第5話 魔王奉還

 窓から深い青が覗いている。朝の光が溢れ出る寸前——今は、夜明け前の青い時間帯。


「……っはあ!? はぁ、っは……」


 お守り屋が頭痛に襲われて気絶するように眠りに落ちてから、ずいぶんと時間が経ったようだった。息を切らして飛び起きたお守り屋は左手で胸を押さえ、右手はすぐそばにある鉄格子を強く握りしめている。


(いま、のは……魔王と俺の、夢? いや、既視感がある。やっぱり今のも……俺の記憶……?)


 お守り屋は額に滲んだ脂汗を拭って、張り付いた黒髪をかき上げる。何故か、酷い焦燥感のようなものに急き立てられるような思いがして、それを紛らわすために更に髪を搔き乱した。


「ようやくお目覚めですか」

「うわ!? ……あ……ま、おう」


 すぐそばで魔王の低い声が掛けられ、お守り屋は跳ねるように身体を震わせながら隣を振り返る。右手で握りしめた鉄格子の先にはやはり、真っ直ぐ正座をしてお守り屋を見据える魔王の姿があった。

 お守り屋はしばらく肩で呼吸を繰り返し、少し落ち着くと、俯いていた顔を上げて魔王を見る。


「今、夢を見てたんだ……たぶん、俺と魔王の記憶」

「そうでしょうね。それも私が見せて差し上げた記憶ですから」

「! ……やっぱり、今のも俺の記憶なんだ。じゃあ過去に、俺と魔王って外の世界で会ったことがあったの?」

「ええ。私とあなたは、これが初めての邂逅ではありません。ですが——たった今お見せしたものは、あなたの記憶ではないですよ」

「え……?」

「今のは、私の記憶です」


 お守り屋はわけがわからない、といった呆然とした顔で魔王をひたすらに見つめる。魔王はお守り屋が握りしめている鉄格子へと、指先だけで触れた。


「最後にまた、外の世界のお話をして差し上げましょう。今日は——〝魔王〟の語源について」

「……」


 魔王は、周囲に満ちる夜明け前の青に溶けるような静かな声で、語り始めた。


「今から百年以上前、異人類によって栄えた一国がありました。魔法で美しい花々を育み、その花々で人々を加護するお守りや癒しの薬を作ることを生業とした、女性ばかりの種族——魔女。かの国は、魔女の国と呼ばれていました。かの国を治めた最後の王は……男王。数百年に一度稀に生まれる魔女の男子は身体が弱く、魔女の力も弱い。生れてすぐに亡くなってしまうことが多い魔女の男子ですが、その男子は生き延び、たゆまぬ努力と研鑽を重ね、初めての男王と成ったのです」


 お守り屋は石のように固まったまま、魔王の語る言葉を聴いている。


「男王は戦争を忌み嫌う人物でした。そのため、人間からの侵略を阻む堅牢で強固な結界魔法を得意とし、その巨大な結界で国を覆うことで争いをも避け、長く人々を護ったことから。民衆に親しみを込めてこう呼ばれたのです」


 お守り屋は、魔王の背後の遠くに見える己の結界魔法陣が視界に入って、更に目を見開く。お守り屋と魔王を囲う六面の魔法陣の見慣れた〝花紋様〟が、お守り屋の胸へと杭となって打ち付けられ、ヒビが入る音が聞こえた気がした。


「花の庇護者、魔女の王——〝魔王〟と」


 お守り屋は小さく首を横に振って、左手で顔を覆う。


「……それが、きみのこと……?」

「……」


 魔王は密かに息を吞んで一度間を置くが、すぐに続きを語り始めた。


「魔王の治める魔女の国は、人間の強国によって百年ほど前に滅びています。民衆の魔女たちの多くは虐殺され、絶滅寸前まで追い詰められました。そこで魔王は、人間の強国に己の身柄を引き渡し、降伏宣言を出すことを条件に、数少ない生き残った魔女たちを見逃して欲しいと申し出ます。一時彼女たちはささやかな安寧を得られましたが……すぐに全ての魔女の生き残りが、魔王との協定を破った強国に奴隷として捕らえられ、世界各国に売り飛ばされてしまった」

「……めろ」

「そして、民を護るため強国へと囚われたあなたは」

「……や、めろ……」

「他の異人類を捕縛しては奴隷、または生物兵器へと仕立て上げ。人心をもへし折り、戦争へと従わせる道具——〝お守り屋〟と呼ばれる生物兵器に堕ちたのです」

「やめろって!!」


 お守り屋は喉が張り裂けんばかりに絶叫を上げて、両腕で頭を抱え込み、縮こまるように立てた両膝に顔を埋める。その身体は、かたかたと大きく震えていた。


「民を護るための花の結界魔法は、他の異人類を滅ぼすための生物兵器を縛る鎖となり。自国と民を失い、箱の中で裏切りを知り、己自身も争いをいざなうたねである生物兵器へと堕ちたことに耐えられなくなったあなたは、自身に強力な呪いをかけた——記憶を塗り替える、あなたにしか解けない呪いを」

