これは本当に正しいのか。

「わしは孫に酷い事をしてしまった。妻が意識不明なのに道路標識にしてしまうなんて。償いたい。」

慚季は首を振った。自分で決めた人生であったから。

寛蔵は続ける。

「最後ぐらい孫のためになることをしたい。私は自分の魂の変わりに慚季を元の人間に戻す。」

この宣言はいわゆる標識破棄方法の一つである。

私の魂の変わりにーーーという発言によって勧誘した者を元の人間に戻せるのだ。

「待て!」三鷹が言おうとした時、

「これで良かったのだ。早く妻の元へ行きなさい。そして寄り添いなさい。そして人生を楽しみなさい。成せば幸福になろう。」

慚季は最後の意味が分からなかった。 

言葉が難しいかったからだ。

話の流れが急展開過ぎたのもある。

そして~〜〜


俺は元の人間に戻った。

そしてじいちゃんに言われた通り妻の元へ毎日行った。妻はまだ生きていたが眠ったままであった。会社は無断の長期休暇によりクビになったが新たな会社につけた。

妻は相変わらずだ。

しかし毎日毎日毎日行った。

じいちゃんの言葉を忘れることなく。

会社でも真面目に毎日毎日毎日働いた。

たまにふと無意識に道路標識を見つめることがある。

道路標識が自分の事を見ていると感じたからだ。

じいちゃんはもういない。


不変を嫌っていた俺は様々な奇怪な出来事に合うことで不変=幸せだと気付いた。


そして遂に幸福なことが起きた。

病院の医師から電話がかかってきた。

「奥さんが目を覚ましました。」




(まとめ)

今回はハッピー的な終わりでしたが、本当に正しいかったのでしょうか。

考えてみてください。

三鷹が道路標識にならず妻と向き合えば妻はより早く回復していたかもしれない。何よりじいちゃんを殺さないですんだ。あの行動は事実じいちゃんを殺したことになる。止めなかった。見殺しである。ならばこの世を理不尽と思うであろう。しかし道路標識になった事で起きたのだ。

つまり三鷹が現実から逃げようとして起きたのである。

三鷹がつらい現実から逃げることでじいちゃんを殺したし妻も見殺しにしようとしていた。会社にも迷惑をかけて倒産の%をあげだ。

本当に正しいのでしょうか。

理不尽な世の中と思う前に自分の行動一つ一つに意識する必要があるのかもしれませんね。たった一つの考えや行動で自分ないし他の人の首を締めることになる。

この奇怪な出来事を通して伝えたいことはまさにこのことです。


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