第19話 それはまだ、花開く前

 ◇◇◇


 十二月の大雪たいせつを過ぎたころ、志貴の屋敷に瑞代家の長女、紫音しおんが訪ねてきた。


 歳は二十三。長身で、長い艷やかな黒髪をきゅっと総髪に縛った軍服姿。次期当主にと育てられながら、医の瑞代にあって刀ひとすじ。座学を嫌い、薬のひとつも覚えない。当人には、当主になる気がまったくない。


じじいがしぶとい。シラを切りとおす気だ」


 開口一番こうだ。紫音は、女らしさなるものを強要してきた雪柳の古狸に並々ならぬ恨みを持っている。

 

「昔っからそうだ。あの爺、あたしを孫の嫁にするとかぬかしやがった頃から、雪柳を筆頭に押し上げたくて堪らんのだろ」

「序列がお好きなようだからな」


 組師を志貴に送り込んできたときから、これが雪柳家の狙いだったのだろう。

 退妖師家門の序列を覆そうとした旧五大家騒乱は、まだ本当には終わっていない。発端となった鵺富家が消えた今、残る四家の中で新たな序列を作ろうという動きは密やかに続いている。

 朔灯や紫音、康史郎のような若い世代にはばかばかしく思えるが、退妖師の老体はみな肩書に固執して、結果今回のような騒動を起こすのだ。


「当分は爺もおとなしいだろうが、百鬼夜行が近いからな。瑞代としても目を光らせておく」

「年の瀬に世話をかける」

「かまわんさ。康史郎にもよくよく頼まれたしな」


 そして、紫音は湯呑の茶を一気にあおり、ぱんっとあぐらの膝を叩いた。まるで宴席にでもいるかのようだ。


「で、だ。うわさの組師殿はどこにおられる?」


 手にした湯呑を朔灯に差し向けて問う。紫音らしい、悪童の顔である。


「うわさ、とは?」

「家族と慕うあやかしのために、我が身をかえりみず組紐を結ぶ。なんとも美談ではないか!」

「……康史郎め」


 貸しなどと恩着せがましいことを言っておきながらこうだ。


「仕方あるまいよ。康史郎の口に戸を建てつけられるのは神か仏かぐらいのものだ。それよりほら、会わせてくれ!」


 紫音は待ちきれないらしく、タタタと畳を両手で叩く。

 さてどうしたものか。朔灯は腕を組み、眉間をきゅっと寄せた。


「紫音。口説く気だろう」

「……まぁ? すこしは? だって志貴は三月の約束なのだろ?」

「賭けだ。まだ結果は出ていない」


 鵺富家は強い奇眼を持つ組師を数多く輩出してきた家門だ。その鵺富家が潰え、これからの組師不足を危ぶんでいるのはどこも同じ。


 うわさになれば、透緒子に関心を持つ者は増える。志貴が抱え込んでいるとなればなおのこと。

 けれど、朔灯だって譲る気はない。

 今、賭けの行く末がこちらにかたむいてきている。そんな手ごたえはあるのだ。


「会わせてくれよぉ! 少し。少しでいい! 障子に人差し指一本分開けるだけでいいんだ!」

「まず、ひとさまの家の障子に穴を開けようという考えをあらためろ」

「なんだよケチ。貴重な組師だ。志貴と瑞代、交代で住まわせたっていいじゃないか」


 紫音の言うことももっともだ。志貴の遣いの組紐がみな掛けかわれば、当面急ぎの務めがない。しばらく瑞代に住まわせたところで、なんら問題ないはずなのだが。


 朔灯は透緒子を他家にやることに、すんなりとうなずけなくなっていた。



◇◇◇



 透緒子が組玉を動かすと、善の目がついてくる。右へ、左へ。そのうち目を回してしまうのじゃないかと気にかけながらも、また手を動かす。手前に十二、奥にも十二。計二十四の組玉を、外から中に、前に、後ろに。かんこんかんこんと音を鳴らしていると、善は「はぁぁ」と感心したような声を出して寝そべり、ほおづえをついた。


