顔で何度も頷きながらため息交じりに言った。


「悲しきかな、男っちゅうのは、またがっちまえば簡単な生き物なんだよな、これが」


 ライラは「はあ!?」と元々釣り気味の大きな目を更に釣り上げる。


「あんた、本気マジで言ってんの? イエンウィアに失礼でしょうが!」


 レクミラの悲恋を、軍で男どもがしているような下品な痴話に変えた上、故人の冒涜ともとれる発言をした年上の同僚に向かって、ライラは手に持っていた布巾を投げつける。


 だが、そこはアーデスも鍛えられた傭兵である。汚れた布巾が顔面にぶつかる前に、最低限の動作で捕まえキャッチした。


 そしてアーデスは酔いの回ったフイに水を渡しているカエムワセトにちらりと視線をやると、ご機嫌に笑ってライラの肩をぽん、と叩く。


「よし、お前も押し倒しちまえ!」


「誰をよ!?」


 ライラは真っ赤になって、酒臭い息を吹きかけて来る同僚に怒鳴った。

 

〜完〜

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂漠の賢者外伝2 草色神官の秘話 みかみ @mikamisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