「……そんなの、最悪の王じゃないか」


 お守り屋は頭を抱え込み、膝に顔を埋めたまま震える声で呟く。


「王ですらないよ、そんな弱い愚か者……誰も守れなかった。絶望しきって何もかも諦めた後は、都合のいい記憶に塗り替えて、のうのうと何も考えずに生きて、他の人たちを生物兵器にして、逃げて……俺は、そんな最悪なヤツになんて還りたくない……いや、そう考えてる時点で、わたしは、俺は……生きていちゃ、いけな」

「違います」


 間髪入れず、魔王がお守り屋の言葉を遮る。そして、さっきまでお守り屋が握っていた鉄格子を力強く掴んで、檻を隔てた先にいるお守り屋へと顔を寄せた。


「私は、あなたを責めに来たのではありません。むしろ感謝の意を伝えに来たのです。〝よくぞ、雑草の如くしぶとく生き延びてくれていた〟と」

「……」

「そして何より、私は〝還し〟に参ったのです——あなたの全てを」


 魔王はすっとその場で立ち上がると、塞ぎ込んでいるお守り屋を見下ろす。


「あなたにはあなた自身によって、二種の呪いが掛けられています。記憶を封じるものと、あなたをとこしえにこの場所へと縛り付ける、結界牢」


 四方と天井地面に張り巡らせられている花紋様の結界魔法陣を見渡すと、魔王は蹲っているお守り屋へとまた視線を戻した。


「それらを解くにはまず——奪われたあなたの真名まなを、取り戻さねばなりません」

「……そんなもの、とうに失われたよ。俺の記憶にも無いし……真名を知るのは、だいたいが近親者だ。そんな者も、もう……」

「いましたよ」


 お守り屋は微かに顔を傾け、赤く充血した片眼で魔王を見上げる。


「え……?」

「奴隷となった、生き残りの魔女の方々を一人残らず探し出しましたので。その中に、あなたの真名を知る方が数名いらっしゃいました。……魔女の皆さんは、皆いい人ばかりですね。は、今や彼女たち無しでは立ち回りません」

「は……」


 お守り屋は呆然とした顔で、ようやく頭を持ち上げた。そして、いつかの魔王とのとめどない会話が脳裏に過る。


『大市を急襲して、人間の奴隷であった異人類たちを強奪したり』

『そして、滅びかけていた異人類を統合し、街を造ってみたり』


(……まさか)


 そこまで思い至って、我に返る。お守り屋の目の前には、鉄格子の隙間から差し伸べられる、橙色の爪紅が綺麗に映えた魔王の大きな手があった。


「それにあなた、彼女たちと約束したんでしょう? だからあなたは約束のため、から、逃げなかった」


 約束。その言葉でお守り屋の脳裏にまた、失くしたはずの記憶が鮮やかに蘇る。


『必ず、生きてまた逢おう——約束だ』


 ぐちゃぐちゃに泣き喚いて、自分に向かって「いかないで」と手を伸ばしてくる民衆をあやしたくて。それでもきっといつか、帰れることを祈って、残してきた約束。


「私は約束を破ったことは一度たりともありません。魔王とは、約束を守るものです。……あなたが、ずっとそうだったように」


 お守り屋の胸の奥底に刺さった杭が、更に大きなヒビを走らせ——深く根付いた呪いを、粉々に打ち砕いてゆく。


「〝帰りたい〟と、望みなさい——みな、あなたの帰りを願っています」


 お守り屋は差し伸べられる手と、魔王の山羊頭を不安そうな顔で交互に見やる。


(今更……望んでも、いいのだろうか。罪に塗れた、わたしが……俺なんかが)


 そんなお守り屋の心内を見透かしたように、魔王は鼻から短く息を漏らした。


「いいんですよ。望んでいるのは、あなただけではない。それに、罪なんてものは死んだだけで償えるような、生温いものではありません。それは、あなたもよくわかっているんでしょう」

「え……? な、なんで……」

「わかり易い顔してますから、あなた。それと、いつまでもひとりでうじうじ悩むな、面倒臭い。とりあえず、さっさと私に〝借り〟を返させろ」


 魔王の手が急かすように、更にお守り屋の顔に近づく。お守り屋は一度俯いて、唇を強く噛み締めた。そして、震える息を零し、堰を切ったように溢れ出す涙を左手で抑えながら、魔王の手へと己の右手を躊躇いながらも重ねる。


「……かえ、りたい……! そして、罪を、償いたい……!」

「それでいい」


 魔王は重ねられたお守り屋の手を一度強く握り返すと、その手首にムスカリの花が編み込まれたブレスレットを素早く通す。


「始めましょう——〝魔王奉還〟の儀」


 魔王が、タンと片足の踵で力強く石床を叩くと、途端に二人の足元に円形の巨大な魔法陣が浮かび上がった。魔王はその場に正座して座り、どこからか取り出した長杖を魔法陣の中心に突き立てる。すると、お守り屋の手首にあるムスカリの花のブレスレットが淡く輝きだした。