「はしたないこと」

「しかしよぅ妙江、こうして見ると、上からとはひと味違っておもしれえんだ」


 こいこい、と手招きされた妙江が善の隣に正座する。しばらく首を傾けて目線を低くし、それからいつものしゃんとした姿勢にもどった。


「わからなくも……ない」

「だろ? しかし器用なもんだ」


 透緒子からすると、決まりごとに従い玉を入れ替えているだけなのだが。善は自分の組紐ができるさまを、日がな一日楽しんでいる。


「私の紐とはずいぶんおもむきが違いますね」

笹浪組ささなみぐみといいます。目の並びは、海にたつ細かな波を模しているとか」


 そう言いながら、透緒子は海の何たるかを知らない。

 八玉で組んだ妙江の八津組紐より太さのある平紐になる。妙江とそろいの月白げっぱくに、藤と若緑。三色を順に繰り返す矢絣やがすり模様を組んでいく。


 瀬田の奥部屋にいた頃より、この務めを好ましく思うようになった。

 贈る相手の姿を浮かべて、似合いの柄に頭を悩ませる。出来合い売りの瀬田ではできなかったことだ。


 その瀬田の義父が、先日また訪ねてきた。

 遣いが沙夏を送り届けたことへの礼と、透緒子の機嫌うかがいのようなものだった。

 透緒子を蔵に閉じ込めたのは、義父の望むところではなかったらしい。義母と沙夏にはよくよく言い含めるからという義父の声を、廊下で聞いた。直接会うことは、朔灯が許さなかった。


 三月の賭けを終えたあと、あの家に自分が戻ると想像すると胸に岩が落とされる。

 かといって、抱えになることを想像すると今度は心臓に矢が刺さる。今さらながら、いつかの雪柳老の怒声が飛んでくるのだ。


 左手にはっきりと浮かぶ青い印。身に刻まれているのが呪瘡から呪印にかわっただけだ。

 透緒子を抱えては、朔灯が四大家から責められはしないか。彼の母が、ひどいそしりを彼にぶつけるのではないか。


 比べれば、矢より岩のほうがましに思える。

 

「……むずかしい」

「そうか? そうは見えねえけどなぁ」


 こちゃこちゃと考えながらも、透緒子の手はよどみなく組玉を入れ替える。


 台にぶら下がる組玉に善がそろりと手を伸ばし、妙江がペしりと甲をはたいたところで、廊下から声がかかる。


「茅弥でございます」

「茜里だよ、で、ございます」


 すっと障子が開いて、かたや人、かたや猫耳に面隠しの顔がひょこりとのぞいた。


「透緒子さま、透緒子さま。そろそろいーい?」


 茜里がそわそわと足踏みする。

 壁にかけた時計に目をやり、透緒子は「いけない」と、組玉を台の上に乗せていく。


「あら、もうそんなお時間でしたか」


 妙江が立ち上がり、箪笥から透緒子のたすきを出した。

 手伝おうとする妙江を止めて、自分でたすきをかける。肩の上で結ぶと、塞がってからまだ日の浅い傷口が痛んだ。

 そこに善の呪印があることが、透緒子には誇らしい。


「なんだ、今日は終いか?」


 廊下を通りかかった朔灯の声に、透緒子はつい、ひざをつきそうになった。

 人が訪れるときは伏せるもの。瀬田の教えは身体に染み付いている。朔灯がこれを嫌がるので、どうにか染み抜きしようと日々奮闘中だ。


「善がやたらに紐を自慢するから、少し見せてもらおうかと思ったんだが」

「申し訳ありません。務めはまた夜に必ず」

「いや、責めてはいない。何か用事ようごとか?」

「茅弥さんと茜里と、牛乳卵砂糖寄温菓カスタプリンというお菓子を作る約束なのです」


 透緒子が答えると、朔灯の目が「ほう?」と軽く見開かれる。


「透緒子さま! 早くぅ」


 待ちきれない茜里が廊下でひょいひょいと跳ねる。

 朔灯に軽く会釈して、透緒子は部屋を出ようとした。


「透緒子」


 呼び止められて、少し、鼓動が乱れる。家族だと叫んだあの夜から、彼は「透緒子どの」と言わなくなった。

 彼の声は、義母とも義父とも沙夏とも違う。まるで、この名前が少しだけ特別な意味を持ったような、そんな響きがする。


「なん、でしょう」

「その菓子、俺にもくれるか?」

「それは、もちろんです……うまくゆけば、ですが」


 すると、朔灯が微笑んだ。


「うまくいかずとも。楽しみにしている」


 ――この人の笑みは、こんなに柔らかかっただろうか。


 透緒子はもう一度会釈して、今度こそ部屋をあとにした。

 少しだけ、息をはずませて。

 朔灯がこの胸に落とす、岩とも矢とも違う心地の悪さ。それが何なのか、まだ、わからないまま。




〈帝都あやかし屋敷の糸組み師 第一部――了〉






◆◇◆◇


 本作は【「世界を変える運命の恋」中編コンテスト】応募にともなう字数制限のため、ここで一旦完結としております。そのため、ここまで追いかけてくださった皆様に、現時点では結末をお届けできません。

 コンテスト終了後、残り6万字の先の閉幕で皆様に再びお会いできましたら幸いです。


 連載中の応援、また、ご評価をたまわり、本当にありがとうございます。ご評価いただくたびに作者が鳩サブレーを食べるシステムになっておりますので、感謝を尽くし、ぱりぽりといただきます。

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帝都あやかし屋敷の糸組み師【中編コンテスト版】 笹井風琉 @chichiibean

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