第五話 私、資格がないので困ります!
ある日の朝。
ジリリと鳴り響くやかましい魔道電話の音に、シュレムちゃんは否応なしにたたき起こされました。
「はいもしもし、【シュレムちゃんにお任せ! 日々のお悩み――」
『お願いします先輩! あたしの妹の先生になってくださいなんでもしますから!』
「え、いまなんでもするって? いえなにもしませんですけど、女の子同士ですし――それでなんです、こんな早朝から」
シュレムちゃんは壁にかけてあった時計を見上げながら、眠そうに瞼を擦ります。
なにせ現在時刻は朝五時、かつての早朝勤務(早朝ゆえに“残”業ではない、よって残業代はつかないという理不尽)に近い時間帯の起床なんて久々で、思わず相手を睨んでしまいます。
『すみません先輩、でも緊急事態なんです! このままじゃ妹が――あたしの妹が、魔法学校に入れないんです!』
「確かにまあ、それは一大事ですが……ともかく、一度顔を洗わせてください。話はそれからで」
がちゃんと魔道具の電話を切り、シュレムちゃんは取り急ぎ顔を冷水で濯いで目を覚まします。
それから魔法で瞬間沸騰させたコーヒーをすすり、苦さに思わず顔をしかめて、牛乳で割ってから残りを飲み干し――非常識な後輩になってしまったサリアちゃん(第二話参照)に電話をかけなおしました。
「それでなんなんです、朝っぱらから騒々しい」
『それはですね――かくがくしかじか』
「なるほど……まるまるうまうま、というわけですね」
要するに、サリアちゃんの愛らしくて目に入れても痛くないどころか絶頂してしまうほどの妹が、魔法学校への入学まで一年を切っているのに未だ初級魔法の一つもうまく使えないというのです。
なるほどそれは姉として慌てるのも当然、頷ける話でした。
「ですが魔法使いの家庭教師には資格が必要ですし、私にはそんなものありませんよ?」
『そんなの、今時モグリの家庭教師なんてどこにでもいますよ! 就活に失敗した残念な若手魔法使いのひとまずのバイト先としても有名じゃないですか!』
「なるほど、社会人一年目にして仕事を辞めた私にはぴったりですね。しかしなんでまた……もっと他にいい先生なんているでしょうに」
『それが、みんな打つ手なしで辞めてしまって……両親はもうあきらめムードだし、あたしにはもう頼れる先輩くらいしか頼れる相手がいないんです!』
「そこまで私を頼ってくれるのなら致し方ありません。かつて公職についていた身なので法を犯すのは気が引けますが……」
『先輩……』
「……ですが、ギルドの職場なんてクソを下水で煮込んだ汚物以下のゴミクズなので未来ある幼気な女の子のほうがよっぽど大事ですからね! 良いでしょう、ただしその代わり成功報酬はたんまりお願いしますよ!」
『もちろんです! 両親に言えばたっぷり払ってくれますよ!』
実はサリアちゃんの実家はそれなりに良いところの魔法貴族で、最近は新進気鋭の商家の娘を妻に迎え入れたことにより財政事情に余裕があるのです。
情けは人の為ならず、数多くの人間が匙を投げた問題児を見事矯正できれば報酬は山のように貰えることでしょう。
それに、あれからサリアちゃんのチームは律儀に上級魔法のお金を払ってくれていることですし、その子の顔を見れば親の人間性もまた十分信用できます。
かつて魔法使いギルドでさんざん見たような、年会費を駄々をこねて滞納していたクソ野郎どもとサリアちゃんは違うのです。
誠意には誠意をもって報いるべく、シュレムちゃんは全身全霊でサリアちゃんの妹ちゃんに向き合う覚悟を決めました。
「―—ところで、サリアちゃんの領地までここから往復一か月とそれなりに遠かったですよね。ラーメン屋の店主に謝っておかないといけませんね……帰った時には菓子折りの一つでも用意していかないと……」
「というわけでやってきましたサリアちゃんのお家です」
「誰に言ってるんですか先輩?」
「おっとつい余計な独り言が……一人暮らしの弊害ですね、気にしないでください。それで妹ちゃんとやらはどこに?」