「花の御霊よ、祝いたまえ。薫風の踊り子たちよ、歓びたまえ。闇の水よ、祈りたまえ——縛りの呪いを解きほぐし、かの者のまことを奉還す」


 魔王が滑らかに詠い上げると、魔王とお守り屋の周りをぐるぐると花の精霊たちが舞い踊り、地面から祝福の風がふわりと巻き起こって髪を浮かし、昏い闇がゆるりと蠢く。それらに共鳴するように突き立てられた長杖が鳴動し、魔法陣に亀裂を走らせた。


「かの者は、花山羊の王。妖精王の園に、生まれし者」


 魔王は突き立っている長杖に両手を添え、力を込める。すると、魔法陣に走る亀裂が大きくなり、更に四方の壁に張り巡らされている結界陣にまで亀裂が広がっていった。


「真名、真のかたち、真の魂、故郷、愛する者……そして、自由」


 お守り屋のブレスレットが更に眩く光って、お守り屋はその迸る光を胸に抱くと恐る恐る瞳を閉じた。


「あなたの全てを、お還しいたします——目覚めよ。〝魔王ディルムッド〟」


 魔王の言葉と共に、石造建築内に張り巡らされた結界魔法陣が全て、粉々に砕け散った。

 同時に、お守り屋——魔王ディルムッドは、ブレスレットの光と結界陣の破壊によって生じた激しい風に包まれる。そして、ディルムッドの黒髪は光に包まれるのと合わせて、鮮やかなキャロットオレンジへと染め上げられていった。


 ◇ ◇ ◇


 永く生物兵器を閉じ込めていた、絶対不落の箱は跡形もなく崩れ去った。

 外の世界は夜明けの藍空が溶け、朝日に淡く照らされた荒野が広がっている。


 ディルムッドはゆっくりと目を開けて、人っ子一人見当たらない夜明けの荒野を見渡しながら、深く息を吐き出す。


「……ここにあった、人間の国は」

「もうとっくの昔に、滅んでますよ」


 ディルムッドは声が聴こえてきた方向を振り返る。そこには、未だ地面に突き立った長杖の前で静かに正座する魔王の姿があった。


「魔王の名も、の私のおかげで今は異人類の者たちの王ではなく〝好き勝手生きる者〟の代名詞となっています。私は好きに生きた。あなたも、好き勝手生きればいい——魔女の民の皆さんも、あなたが治めずとも強く生きておられますから」


 魔王はそう言って正座したまま、地面に突き立った長杖を引き抜く。


「あなた以外の見知らぬ人々。そして、何よりもあなたに……私は、ほんの一欠片だけでも。何かを〝還す〟ことはできているのでしょうか」


 そう小さく零して、夜明けを見上げる魔王に——先ほど夢に見た、黒髪の小さな少年の姿が重なった。

 傷だらけで、口が悪くて、不器用で、誰よりもやさしかった少年。自分に「かならず借りをかえす。そしておれも、〝魔王〟みたいになるから」とぶっきらぼうに約束だけを残していってしまった。

 遥か昔に出逢った、あの少年。その名は——


「少年……ああ、きみは……ロクアス」

「はい」


 ディルムッドの呼び声に、少し離れた場所にいる山羊頭がこちらを見上げてくる。

 ディルムッドの顔を見た山羊頭の〝ロクアス〟は、耐え切れないように小さく鼻から笑いを零した。


「何です。その顔——あ。あと、お守り屋さんが〝悪趣味〟とかほざいていたこの山羊頭は返しませんよ? あなたみたいな人は、もっとそのみっともない顔を世にひけらかすべきです」

「……ロク、アス」

「だから、何です」


 ディルムッドは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。身体を震わせ、嗚咽を漏らし、その場に崩れ落ちるように地面に両腕をつく。


「あり、がとう……! ロクアスにまた逢えて、心から、うれしい! ……何もかもがうれしくて……たまら、ない……ありがとう、本当に……!」

「そうですか。……というか、まず他に言うべきことがあるのでは?」


 人っ子一人いない、荒野の中心。

 二人の間を隔てる鉄格子はもうない。二人を囲う堅牢な箱も無い。

 ただ、世界の中心に二人きり。地面に手をついて四つん這いになった魔王と、魔王奉還を果たした、かつての少年が向き合っている。


「ううっ……ぐすっ」

「さっさとしろ、堕落魔王」

「……うん」


 ディルムッドはようやく顔を上げると、ぐちゃぐちゃに濡れた顔で、かつての少年に笑いかけた。


「ただいま——ロクアス」

「……おかえりなさい。ディルムッドさん」



 ──────────

「魔王奉還」編   〜完〜

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ロクアス物語 ─魔王奉還─ 根占 桐守(鹿山) @yashino03kayama

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