「今は自分の部屋に閉じこもっているとのことです。魔法使いの家系に生まれたのに自分だけが魔法を使えないことに、ひどいショックを受けているようで……でも、あたしが一緒に行けばきっと会ってくれるはずです! なにせ領地では一番仲の良い姉妹だって評判でしたから!」
「それは都合がいいですね。お姉さんをダシにしてぜひ仲良くさせていただきましょう」
「言い方!?」
そんな風にじゃれあいつつ、長旅の友だった馬車から降りてシュレムちゃんはサリアちゃんのお屋敷に入ります。
正式な訪問という訳ではないので、使用人が総出で出迎えるといったような大したおもてなしもありません。
ですが、むしろそんな堅苦しいものが嫌いなシュレムちゃんにとってはそれは好都合でした。
「ではさっそく、アリアちゃんでしたか? その娘の部屋へ案内してください」
「はい。アリアの部屋は二階の手前から二つ目の部屋で……アリアー! お姉ちゃんが帰ってきたよー!」
しーん……と、扉の開く気配はありません。
それどころかドアノブを回そうとしても、鍵がかかっているようで中に入れません。
「……本当に仲のいい姉妹なんです?」
「そうですよ! 嘘なんかついてませんって! おーいアリアー! お姉ちゃんのお帰りだよー!? 開けてってばー!」
いくら彼女が中に向かって呼びかけようと、アリアちゃんが出てくる気配はありません。
「むー、こうなったら仕方ないけど魔法で扉をぶっ飛ばしちゃうしか……」
サリアちゃんのその言葉に、初めて中からがたんと物が揺れる音が聞こえました。
どうやら慌てているようです。
「止めてくださいよ、そんな短絡的な方法なんて」
「じゃあどうするんです?」
「この程度、わざわざ魔法を使うまでもありません。―—さて、アリアちゃん。私はシュレム・ホワイトフィールドと申します。あなたの姉の先輩で、今回あなたの家庭教師にならないかと誘われてきました」
その言葉には、アリアちゃんは無反応でした。
ですが、果たして次の言葉にもそうしていられるかな? とシュレムちゃんはどこか邪悪な笑みを浮かべました。
「ですが残念なことにこの様子では、あなたのことをきちんと知ることもできなさそうです。という訳でサリア後輩、ここはひとつ私にアリアちゃんのことを教えてくれませんか?」
「え? ええ、良いですけど、なにを……お話すればいいです?」
「なんでもいいですよ。教師として、生徒のことは一つでも多く知っておくに越したことはありませんですから。そうですね――アリアちゃんの好きな食べ物とか、お洋服の好みだとか」
「ふんふん、それくらいならお安い御用です!」
「他には……アリアちゃんの好みの男性のタイプとか、可愛い癖とか……例えば、いまだにぬいぐるみを抱いてじゃないとか寝られない、みたいな」
そうシュレムちゃんが大きな声でわざとらしく提案すると、再びがたたんっ!?
何かが倒れたかのような激しい音が響きますが、構わず言葉を続けます。
「他には小さい頃の夢だとか、ちょっと人には言えないようなことだとか――当然お姉ちゃんたるあなたなら、いろいろ知っているんでしょう?」
「もちろん知っていますとも! そんなに気になるなら特別に教えちゃいましょう! そう、あれは愛しのアリアちゃんが三歳の時―—」
「―—ちょっと待ってくださいお姉さま!?」
ばたんっ、とついに耐え切れずアリアちゃんが部屋の中から飛び出してきました。
その息ははぁはぁと荒く、慌てていたことが目に見えて分かります。
そして――ドアを開けてしまったのが運の尽き。
ここまでのやり取りがすべて罠なのだと、よこしまな笑みを浮かべるシュレムちゃんと申し訳なさそうな顔をする姉の顔を見たアリアちゃんは自分が浅はかな行動を取ってしまったと悟ります。
「こんにちはアリアちゃん。改めまして、シュレム・ホワイトフィールドで――ああ、もう閉めさせませんよ?」
ドアの開いた瞬間にすかさず足を差し込んでいたシュレムちゃんにより、哀れ非力なアリアちゃんの腕ではドアは閉まらなくなってしまいました。
「それで、あなたの魔法を使えない原因を調べなければならないので、さっそく一つなんでもいいので使おうとしてみて下さ……ん?」
「あわあわあわ……」
おろおろするアリアちゃんにぐぐーっと顔を近づけ、シュレムちゃんは彼女の胸元を凝視します。
可愛らしい未発育のぺったん胸―—その奥に潜む何かを、彼女は魔法使いとしての嗅覚で敏感に感じ取りました。
「あの、先輩? どうしたんです?」
「いえ……アリアちゃん、そのペンダントはどうしたんですか?」
シュレムちゃんが目を付けたのは、少女が胸元に着けていたブローチでした。
大粒のエメラルドが嵌められた、荘厳な装飾の胸飾り……問われたアリアちゃんは、それを大事そうに抱えながら答えます。
「……お母さんから貰った誕生日プレゼント」
「それはそれは、大事なものなんですね……では、ちょいと失礼しまして」
「ああっ!? なにするの!? お姉ちゃんのお友達のドロボー!」
シュレムちゃんはアリアちゃんのブローチを躊躇なく剥ぎ取り、日の光にかざして色々な方向から観察します。
ついで懐から取り出したポケットルーペでその細部を確認し、彼女はわずか三分ほどで謎は全て解けたと言わんばかりに頷きました。
「原因はこれですね」
「なんですって? お母さまがまさか、魔法をうまく使えなくする魔道具をアリアに――?」
「違うもん! お母さまは優しいし、そんな意地悪なことなんて絶対にしないもん!」
「ええ、そうでしょうね。お母さんは知らなかったのでしょう、何故なら魔法使いではなく商人の娘なのですから。これは意図せぬ偶然というやつです。というかあなたが知らないのは論外ですよこの馬鹿ちん後輩――良いですか、よく見ていてくださいね」
シュレムちゃんはペンダントを握りしめ、その中にふんっと魔力を込めます。
「―—〇×△□%☆!?」
すると指と指の隙間をすり抜けるようにしていきなり、人差し指程度の蝶の羽をはやした小人のような何かが姿を現したではありませんか。
それを開いていたもう一つの手ですかさずキャッチしたシュレムちゃんは、二人にその正体をよーく見せつけます。
「
「う、うん」
アリアちゃんはシュレムちゃんから返されたペンダントを恐る恐る身に着けなおして、魔法を唱えます。
「『大いなる水よ、お願い力を貸して――』!」
彼女の手の先に展開される、初級風魔法の魔法陣。
そこから射出された風は確かな力を以て、家の中を駆け抜けていったのでした。
「あ……使えた。お姉ちゃん、私にも魔法が使えたよ!」
「ホントだ! さすがは先輩、ありがとうございました! まさかこんな一瞬で解決されるなんて――」
「これはこれまでの教師が無能だっただけですよ。妖精の生態もまともに知らない連中なんて……モグリの家庭教師を平気で雇って許されるこの悪習は早急に撤廃すべきですね、どうせ就活に失敗したのも己の勉強不足が所以の輩ばかりだったのでしょう。というかこれは学校で習う魔獣生態学の知識の一つですよ。確かに妖精なんてめったに会えるものじゃないですが、それでも試験には必出の問題だったはずです。……それをなんで忘れてるんですかあなたは!」
「あーいや、はは、妖精の出る依頼を相手にするような高ランクになってからまた勉強しなおそうと思ってて……」
「それで不意に出くわしたりしたらどう対処するつもりだったんですか! まったく、あなたは今一度勉強しなおすべきですね。……さて」
シュレムちゃんは自らの手の中でじたばたと藻掻く妖精を冷たい目で見降ろします。
妖精は彼女の中でうるうると慈悲を乞う赤子のような目を向けますが、彼女は知っています。
「そんな顔をしても無駄です。あなたたちに人間並みの知能があることも、それが悪いと知ったうえで誰かを困らせることが好きないたずら好きな一面を持っている連中だということも知っています。このまま野に解き放つという選択肢は残念ながら、私の中にはありません――『
ぼしゅっ、と彼女は容赦なく妖精を手の中で消し炭にしてしまいました。
手に染み付いた黒い煤をハンカチで拭ったのち、あまりに冷酷なシュレムちゃんの振る舞いにドン引きしているサリア・アリア姉妹に彼女は笑顔で問います。
「さあ、ご両親を呼んでください。報酬のご相談と行きましょう――何ですかその顔は」
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